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第56話:隣の部屋からの声が、契約者名簿にない名前を呼ぶ

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会社の独身寮に入って半年。
谷口大介は、ひとつだけ気になっていることがあった。

隣の部屋から聞こえる声だ。

木造の寮は音が通りやすく、深夜になると、隣の部屋から人の話し声が漏れてくる。
誰かと電話でもしているのだろう。最初はそう思っていた。

けれど、声はいつもひとりぶんだけだった。
返事のない会話。
淡々と、時にささやくように、時に笑って。
まるで“誰か”に語りかけているようで、しかし応答はない。

そして、奇妙なのは――その声が、自分の名前を呼ぶことがあるのだ。

「……たにぐちさん……」
「……だいすけ、くん……起きてるんでしょ……」

小声で、囁くように。
眠気が吹き飛び、谷口は壁に耳を当てた。
それでも内容ははっきりとは聞き取れない。

声の主は、隣の203号室の住人のはずだった。
入寮時に見せられた契約者一覧によれば、203号室は「野村秀人」という名前の男性。

「変わったやつなのかな」と気にしないようにしていたが、
ある日、寮の管理人に顔を合わせた際、ふと思い出して尋ねてみた。

「あの、203号室の野村さんって、普段どんな方なんですか?」

すると、管理人はきょとんとした顔で言った。

「203号室? ……空き部屋だけど?」

「えっ? でも、誰か住んでるみたいで、話し声が……」

「あそこは2年前に退寮者が出てから、ずっと空いてる。
たしか……野村くんだったかな。急に辞めたんだよ。
ちょっと様子がおかしくなってさ」

谷口の背筋に冷たいものが走った。

夜。
再び耳に届いたのは、あの声だった。

「……たにぐちさん……きょうは……来てくれるの?」

(いやだ、いやだ、いやだ)

ふと、ドアの郵便受けの隙間から、白く細い指が覗いていた。

ドアを開けてはいけない。
でも、呼ばれている。
名前を、何度も。

翌朝。
谷口はすぐに寮を出た。

それ以降、彼は“自分の名前”に過敏になった。

どこかで呼ばれたような気がすると、振り返る。
電車の中、会社の廊下、誰もいない部屋。

そしてある夜、スマホの録音アプリで寝息を確認していた谷口は、
自分の寝言に混じって、小さな声がこう囁いているのを聞いた。

「……もう、隣じゃなくても……わかるよね……?」

録音ファイルは、削除できなかった。

消そうとすると、フリーズするのだ。

そのファイルの再生時間は、203秒。

――それは、203号室と同じ数字だった。

―――――――――――――――――――――――

あとがき
第56話『隣の部屋からの声が、契約者名簿にない名前を呼ぶ』をお読みいただきありがとうございました。

名前を呼ばれるというのは、呼応を求める合図です。
しかし、それが“届いてはいけない”相手だったとしたら。

音と記録。
名前と場所。
気をつけてください、誰があなたを知っているのか。

次回は『第57話:黒板に勝手に書かれた出席番号、それは既に死んだ生徒の席だった』を予定しています。

―――――――――――――――――――――――

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