【完結】無能と婚約破棄された令嬢、辺境で最強魔導士として覚醒しました

東野あさひ

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3章

22話「見えない綻び、護るべき日常」

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 翌朝、砦はまだ眠気を帯びた静けさに包まれていた。
 カイラス・ヴァルドレンは、昨夜の決意を胸に、早朝の見回りへと足を運んだ。

 廊下には、朝一番の冷気が漂っている。
 (昨夜の星空……あの瞬間だけは、不安もすべて澄んで消える気がした。だが――)

 彼は自分の胸に手を当てる。どこか、つかみきれない違和感が残っている。
 守りたいものが、目の前からすり抜けていくような、不吉な予感。

* * *

 いつものように食堂に顔を出すと、朝食の準備で忙しそうなエイミーが手を振った。

 「団長、おはようございます!」

 「おはよう。手伝うことはあるか?」

 「大丈夫です。今日は野菜の在庫もばっちり、失敗してません!」

 と、明るく振る舞ってはいるものの、彼女の目の下にはうっすらとクマが見えた。

 「眠れてないのか?」

 「……少し、変な夢を見ちゃって。起きたとき、部屋のレイアウトが微妙に違っていて……気のせいかな」

 (やはり、ノクティアだけでなく、エイミーにも“違和感”が生じている――?)

 「あとでノクティアにも話してみるといい。みんな気を張ってるからな」

 エイミーは小さくうなずく。

* * *

 砦の西側の廊下を歩くと、兵士たちが朝の交代に集まっている。

 「団長、おはようございます!」

 「おはよう、今日もよろしく頼む」

 この何気ないやりとり――
 しかし、ふと名簿を覗くと、昨日までいた“クルツ”という兵士の名前が消えていた。

 「……なあ、クルツは今日は休みか?」

 「クルツ……誰です、それ?」
 兵士たちが不思議そうに首をかしげる。

 (嘘だろ……昨日まで普通に話していたじゃないか)

 カイラスは思わず、自分の記憶違いではないかと疑った。
 けれど、胸の奥で「そんなはずはない」という強い確信が揺らいでくれない。

* * *

 午前中の訓練では、レオナートが剣技指導の真っ最中だった。

 「カイラス団長、今日の稽古内容は――」

 「いや、レオナート、昨日の訓練記録、少し見せてもらえるか?」

 「もちろんです。……ええと、あれ?」

 レオナートは帳面をめくりながら顔を曇らせた。

 「昨日、確かに“組討ち訓練”を行ったはずなのですが、その記録が抜けています。しかも……人数が一人分少ない」

 「……やはり、おかしいな」

 レオナートは慎重に周囲を見渡す。「団長、何か不審なことが?」

 「いや、今はまだ確証がない。ただ――用心はしておけ。お前が一番冷静だからな」

 「……はい」

* * *

 昼下がり。カイラスは文書室で書類の整理をしていた。

 「カイラス」

 ノクティアが控えめに声をかけてきた。
 魔導書と古びた手帳を片手に持ち、少し気詰まりそうな表情。

 「どうした?」

 「……この書類棚、前は反対側の壁についていた気がするの。でも、エイミーに聞いたら“ずっとここ”だって」

 「やはり、お前も……」

 ノクティアは眉を寄せ、唇をかみしめた。

 「最近、過去の記憶が時々ぼやけるの。昔訪れた村の名前や、砦の兵士の顔……思い出せそうで思い出せない。私、何かおかしくなったのかな」

 カイラスは彼女の肩を優しく抱いた。

 「ノクティア、お前だけじゃない。俺にも、同じような違和感がある」

 ノクティアは驚いたように目を丸くする。

 「……本当?」

 「ああ。エイミーや、他の仲間たちも少しずつ変な夢や、記憶の抜け落ちを感じてるようだ。――これはただの気のせいじゃない」

 「でも、どうして……?」

 「原因はわからない。けど、放っておいていいことじゃない。何が起きてるのか、きっと突き止めてみせる」

 ノクティアはゆっくりとうなずき、カイラスの腕をぎゅっと握った。

* * *

 午後の陽が傾きかけた頃、砦の警備塔から緊急の鐘が鳴った。

 「団長! 南門で不審者です!」

 すぐに現場へ駆けつけると、兵士たちが緊張した面持ちで門を囲んでいた。

 「どうした?」

 「団長……この男です」

 差し出されたのは、薄いフードを被った中年の男。
 その目にはどこか焦点の合わない、空虚な光があった。

 「お前、名前は?」

 男はしばらく虚空を見つめたあと、ぽつりと呟く。

 「……ここは、どこだ……? 私は、誰だったのか……」

 「記憶喪失……?」

 エイミーが小声でささやく。
 ノクティアが静かに近づき、そっと男の手に触れる。

 「安心してください。私たちがここにいます」

 男はぼんやりとノクティアを見て、やがて静かに膝を折った。

 「ここにいると、少し……懐かしい気がする。けれど……」

 男の呟きに、カイラスの胸がざわついた。

 (この男だけじゃない。世界そのものが、少しずつ“忘れて”いっているのか……?)

* * *

 その夜、カイラスは砦の記録室で独り、古い名簿や日誌を片っ端から読み返していた。

 「……やはり、抜けている。ところどころ、ページが白紙になってる」

 そこに、ノクティアが入ってくる。

 「カイラス、無理しないで。……これ以上、何か大切なものを忘れるのが怖いの」

 「俺だって同じだ。だが、こうして黙ってたら、全部が消えてしまいそうなんだ」

 二人は並んで名簿を見つめた。

 「……カイラス、もし私たちまでお互いを忘れかけたら、どうする?」

 「そのときは……何度でも思い出してやるさ。たとえ世界中の記録が消えたとしても、俺の心だけはお前を覚えてる」

 ノクティアの目に、うっすらと涙が浮かぶ。

 「ありがとう……」

 不安と闘いながらも、二人の心は、消えゆく現実の中で確かなものとしてつながっていた。

* * *

 深夜。
 カイラスは眠れずに、塔の窓から夜空を見上げる。

 ――星がひとつ、またひとつ、音もなく消えていくのを彼は確かに見た。

 (これは……本当に、世界が少しずつ壊れ始めている……?)

 背後で、ノクティアがそっと寄り添う。

 「大丈夫、カイラス。きっと、何か方法はあるわ。私たちなら――きっと、乗り越えられる」

 その言葉に、カイラスは小さくうなずいた。

 世界の綻びの正体は、まだ見えない。
 だが、護るべきもののため、カイラスは決して諦めない。

 新たな戦いの予感と共に、夜が静かに更けていった。
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