【完結】無能と婚約破棄された令嬢、辺境で最強魔導士として覚醒しました

東野あさひ

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3章

23話「侵食する影、揺らぐ信念」

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 朝の陽射しが砦に射し込む。だが、その暖かさに包まれても、カイラスの胸には拭えぬ不安が残っていた。
 昨日の名簿から消えた名前、誰もが忘れていく存在、確かに見ていたはずの光景の微妙な違和感――。
 夜が明けても、何も変わらない。むしろ、心の奥底にじわじわと“侵食”してくるものがある。

* * *

 カイラスは砦の見回りに出ていた。
 石畳を踏みしめて歩く彼の背には、昨日とは違う緊張が走っている。
 すれ違う兵士たちに挨拶を返しつつも、その中に“知っているはずなのに、名前が思い出せない”顔が増えていることに気づく。

 (何かが、確実におかしくなっている……。だが、証拠がない)

 自分の記憶違いで片づけてしまえば楽だ。だが、エイミーやノクティア、レオナートすら同じ違和感を訴えている。
 “みんなで同じ夢を見る”というならともかく、“みんなが同じ現実の綻び”を口にしているのは、明らかに異常だ。

* * *

 朝食後、ノクティアが砦の外で呪符の整理をしていた。
 風に揺れる長い髪が、少し疲れたように見える。
 カイラスはそっと近づき、声をかける。

 「無理はするなよ、ノクティア」

 「ありがとう。大丈夫……少しだけ、何かが“抜けていく”みたいな気分なだけ。あなたは?」

 「ああ、俺も同じだ。みんな、昨日より少しだけ……いや、何かを“忘れている”感じがする」

 ノクティアは魔導書をぱらぱらとめくりながら、ぽつりと言った。

 「昨夜ね、昔覚えたはずの呪文を一瞬だけ忘れたの。……手にしみついているはずのものが、まるで自分のものじゃないみたいに」

 「呪文まで……?」

 カイラスは背筋が冷たくなるのを感じた。
 魔導士としての技術や知識までもが、じわじわと侵食されているのか――。

* * *

 その日、訓練場ではレオナートと兵士たちが模擬戦を行っていた。
 カイラスが近寄ると、レオナートがすぐに気づいて歩み寄る。

 「団長。今日の訓練、どうも皆の動きが冴えません。人数も……なんだか、計算が合わないんです」

 「昨日も名簿で消えた兵士がいた。……レオナート、お前は記憶が曖昧になることは?」

 「ええ、実は今朝、朝食の献立がどうしても思い出せませんでした。
 しかも厨房当番だった兵士の顔も、どんな声だったかも、ぼんやりしていて」

 カイラスは腕を組み、沈思する。

 「……この砦だけの現象じゃない。おそらく、外にも広がっている。だが、何が原因だ?」

 レオナートは唇をかみしめた。

 「もし外部からの侵入なら、結界に反応が出るはずです。でも、記録も魔力痕も“何も残っていません”」

 「何かが“痕跡ごと消えている”のか……」

* * *

 昼、エイミーが慌ててノクティアを呼びに来る。

 「ノクティアさん、来てください! 食堂のカトラリーがまた減ってます!」

 「え? そんなはずは……」

 カイラスもついていくと、確かに昨日まで揃っていたはずの銀食器が一組なくなっている。
 兵士たちに聞いても、誰も「使った覚えがない」と言い、つい昨日まで置かれていた棚も「最初から空だった」と口を揃える。

 「物まで消えていくのか……?」

 エイミーは不安げにノクティアの腕にすがる。

 「ノクティアさん……私、なんだか“自分”まで薄れていきそうで怖いです」

 ノクティアは彼女の肩をそっと抱き、「大丈夫。エイミーはここにいる。私が証明する」と優しく微笑む。

 カイラスも深くうなずいた。

 「お前が消えてしまうなんて、絶対に許さない。俺たちが見ている。俺たちが“証人”になるんだ」

* * *

 午後、カイラスは王都に連絡を取るため通信魔導石を使う。
 しかし、何度試しても「接続先不明」の返答が返ってくるばかり。
 いら立ちを覚えながら、彼は砦の塔に上がった。

 塔から見下ろすと、辺境の村々も春の霞に包まれ、平和そのもののように見える。
 だが、その“平和”すら、幻のように感じられる。

 (もしや、王都でも同じ現象が……?)

 記憶と現実が少しずつずれていく。
 カイラスは焦りと苛立ちを抑えながら、再び砦内を歩き回る。

* * *

 夕暮れ。
 兵士たちが食堂に集まり始める時間。

 「カイラス。……夕食の前に、ちょっと皆に話があります」

 ノクティアが真剣な表情でやってきた。

 「ここ数日、砦内で起きていること――名簿の変化、物の消失、記憶の曖昧さ。もう“気のせい”じゃ済まされない。
 私は“魔導士”としても、この現象をきちんと調べたい。……みんなの協力が必要なの」

 カイラスは頷く。

 「俺も同じ気持ちだ。皆を集めよう。どんなに小さな違和感でも、必ず報告するように」

 兵士たちは緊張した面持ちでうなずく。
 エイミーやレオナートも、ただならぬ空気を察してそばに寄ってきた。

 「みんなで一緒にいる。みんなで確かめ合う。……それしか、今はできないから」

 ノクティアの言葉に、砦の空気が少しだけ落ち着く。

* * *

 夜、ノクティアとカイラスは塔の上にいた。
 星空は相変わらず美しいが、昨夜よりさらにいくつかの星が消えている。

 「このままだと、本当に世界そのものが“消えてしまう”気がする……」

 ノクティアがぽつりと呟く。

 カイラスは、彼女の手をしっかりと握る。

 「ノクティア、俺たちがいる限り、ここは現実だ。どんなに周りが消えても、俺はお前を、みんなを覚えている」

 「ありがとう、カイラス……。でも、私も“私自身”を信じ続けなきゃ」

 その時――
 夜風が強くなり、不意に辺境の空に“もう一つの月”のようなぼんやりとした光球が浮かび上がった。

 その光の中に、人影がひとつ、淡く現れる。

 「……ノクティア、カイラス。よくぞここまで“残った”な」

 それは、夢と現実のはざまから語りかけてくる、銀髪の女――アムネリスだった。

 ノクティアも、カイラスも、思わず息を呑む。

 「アムネリス……?」

 彼女はどこか憂いを帯びた瞳でカイラスを見つめている。

 「お前たちは、まだ“ここ”に踏みとどまっているのか。強いな」

 カイラスは警戒をにじませながら問い返す。

 「お前は何者だ。なぜ俺たちの世界が消えていくんだ」

 アムネリスはそっと首を振る。

 「私は“忘却の神”ではない。ただ、かつてその神と誓約を交わし、この世界の理に関わってきた存在だ」

 「忘却の神――?」

 アムネリスは天井を見上げるようにして続ける。

 「この世界には“記憶を糧”に拡がる理がある。忘却の神は、定期的に世界から“余剰の記憶”を刈り取る。だが、今回の浸食は異常だ。……本来は、もっと静かで、もっと穏やかなものだった」

 「どうして、こんなことに?」

 「わからない。だが、世界そのものが何者かによって“書き換え”を受けている。それが加速すれば、記憶も、絆も、世界の形も、全て失われてしまう」

 アムネリスの視線はどこか遠く、悲しみすら湛えていた。

 「ノクティアやお前たちが“残っている”のは、強い意志で繋がっているからだろう。それを捨てずにいれば、抗う道はきっとある」

 「……抗う方法を教えてくれ」

 「私は“試練”を見届ける者に過ぎない。だが、お前たちが本当に世界を護りたいなら、必ず“忘却の神”と向き合う時が来る」

 アムネリスの身体が白い光に包まれ、溶けていく。

 光が消え、現実が戻る。
 だがその世界は、さらに薄暗く、不確かさを増していた。

 「……“忘却の神”と向き合う時が来る、ですって?」

 ノクティアはしばらく沈黙し、それからゆっくりとうなずく。

 「私たちは、ここで終わらせない。カイラス、私は“私たちの記憶”を守る。例え世界がどれだけ侵食されても、私は私でい続ける」

 「俺も同じだ。どんな存在が相手でも、諦める気はない」

 星の数がまたひとつ、静かに消えていく。

 だが、カイラスの胸には、小さな希望の火が宿っていた。

 “世界の記憶”と“仲間の絆”を護りぬく――

 新たな決意が、夜の闇をほんの少しだけ押し返していた。
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