25 / 107
3章
24話「崩れる境界、集う決意」
しおりを挟む
早朝の砦は、静寂に包まれていた。
だが、その静けさが、カイラスにはどこか不吉なものに思えた。
最近、ありふれた日常の端々が、ほんの少しずつ失われていく感覚が強くなっている。
昨夜も眠りに落ちる直前、かつて共に酒を酌み交わした兵士の名をどうしても思い出せなくなって、胸がざわついた。
(……本当に、大丈夫なのか? 俺の、この世界は……)
見回りに出たカイラスは、石畳を踏みしめる足取りに力が入らないのを自覚していた。
廊下ですれ違う兵士たちに「団長!」と声をかけられるたび、胸に安堵と同時に薄い恐怖が走る。
――その中の何人かの名前が、どうしても舌の上で滑ってしまう。
「おはようございます、団長」
若い兵士が帽子を脱いで敬礼する。
カイラスは微笑んで頷きながら、名を呼ぶことができなかった。
(昨日まで確かに覚えていたのに……)
* * *
朝の点呼。
隊列の中に、少し前までいたはずの小柄な兵士がいない。
名簿を確認すると、その名は消えていた。
他の兵士たちに尋ねても、誰も彼を覚えていないようだった。
「団長、何か……?」
レオナートが不審そうに近づいてくる。
カイラスは小声で問う。
「お前、昨晩の食事のとき、隣にいた兵士の名を覚えているか?」
「……いいえ。申し訳ありません、思い出せません」
レオナートの眉がひそめられる。
その表情だけで、同じ“違和感”が彼の胸にも渦巻いているのが伝わった。
* * *
食堂に向かうと、エイミーがいつも通り調理台に立っている。
カイラスはそっと近づいた。
「エイミー、昨晩の献立、覚えているか?」
「……あれ? 確か、煮込みと……いや、パンだけだったかも……。ごめんなさい、なんだかはっきりしなくて」
彼女の声にわずかな怯えが滲む。
「私……最近、夢の中で知らない場所を歩いていたり、目覚めたときに何かが足りない気がしたり……おかしいですよね?」
カイラスは静かに首を振った。
「俺もだ。ノクティアも、たぶん……皆が同じことを感じている。これはただの気のせいじゃない」
* * *
午前、カイラスは砦の会議室にノクティア、エイミー、レオナートを集めた。
「このままだと、本当に世界が消えてしまう。……俺たちの、みんなの存在まで」
カイラスの声はいつになく硬かった。
「だからこそ、今、やれることをやる。俺たちの“証”を残そう。手記でも、詠唱でもいい。――一人ひとり、ここにいる意味を思い出すために」
ノクティアが頷き、手帳を開いた。
「私も書くわ。ここで生きてきた日々、出会った人の名前、全部。絶対に忘れたくないものを……」
エイミーもレオナートも、それぞれ自分の大切なことを語り始める。
「……団長、ありがとう。こうして話していると、不安が少し和らぎます」
「俺たちは、まだ繋がっている。忘れない限り、何度でも思い出せる」
カイラスは強く言った。
* * *
その時、不意に部屋の空気が変わった。
窓の外、白い靄が流れ込み、銀髪の女性――アムネリスが現れた。
「よくぞここまで耐えたな、カイラス」
アムネリスはまっすぐカイラスを見つめる。
「お前はなぜ、これほどまでに“他者”を守ろうとする?」
カイラスは迷いなく答える。
「俺は、“守る”ことでしか自分でいられないからだ。……誰かの痛みや悲しみも含めて、全部引き受けて初めて、自分がここにいると感じられる」
アムネリスは静かに頷いた。
「お前の意志が、どこまでこの世界を繋ぎ止められるか――それが、試される時が来る」
そう言い残し、彼女は靄とともに消えた。
* * *
夕方、砦の空が突然暗転し、北の空に巨大な裂け目が浮かぶ。
その裂け目の奥から、禍々しい“気配”が漂ってくる。
「みんな、砦の中心に集まれ!」
カイラスの叫びに、兵士や住民たちが次々と広場へ集まる。
――世界が、崩れ始めていた。
* * *
その夜、カイラスは砦の塔で星空を見上げながら決意する。
(何があっても、俺がこの世界の“証人”になる。みんなの記憶と絆を、最後まで守り抜く――)
だが、その静けさが、カイラスにはどこか不吉なものに思えた。
最近、ありふれた日常の端々が、ほんの少しずつ失われていく感覚が強くなっている。
昨夜も眠りに落ちる直前、かつて共に酒を酌み交わした兵士の名をどうしても思い出せなくなって、胸がざわついた。
(……本当に、大丈夫なのか? 俺の、この世界は……)
見回りに出たカイラスは、石畳を踏みしめる足取りに力が入らないのを自覚していた。
廊下ですれ違う兵士たちに「団長!」と声をかけられるたび、胸に安堵と同時に薄い恐怖が走る。
――その中の何人かの名前が、どうしても舌の上で滑ってしまう。
「おはようございます、団長」
若い兵士が帽子を脱いで敬礼する。
カイラスは微笑んで頷きながら、名を呼ぶことができなかった。
(昨日まで確かに覚えていたのに……)
* * *
朝の点呼。
隊列の中に、少し前までいたはずの小柄な兵士がいない。
名簿を確認すると、その名は消えていた。
他の兵士たちに尋ねても、誰も彼を覚えていないようだった。
「団長、何か……?」
レオナートが不審そうに近づいてくる。
カイラスは小声で問う。
「お前、昨晩の食事のとき、隣にいた兵士の名を覚えているか?」
「……いいえ。申し訳ありません、思い出せません」
レオナートの眉がひそめられる。
その表情だけで、同じ“違和感”が彼の胸にも渦巻いているのが伝わった。
* * *
食堂に向かうと、エイミーがいつも通り調理台に立っている。
カイラスはそっと近づいた。
「エイミー、昨晩の献立、覚えているか?」
「……あれ? 確か、煮込みと……いや、パンだけだったかも……。ごめんなさい、なんだかはっきりしなくて」
彼女の声にわずかな怯えが滲む。
「私……最近、夢の中で知らない場所を歩いていたり、目覚めたときに何かが足りない気がしたり……おかしいですよね?」
カイラスは静かに首を振った。
「俺もだ。ノクティアも、たぶん……皆が同じことを感じている。これはただの気のせいじゃない」
* * *
午前、カイラスは砦の会議室にノクティア、エイミー、レオナートを集めた。
「このままだと、本当に世界が消えてしまう。……俺たちの、みんなの存在まで」
カイラスの声はいつになく硬かった。
「だからこそ、今、やれることをやる。俺たちの“証”を残そう。手記でも、詠唱でもいい。――一人ひとり、ここにいる意味を思い出すために」
ノクティアが頷き、手帳を開いた。
「私も書くわ。ここで生きてきた日々、出会った人の名前、全部。絶対に忘れたくないものを……」
エイミーもレオナートも、それぞれ自分の大切なことを語り始める。
「……団長、ありがとう。こうして話していると、不安が少し和らぎます」
「俺たちは、まだ繋がっている。忘れない限り、何度でも思い出せる」
カイラスは強く言った。
* * *
その時、不意に部屋の空気が変わった。
窓の外、白い靄が流れ込み、銀髪の女性――アムネリスが現れた。
「よくぞここまで耐えたな、カイラス」
アムネリスはまっすぐカイラスを見つめる。
「お前はなぜ、これほどまでに“他者”を守ろうとする?」
カイラスは迷いなく答える。
「俺は、“守る”ことでしか自分でいられないからだ。……誰かの痛みや悲しみも含めて、全部引き受けて初めて、自分がここにいると感じられる」
アムネリスは静かに頷いた。
「お前の意志が、どこまでこの世界を繋ぎ止められるか――それが、試される時が来る」
そう言い残し、彼女は靄とともに消えた。
* * *
夕方、砦の空が突然暗転し、北の空に巨大な裂け目が浮かぶ。
その裂け目の奥から、禍々しい“気配”が漂ってくる。
「みんな、砦の中心に集まれ!」
カイラスの叫びに、兵士や住民たちが次々と広場へ集まる。
――世界が、崩れ始めていた。
* * *
その夜、カイラスは砦の塔で星空を見上げながら決意する。
(何があっても、俺がこの世界の“証人”になる。みんなの記憶と絆を、最後まで守り抜く――)
16
あなたにおすすめの小説
【完結】使えない令嬢として一家から追放されたけど、あまりにも領民からの信頼が厚かったので逆転してざまぁしちゃいます
腕押のれん
ファンタジー
アメリスはマハス公国の八大領主の一つであるロナデシア家の三姉妹の次女として生まれるが、頭脳明晰な長女と愛想の上手い三女と比較されて母親から疎まれており、ついに追放されてしまう。しかしアメリスは取り柄のない自分にもできることをしなければならないという一心で領民たちに対し援助を熱心に行っていたので、領民からは非常に好かれていた。そのため追放された後に他国に置き去りにされてしまうものの、偶然以前助けたマハス公国出身のヨーデルと出会い助けられる。ここから彼女の逆転人生が始まっていくのであった!
私が死ぬまでには完結させます。
追記:最後まで書き終わったので、ここからはペース上げて投稿します。
追記2:ひとまず完結しました!
タダ働きなので待遇改善を求めて抗議したら、精霊達から『破壊神』と怖れられています。
渡里あずま
ファンタジー
出来損ないの聖女・アガタ。
しかし、精霊の加護を持つ新たな聖女が現れて、王子から婚約破棄された時――彼女は、前世(現代)の記憶を取り戻した。
「それなら、今までの報酬を払って貰えますか?」
※※※
虐げられていた子が、モフモフしながらやりたいことを探す旅に出る話です。
※重複投稿作品※
表紙の使用画像は、AdobeStockのものです。
追放された私の代わりに入った女、三日で国を滅ぼしたらしいですよ?
タマ マコト
ファンタジー
王国直属の宮廷魔導師・セレス・アルトレイン。
白銀の髪に琥珀の瞳を持つ、稀代の天才。
しかし、その才能はあまりに“美しすぎた”。
王妃リディアの嫉妬。
王太子レオンの盲信。
そして、セレスを庇うはずだった上官の沈黙。
「あなたの魔法は冷たい。心がこもっていないわ」
そう言われ、セレスは**『無能』の烙印**を押され、王国から追放される。
彼女はただ一言だけ残した。
「――この国の炎は、三日で尽きるでしょう。」
誰もそれを脅しとは受け取らなかった。
だがそれは、彼女が未来を見通す“預言魔法”の言葉だったのだ。
追放令嬢は辺境の廃村で美食の楽園を創る〜土と炎で紡ぐ、真の幸福レストラン〜
緋村ルナ
ファンタジー
華やかな公爵令嬢アメリアは、身に覚えのない罪で辺境の荒野へ追放された。絶望と空腹の中、泥まみれになって触れた土。そこから芽吹いた小さな命と、生まれたての料理は、アメリアの人生を大きく変える。土と炎、そして温かい人々との出会いが、彼女の才能を呼び覚ます!やがて、その手から生み出される「幸福の味」は、辺境の小さな村に奇跡を巻き起こし、追放されたはずの令嬢が、世界を変えるレストランのオーナーとして輝き始める!これは復讐ではない。自らの手で真の豊かさを掴む、美食と成長の成り上がり物語!
無魔力の令嬢、婚約者に裏切られた瞬間、契約竜が激怒して王宮を吹き飛ばしたんですが……
タマ マコト
ファンタジー
王宮の祝賀会で、無魔力と蔑まれてきた伯爵令嬢エリーナは、王太子アレクシオンから突然「婚約破棄」を宣告される。侍女上がりの聖女セレスが“新たな妃”として選ばれ、貴族たちの嘲笑がエリーナを包む。絶望に胸が沈んだ瞬間、彼女の奥底で眠っていた“竜との契約”が目を覚まし、空から白銀竜アークヴァンが降臨。彼はエリーナの涙に激怒し、王宮を半壊させるほどの力で彼女を守る。王国は震え、エリーナは自分が竜の真の主であるという運命に巻き込まれていく。
【完結】追放された子爵令嬢は実力で這い上がる〜家に帰ってこい?いえ、そんなのお断りです〜
Nekoyama
ファンタジー
魔法が優れた強い者が家督を継ぐ。そんな実力主義の子爵家の養女に入って4年、マリーナは魔法もマナーも勉学も頑張り、貴族令嬢にふさわしい教養を身に付けた。来年に魔法学園への入学をひかえ、期待に胸を膨らませていた矢先、家を追放されてしまう。放り出されたマリーナは怒りを胸に立ち上がり、幸せを掴んでいく。
【完結】特別な力で国を守っていた〈防国姫〉の私、愚王と愚妹に王宮追放されたのでスパダリ従者と旅に出ます。一方で愚王と愚妹は破滅する模様
ともボン
ファンタジー
◎第17回ファンタジー小説大賞に応募しています。投票していただけると嬉しいです
【あらすじ】
カスケード王国には魔力水晶石と呼ばれる特殊な鉱物が国中に存在しており、その魔力水晶石に特別な魔力を流すことで〈魔素〉による疫病などを防いでいた特別な聖女がいた。
聖女の名前はアメリア・フィンドラル。
国民から〈防国姫〉と呼ばれて尊敬されていた、フィンドラル男爵家の長女としてこの世に生を受けた凛々しい女性だった。
「アメリア・フィンドラル、ちょうどいい機会だからここでお前との婚約を破棄する! いいか、これは現国王である僕ことアントン・カスケードがずっと前から決めていたことだ! だから異議は認めない!」
そんなアメリアは婚約者だった若き国王――アントン・カスケードに公衆の面前で一方的に婚約破棄されてしまう。
婚約破棄された理由は、アメリアの妹であったミーシャの策略だった。
ミーシャはアメリアと同じ〈防国姫〉になれる特別な魔力を発現させたことで、アントンを口説き落としてアメリアとの婚約を破棄させてしまう。
そしてミーシャに骨抜きにされたアントンは、アメリアに王宮からの追放処分を言い渡した。
これにはアメリアもすっかり呆れ、無駄な言い訳をせずに大人しく王宮から出て行った。
やがてアメリアは天才騎士と呼ばれていたリヒト・ジークウォルトを連れて〈放浪医師〉となることを決意する。
〈防国姫〉の任を解かれても、国民たちを守るために自分が持つ医術の知識を活かそうと考えたのだ。
一方、本物の知識と実力を持っていたアメリアを王宮から追放したことで、主核の魔力水晶石が致命的な誤作動を起こしてカスケード王国は未曽有の大災害に陥ってしまう。
普通の女性ならば「私と婚約破棄して王宮から追放した報いよ。ざまあ」と喜ぶだろう。
だが、誰よりも優しい心と気高い信念を持っていたアメリアは違った。
カスケード王国全土を襲った未曽有の大災害を鎮めるべく、すべての原因だったミーシャとアントンのいる王宮に、アメリアはリヒトを始めとして旅先で出会った弟子の少女や伝説の魔獣フェンリルと向かう。
些細な恨みよりも、〈防国姫〉と呼ばれた聖女の力で国を救うために――。
田舎娘、追放後に開いた小さな薬草店が国家レベルで大騒ぎになるほど大繁盛
タマ マコト
ファンタジー
【大好評につき21〜40話執筆決定!!】
田舎娘ミントは、王都の名門ローズ家で地味な使用人薬師として働いていたが、令嬢ローズマリーの嫉妬により濡れ衣を着せられ、理不尽に追放されてしまう。雨の中ひとり王都を去ったミントは、亡き祖母が残した田舎の小屋に戻り、そこで薬草店を開くことを決意。森で倒れていた謎の青年サフランを救ったことで、彼女の薬の“異常な効き目”が静かに広まりはじめ、村の小さな店《グリーンノート》へ、変化の風が吹き込み始める――。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる