【完結】無能と婚約破棄された令嬢、辺境で最強魔導士として覚醒しました

東野あさひ

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3章

24話「崩れる境界、集う決意」

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 早朝の砦は、静寂に包まれていた。
 だが、その静けさが、カイラスにはどこか不吉なものに思えた。
 最近、ありふれた日常の端々が、ほんの少しずつ失われていく感覚が強くなっている。
 昨夜も眠りに落ちる直前、かつて共に酒を酌み交わした兵士の名をどうしても思い出せなくなって、胸がざわついた。

 (……本当に、大丈夫なのか? 俺の、この世界は……)

 見回りに出たカイラスは、石畳を踏みしめる足取りに力が入らないのを自覚していた。
 廊下ですれ違う兵士たちに「団長!」と声をかけられるたび、胸に安堵と同時に薄い恐怖が走る。
 ――その中の何人かの名前が、どうしても舌の上で滑ってしまう。

 「おはようございます、団長」

 若い兵士が帽子を脱いで敬礼する。
 カイラスは微笑んで頷きながら、名を呼ぶことができなかった。
 (昨日まで確かに覚えていたのに……)

* * *

 朝の点呼。
 隊列の中に、少し前までいたはずの小柄な兵士がいない。
 名簿を確認すると、その名は消えていた。
 他の兵士たちに尋ねても、誰も彼を覚えていないようだった。

 「団長、何か……?」

 レオナートが不審そうに近づいてくる。
 カイラスは小声で問う。

 「お前、昨晩の食事のとき、隣にいた兵士の名を覚えているか?」

 「……いいえ。申し訳ありません、思い出せません」

 レオナートの眉がひそめられる。
 その表情だけで、同じ“違和感”が彼の胸にも渦巻いているのが伝わった。

* * *

 食堂に向かうと、エイミーがいつも通り調理台に立っている。
 カイラスはそっと近づいた。

 「エイミー、昨晩の献立、覚えているか?」

 「……あれ? 確か、煮込みと……いや、パンだけだったかも……。ごめんなさい、なんだかはっきりしなくて」

 彼女の声にわずかな怯えが滲む。

 「私……最近、夢の中で知らない場所を歩いていたり、目覚めたときに何かが足りない気がしたり……おかしいですよね?」

 カイラスは静かに首を振った。

 「俺もだ。ノクティアも、たぶん……皆が同じことを感じている。これはただの気のせいじゃない」

* * *

 午前、カイラスは砦の会議室にノクティア、エイミー、レオナートを集めた。

 「このままだと、本当に世界が消えてしまう。……俺たちの、みんなの存在まで」

 カイラスの声はいつになく硬かった。

 「だからこそ、今、やれることをやる。俺たちの“証”を残そう。手記でも、詠唱でもいい。――一人ひとり、ここにいる意味を思い出すために」

 ノクティアが頷き、手帳を開いた。

 「私も書くわ。ここで生きてきた日々、出会った人の名前、全部。絶対に忘れたくないものを……」

 エイミーもレオナートも、それぞれ自分の大切なことを語り始める。

 「……団長、ありがとう。こうして話していると、不安が少し和らぎます」

 「俺たちは、まだ繋がっている。忘れない限り、何度でも思い出せる」

 カイラスは強く言った。

* * *

 その時、不意に部屋の空気が変わった。
 窓の外、白い靄が流れ込み、銀髪の女性――アムネリスが現れた。

 「よくぞここまで耐えたな、カイラス」

 アムネリスはまっすぐカイラスを見つめる。

 「お前はなぜ、これほどまでに“他者”を守ろうとする?」

 カイラスは迷いなく答える。

 「俺は、“守る”ことでしか自分でいられないからだ。……誰かの痛みや悲しみも含めて、全部引き受けて初めて、自分がここにいると感じられる」

 アムネリスは静かに頷いた。

 「お前の意志が、どこまでこの世界を繋ぎ止められるか――それが、試される時が来る」

 そう言い残し、彼女は靄とともに消えた。

* * *

 夕方、砦の空が突然暗転し、北の空に巨大な裂け目が浮かぶ。
 その裂け目の奥から、禍々しい“気配”が漂ってくる。

 「みんな、砦の中心に集まれ!」

 カイラスの叫びに、兵士や住民たちが次々と広場へ集まる。

 ――世界が、崩れ始めていた。

* * *

 その夜、カイラスは砦の塔で星空を見上げながら決意する。

 (何があっても、俺がこの世界の“証人”になる。みんなの記憶と絆を、最後まで守り抜く――)
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