【完結】無能と婚約破棄された令嬢、辺境で最強魔導士として覚醒しました

東野あさひ

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4章

40話「祈り」

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 夜明けは、静かに森の隅々を照らし始めていた。
 濡れた草の匂い。焦げた焚き火の残り香。
 森を抜ける小さな風が、絶え間なく人々の頬をなでる。

 誰もが眠っているような、しかし誰もが眠れていない夜明け。
 カイラスは焚き火のそばでノクティアを見守っていた。
 その隣で、エイミーもまた浅い眠りから覚め、痛みに呻きながら毛布に包まっている。

 「……もうすぐ、朝が来ますね」

 レオナートがぽつりと呟いた。
 声はかすれていたが、どこかにほっとした安堵がにじんでいた。

 「なあ、カイラス。ノクティアさん、きっと……大丈夫ですよね」

 「……ああ。きっと大丈夫だ。だって、あいつはノクティアだ」

 答えながら、カイラスの掌はいつもより少しだけ強く震えていた。
 恐怖や絶望のすべてを通り越したあとの小さな祈り――それを頼りに、夜を乗り越えてきた。

    * * *

 夜明けの淡い光が、そっとノクティアのまぶたを照らした。

 ――遠い世界。
 薄く光る記憶の中で、ノクティアはもう一度母の姿を見た。

 「ノクティア、おかえり」

 その優しい声が、深い傷を癒していく。

 「私は……生きていいの?」

 「もちろんよ。あなたはたくさん傷ついて、たくさん悩んで、それでも前を向いた。
 それはもう、何よりも強い証。あなたはあなたのままで、ここにいていい」

 ノクティアは涙をこぼし、静かに頷いた。

 「ありがとう。みんなのもとへ、帰るね」

 母は微笑み、そして消えていく。

    * * *

 焚き火のそば。

 カイラスが微かな異変に気づいた。

 「……ノクティア?」

 彼女のまぶたが、かすかに震えた。

 レオナートとエイミーも、息をのんで見守る。

 やがてノクティアの長いまつ毛が揺れ、ゆっくりと目が開いた。

 最初は眩しそうに目を細め、それから、彼女は仲間たちの顔をひとりひとり見渡した。

 「……みんな……生きてるの?」

 声はかすれていたが、はっきりとした“生命”の響きがあった。

 エイミーが泣き笑いで叫ぶ。

 「ノクティアさん! 生きててくださって……本当に、本当に……!」

 レオナートは思わず涙をこらえきれず、静かに頬をぬぐった。

 カイラスは小さく笑いながら、そっとノクティアの手を握る。

 「おかえり、ノクティア。……よく帰ってきてくれた」

 ノクティアはその温もりに涙をこぼし、何度も何度もうなずいた。

    * * *

 しばらくして、エイミーが言った。

 「……ノクティアさん、砦に帰りましょう。みんなが待っています」

 ノクティアは、ふと周囲を見渡す。
 そこには死にかけた仲間、まだ血の乾かぬ傷、倒れたままの兵士――
 生き残った者と、帰らぬ者とが、同じ空の下に横たわっていた。

 「帰ろう。でも……忘れないで。ここで失われた命も、みんなの祈りも、私たちの一部だから」

 誰もが黙ってうなずく。

    * * *

 帰路につくため、仲間たちは一人ずつ身体を起こし始める。
 カイラスは負傷兵を背負い、レオナートはエイミーの肩を貸す。
 ノクティアは、まだ完全には立ち上がれないものの、皆の手に支えられながら一歩を踏み出した。

 森の小道、冷たい朝露が足元を濡らす。
 それでも、歩くほどに胸の奥から何かがこみ上げてくる。

 (私は、生きている)

 その実感が、体中に広がる。

    * * *

 森を抜けた先、砦の影が朝日にぼんやりと浮かび上がる。

 生きて帰ることが、こんなにも遠く、苦しい道だったとは――
 誰もが口にしなかったその想いを、祈るように噛み締める。

 砦の門が開くと、迎えに出ていた仲間たちが走り寄ってきた。

 「ノクティア様だ!」「エイミーも、みんな……!」

 再会の声、泣き声、歓声、そして――沈黙。
 そこには、帰ってこなかった者たちのための、静かな祈りもあった。

 ノクティアは砦の門の前で振り返り、森へ向かって深く頭を下げた。

 「――ここに残った魂が、安らかでありますように」

 カイラスも、レオナートも、仲間たちも、皆で静かに手を合わせる。

 この戦いの中で失われたすべての命に、心からの祈りを捧げて。

    * * *

 砦に戻ったノクティアたちは、傷の手当てを受け、ようやく安堵のひとときを得る。

 だが、エイミーはベッドの上で涙を流しながらノクティアの手を握る。

 「ノクティアさん……私、もう一度だけ会いたかった。生きて、お礼が言いたかったんです」

 ノクティアは微笑んで、彼女の手を強く握り返した。

 「ありがとう、エイミー。あなたがいたから、私は何度でも立ち上がれた。
 これからも、ずっと一緒に歩こう」

 エイミーは涙に濡れた顔で微笑み返し、ベッドの上で小さく頷いた。

    * * *

 その夜、砦の広場では、亡くなった者たちのための祈りの式が静かに執り行われた。

 カイラスは松明を掲げ、仲間たちひとりひとりの名を静かに呼び上げる。

 「君たちがいたから、僕たちはここまで来られた。
 君たちの命を、決して無駄にはしない」

 レオナートが静かにハープを奏で、エイミーが傷を負いながらも小さく祈りを捧げる。

 ノクティアもまた、夜空に向かって静かに手を合わせた。

 (これからは、生きて残った者として、みんなの分まで歩いていく。
 私たちの祈りが、どうか失われた魂たちを癒してくれますように)

    * * *

 夜が更けるにつれて、砦の空気は少しずつ穏やかさを取り戻していった。

 それは傷の癒えない再生であり、悲しみの中でしか芽生えない静かな希望でもあった。

 ノクティアは星空を見上げて呟く。

 「……生きている。だから、また始められる」

 その言葉を胸に、誰もが新しい明日を、静かに祈った。
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