【完結】無能と婚約破棄された令嬢、辺境で最強魔導士として覚醒しました

東野あさひ

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7章

第92話「心揺れる道」

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 春祭りの熱気が、グランツ砦にも王都にも静かに残っていた。
 けれど、その明るさの向こうで、ノクティアの胸はいつになく揺れていた。

    * * *

 砦の朝は、やわらかな光とともに始まる。
 ノクティアは窓を開け、新しい空気を胸いっぱいに吸い込んだ。
 昨日までの幸福感の余韻――それは確かにあった。けれど、どこか胸の奥がざわつくのを、どうしても無視できなかった。

 朝食の席では、カイラスが子どもたちに囲まれてパンを分けている。
 エイミーは皆の体調を気づかい、レオナートは焼き立てのパンを配りながら冗談を飛ばしていた。

 「あれ、ノクティアさん、パンを落としそうですよ」

 「え? ――あっ、ありがとうレオナートさん」

 ノクティアは自分がぼんやりしていたことに気付き、思わず頬を赤らめる。

 カイラスが、ふと視線を向ける。
 「無理してないか? 昨日はずっと祭りの準備で動いてただろう」
 その声はいつもより柔らかくて、ノクティアの胸にじんわりと染み込んだ。

 「ううん、大丈夫。今日は少しのんびりしようと思って」

 「それならよかった。たまには肩の力を抜けよ」

 優しい言葉。さりげない気遣い。
 それが嬉しい反面、ノクティアは心のどこかで“距離”を意識していた。

    * * *

 昼下がり。
 砦の子どもたちは広場で花かんむり作りに夢中だった。
 ノクティアも一緒に座り、草花を編んでいく。

 「ノクティア様、これ、カイラス様にあげて!」

 「わ、わたしが……?」

 子どもたちの無邪気な声に、ノクティアは思わず顔を赤らめた。

 「ほらー、ノクティア様が照れてるー!」

 エイミーが近くでクスクスと笑っている。

 「ノクティアさん、団長さんのこと、どう思ってるんですか?」

 突然の質問に、ノクティアは戸惑う。

 「え……そ、それは、その……」

 レオナートがすかさず茶々を入れる。

 「ほら、エイミー。ノクティアさんは純情なんですよ。そう簡単に言葉にはできませんって」

 「そういうレオナートさんはどうなんですか?」

 「僕ですか? いや、僕は……」

 二人のやりとりに助けられながら、ノクティアはそっと空を見上げた。

 (カイラスと一緒にいると、心が安らぐ。でも……リュゼル様のことも、なぜか頭から離れない)

 彼は昔から“遠い存在”だった。
 けれど、王都で再会したリュゼルは、昔よりもずっと人間らしく、やさしくなっていた気がする。
 そして何より、あの真っ直ぐなまなざしは今も胸に残っている。

 (私……いったい、どうしたいんだろう)

    * * *

 その頃、カイラスは砦の外れで馬の手入れをしていた。
 ふとノクティアの姿を探してしまう自分に気づき、苦笑する。

 (あいつ、最近よく考え込んでいるな)

 カイラスのなかにも、言葉にできない想いが膨らんでいた。
 “誰かのために生きる”――それはノクティアの強さでもあり、弱さでもある。
 自分がそばにいて、支えてやりたい。そう思うたびに、胸が熱くなった。

 「――ノクティア」

 カイラスは、小さくその名を呼んでみる。
 春の風に紛れて、どこかに届いてほしい。そんな気がした。

    * * *

 一方、王都の執務室で、リュゼルは窓辺に立っていた。
 遠くの砦を思い、ノクティアのことを考える。

 (お前は今、どこで何を思っている? ――俺は、お前に何をしてやれる?)

 王家の責任。
 監察官としての使命。
 それでもリュゼルは、自分の心がノクティアに向いていることに気づいていた。

 (……あの子は、俺に“幸せになってほしい”と思ってくれるだろうか)

 ほんの少しだけ、胸が痛んだ。

    * * *

 夜、砦の食堂ではエイミーがノクティアを呼び止めた。

 「ノクティアさん、ちょっとだけ、お話しませんか?」

 ふたりきりの静かな時間。
 エイミーは優しいまなざしでノクティアを見つめた。

 「ノクティアさんは、自分の幸せって、考えたことありますか?」

 「え……?」

 「私はね、病気だったときも、砦に来てからも、ずっと“誰かのため”に生きるのが幸せだと思ってきました。でも最近、自分の気持ちも大事にしたいって思うようになったんです」

 ノクティアははっとした。

 「私も……そう思いたい。でも、どうしてもみんなのことが先になっちゃうの」

 「それでもいいと思います。でも……本当にノクティアさんが幸せになってくれたら、みんなも幸せだと思いますよ」

 ノクティアはそっとエイミーの手を握った。

 「ありがとう、エイミー。私、もう少し自分の気持ちと向き合ってみる」

 「はい。どんなときも、私たちがそばにいますから」

    * * *

 夜空には、春の星がまたたいていた。

 ノクティアは塔の上に立ち、砦の灯りと、遠く王都のきらめきを見つめた。

 (“本当の幸せ”って、何だろう)

 カイラスのやさしさ。リュゼルのまなざし。
 みんなの声、ぬくもり――

 (私も、ちゃんと“自分”の気持ちに、正直になりたい)

 春の夜風が、ノクティアの髪をやさしく撫でる。

 (明日は、今日よりも少しだけ、自分の気持ちに素直に歩いていけたら――)

 ノクティアは、まだ見ぬ未来にそっと祈りを込めた。

    * * *

 それぞれの春の夜。
 心が揺れる道を歩きながら、ノクティアの物語は、新しい一歩を踏み出していく。
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