恋に臆病な私と恋を知らなかった御曹司の距離が、ゼロになるまで

夏目萌

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近づいた距離、広まる噂

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 席に着いた充輝は、「注文はタブレットからお願いします」という店員相手に笑顔で対応した後で、ひとまず飲み物を注文してそれが届けられると来海の方へ視線を向け直し、

「昼間のこと、聞かせてくれる?」

 本題を話すよう求めると来海は頷き、ゆっくりと言葉を選びながら昼休みに起こった一部始終を語り始めた。

 泰斗との関係や過去にあった出来事、泰斗に声を掛けられた瞬間に感じた嫌悪感に、充輝が駆けつけてくれた時、どれほど救われたのかということを。

 来海の話を充輝は途中で遮ることなく、ただ静かに耳を傾けていた。

 そして、ひと通り来海が話終えると沈黙が落ち、それを破ったのは充輝だった。

「教えてくれて、ありがとう」

 充輝はそう言って柔らかな笑みを浮かべた。

 それは同情でも慰めでもなく、来海が嘘偽りなく話してくれたことへのまっすぐな感謝だった。

「今話してくれたことでさ……俺が誘ったときに、どうしてあんなふうに言われたのか、ようやく分かって安心した」

 その言葉に来海ははっとしたように顔を上げると躊躇いがちに言葉を紡ぐ。

「……怒らないの?  私、羽柴くんのこと……あんな最低な人と同じに見ていたのに……」

 来海の言葉に充輝は首を横に振った。

「怒らないよ。だって、そう思われても仕方ないことをしてたからさ」

 自嘲気味に笑いながら視線を逸らし、そして再び来海を見る。

「軽く見えたんだよね? 俺。だから向坂さんからしたらアイツと重なって見えても無理ないと思うし」

 その言葉に来海の胸がきゅっと締めつけられた。

「たださ、急に信じてほしいなんて言わないけど――」

 言いながら来海の目を真っ直ぐに捉えた充輝は、

「俺はアイツみたいに向坂さんを傷つけるようなことをするつもりは絶対にない。それだけは断言できる。だからさ……少しずつでいいから俺のこと、知ってもらえたら嬉しい」

 自分の気持ちを精一杯伝えると、その真剣な眼差しに来海は息を呑んだ。

 一度傷ついた心は簡単には元に戻らない。

 人を信じることも怖いまま。

 それでも——

(信じたい……羽柴くんのこと……)

 泰斗元カレとは違うと分かっているからこそ、充輝を信じたいと思った来海は、

「羽柴くんを、信じたい……です。それと……今まで酷いことを言ってごめんなさい。あなたは何も悪くないのに、疑って、突き放して……本当にごめんなさい」

 信じたい思いと、これまで取った態度や発言した数々の言葉についての謝罪を口にした。

「もう謝らなくていいって。気にしてないし。そんなことよりも、向坂さんが俺を信じたいって思ってくれたことが何よりも嬉しいよ、ありがとう」

 充輝はこれまで来海に言われた言葉や態度よりも、自分を信じようと思ってくれたことが何よりも嬉しく、それだけで全てが報われたと思った。

「向坂さんのペースでいいから、これから少しずつ……話が出来たら嬉しいな」
「ありがとう……少しずつ、話したいです」

 こうして二人の距離は少し近付いていくことになった。

 翌日から、二人の距離が縮まったことは誰の目にも明らかだったけれど、それに比例するように、これまであった来海への悪意は更に露骨な形で向けられていく。

 昼休み、給湯室でマグカップに湯を注いでいた来海は背後に立ち込める気配に気付いてゆっくりと振り返ると、そこにはいつの間にか彼女を取り囲むシステム課の女性社員たちの姿があった。

「ねえ、羽柴くんとどういう関係?」
「噂があるの、知ってるよね?」
「自分が釣り合うと思ってるの?」
「地味なくせに、男に媚び売らないでよ」

 言葉は刃物のように一方的に突きつけられ、突然の状況に一瞬息を呑んだ来海だが、怯むことなく背筋を伸ばした。

「羽柴くんとは同僚という関係ですし、媚びを売っているつもりもありません」

 そんな毅然とした返答は逆効果だった。

 女性社員たちは顔を見合わせると更に距離を詰める。

「そうは見えない」
「期待させるようなことしてるんじゃないの?」

 空気が張り詰めた、その瞬間――給湯室の入口に立つ人影に全員の視線が集まった。

 そこにいたのは充輝だった。

 状況を一目で理解した充輝は迷いなく来海の隣に立つと女性社員たちを真正面から見据える。

「誤解があるみたいだから言うけど、彼女じゃない、俺の方が言い寄ってるんだ」

 低く落ち着いた声がそこに響く。

「だから、これ以上彼女を攻撃するなら相手が誰でも、俺は許さない」

 怒鳴ることも威圧することもないけれど、その言葉には揺るがない覚悟があった。

 沈黙の後、誰かが舌打ちし、誰かが小さく「……ごめんなさい」と呟くと、女性社員たちは逃げるように給湯室を後にした。

 静けさが戻ると充輝はふっと息を吐いた。

「……ごめん。俺のせいで」

 来海は一瞬目を瞬かせ、それから穏やかに微笑む。

「ううん、羽柴くんのせいじゃないから。助けてくれて、ありがとう」

 充輝本人がはっきり言葉にしたことで、この出来事はすぐに社内に知れ渡り、これ以降来海を責める噂は嘘だったかのように消えていったのだった。
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