近くて遠い、私だけの光

youmery

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第六話〜身体〜

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2次審査の合格通知が届いたのは、歌唱審査から1週間ほど経った頃だった。

”審査を通過した場合のみ、郵送で通知が届く”

これが、2次審査から適用されるルールだった。
つまり、郵送で何か届いた時点で2次審査の通過が確定。
理屈では分かっている。
でも、やっぱり封筒が届いているのを確認しただけでは安心できなかった。
私が本当に審査通過を実感できたのは、自分の部屋で封筒を開けて3次審査の案内を読んだ時だったと思う。

封筒の中身を一通り確認したところで、玲にメッセージを送った。郵送で届いたら、すぐに相手に知らせる。
これは、私と玲が交わしていた約束。
1分ほどで既読になり、玲から返信があった。
「私も!いま見た!」

良かった。
玲と2人で審査を進めなければ、私には意味がないから。

そこからは音声通話にした。

「カラオケで聴いた絢の歌、本当に良かったから。歌詞が心に響いたっていうか。きっと、審査員の人にも伝わったんだよ」
「玲のアドバイスのおかげだよ。歌詞に気持ちを込めて歌ってみてって」
「うん、でもさ……」

玲は少し言いづらそうに、言葉を濁した。

「あの歌を聴いた時、もしかして絢に好きな人でもいるのかなって思っちゃったんだ。なんか、すごくリアルで……」

玲の言葉に、私の心臓は大きく跳ねた。

「ち、違うよ!そんな人いないし。映画の主題歌だったから、ヒロインの気持ちを想像して歌ってみただけ」

とっさに嘘をついてしまった。

「そっか。良かった」

玲は、心底安心したように言った。

良かった…?

私に好きな人がいたら、玲は困るってこと?
それって…もしかして……
まさか、そんなはずない。
それでも、淡い期待を抱いてしまう。

「もし絢に好きな人がいたとしたら、アイドルになったら恋愛とか出来なくなるじゃん。私がオーディションを受けるなんて言い出したせいで、絢が恋愛を諦めちゃうんだとしたら申し訳ないなと思ったんだ」

玲が続けた言葉に、私は何も言えなかった。玲はただ、私の将来を心配してくれただけなのだ。私は勝手に期待して、勝手に落胆した。

~~~

その3日後。

私と玲は3次審査に向けた準備を進めていた。
2次審査の歌唱審査に続いて、3次審査ではダンス審査がある。
課題曲の振り付け動画を各自で見て覚え、審査の日に審査員の前で踊ってみせるという内容らしい。

練習場所は私の部屋に決まった。玲の部屋よりも少しだけ広いからだ。日曜の午後、暑さが少し和らいだくらいの時間に玲が動きやすい格好でやって来て、私たちのダンス練習が始まった。

課題曲は当然グループの曲で、私も聞いたことはあった。玲の話では、夏曲だから今の時期に合うし、振り付けもそこまで難しくないから課題曲にはピッタリらしい。
私も動画を見て予習はしておいたので、振り付けは覚えてあった。実際に、一人で何度か踊ったのである程度は身体に入っている。

でも、いざ玲と合わせてみると自分の甘さを痛感した。

​何度か合わせてみた後で、私たちが踊る様子を録画してみた。動画を観てみると、その差は歴然だった。
玲は、体全体を使ってしなやかに踊っている。そのうえで止めるところはピタッと止めるので、動きにメリハリがある。玲は元々運動神経が良いし、ダンス部の経験もある。さすがだった。
一方で私は、振りを間違えないように踊ることに精一杯なのがバレバレで、体の動きがぎこちない。自分の姿に、落ち込んだ。

(どうしよう…ダンスなんていきなり上手くなるものじゃないし……)

玲みたいに踊りたいなんて、そんな高望みはしない。ただ、せめてもう少しだけカッコよく踊れたら。

​一人で悶々としながら動画を見ていると、玲が動画を一時停止する。

​「あっ…ここ……あ、そっかそっか」
玲は、動画の中の私を見て何かに気付いたようだった。
「玲、どうしたの?」
​「いや、ここの振り付けなんだけどさ。絢のダンスを見て自分が間違ってたことに気付いた」
「え…そう?」

巻き戻して再生してみると、たしかに手の形が私と玲で違う。

「ほら、ここ。私は単純にパーの形にしてたけど、絢は指先まで意識してちゃんと形を作ってるよね」
「あ、言われてみれば、そうかも。なんか、手の形にもなにか振付師さんが考えた意味があるのかなって思って」
「絢、それってすごいよ。誰でも出来ることじゃない。私なんかパッと見て覚えた気になってそのまま身体で覚えちゃうから、細かいところは苦手なんだよね」
「そ、そうかな…?」

​玲の言葉に、私は驚いた。玲は運動神経が良くてダンスも上手いから、私から学ぶことなんてないと思っていたから。

​「実際に現役メンバーでも、昔の曲の振り付けまで正確に覚えてる子っているんだよ。久しぶりにその曲をライブでやるってなった時に、頼りにされるメンバーとか。絢はそういうタイプになれるかもね」

​玲はそう言って、私に優しく微笑みかけた。

ダンスのレベルなんて、カッコよく踊れるかどうかだけで決まると思ってた。細かいところまで頭で覚えてたって、それを表現する身体能力が付いてこなかったら意味がないんだって。でも、振り付けを正確に覚えてるってことも、何かの役に立ったり、貢献できたりすることがあるらしい。

(なんだか、また玲に救われちゃったな……)

歌唱審査の練習でも玲の一言でヒントを掴めたし。
ダンス審査でも少しやる気をもらえた私は、玲と一緒に練習を再開した。

~~~

しばらく練習を続けていると、問題が発生した。

「あっつーーい!ちょっと休憩!」

私の部屋のエアコンが古いせいか、さっきから部屋がいまいち涼しくならない。日に焼けて本来の白さを完全に失っているエアコンは、さっきからわずかな冷風しか送り出してくれなかった。

そんな中でダンスの練習なんてしようものなら、たちまち汗が噴き出してくる。

「待ってて、下から麦茶持ってくる」

1階の台所へ降りると、母がリビングでテレビを見ていた。
「あら、絢。二階で練習なんて暑いでしょ?リビング使ってもいいわよ」
「やだよ。恥ずかしいもん」
「そう?昔は玲ちゃんと一緒にリビングで踊ってたじゃない」

母は懐かしそうに微笑んだ。

(昔?踊ってた?)

よく覚えていない。記憶に残ってないくらい小さかった頃の出来事だろうか。

喉が渇いた玲を待たせているので、話を続ける気になれなかった。冷蔵庫から麦茶ポットを取り出し、グラスに注ぐ。
丸いお盆に載せた二つのグラスをこぼさないように階段を登った。

部屋のドアを開けると、玲が脚を伸ばして床に座り込んでいた。
さっきまでと同じ光景、、ではなかった。

暑さに耐えられなくなった玲は、Tシャツを脱いでいた。
いま、玲の上半身を隠しているのは、純白のスポーツブラだけだっを

屋内での運動部の経験が多い玲にとっては、当たり前なのかもしれない。しかし、私にとってはあまりにも刺激的な光景だった。

「ちょっと、玲!服、着なよ!」

私は照れ隠しに注意したが、玲は無邪気に笑うだけだった。

「だって暑いんだも~ん。絢も脱いじゃえば?」
「……いや、私は、大丈夫」

身体を動かすことが好きで玲の細く引き締まった身体を目にした後では、自分も同じ格好になる気なんて起きなかった。
それに、、

(今日のブラ、あんまり可愛いやつじゃないし…)

見せる気はない。ないけど。
どうせ見せるなら、今日のブラはイヤだ。

玲はもうTシャツを着る気がないようだ。そのままの格好で麦茶をゴクゴクと飲んでいる。一粒の汗が首から鎖骨を伝って、胸の谷間に消えていった。

(って、何を凝視してるんだ私は……)

玲から視線を外して、私も麦茶を飲む。玲を見て熱くなった身体を少しでも冷ましたかった。

2人とも麦茶を飲み終えた後は、そのまま練習を再開した。

でも、、

玲の無防備な姿に気を取られて、私は完全に集中力を欠いていた。視界に玲の身体が入る度に、そちらへ目線を向けそうになるのを理性で堪えないといけないからだ。

(もぅ……玲のバカ!これじゃ気になって踊るどころじゃないよ!!私の気も知らないで…!!でも、そりゃそっか…気持ちを隠してきたのは私だもんね…)

ドンッ!!

突然、体の左側から強い衝撃を受けた。

玲の身体がぶつかってきた。
いや、違う。
玲の姿に気を取られてステップを間違えた私が、玲の動線に体を残してしまっていたせいだ。

「絢っ!!」

玲の手が伸びて、私の体を支えようとする。

(自分だって体勢を崩しただろうに、玲、優しいな…
ごめんね、私、鈍くさくて……でも、玲がそんな格好で踊ってるからいけないんだよ…?)

倒れゆく間、こんな思考が頭の中を巡った。

ドタドタッ!

背中から衝撃を受けて、一瞬呼吸が止まる。
カーペットが敷かれていないフローリングの部分に、仰向けで倒れこんでしまったせいだ。

「絢、大丈夫?!」

倒れてゆく私を支えようとしたものの、結局玲も倒れてしまったらしい。
玲が私に覆い被さっている。まるで、壁ドンならぬ床ドンだ。

私を心配そうに見つめてくる瞳。
すっぴんのはずなのにきれいなピンク色の唇。
そして、重力のせいでその膨らみが強調されている胸。

どれも見ていたいけど、どれも見ていられない。
視線が泳いでしまうのがバレないように、思わず目を閉じて視覚を手放した。

それでも、今度は玲の汗の香りが私の嗅覚を刺激してくる。身体の奥が熱くなるのを感じた。

(やば……私ってにおいフェチだったの…?っていうか、私の汗のにおい、大丈夫…?あぁ…家の中だからって油断してた…ちゃんと、制汗スプレーしとけばよかったな……)

「……絢?」

再び呼ばれて、目を開く。
私が目を閉じて何も言葉を発しなかったせいで、さらに心配させてしまったらしい。

玲に視覚と嗅覚を刺激された私の身体は、さらなる刺激を求めてしまう。

玲の呼吸に耳を澄ませる。あぁ、ダメだ、ダンス動画の音が邪魔でよく聴こえない。
玲の頬に手を添える。汗ばんでいて、少しひんやりする。

そして、
私は再び目を閉じた。ほとんど無意識だった。
暗闇の中で、私は玲の唇の柔らかさを想像していた。

その時。

「絢ー。すごい音がしたけど大丈夫ー?」
パタパタと階段を上がってくる音が聞こえてきた。
母の声でハッとした玲は、慌てて私から離れた。

「だ、だいじょうぶだよー!ちょっと転んじゃっただけだから!」
玲は散らばっていた服の中からTシャツを探し、慌てて身につけた。

「入るわよー」とお母さんが部屋のドアを開けると、私たちの顔を交互に見て、くすくすと笑った。

「2人とも、ずいぶん顔が赤いわね」
お母さんの言葉に、玲は「練習がんばり過ぎちゃって!」と笑ってごまかした。私も「うん、ちょっとね」と曖昧に答えながら、心の中で戸惑っていた。私の方は、玲にドキドキして顔が赤いだけだろう。

「これじゃ熱中症になっちゃうわよ。リビングのほうが涼しいから、そこでアイスでも食べたら?玲ちゃんのぶんもあるから」
母に促され、私たちは一階のリビングへ向かった。
ハプニングの後で少し気まずかったけれど、お母さんを交えて三人で話しているうちに、いつの間にか元の雰囲気に戻っていた。

ただ、アイスを食べ終えた頃には私も玲も涼しいリビングで完全にリラックスモードになってしまった。再び二階へ戻る気にもなれず、今日の練習はここまでとなった。

~~~

玲が帰った後、汗を流したかった私はすぐお風呂に入った。鏡に映る自分を見ると、まだ少し顔が赤い気がした。さっきのハプニングを思い出すと、心臓がドクドクと鳴り続けている。

​湯船に浸かり、目を閉じる。脳裏に再生されるのは、無防備な玲の姿。スポーツブラ一枚で、汗をかきながら踊る玲。

​私は目を逸らすことができなかった。玲は、私が普段見るどんな玲よりも無防備で、そして美しかった。スポーツブラ一枚の姿は、何も飾らないままの玲というなにか神聖なものを感じさせる。肌が透き通るような白さの中に、わずかに浮き出る鎖骨のライン、そして、汗で湿る胸元に、私の視線は釘付けになった。

​首から鎖骨を伝い、胸の谷間に消えていった一粒の汗。そして、その胸の谷間が、私に覆い被さったことで強調された光景。

(何考えてるの、私……)
自分がこんなにも玲の身体を意識していることに、体が熱くなるのを感じた。

湯船の中で、玲とぶつかった瞬間のことを思い出す。玲の頬に手を当て、無意識に目を閉じてしまった。あれは、玲にキスされることを望んでいたからだ。そんなこと、あるわけないのに。玲はどう思っただろうか。

でも、その後の玲の行動をふと不思議に思った。母が階段を上がってくる音を聞いて、玲はなぜあんなに慌ててTシャツを着たんだろう。うちの父ならともかく、同性の母になら見られても気にしないような気がするけど。

いや、そんなことより。

私はこのままで、ダンス審査を通過できるんだろうか。
振り付け自体は頭に入っているし、ある程度正確に踊ることは出来る。玲も褒めてくれたし、そこは少し自信が付いた。

それでも、玲のダンスのように人を惹きつける魅力が圧倒的に足りない。玲のダンスには、どこか楽しそうな雰囲気があった。
どうして、玲はあんなに楽しそうに踊れるんだろう?

~~~

リビングに戻ると、お母さんがテーブルに何か大きな本を広げていた。目を細めながら、嬉しそうに眺めている。

「絢と玲ちゃんを見てたら懐かしくなって、昔のアルバムを見てたのよ。幼稚園の頃にも二人でよく踊ってたな~って」
そういえば母は「私と玲が昔リビングで踊ってた」と話していた。あれは幼稚園の頃の話だったのか。

母が広げているアルバムの写真には、カメラに向かって無邪気にピースしている私と、どこか緊張している玲が映っている。この頃はまだカメラに撮られ慣れていないせいで、緊張してたのかもしれない。今では自らモデルみたいなポーズをして撮られているので、成長したものだ。

「そういえば、その時の動画が前に使ってたスマホに残ってたのよ。見てみる?」
お母さんが差し出したスマホは、引き出しの奥から引っ張り出してきたという古いものだった。サムネイルの一覧から、指定された動画をタップする。

再生されたのは、今とは少し家具のレイアウトが違うけど、我が家のリビングの光景だった。テレビも一代前で、今より一回り小さいものだ。
そして、テレビの前に立っているのは写真と同じ衣装の私と玲。母の言うように、写真と同じ日に撮った動画らしい。

動画の中で曲が流れ始めると、幼い私たちはテレビに映るアイドルの真似をして、めちゃくちゃな振り付けで踊っている。
それでもその姿は本当に楽しそうで、心から笑っていた。

(……なんで、こんなに楽しそうなんだろう?)
今の私には、この動画の中の自分たちが、どうしてこんなにも無邪気に笑っていられるのか分からなかった。
動画を見終え、私はスマホを握りしめたまま、何も言えずにいた。

「この頃は、二人とも踊るのが本当に楽しそうだったわね」
母の言葉に、私はハッとした。

誰かに評価されるためでも、オーディションのためでもなく、ただ純粋に踊ることが楽しかった。身体を動かすことが、こんなにも楽しくて、気持ち良いものだったんだ。

私は、ダンス審査で合格するには、振りを完璧に覚えて正確に踊るだけでは足りないことに気づいた。
大事なのは、あの頃の自分が持っていた、「踊ることが楽しい」という気持ちなのかもしれない。

「………お母さん、ありがと。ねぇ、今から二階でまたダンスの練習してもいい?」
「え~?いまお風呂に入ったばっかりなのに、また汗かいても知らないわよ。あと、夜9時以降はバタバタするの禁止ね!」
母の言葉を背中で聞いて「は~い」と返しながら、私は既に階段を登り始めていた。

歌唱審査で玲に助言をもらった時と同じだ。私は、何か掴めそうな感じに少しワクワクしていた。
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