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三章
四、上大将軍 "陸遜"
しおりを挟む一方その頃、諸葛恪。
何度も宮殿は訪れたことがある諸葛恪は、迷いなく通路を進んでいく。
その間に不快な気分を抑え、胸の内にある澱んだ空気を吐き出し、戸を開いた。
「左輔都尉の諸葛恪に御座います」
「久しいな。座れ」
小さな一室。諸葛恪は陸遜に促されるまま、向かい合う文机に腰を下ろす。
何とも息の詰まる空間と緊迫感。がっしりとした大柄の体格、そして何を考えているのか全く分からない無機質な表情。
視線は確かにこちらに向いているのだが、何を見つめているのか分からない。
陸遜。この国で最たる実力者である。建業のすぐ東、呉郡呉県に本籍を置く呉王朝きっての名門出身の家柄。
蜀漢との決戦「夷陵の戦い」や、魏との決戦「石亭の戦い」で指揮を執り、圧倒的な勝利を挙げた最強の名将。
内においても"賀斉"将軍と共に山越族討伐で活躍し、群を抜いた"戦果"を挙げていた。
他にも皇太子"孫登"の後見人でもあるため、孫登の側近である諸葛恪の直接の上司と言っても良いだろう。
「顧譚より先の"山寇(山越族)"調査の報告を聞いた。敵の軍事拠点を抑えられたのは非常に大きい。よくやった」
「ありがとうございます」
「あぁ、これは賛辞ではない。皮肉だ。お前には才が有る。こんな普通の結果で満足するな」
そんな無機質な声色で何を言っているのだと、諸葛恪は強く拳を握る。
しかし陸遜は相も変わらず諸葛恪の心情の一切を無視して、淡々と言葉を続けた。
「敵中深くまで入り込めたのだ、我がお前なら敵を逃がさず討ち取れた。討てるときに狼を討たねば、後に己が家畜を失いかねんぞ」
「上大将軍ともあろう御方が、目先の小利を追い、その先の大利を見失うのですか?」
「お前が何を言いたいかを当ててやろうか。山寇を呉人として受け入れようというのだろう」
「山寇ではありません。山越の民です」
「まだそんな馬鹿な妄言を吐いているのか。嘆かわしい。人と獣の区別ぐらいつけろ」
区別がついていないのはお前だろうが。諸葛恪は胸の内でそう叫ぶ。
陸遜は"山越族"をハッキリと「寇(外敵)」と呼ぶ。対して諸葛恪は「山越族」または「山越の民」と呼んでいた。
両者の意見の相違はその呼び方ひとつを取っても明確であり、呉の国では当然、陸遜の意見の方が主流であった。
「まぁ、お前はまだ若い。その未熟さ故に仕方ないだろうが、歴史を見れば分かる。呉だけではなく、この天下の歴史をだ」
「匈奴(北方の遊牧民族)、羌族(西方の異民族)、他には烏桓や鮮卑。勿論知っております」
「夷狄には道徳が分からん。言葉や道徳の分からん人間は、それは害獣と同じだ。過去、一度懐柔せしめても、隙を見れば背くことを繰り返してきた。違うか?」
「だから滅ぼすしかないと?」
「そこまでは言っていない。害を成せなくなる程度に叩いて殺し、躾けることを繰り返す。至極当たり前の話だろう」
「いいえ、人を獣と見下しているところから違うと言っているのです」
「この長き歴史を見ての考えか」
「そうです。敢えて申さば、先人達の成せなかったことを私なら成せると、そう言っているのです」
陸遜の眉が僅かにピクリと動く。
この諸葛恪の言う「先人達」には、明言こそしていないが陸遜のことも含んでいるのは明らかであった。
「危ういな、その才気は」
「それは私にとっての賛辞です」
「我もお前と同じく己が才気を疑ったことは無い。しかし大戦を経験し、人は一人で生きてゆけないことを知った。これはお前の父君に教えてもらったことだ」
「…」
「故に我は自分の名を"陸議"から"陸遜"と改めた。お前も父君より"元遜"の"あざな"を授かったはずだ」
「だからこそです」
陸遜は呉国で最たる実権を握った時、自らの名を改めた。とにかく身を慎み、権力に驕ることのないようにとの自戒を込めて。
そしてそんな陸遜と同じ「遜」の字を、諸葛瑾は息子の"あざな"に込めた。しかし諸葛恪はそれを"恥辱"だと感じていた。
自分を戒め、否定する意味を持つ名である。敬愛する父から受けた名前だからこそ、余計に悲しかった。
「この陸遜を前にして意地を通せる気概は大したものだが、しかし空威張りではないか?最近のお前は特に甘い」
「なんの話でしょうか」
「お前は殿下をお支えする臣下だ。深謀遠慮の渦巻く政界に身を置くのであれば、そう易々と痛いところを晒してはならん」
「…俺の従者に手を出すな」
「一国の重臣になろうという者が、得体のしれない存在を側に置くことなどあってはならん。殺せ。これは忠告だ」
「得体のしれない存在も側に置けないで、大業を成せるわけがないだろ」
言葉を吐き捨てるように立ち上がり、一瞥すらすることなく諸葛恪は部屋を出て行く。
一人部屋に残された陸遜。静かに目を閉じ、祈るように諸葛恪の行く先を案じたのであった。
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