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四章
六、憎悪の濁流
しおりを挟む城から三千の部隊が前線の要塞に着陣。
東西が山林に挟まれた隘路の地であり、呉軍はこの地形を利用した堅固な防御陣地を敷いた。
また地面はぬかるんでおり足も取られやすい。防衛側からすればありがたい条件が重なっていると言えるだろう。
報告によればここから故鄣県城めがけて山越軍が押し寄せているとされ、その数は一万を優に超えるとのことであった。
「白兵戦の進退は王磊に委ねるが、もし形勢が良くても追撃はするな。本作戦は敵を引き込んだ後、左右の山林の伏兵より敵へ一斉掃射を浴びせるものである、良いな」
「御意」
「我が軍は城やその後方にも兵を残しているとはいえ、敵影は一万を超えるとの報告だ」
いざ外に出て戦うとなった後、適地を選出し、そこに敵を誘引し、迅速に策を巡らせる。
その諸葛恪の手際は長年戦場で命を張ってきた王磊から見ても、舌を巻くほどに鮮やかな手並みであった。
将校たちも「ウチの大将は弱腰だ」と心の中で侮っていたが、そんな陰口はもう聞こえてこない。
「顧承、指揮を預ける。俺は後方の本陣で待つ」
「お任せください。カッコいいところをお見せしますよ!」
ちなみに既に楊甜は本営に到着していた。顧承のやる気が高いのはそのためだろう。
こうして諸葛恪は本営に帰還。高地ではないため戦場の様子は詳しくまでは分からないが、後は現場の判断に委ねる他なかった。
そんな中である。
諸葛恪の幕営には顔を青くした楊甜が居り、小刻みに体が震えていた。
この地に到着してからずっとこの調子であり、どうにも瘴気の強さに怯えているらしいのだ。
「戦が始まる、覚悟を決めろ。戦場で逃げ出す奴はもう誰にも信用されなくなるぞ」
「は、はい。しかし異様なのです。まるで地の底から大勢の人間の怨嗟の声が響いてくるような、そんな瘴気の只中に居るかのようで」
「そうか、俺も手の震えが止まらん。大勢の人間の命がこの手に乗っていると思うとな」
「ご主人様、もしかすると敵の中に怪異もいるやもしれません。ご注意ください」
「分かっている」
幾重もの簡易的な塹壕と盛り土、木や竹の柵など、短い期間ながら堅固な備えを作ることが出来た。
顧承は弓兵と長槍兵を横に長く揃えて臨戦態勢を敷き、王磊の率いる八百の精鋭部隊は柵の外で剣と盾を構えている。
王磊はこれまでの山越討伐の経験上、敵がどのような存在であるのかをよく知っていた。
賊軍は兵装も充実し、士気も盛んで個々の能力が非常に高いという厄介な存在である。しかし同時に彼らには「組織」が無い。
言葉も風俗も異なる者達同士の連合体であり、彼らを強固にまとめる圧倒的な「権威」のようなものが無いのだ。
であればこちらは一人の敵に四人で当たるような連携を重視するまでであり、敵の勢いを一度止めさえすれば崩壊もまた早かった。
「いつも通りだ。勢いに乗ってるその出鼻を挫けば、崩れる集団を止めうる指揮官は敵に無い。初撃で全てが決まると心得よ」
王磊は静かにそう檄を飛ばし、駆けだす。既に敵影は見えていた。怒号と奇声を上げ、濁流の如く押し寄せる敵の群れ。
そこへ正面切って腰を落とし思い切り突っ込んだ。
この精鋭部隊は皆、重装備の歩兵部隊であり、その重い鎧は生半可な剣や矢を通さない。
盾で殴り、剣を突き刺し、抜いてさらに殴る。彼らの連携はまるで一つの巨大生物かのようであり、その濁流を容易く押し込んだ。
そろそろか?
肩で息をしながら、王磊はタイミングを計る。しかしその瞬間は一向に来ない。
僅かな違和感。いつだ。いつになったら敵の勢いは緩むのだ。
初撃は完璧であった。こちらの被害は一人もいないのだ。しかし止まらない。濁流は未だに押し寄せ、堰はその勢いを止め切れていない。
腹を突き刺しても、頭を殴り飛ばしても、敵兵達は皆が事切れるその瞬間までこちらの命を狙い、倒れこんでも足に食らいついてくるのだ。
これはなんだ。本当に今、自分達は「人間」と戦争をしているのだろうか。その違和感は徐々に、恐怖へと変わっていく。
まるで意思のない人間。憎悪だけが剥き出しになった、人間のようなものの群れ。
いつだ。いつ離脱できる。
その王磊の動揺はやがて、部隊の全体に波及していく。
「西部都尉!すでに敵は眼前に迫っております!掃射の合図を!!」
「王磊の部隊は!?なぜ敵の勢いは止まっていないんだ!?」
「合図を!!」
「は、放てっ!伏兵部隊にも合図を出せ!!」
押し寄せる敵影。地震のように地は揺れ、憎悪の叫びは肌を裂くような圧力がある。
そこに顧承の合図で矢の雨が降り注いだ。しかし、濁流は止まらない。
体に矢を突きたてながらも敵は槍を構えて走り続けている。命を捨てた突貫であった。
そこに伏兵による射撃も左右から降り注ぎ、幾重もの互い違いの射線が貫くことで濁流の前衛が目に見えて倒れ始める。
それでもまだ第二波、第三波が押し寄せ、顧承は防衛線を一つ、また一つ放棄し、いつしかそれは敗走の流れへと変わってしまう。
隘路を突破された。
このままでは県城まで一気に落とされる。その瞬間であった。
勢いのままに駆けてしまったせいで間延びしたその濁流の横腹を、とある部隊が貫いたのである。
その旗には「諸葛」の文字が靡いていた。
この一撃が決め手となり、攻勢限界に達していた敵軍はようやく撤退。
戦場には敵味方含め、数多の死骸が残されていたのであった。
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