天才軍師、顔の良い生首を拾う。~孔明じゃない諸葛さんの怪異譚~

久保カズヤ

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五章

三、この国のために

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「よし、もういい!見苦しいわい!儂の屋敷で働くからには、その怠慢の縮図みたいな体形は許さん!覚悟せい!」
「どうしてこんなことにぃ…」
「それでお前はあのクソガキ(諸葛恪)のとこの従者じゃな!こっちこい!!」
「ひっ」

 どこが病気なのだろうか。寝台に座ってはいるが、軍人顔負けの気迫と大声で張昭は陽甜を呼びつけた。
 しょぼしょぼになって部屋を出て行く楊燕。これから先のことがあまりにも不安で仕方がない。
 そして近くに呼びつけた楊甜の顔を、鼻息がかかるほどの距離で張昭はまじまじと見つめる。
 長く伸びている白い眉毛が目にかかっており、これで本当に前が見えているのだろうかと不思議に思った。

「確かに子瑜(諸葛瑾)の言う通り、悪人の相がひとつも無い。こりゃ稀代の阿呆じゃな」
「ふぇ?」
「それで、なんでクソガキに解雇された」

 困ったような呆れたような、フンと鼻息を鳴らしながら張昭は腕を組む。
 どうしてだろう。自分が不甲斐ないからと言ってしまえばそれまでだが、今までそれでも諸葛恪は楊甜の努力を見ていてくれた。
 やっと少しずつ近づけているような気がしていたのに、急にまた見えなくなるほどに遠くへ行ってしまった。

「僕が、ご主人様に追いつけなかったんだと、思います」
「あれに付いていこうとなると、そりゃあ大変じゃろうて。年上を敬う気持ちも無く、謙遜など形ばかりで、全て自分一人でどうにかなると思っとる偏屈者じゃ」
「…でもそれだけの努力を、ご主人様は積んでいます。少し気難しいところも確かにありますけど」
「ほう、お前はあのクソガキをまだ擁護するか」

 まずい、怒られる。そう思ったが特に怒鳴り声が飛んでくることは無かった。
 張昭はただ物珍しそうに髭を撫でるだけで、むしろどこか感心している様子さえある。

「楊甜、お前にはあのクソガキが一人の人間に見えるのか?」
「えっと、それは、どういう?」
「喜怒哀楽の感情を持ち、幼子を愛で、年寄りを敬い、無償で友と食事を分け合うような、そんな当たり前を生きる人間に見えるか?」
「…全部が全部、そうとは言えませんけど、でも、僕にはご主人様が張昭様の言う"人間"に見えています」
「そうか、そうか。じゃがな、儂にはもう奴が人間には見えんのだ。そんな当たり前のことすら捨ててしまおうとする、そんな怪異に見えて仕方なくなることがある。儂だけではない。既にこの国の多くの者がそう感じているはずだ」

 寂しそうにそう言うと、張昭は突然せき込み始める。痰が喉の奥に絡んでいるような、ヒューヒューと呼吸の掠れる音が響く。
 楊甜は顔中に冷や汗を浮かべて慌てていると、張昭はその細い指で棚の上を指す。
 そこには湯気を揺らす一つの湯飲みがあり、楊甜は急いでそれを手に取って張昭の口元へ運んだ。
 本能的に眉をひそめてしまうような、苦い薬湯の香りが漂う。張昭は楊甜の手を借りてそれを少しずつ飲み込み、ようやく落ち着いたようであった。

「寄る年波には勝てん。それなのにこの国を良くしたいという、その気力は衰えるどころか増すばかり。口煩い年寄りにはなりたくなかったんじゃがなぁ…」

 張昭の脳裏に浮かぶのは皇帝"孫権"の顔ばかりであった。この頃になって「申し訳ない」と、心中の孫権に詫びることが増えた。
 出会ってからもう四十年になる。流石に張昭も自分の死を考え始めていたし、何となくそれはすぐのことだという確信があった。

「もう一度聞くぞ、諸葛恪はお前には人間に見えるのだな。信じて良いのだな」
「は、はい!僕はご主人様を誰よりも優しい人だと今でも思っています!」
「分かった。お前が儂の下に転がり込んできたのも何かの天命なのだろう。死ぬ前にひとつ大仕事じゃ。楊甜!」
「はい!」
「お主を解雇する!!」
「はい!え、はい!?!?」
「お前はなんとしても諸葛恪にもう一度仕えるしかないと心得よ。お前が、奴を救うのだ」

 床板をダンダンと強く踏み鳴らし、張昭は勢いよく楊甜の顔を指さす。
 "なんとしても"ということは、それは本当に"なんとしても"ということである。何をしてでも、ということである。
 やるしかないのだ。もう後はない、なりふりなど構っていられない。
 張昭は常にその気概で生きて来た人物なだけに、その気迫はこっちの腹にまで響いてくる熱があった。

「あの生意気なクソガキをアッと言わせてやるんじゃ!」
「何をすれば、アッと言わせられるでしょうか」
「知らん!お前の方が奴の近くに居たんじゃから、お前の考えたほうが早いじゃろうて」

 何をすれば。腕を組み、うんうんと記憶を掘り起こす。
 何をすれば諸葛恪は喜んでくれるだろうか。今、諸葛恪は何を望んでいるのか。
 そして一つ頷き、目を開く。その楊甜の目には覚悟の灯火が宿っていた。
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