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五章
四、俺が生まれた理由
しおりを挟む冷えてくる季節になった。特に一人で外を歩いているとその寒さが芯にくるようで、風が入って来ないよう襟元をギュッと締める。
楊燕はまた一人で出て行こうとする楊甜を心配し、このまままた昔のように人里離れて暮らしても良いと語った。
姉の無償の優しさはこの上なく嬉しかったが、だからこそそればかりは頷けなかった。
後悔はない。ずっと、諸葛恪に出会ったあの瞬間から、楊甜は自分の勇気を後悔することは一度も無かった。
「僕は、ご主人様の下でもっと大きくなるんだ…っ」
籠を背負い、幾日も歩く。張昭の推薦書おかげで行動の不自由はなかった。
辿り着いたのは人の気配の全くない小さな村である。
人が離れてもう随分と手入れがされていないのか、田畑の土は固く、雑草が茂り、顔に当たる羽虫が煩わしい。
長草を分けて進むと、壊れた戸が立てかけられてあるだけの厠の小屋が小川の側に一つ。
楊甜はその戸を引いて倒すと、隙間風が入り放題の小さな厠に大きな図体をうずくまらせている異形の怪物が、ギョッとした目でこちらに目を剥いた。
「ナ、ナンだよ、またお前か!」
「お久しぶり、ですかね。厠鬼(しき)さん」
浅黒い肌、鋭い爪と牙、虎の頭を有する巨躯の怪物。通称、厠鬼。
見るからに恐ろしい風貌だが争いを好まず、厠にこそこそと隠れ、人の履物を盗んで喰らうだけの変な怪異である。
「ウン?一緒に居た、自称"諸葛恪"が居ないナ」
「今日は僕が個人的に、厠鬼さんにお願いしたいことがあって来ました」
「イヤだね」
「まだ何も言ってないのに!」
心底嫌そうに、口をひん曲げながらうんざりとした表情を見せつける。
とにかく揉め事や厄介事や面倒事が苦手な厠鬼らしい生態に基づいた当然の反応だと言えるだろう。
「オレは、こうしてひっそりと過ごしタイ。あんまり外に出たくナイんだ」
「…食事はどうしてるんです」
「怪異だぞ。空腹は辛いが、それで死ぬコトはない。戦が終わるまでジッとするノサ」
「いや、嘘ですね」
そう言うと楊甜は懐から一つの草鞋を取り出し、グイと厠鬼の目の前に突き出す。
その瞬間厠鬼の目の色が変わり飛びつこうとするも、急いでそれを懐に戻し、にやりと微笑む。
「怪異がどのように生まれるのか、以前、そんな話を聞きました。怨恨から瘴気が生じ、瘴気から怪異が生じると。そこで僕は思ったんです。その怨恨が何を後悔していたのか、それによって生まれる怪異もまた異なってくるのではないかと」
「…何が言いタイ」
「厠鬼さんの生態はあまりにも異質です。そんな怖い姿をして隠れながら履物を食べたいなんて、よっぽどの変態さんです。だったらその本能を我慢するなんて、相当辛いんじゃないかって」
飢えて死ねば、その怨恨は食欲に貪欲な人食いの怪異を産む。
溺れて死ねば、その怨恨は苦しさから抜け出そうと逆に人を水に引きずりこむ怪異を産む。
じゃあ、履物を喰うという生態の怪異は何によって産まれるのか。
もしその生態を持って産まれたとすれば、そんな強烈な本能に抗うなど出来ないのではないか。
「コノ時代、嫁を取れず、女に恵まれず死ぬ男なんてごまんとイル。せめて女を抱いて死にたかっタ。誰のとも知れないそんな悔恨が、突然、オレの脳裏に過ることがアル」
「その怨恨から瘴気が生じ、厠鬼さんを産んでいた、と」
「たぶんな。だがオレ達"厠鬼"の怨恨はもっと根深い。女に飢え、飢えに飢え、もう女の履物や足跡にすら欲情するようにナリ、生まれ変わったら肉付きの良い女の足の裏の汗を吸い、そして履き潰される草鞋にナリタイ、そんな男達の願いの慣れの果てが、オレなのさ」
「ひぃっ」
想定を軽々と飛び越える解答に思わずドン引きし、楊甜は一歩後ずさる。
よだれを垂らしながらはぁはぁと湿っぽい呼吸を荒く繰り返す厠鬼が、今まで見てきたどの怪異よりも恐ろしく感じた。
「わ、分かりました、では一つ協力してください!僕はあの山に入りたいんです!厠鬼さんは以前、あそこで暮らしていたと聞きます。僕を案内してくれませんか!?」
「ナンだと?」
ギリギリと歯を噛みしめ、前のめりになっていた体を起こして腕を組み、またドカリと座り込んだ。
「帰れ。オレは死にたくない。死にたいナラ、一人で死んでクレ」
「ちなみに厠鬼さんの好みの女性ってどんな人なんですか?」
「お前みたいな細身の所謂"美女"は勿論好きだ。大好きだ。嫌いな奴なんてイナイ」
「男です」
「だが食欲をソソるのは何故か、肉付きの良い、いわゆる肥えた女だ。胸も腹も尻も膨れていて、美味しソウに米を頬張って、汗っカキで、あと毛深いとなお良いナ。ウン。そんな女の汗と垢を蓄えた草鞋を喰うのがオレたち厠鬼の夢ナンダ」
「聞いてもないことまで早口で答えてきて怖いぃ…」
でも、それなら良い。これ以上はない。
楊甜は勝利を確信し、同時にこれから自分はあの優しい姉に一生をかけて償っていかなければならない罪が出来たことを悟った。
「じゃあ僕とそっくりの顔立ちで、でも厠鬼さんの言う"肉付きの良い女性"がもしいたとしたら、どうですか」
「フン、そんな女性が居るナラ、死んでもイイね。それを人は天女と言うノダ」
「僕には姉が居ます。そして最近、針仕事ばかりであまり運動も出来ず、美味しい食べ物を我慢できずによく食べていました」
「なっ、そっ、そんなっ、マサカっ!?」
「これがその姉の草鞋です。最近、姉は運動に勤しんでまして、この草鞋を履いて汗をかいていましたね」
「グッ、ギギギ…」
「もし僕が無事に帰れたら定期的にその草鞋を提供できます。なんなら姉さんの姿を拝見することもできるかもしれませんよ?」
「分かった。お前の言うことは何でも聞コウ。これで死ぬなら、本望ダ」
とてもきれいな瞳だった。心は如何に邪であろうと、本気で厠鬼は命を懸けると誓ったのだ。
変態だった。同時に"漢(おとこ)"であった。勿論、楊甜はそんな厠鬼を心底気持ち悪いと思った。
「落頭民、オレの名は"吼突曼(こうとつまん)"と言う。これからは厠鬼ではなく吼突曼と呼べ」
「分かりました。僕は楊甜。これからよろしく、吼突曼」
こうして楊甜は草鞋を吼突曼に手渡したのであった。
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