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平日に私服で電車に乗るというのは、なんだか妙な気分がした。
いつもなら髪を一つに束ね、カチッとしたビジネススーツに身を包み、黒ぶちの眼鏡をかけて颯爽と出勤しているはずだ。
しかし今は、ブルージーンズにスニーカー、黒のニットにベージュのトレンチコートといういでたちで綾子は駅のホームに立っていた。
外の風は少しだけ寒かった。枯れ葉が風にさわさわと揺れていた。
長い栗色の髪が、ふわりと風をはらんで揺れた。
段々と冬の気配を色濃く感じてきた。
それでも今日は気持ちいい位の秋晴れだった。
澄んだ空気が、空を高く青く見せていた。
こんなに天気がいいのなら、公園で散歩するのもいいかもしれない。
外の新鮮な空気が肺に入るだけで、少し体の気だるさが薄れるような気がした。
電車に乗り込むと、すでに出勤するサラリーマンや、通学の学生が車内を埋め尽くしていた。
綾子は舌打ちした。
どうせ休みなんだから、通勤時間をずらせば良かった。
腕時計を見ると、いつも電車に乗り込む時間と同時刻を指していた。
習慣とは恐ろしい。満員に近い電車の中でそう思った。
いつもは音楽を聴き、周りと遮断するように通勤しているのだが、今日はなんとなく音楽を聴く気にはならなかった。音楽を聴いていると、思考が鈍り、何かを考えるという行為が出来なくなってしまう。
その為、綾子はぼーっとしていたい時こそ音楽を聴くようにしていた。
電車が走り出し、いつも見慣れている景色がゆっくりと外を流れる。
3年間、晴れの日も、雨の日も、風の日も。
電車からこの風景を見ていた。
いつもと変わらない毎日、いつもと変わらない風景、いつもと変わらない自分。
走る電車の中で、綾子はぼんやり色々な事を考えていた。子供の頃、25歳はすごく大人で、かっこよくて、なんでも出来るものだと思っていた。
でも、実際は何も変わらなかった。
お酒を覚え、化粧を覚え、男を覚え。
自分の理想の大人にも、かっこよくもなれなかった。
むしろ、大人になったから出来なくなってしまった事の方が増えてしまったように感じる。
隠す事やごまかす事ばかりがうまくなってしまい、素直に何かをする事が出来なくなってしまった。
何も変わってないと思っているのは、自分だけなのかもしれない。
あの頃の自分が見たら、きっとがっかりするだろう。かっこよくなっているはずの自分が、こんな臆病者になってしまったのだから。
毎日の中で、どんどん鈍感になっているような気がした。
喜び、悲しみ、怒り。
感情に対しても、どんどん鈍くなり、あきらめる事が普通になってしまった。
綾子はため息をついて、車内を見渡した。
新聞を読む人、座席で睡眠時間を確保する人、音楽を聞いて遠くを見る人、しきりに携帯をいじる人。
この人たちはいつか夢見た理想の自分になれているのだろうか。子供の頃、目をキラキラさせていたあの頃の夢を叶えたのだろうか。
扉に背をもたれながら綾子はガタガタと電車の振動に体を揺らしながら、ぼんやりとそんな事を考えた。
綾子と丁度反対側のドア付近に女子中学生が2人、教科書を開き楽しそうに話をしていた。
鞄にはキャラクターやリボンのアクセサリーがぎっしりとつけられ、後ろから見える教科書にはカラフルなマーカーが教科書に記されていた。
2人は時折、ひそひそ話をしながら、楽しそうに笑っている。
授業中に手紙を回したり、放課後の教室でふざけ合ったりした時がふっと思い出された。あの時は毎日がただ楽しくて、将来の事に不安を感じる事もなくて。
毎日、テストの点や好きな人の事で一喜一憂したり、友達と遊ぶ事で頭がいっぱいだった。
そんな微笑ましい姿に、なんとなく顔が綻んでしまった。
車内に次に停車する駅名が流れると、少女たちは教科書を鞄にしまい、綾子の隣で開いたドアから降りていった。
目の前を通り過ぎた少女たちを、綾子はすぐ目で追ってしまった。
横を通り過ぎた少女たちの胸に、小さな葉が見えたような気がしたのだ。セーラー服の胸辺りに確かに緑の小さな葉が見えた。それは胸にささっているのではなく、まるで胸から生えているように見えたのだ。
電車の扉が閉まり、電車が動き出してもまだ綾子は少女たちを眼で追った。動き出した電車の中で、階段を上がっていく少女たちが見えた。
気のせいだろうか・・・?
もしかしたら、見間違いかもしれない。それに最近の流行り物という事も考えられる。
元々、考えても仕方のない事は考えない性格の綾子はすぐにさっき見たものを頭から追い出そうとした。
再び、電車が動き出し、綾子はまた車窓に流れる風景を見た。
流れる風景を無心で見ようとするが、どうしてもさっきの少女たちに生えていた葉の事が頭から離れなかった。
頭から追い出そうと何度も目を瞑るが、なぜか分からないが無性に気になって仕方がない。
追い出そうとすればするほど、少女たちに生えて居た葉が鮮明に頭に浮かんでくる。
小さな柔らかい若葉。まだ緑色にもなっていないその葉は、キラキラと光っているように見えた。
う~っと、頭を抱えると大きく深呼吸する。
きっと、もう一度今の少女たちに会う事は不可能だ。そして、考えた所で何もならない。
忘れろ、忘れろ、忘れろ・・・。
呪文のように呟くと、綾子は顔を上げた。
顔を上げると、向かいのホームに男子学生の集団が電車を待っていた。
ドアを叩きつける音が車内に響き、乗客がいっせいに綾子に視線を集めた。しかし、綾子の目には写っていなかった。
ホームの向かいには紫のジャージを着た高校のような体格のいい少年が10数人居た。それぞれ、大きなスポーツバックを肩から下げ、何かを話しながら電車を待っている。
そして彼らにも、先ほど少女たちに見たような、小さな葉が手や足、胸などに生えていた。
綾子は思わず電車から飛び降りていた。
走って階段を駆け上がり、向かいのホームに向かう。あまりの必死の形相に、綾子の前を歩く人たちは不信気に道を開けた。
連絡通路の半分を行った所で、電車がホームに入ってくるのが見えた。綾子はその電車を目で追いながら、必死に走った。
男子学生の集団が、ぞろぞろと電車の中に乗り込んでいくのが階段の上から見えた。
まるで転げ落ちるかのように階段を駆け下りたが、綾子が電車に乗り込もうとした瞬間に、目の前で扉は閉まった。
その必死の姿を何人かの乗客が横目で見ていた。
彼らもそんな綾子をちらりと横目で見た。
ゆっくりと動き出す電車を、綾子はただ呆然と見送った。
彼らにも少女たちのように葉が生えていた。少女と同じように若い葉をつけている者も居たが、緑の葉を茂らせている者も居た。そして、小さな花を咲かせている者も・・・。
頭や洋服や靴につけている訳じゃなく、確かに人の体から植物が生えていた。
綾子はフラフラとホームを歩き、力なくベンチに座り込む。
自分がたった今、見たものが信じられなかった。
確かに葉が生えていた。
人の体から植物が生えるなんて聞いた事がない・・・。
電車が行ったばかりのホームには、綾子一人が居た。先ほど降り立った向かいのホームに電車を待つ人がまばらに居る位だった。
向かいのホームで電車を待つ人々を綾子は穴が開くほど見つめた。それは僅かなものでも見逃すまいと、瞬きすらする事を忘れるほどだった。
しかし、さっき見たような葉が生えている人を見つける事は出来なかった。
目の錯覚。
綾子は、そう自分に言い聞かせた。何度も電車が通り過ぎてしまう位、長い時間綾子は自分に言い聞かせていた。
しかし、1度ならず2度まで見た現実に、その言い訳は空しいだけだった。
いつもなら髪を一つに束ね、カチッとしたビジネススーツに身を包み、黒ぶちの眼鏡をかけて颯爽と出勤しているはずだ。
しかし今は、ブルージーンズにスニーカー、黒のニットにベージュのトレンチコートといういでたちで綾子は駅のホームに立っていた。
外の風は少しだけ寒かった。枯れ葉が風にさわさわと揺れていた。
長い栗色の髪が、ふわりと風をはらんで揺れた。
段々と冬の気配を色濃く感じてきた。
それでも今日は気持ちいい位の秋晴れだった。
澄んだ空気が、空を高く青く見せていた。
こんなに天気がいいのなら、公園で散歩するのもいいかもしれない。
外の新鮮な空気が肺に入るだけで、少し体の気だるさが薄れるような気がした。
電車に乗り込むと、すでに出勤するサラリーマンや、通学の学生が車内を埋め尽くしていた。
綾子は舌打ちした。
どうせ休みなんだから、通勤時間をずらせば良かった。
腕時計を見ると、いつも電車に乗り込む時間と同時刻を指していた。
習慣とは恐ろしい。満員に近い電車の中でそう思った。
いつもは音楽を聴き、周りと遮断するように通勤しているのだが、今日はなんとなく音楽を聴く気にはならなかった。音楽を聴いていると、思考が鈍り、何かを考えるという行為が出来なくなってしまう。
その為、綾子はぼーっとしていたい時こそ音楽を聴くようにしていた。
電車が走り出し、いつも見慣れている景色がゆっくりと外を流れる。
3年間、晴れの日も、雨の日も、風の日も。
電車からこの風景を見ていた。
いつもと変わらない毎日、いつもと変わらない風景、いつもと変わらない自分。
走る電車の中で、綾子はぼんやり色々な事を考えていた。子供の頃、25歳はすごく大人で、かっこよくて、なんでも出来るものだと思っていた。
でも、実際は何も変わらなかった。
お酒を覚え、化粧を覚え、男を覚え。
自分の理想の大人にも、かっこよくもなれなかった。
むしろ、大人になったから出来なくなってしまった事の方が増えてしまったように感じる。
隠す事やごまかす事ばかりがうまくなってしまい、素直に何かをする事が出来なくなってしまった。
何も変わってないと思っているのは、自分だけなのかもしれない。
あの頃の自分が見たら、きっとがっかりするだろう。かっこよくなっているはずの自分が、こんな臆病者になってしまったのだから。
毎日の中で、どんどん鈍感になっているような気がした。
喜び、悲しみ、怒り。
感情に対しても、どんどん鈍くなり、あきらめる事が普通になってしまった。
綾子はため息をついて、車内を見渡した。
新聞を読む人、座席で睡眠時間を確保する人、音楽を聞いて遠くを見る人、しきりに携帯をいじる人。
この人たちはいつか夢見た理想の自分になれているのだろうか。子供の頃、目をキラキラさせていたあの頃の夢を叶えたのだろうか。
扉に背をもたれながら綾子はガタガタと電車の振動に体を揺らしながら、ぼんやりとそんな事を考えた。
綾子と丁度反対側のドア付近に女子中学生が2人、教科書を開き楽しそうに話をしていた。
鞄にはキャラクターやリボンのアクセサリーがぎっしりとつけられ、後ろから見える教科書にはカラフルなマーカーが教科書に記されていた。
2人は時折、ひそひそ話をしながら、楽しそうに笑っている。
授業中に手紙を回したり、放課後の教室でふざけ合ったりした時がふっと思い出された。あの時は毎日がただ楽しくて、将来の事に不安を感じる事もなくて。
毎日、テストの点や好きな人の事で一喜一憂したり、友達と遊ぶ事で頭がいっぱいだった。
そんな微笑ましい姿に、なんとなく顔が綻んでしまった。
車内に次に停車する駅名が流れると、少女たちは教科書を鞄にしまい、綾子の隣で開いたドアから降りていった。
目の前を通り過ぎた少女たちを、綾子はすぐ目で追ってしまった。
横を通り過ぎた少女たちの胸に、小さな葉が見えたような気がしたのだ。セーラー服の胸辺りに確かに緑の小さな葉が見えた。それは胸にささっているのではなく、まるで胸から生えているように見えたのだ。
電車の扉が閉まり、電車が動き出してもまだ綾子は少女たちを眼で追った。動き出した電車の中で、階段を上がっていく少女たちが見えた。
気のせいだろうか・・・?
もしかしたら、見間違いかもしれない。それに最近の流行り物という事も考えられる。
元々、考えても仕方のない事は考えない性格の綾子はすぐにさっき見たものを頭から追い出そうとした。
再び、電車が動き出し、綾子はまた車窓に流れる風景を見た。
流れる風景を無心で見ようとするが、どうしてもさっきの少女たちに生えていた葉の事が頭から離れなかった。
頭から追い出そうと何度も目を瞑るが、なぜか分からないが無性に気になって仕方がない。
追い出そうとすればするほど、少女たちに生えて居た葉が鮮明に頭に浮かんでくる。
小さな柔らかい若葉。まだ緑色にもなっていないその葉は、キラキラと光っているように見えた。
う~っと、頭を抱えると大きく深呼吸する。
きっと、もう一度今の少女たちに会う事は不可能だ。そして、考えた所で何もならない。
忘れろ、忘れろ、忘れろ・・・。
呪文のように呟くと、綾子は顔を上げた。
顔を上げると、向かいのホームに男子学生の集団が電車を待っていた。
ドアを叩きつける音が車内に響き、乗客がいっせいに綾子に視線を集めた。しかし、綾子の目には写っていなかった。
ホームの向かいには紫のジャージを着た高校のような体格のいい少年が10数人居た。それぞれ、大きなスポーツバックを肩から下げ、何かを話しながら電車を待っている。
そして彼らにも、先ほど少女たちに見たような、小さな葉が手や足、胸などに生えていた。
綾子は思わず電車から飛び降りていた。
走って階段を駆け上がり、向かいのホームに向かう。あまりの必死の形相に、綾子の前を歩く人たちは不信気に道を開けた。
連絡通路の半分を行った所で、電車がホームに入ってくるのが見えた。綾子はその電車を目で追いながら、必死に走った。
男子学生の集団が、ぞろぞろと電車の中に乗り込んでいくのが階段の上から見えた。
まるで転げ落ちるかのように階段を駆け下りたが、綾子が電車に乗り込もうとした瞬間に、目の前で扉は閉まった。
その必死の姿を何人かの乗客が横目で見ていた。
彼らもそんな綾子をちらりと横目で見た。
ゆっくりと動き出す電車を、綾子はただ呆然と見送った。
彼らにも少女たちのように葉が生えていた。少女と同じように若い葉をつけている者も居たが、緑の葉を茂らせている者も居た。そして、小さな花を咲かせている者も・・・。
頭や洋服や靴につけている訳じゃなく、確かに人の体から植物が生えていた。
綾子はフラフラとホームを歩き、力なくベンチに座り込む。
自分がたった今、見たものが信じられなかった。
確かに葉が生えていた。
人の体から植物が生えるなんて聞いた事がない・・・。
電車が行ったばかりのホームには、綾子一人が居た。先ほど降り立った向かいのホームに電車を待つ人がまばらに居る位だった。
向かいのホームで電車を待つ人々を綾子は穴が開くほど見つめた。それは僅かなものでも見逃すまいと、瞬きすらする事を忘れるほどだった。
しかし、さっき見たような葉が生えている人を見つける事は出来なかった。
目の錯覚。
綾子は、そう自分に言い聞かせた。何度も電車が通り過ぎてしまう位、長い時間綾子は自分に言い聞かせていた。
しかし、1度ならず2度まで見た現実に、その言い訳は空しいだけだった。
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