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第三話 そうして終わりになりました。
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伯爵だった夫と離縁し、生家の男爵家から絶縁して、私は神殿で暮らしています。
いくら慈愛に満ちた女神様の神殿でも、いつまでも無駄飯食らいを養ってはくれません。
私は従妹のニセモノにすべてを奪われましたが、不幸な女性はこの世にたくさんいるのです。まだ五体満足なだけ私はマシなほうなのです。悲しいことですけれどね。
私は仕事をしています。
もう少し稼げるようになったなら、神殿にお礼をしてひとり暮らしを始めるつもりです。
今日は王都大広場の屋外喫茶店に仕事の相手と会いに来ました。
ええ、この場所には嫌な思い出はありません。
ニセモノが刺されたのを良い気味だと思っていたりはしませんよ。
情状酌量は認められたと聞くものの、本物のメリルの恋人だった男性が手を汚さないで済めばそのほうが良かったのですもの。
メリルの恋人に、何年も前の黒焦げの遺体では身元証明ができないと吹き込んだのは、神殿で薬草園を任されていた神官だったといいます。
薬草園を任されている神官でも、迷える人々と対話する役目がなくなるわけではありません。
もっともそれに関しては自覚的に嘘をついたのではなく、黒焦げの遺体でも身元証明ができるほど技術が進化したのは、つい最近のことだったからだそうです。
彼はテネシティの情夫でした。
恋愛関係とは違ったようです。
彼は美しいテネシティの肉体、彼女は薬草園の薬毒を求めていただけでした。
そう、私から子どもを奪った香草茶の出どころです。
薬草園にはほかの神官の耳目がありましたので、ちゃんと侍女には妊婦に良くないから気をつけるようにと伝えていました。
テネシティは我が家に来る前から神官に毒を用意させていました。使いどころはわかりません。
下町の顔役夫婦の死因は刺殺でした。
でも彼女が犯人だとしたら、両親に抵抗されないように毒を飲ませていたのかもしれません。
なぜそこまでしたのかはわかりません。家が焼けて住人が亡くなっているので、無くなった物品があるかどうかも確認できません。
侍女は、テネシティがジャック様に贈られた装飾品を換金したお金をなにに使っていたのかまでは知りませんでした。お金を手にした後のテネシティは下町の神殿へ家族の墓参りに行くと言って、ひとりで行動していたようです。
たぶんなにかでお金を欲していて、両親との喧嘩もそれが原因だったのでしょう。
両親を殺したところにメリルが来て、貴族家の紋章入りの腕輪があればもっとお金が手に入ると思ったのかもしれません。侍女本人は、分け前を自分の恋人に貢いでいたようです。
そうそう、テネシティは私よりもふたつほど年上でした。
情夫もいたのですから、世間知らずのジャック様を篭絡するのなど簡単なことだったのでしょうね。
ジャック様は私と同い年でした。
そのようなことが侍女の証言や調査でわかって、神官は放逐されたそうです。
軽い処分に思えます。
神殿が身内の恥を晒すのを嫌がったのでしょう。彼の罪は公表されていません。薬毒の配布において説明が不十分だったというのが放逐の理由とされています。
「メイジーさん。新しい仕事なんだけどね……」
仕事相手は出版社の方です。
向こうから神殿に話を持って来てくださって驚きました。
ですが考えてみれば当然のことなのです。
私が嫁いでいた伯爵家の領地には港がありました。
夫はその港で他国と貿易していたのです。
かなり裕福な家だったのですが、他国の人間だった母に似た夫の容姿がこの国の貴族令嬢には敬遠されて、結婚が遅れていたのだと聞きます。実際は一度婚約に至ったものの、やっぱり嫌だと白紙撤回されたらしいです。
……夫の周囲の人間は私との結婚を歓迎してくれていました。
夫の父親である先代が亡くなったことによる当主交代の混乱が収まり、普段の領地は家臣に任せても大丈夫になって王都へ戻ってくるまでは、夫も私を大切にしてくれていたように思います。
王都へ戻って、謝罪したいと言ってニセモノが来て、そして――
「今度は翻訳の仕事じゃないんだ」
そう、私は元婚約者に捨てられた後、求婚してくれた夫に少しでも報いるために他国の言語を勉強したのです。
もちろんこの王国の貴族子女と裕福な平民が通う学園でも学んでいました。
だけど商売に必要な単語などの専門的なことは、学園での勉強だけでは足りなかったのです。
だから私は他国の物語の翻訳で知られていたこの出版社に連絡をして、辞書を購入したり翻訳の添削を依頼したりしていたのです。
子どもを喪って茫然自失になる前に、辞書の間違いを指摘したこともあります。
発行されたときは正しかった単語の意味が、時代の変化によって反転していたのです。伯爵夫人として他国の商人と直接交渉していたからわかったことです。
そんな傲慢ともいえる行為を気に入ってくださって、私が離縁して神殿にいると知った出版社の方が声をかけてくださったのでした。
おかげで将来に希望が持てるようになりました。
たとえだれからも愛されなくても、幸せになることはできると思うのです。
「メイジーさん、可愛い飾り文字が書けるよね? 今度うちで出版する絵本の文字を担当してもらえないかな?」
「絵本……ですか?」
「うん。メイジーさんの……その、ご実家の辺りで伝えられているおとぎ話で妖精の姫と竜の騎士の物語があるだろう? ごめん、思い出したくもなかったかな?」
「いいえ。確かに実家のことはあまり……ですけれど、妖精の姫と竜の騎士の物語は大好きですわ。それに……うふふ」
「メイジーさん?」
「私が飾り文字を書くようになったのは、妖精の姫と竜の騎士の物語を書きたかったからですの」
フレディの語ってくれた物語を本にしたいと思ったのです。
出版社の方は、なぜか意外なほど嬉しそうな顔をなさいました。
私の父ほどの年齢の方なのですが、なんだか昔から知っているかのように親切で優しくしてくださいます。翻訳家として期待されているのだとしたら、それはそれで嬉しいことです。いえ、今度のお仕事は翻訳ではありませんでしたね。
「それは良かった! おとぎ話をそのままじゃなくて、作家が脚色したものになるんだけど、それは大丈夫かい? 地元民として譲れないこととか……」
「大丈夫ですわ。語る人の数だけ世界があるのが、妖精の姫と竜の騎士の物語の魅力ですもの」
妖精の姫と竜の騎士は時間と空間を超えて、無限に冒険して物語を紡いでいるのだとフレディが教えてくれましたっけ。
今度は作家の方と会わせてくださるという話をまとめて、その日はお開きになりました。
神殿に戻る途中の私がテネシティの情夫だった放逐された神官に殺されなければ、きっといつか絵本が完成していたことでしょう。
――そうして終わりになりました。
『嫌よ、フレディ従兄様。終わりじゃないの。妖精の姫と竜の騎士は眠っただけで、明日の朝になったら目を覚ますのよ』
『そうだね、メイジー姫。でもまた会う日まではお休みだね』
『また会える?』
『当たり前だよ。だって僕は君の竜の騎士なんだから! 君が目を覚ましたら、きっと側にいる……約束するよ』
いくら慈愛に満ちた女神様の神殿でも、いつまでも無駄飯食らいを養ってはくれません。
私は従妹のニセモノにすべてを奪われましたが、不幸な女性はこの世にたくさんいるのです。まだ五体満足なだけ私はマシなほうなのです。悲しいことですけれどね。
私は仕事をしています。
もう少し稼げるようになったなら、神殿にお礼をしてひとり暮らしを始めるつもりです。
今日は王都大広場の屋外喫茶店に仕事の相手と会いに来ました。
ええ、この場所には嫌な思い出はありません。
ニセモノが刺されたのを良い気味だと思っていたりはしませんよ。
情状酌量は認められたと聞くものの、本物のメリルの恋人だった男性が手を汚さないで済めばそのほうが良かったのですもの。
メリルの恋人に、何年も前の黒焦げの遺体では身元証明ができないと吹き込んだのは、神殿で薬草園を任されていた神官だったといいます。
薬草園を任されている神官でも、迷える人々と対話する役目がなくなるわけではありません。
もっともそれに関しては自覚的に嘘をついたのではなく、黒焦げの遺体でも身元証明ができるほど技術が進化したのは、つい最近のことだったからだそうです。
彼はテネシティの情夫でした。
恋愛関係とは違ったようです。
彼は美しいテネシティの肉体、彼女は薬草園の薬毒を求めていただけでした。
そう、私から子どもを奪った香草茶の出どころです。
薬草園にはほかの神官の耳目がありましたので、ちゃんと侍女には妊婦に良くないから気をつけるようにと伝えていました。
テネシティは我が家に来る前から神官に毒を用意させていました。使いどころはわかりません。
下町の顔役夫婦の死因は刺殺でした。
でも彼女が犯人だとしたら、両親に抵抗されないように毒を飲ませていたのかもしれません。
なぜそこまでしたのかはわかりません。家が焼けて住人が亡くなっているので、無くなった物品があるかどうかも確認できません。
侍女は、テネシティがジャック様に贈られた装飾品を換金したお金をなにに使っていたのかまでは知りませんでした。お金を手にした後のテネシティは下町の神殿へ家族の墓参りに行くと言って、ひとりで行動していたようです。
たぶんなにかでお金を欲していて、両親との喧嘩もそれが原因だったのでしょう。
両親を殺したところにメリルが来て、貴族家の紋章入りの腕輪があればもっとお金が手に入ると思ったのかもしれません。侍女本人は、分け前を自分の恋人に貢いでいたようです。
そうそう、テネシティは私よりもふたつほど年上でした。
情夫もいたのですから、世間知らずのジャック様を篭絡するのなど簡単なことだったのでしょうね。
ジャック様は私と同い年でした。
そのようなことが侍女の証言や調査でわかって、神官は放逐されたそうです。
軽い処分に思えます。
神殿が身内の恥を晒すのを嫌がったのでしょう。彼の罪は公表されていません。薬毒の配布において説明が不十分だったというのが放逐の理由とされています。
「メイジーさん。新しい仕事なんだけどね……」
仕事相手は出版社の方です。
向こうから神殿に話を持って来てくださって驚きました。
ですが考えてみれば当然のことなのです。
私が嫁いでいた伯爵家の領地には港がありました。
夫はその港で他国と貿易していたのです。
かなり裕福な家だったのですが、他国の人間だった母に似た夫の容姿がこの国の貴族令嬢には敬遠されて、結婚が遅れていたのだと聞きます。実際は一度婚約に至ったものの、やっぱり嫌だと白紙撤回されたらしいです。
……夫の周囲の人間は私との結婚を歓迎してくれていました。
夫の父親である先代が亡くなったことによる当主交代の混乱が収まり、普段の領地は家臣に任せても大丈夫になって王都へ戻ってくるまでは、夫も私を大切にしてくれていたように思います。
王都へ戻って、謝罪したいと言ってニセモノが来て、そして――
「今度は翻訳の仕事じゃないんだ」
そう、私は元婚約者に捨てられた後、求婚してくれた夫に少しでも報いるために他国の言語を勉強したのです。
もちろんこの王国の貴族子女と裕福な平民が通う学園でも学んでいました。
だけど商売に必要な単語などの専門的なことは、学園での勉強だけでは足りなかったのです。
だから私は他国の物語の翻訳で知られていたこの出版社に連絡をして、辞書を購入したり翻訳の添削を依頼したりしていたのです。
子どもを喪って茫然自失になる前に、辞書の間違いを指摘したこともあります。
発行されたときは正しかった単語の意味が、時代の変化によって反転していたのです。伯爵夫人として他国の商人と直接交渉していたからわかったことです。
そんな傲慢ともいえる行為を気に入ってくださって、私が離縁して神殿にいると知った出版社の方が声をかけてくださったのでした。
おかげで将来に希望が持てるようになりました。
たとえだれからも愛されなくても、幸せになることはできると思うのです。
「メイジーさん、可愛い飾り文字が書けるよね? 今度うちで出版する絵本の文字を担当してもらえないかな?」
「絵本……ですか?」
「うん。メイジーさんの……その、ご実家の辺りで伝えられているおとぎ話で妖精の姫と竜の騎士の物語があるだろう? ごめん、思い出したくもなかったかな?」
「いいえ。確かに実家のことはあまり……ですけれど、妖精の姫と竜の騎士の物語は大好きですわ。それに……うふふ」
「メイジーさん?」
「私が飾り文字を書くようになったのは、妖精の姫と竜の騎士の物語を書きたかったからですの」
フレディの語ってくれた物語を本にしたいと思ったのです。
出版社の方は、なぜか意外なほど嬉しそうな顔をなさいました。
私の父ほどの年齢の方なのですが、なんだか昔から知っているかのように親切で優しくしてくださいます。翻訳家として期待されているのだとしたら、それはそれで嬉しいことです。いえ、今度のお仕事は翻訳ではありませんでしたね。
「それは良かった! おとぎ話をそのままじゃなくて、作家が脚色したものになるんだけど、それは大丈夫かい? 地元民として譲れないこととか……」
「大丈夫ですわ。語る人の数だけ世界があるのが、妖精の姫と竜の騎士の物語の魅力ですもの」
妖精の姫と竜の騎士は時間と空間を超えて、無限に冒険して物語を紡いでいるのだとフレディが教えてくれましたっけ。
今度は作家の方と会わせてくださるという話をまとめて、その日はお開きになりました。
神殿に戻る途中の私がテネシティの情夫だった放逐された神官に殺されなければ、きっといつか絵本が完成していたことでしょう。
――そうして終わりになりました。
『嫌よ、フレディ従兄様。終わりじゃないの。妖精の姫と竜の騎士は眠っただけで、明日の朝になったら目を覚ますのよ』
『そうだね、メイジー姫。でもまた会う日まではお休みだね』
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