妖精のお気に入り

豆狸

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第一話 略奪の末路

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 彼は『妖精のお気に入り』と呼ばれていた。
 妖精が好むのは、美しいものと楽しいもの、そして遊び。
 彼──伯爵令息モイーズは花まで色を失うほどの美貌の持ち主で、宮廷学士も憧れるほどの作曲と演奏の才能を持っていた。音楽は、妖精が最も好む美しくて楽しいものだ。

 今日も婿入り先の男爵家で竪琴を奏でるモイーズの周囲には、黄金色に煌めく無数の光の点滅があった。
 午後の陽光が空気中の塵埃に反射されているだけではないだろう。
 人の目には見えないとされている妖精の羽ばたきが放つ煌めきかもしれない。

 モイーズは王都の男爵邸二階、広い露台の手すりの上に腰かけて演奏をしていた。
 安全とは言い難い状況だ。
 実際のところ、この男爵家の令嬢と幼いころから婚約していたモイーズは、以前にも同じことをして手すりから地面へ落下したことがある。背中を打った彼が回復したのは『妖精のお気に入り』だったからだと言われていた。

 美しくて才能がある貴族子息だったので、モイーズはこの王国の貴族子女が通う学園に入学する前から女性に取り囲まれていた。
 婚約者の男爵令嬢マルトを放置して、散々ほかの女性と恋愛遊戯を楽しんだ後で、学園を卒業したモイーズは男爵家へ婿入りした。
 結婚相手はマルトではない。マルトはモイーズに婚約を破棄され、男爵家からも絶縁されている。モイーズの妻はマルトの異母妹ミュゲであった。

「モイーズ。また手すりに座っているのね、危ないわよ」

 部屋から露台へ現れたのは、そのミュゲだ。
 真っ直ぐな金髪は美しかったものの、全体的に地味で影の薄かった異母姉のマルトと違い、赤毛のミュゲは華やかで印象的な女性である。
 モイーズが竪琴を奏でる手を止めると、彼の周りの光の点滅が減ったように見えた。

(妖精……なのかしら? 庭の草木に巣食ってるただの虫じゃないの? 羽音が聞こえないからゴミが舞ってるだけかもね)

 異母姉の婚約者を寝取ったミュゲは即物的な利益主義者だ。
 目に見えず、直接の利益をもたらしてくれない存在を崇め奉る気はない。
 とはいえモイーズを『妖精のお気に入り』だということにしておいたほうが、いろいろと利益が多い。ミュゲがマルトからモイーズを寝取ったことだって、妖精の思し召しということに仕立て上げたから、表立って非難されることは少なかったのだ。

「……ねえミュゲ」

 気だるげにモイーズは言う。

「僕達、離縁しようか」
「な、なにを言ってるのよ、モイーズ!」

 モイーズは、手すり近くまで歩いて来たミュゲのしなやかな肢体に目をやった。

「だって君、僕の子どもを身籠っていなかったんだろう? 君はほかの男とも遊んでるんだから、僕の子どもがいないんなら僕が責任を取る必要はないじゃないか」
「アタシと離縁してどうする気よ。あの女マルトとの婚約を破棄したことで、実家の伯爵家からは絶縁されているんでしょ? 宮廷楽師にでもなるつもり?」

 モイーズは伯爵夫人の実子ではない。伯爵の不貞の子だ。
 夫人はマルトの母親の親友だった。モイーズはマルトの婚約者となるために伯爵家へ引き取られたのだ。
 その婚約が破棄された今、伯爵家はモイーズを必要としていない。

それ宮廷楽師も良いね。でもその前に……僕はマルトを探しに行くよ」
「なに言ってるの? 浮気者だったあの女はアンタ以外に男がいて、婚約破棄後にその男と逃げたのよ? だから父さんもあの女を男爵家から絶縁したんじゃない!」
「それは君が作り上げた虚偽だろ? 母親と下町に囲われていたときの恋人にマルトとよく似た女と逢引きさせて、学園の生徒達に目撃させた。それからの人間に噂をばら撒かせたんだ。……ふふふっ」

 モイーズが美貌を歪めて笑みを作る。

「男爵だって信じてないよ。男爵がマルトを絶縁したのは、そうしなければ君を跡取りに出来ないからだ。お義父上は男爵家を存続させたかったのさ」

 この男爵家の歴史は浅い。
 現当主の父親が商人から成り上がって爵位を得たのが始まりだ。
 先代は財産の半分近くを神殿に寄進して、マルトの母親を息子の婚約者にした。そのときすでにミュゲの母親と愛人関係にあった現当主は、平民の使用人と同じ身分になるよりも、マルトの母親と結婚して男爵位を継ぐほうを選んだのだった。

「お、おかしいじゃない! あの女に男がいないって知ってたなら、どうしてアンタは婚約を破棄したのよ!」
「君が僕の子どもを身籠ったって言ったからだよ。早くに母親を亡くしたマルトは、母子の関係に深く感情移入する。君がこの家に引き取られたのも、母親を亡くして下町でひとり暮らす君をマルトが憐れんだからだ。男爵本人は、自家の評判を落とすだけの愛人の娘なんて引き取るつもりはなかったと思うよ。僕が君を選んだのは、自分の子どもを見捨てたりしたらマルトに嫌われちゃうからさ」

 モイーズの微笑には、婚約破棄ごときではマルトに嫌われはしないという自信が輝いていた。

「なによ、それ……なによそれえェェッ! ふざけてんじゃないわよ!」

 これまでミュゲは、自分は上手くやっていると思っていた。
 母親は亡くなってしまったものの、貴族の父親に引き取られて、異母姉の婚約者を略奪して彼女を追い出した。
 今のミュゲは男爵家の正式な跡取り娘だ。

 モイーズのことも嫌いではない。
 美しい『妖精のお気に入り』は周囲に自慢出来るし、浮世離れした芸術家はミュゲの浮気を責めたりしない。
 なにより婚約破棄によって、異母姉より自分のほうが上だと認めてくれたのだと思っていた。なのに違った!

「なにが『妖精のお気に入り』よ! ただのイカれた男じゃない! 見えもしない妖精なんかよりアタシのほうが美しいでしょう? アタシの婿に選ばれたことを感謝しなさいよおッ!」

 ミュゲはモイーズを手すりから突き落とした。
 全力で突き飛ばされたモイーズは地面に転がったまま動かない。
 そもそも以前だって落ちたときに背中を打ち、回復したのは『妖精のお気に入り』だったから──つまり奇跡だと言われているのだ。

「……確認しに行かなくちゃ。下手に息があってアタシが落としたって証言されたらたまらないわ」

 ミュゲは即物的な利益主義者だ。
 自分の利益にならないものは徹底的に排除する。
 階下へ向かうミュゲの周りを急に羽音が取り囲んだ。

 目を凝らしても小虫の姿は見えない。
 妖精だろうか、しかしお気に入りのモイーズを殺したというのに、その羽音達は楽しげだった。
 やはり妖精なんかいないのだ、とミュゲは思った。

 ──モイーズの死は事故として片づけられた。どこからも疑問の声は上がらなかった。
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