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第四話 歌姫じゃない。
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「あの女よッ! あの女の悪霊がアタシに復讐しようとしてるんだわッ!」
寝不足なのか、濃い隈の刻まれた顔で男爵は首を横に振った。
「マルトは悪霊になどなっていない。あの子は死んでいないのだから」
ミュゲは死ななかった。
顔に強い酸性の液体を浴びせられて皮膚が爛れてしまっただけだ。
眼球に浴びて失明しなかったぶん幸運だった。
「じゃあアタシに呪いかなんかかけてんのよおッ! 聖女を呼んでよッ!」
王都男爵邸の自室の寝台で、ミュゲは父である男爵に訴えた。
神殿には聖女がいると聞いたことがある。
聖女は人間の悪意を浄化する力を持ち、悪霊を消滅させることが出来るという。すべての時代にいたわけではないが、今はいるはずだ。その素性はいつの時代も明らかにはされていない。
「聖女は呪いも浄化出来るんでしょおッ?」
「……聖女はマルトだ」
「は?」
「マルトの母も聖女だった。出来たばかりの我が家に箔をつけようと、初代が神殿に金を積んで私に嫁がせたのだ。しかし聖女を金で売り買いしたと騒ぎになったので、マルトの母は聖女ではなかったことになった。それでも真実を知っている人間が、聖女のためにと我が家に便宜を図ってくれていた。なのに……お前なんかを引き取ったばっかりに」
「父さん……」
さまざまな想いがミュゲの胸に去来する。
聖女を娶っておきながら愛人を囲っていただけではなく、聖女の死後に愛人親娘を引き取るような真似をすれば、便宜を図ってくれていた人間にも見放されただろう。
だから男爵は愛人親娘を引き取らなかった。ミュゲが母を喪ってひとりになっても、マルトに言われるまでは放置していたのだ。
「で、でもッ! 聖女だからってアタシを呪ってないとは限らないでしょッ? 男達が見ていた悪夢は、あの女が見せていたものじゃないのッ?」
「美しい金髪の女性が両手で顔を覆い、肩を震わせているという夢か。お前を襲った男達はマルトだと思ったようだが、違う。マルトの金髪は真っ直ぐだった。夢の女の髪は波打っている」
「……父さんも夢を見ているの?」
「ああ、モイーズが死んだ日の夜からな」
そう言って、男爵はミュゲを見つめた。ミュゲがモイーズを殺したのかと聞かれたことはないものの、薄々勘付いていたのかもしれない。
「夢の女を見ていると囁きのようなものが聞こえてくる。男達はそれをマルトの恨み言と考えて、諸悪の根源であるお前を排除することで許してもらおうと思ったのだろうな。しかし……私はあれがマルトではないとわかっているから、囁きに惑わされはしない」
「あの女じゃなかったらだれなの?」
「歌姫かもしれない」
「歌姫?」
「モイーズの実母だ。息子と同じように『妖精のお気に入り』と呼ばれていた美しい天才歌姫だ。いつからか身持ちが悪くなり酒浸りになった。伯爵は酔いにつけ込まれただけだと言って、歌姫との愛人関係は否定していた。聖女の血を受け継ぐマルトの婚約者になることを条件に、夫人がモイーズを引き取ったんだ」
歌姫は酒毒で死んだ。
悪霊になっていてもおかしくない。
そう言って、男爵は再びミュゲを見つめた。
(知ってるのかしら。父さんはアタシがモイーズを殺したことを知ってるのかしら。だからモイーズの母親の悪霊に呪われても仕方がないと思ってるのかしら)
自慢の顔を傷つけられた今のミュゲは、父にまで見捨てられてしまったらお終いだ。
息を呑むミュゲに見つめられながら、男爵は溜息を漏らした。
「歌姫の悪霊だったなら、マルトの聖女の力でどうにか出来るに違いない。神殿へ手紙を書いておくよ。マルトは母親に似てお人好しだから浄霊を断らないだろうが、神殿は聖女の扱いに煩い。マルトが来ても余計な真似はするな」
「……わかったわ」
ミュゲは悔しかった。
自分が異母姉に頼らなくてはいけない状況にあることが。
モイーズが結局自分より彼女を選んでいたことが。
(せめて悪霊や呪っていたのがあの女なら、アタシの気も晴れたのに!)
いや、焦ることはない、とミュゲは閃いた。
歌姫の悪霊を浄化させた後で、真実を捻じ曲げて面白おかしく噂にしてやれば良い。
それはミュゲの得意技だ。利用出来るだけ利用したら、異母姉の聖女としての名声を地に落としてやろう。
(そういえば聖女って傷は治せるのかしら。強い酸性の液体を浴びせられたにしては治りが早いって、男爵家の主治医は言ってたけど……)
──父の男爵はすぐに神殿へ手紙を出してくれた。
そして、神殿から聖女を派遣すると返信があった日に、彼は狂った。
「聖女は、マルトは来る。だが……だが、あれは歌姫じゃない。歌姫じゃなかった! あれは人間じゃない! そもそもひとりの女でもないんだ。無数の光り輝くものが集まって、そう見せかけているだけなんだ。囁いてくるんじゃない。ヤツらは囀っているんだ、羽音を響かせているんだ……ああ、そこにもいるッ! 嫌だ! もう眠りたくないッ!」
まだ寝台にいたミュゲに神殿から返信があったと告げた後、男爵は叫び始めた。
叫びながら、彼は窓から飛び降りた。飛び降りようと思って、というよりも、なにかから逃げようとして飛び出した、という印象をミュゲは受けた。
ミュゲの部屋は二階で、地面に落ちた男爵の首はおかしな方向にねじ曲がっていた。
寝不足なのか、濃い隈の刻まれた顔で男爵は首を横に振った。
「マルトは悪霊になどなっていない。あの子は死んでいないのだから」
ミュゲは死ななかった。
顔に強い酸性の液体を浴びせられて皮膚が爛れてしまっただけだ。
眼球に浴びて失明しなかったぶん幸運だった。
「じゃあアタシに呪いかなんかかけてんのよおッ! 聖女を呼んでよッ!」
王都男爵邸の自室の寝台で、ミュゲは父である男爵に訴えた。
神殿には聖女がいると聞いたことがある。
聖女は人間の悪意を浄化する力を持ち、悪霊を消滅させることが出来るという。すべての時代にいたわけではないが、今はいるはずだ。その素性はいつの時代も明らかにはされていない。
「聖女は呪いも浄化出来るんでしょおッ?」
「……聖女はマルトだ」
「は?」
「マルトの母も聖女だった。出来たばかりの我が家に箔をつけようと、初代が神殿に金を積んで私に嫁がせたのだ。しかし聖女を金で売り買いしたと騒ぎになったので、マルトの母は聖女ではなかったことになった。それでも真実を知っている人間が、聖女のためにと我が家に便宜を図ってくれていた。なのに……お前なんかを引き取ったばっかりに」
「父さん……」
さまざまな想いがミュゲの胸に去来する。
聖女を娶っておきながら愛人を囲っていただけではなく、聖女の死後に愛人親娘を引き取るような真似をすれば、便宜を図ってくれていた人間にも見放されただろう。
だから男爵は愛人親娘を引き取らなかった。ミュゲが母を喪ってひとりになっても、マルトに言われるまでは放置していたのだ。
「で、でもッ! 聖女だからってアタシを呪ってないとは限らないでしょッ? 男達が見ていた悪夢は、あの女が見せていたものじゃないのッ?」
「美しい金髪の女性が両手で顔を覆い、肩を震わせているという夢か。お前を襲った男達はマルトだと思ったようだが、違う。マルトの金髪は真っ直ぐだった。夢の女の髪は波打っている」
「……父さんも夢を見ているの?」
「ああ、モイーズが死んだ日の夜からな」
そう言って、男爵はミュゲを見つめた。ミュゲがモイーズを殺したのかと聞かれたことはないものの、薄々勘付いていたのかもしれない。
「夢の女を見ていると囁きのようなものが聞こえてくる。男達はそれをマルトの恨み言と考えて、諸悪の根源であるお前を排除することで許してもらおうと思ったのだろうな。しかし……私はあれがマルトではないとわかっているから、囁きに惑わされはしない」
「あの女じゃなかったらだれなの?」
「歌姫かもしれない」
「歌姫?」
「モイーズの実母だ。息子と同じように『妖精のお気に入り』と呼ばれていた美しい天才歌姫だ。いつからか身持ちが悪くなり酒浸りになった。伯爵は酔いにつけ込まれただけだと言って、歌姫との愛人関係は否定していた。聖女の血を受け継ぐマルトの婚約者になることを条件に、夫人がモイーズを引き取ったんだ」
歌姫は酒毒で死んだ。
悪霊になっていてもおかしくない。
そう言って、男爵は再びミュゲを見つめた。
(知ってるのかしら。父さんはアタシがモイーズを殺したことを知ってるのかしら。だからモイーズの母親の悪霊に呪われても仕方がないと思ってるのかしら)
自慢の顔を傷つけられた今のミュゲは、父にまで見捨てられてしまったらお終いだ。
息を呑むミュゲに見つめられながら、男爵は溜息を漏らした。
「歌姫の悪霊だったなら、マルトの聖女の力でどうにか出来るに違いない。神殿へ手紙を書いておくよ。マルトは母親に似てお人好しだから浄霊を断らないだろうが、神殿は聖女の扱いに煩い。マルトが来ても余計な真似はするな」
「……わかったわ」
ミュゲは悔しかった。
自分が異母姉に頼らなくてはいけない状況にあることが。
モイーズが結局自分より彼女を選んでいたことが。
(せめて悪霊や呪っていたのがあの女なら、アタシの気も晴れたのに!)
いや、焦ることはない、とミュゲは閃いた。
歌姫の悪霊を浄化させた後で、真実を捻じ曲げて面白おかしく噂にしてやれば良い。
それはミュゲの得意技だ。利用出来るだけ利用したら、異母姉の聖女としての名声を地に落としてやろう。
(そういえば聖女って傷は治せるのかしら。強い酸性の液体を浴びせられたにしては治りが早いって、男爵家の主治医は言ってたけど……)
──父の男爵はすぐに神殿へ手紙を出してくれた。
そして、神殿から聖女を派遣すると返信があった日に、彼は狂った。
「聖女は、マルトは来る。だが……だが、あれは歌姫じゃない。歌姫じゃなかった! あれは人間じゃない! そもそもひとりの女でもないんだ。無数の光り輝くものが集まって、そう見せかけているだけなんだ。囁いてくるんじゃない。ヤツらは囀っているんだ、羽音を響かせているんだ……ああ、そこにもいるッ! 嫌だ! もう眠りたくないッ!」
まだ寝台にいたミュゲに神殿から返信があったと告げた後、男爵は叫び始めた。
叫びながら、彼は窓から飛び降りた。飛び降りようと思って、というよりも、なにかから逃げようとして飛び出した、という印象をミュゲは受けた。
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