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前編・グリンダ
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「お久しぶりです、グリンダ妃殿下」
離宮で暮らす私の元へ宰相のミハイルがやって来たのは、夫である先代国王アンドレイ陛下の崩御から一年ほど経ったころだった。
もうすぐ喪も明ける。
葬儀で会ったきりだから確かに久しぶりだ。
「もう妃ではありませんわ」
私は王太后ですらない。
亡夫の跡は愛妾の産んだ王子が継いだ。
愛妾は、学園の卒業パーティで私との婚約を破棄してまで結ばれようとしていた男爵令嬢のノイヴァ様ではない。彼女は婚約破棄の直後に謎の病気で亡くなった。
亡夫はノイヴァ様の死を私の仕業だと思い込んでいた。
私が殺したのだと、公衆の面前で叫んだことさえある。そうでなくても婚約破棄のとき、ありもしない私の悪行をまくし立てていた。──自分の隣でほくそ笑むノイヴァ様を強く抱き締めて。
彼は政治的な圧力に負けて結婚した後も私の寝室には寄り付かなかった。
私は青い空を見上げた。
亡夫のためと思って厳しい王妃教育に励んでいたときも、入学するなりノイヴァ様との恋に落ちた彼に在学中は自由恋愛をさせてくれと頼まれたときも、毒虫を見るような目で睨みつけられながら婚礼を終えたときも、空はいつも青かった。
「今日は良い天気ですね」
宰相ミハイルの言葉に頷く。
整った美しい顔をしているのに、彼の表情には生気がない。そうなったのはノイヴァ様が亡くなったころからだ。
もしかしたら彼も彼女を愛していたのかもしれない。この年になっても、だれからも愛されるノイヴァ様への嫉妬の気持ちが胸に湧き出てしまう。
ミハイルの表情が暗く見えるのは、曇った空のように暗い灰色の瞳のせいもあるだろうか。
空ならば、曇って雨が降った後には虹がかかるのに、彼の笑顔は見た記憶がない。
幼いときに婚約した亡夫と同じで、ミハイルとも子どものころからの付き合いなのに。
亡夫の前の国王陛下には実子がいらっしゃらなかった。
大公子息だった亡夫と公爵子息だったミハイル、亡夫が跡取りに選ばれたのは社交的な性格を見込まれたからだったという。
「そうですね。きっと……明日も良いお天気でしょうねえ」
私はどこで間違えたのだろう。
正しい道を歩んでいれば、きっと青空が美しく見えるのだろうに。
頭では美しい青空なのだと理解していても、心が反応しない。胸の中には空虚な穴が広がるばかりだ。最後に空の美しさを感じたのはいつだったかしら。
たぶん、それは──
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「……ひっ」
私は水晶玉から体を離した。
自分の胸に手を当てて、息を整えながら確認する。
私はグリンダ。この国の侯爵家のひとり娘。王太子のアンドレイ殿下の婚約者で、実家は分家の従兄弟が継ぐことになっている。先日貴族の子女と裕福な平民が通う学園に入学したばかりで、今日は王都で噂の占い師のところへやって来た。
水晶玉で未来を見せるという占い師のところへ学園の友達を誘わずに来たのは、どんな未来を見たのか聞かれるのが怖かったからだ。
そう、こんな未来を見ることは予測していた。だって学園に入ってからのアンドレイ殿下は、ノイヴァ様とばかり過ごしているのだもの。
この未来が真実ならば、在学中は自由恋愛をさせてくれと言われるのもすぐだろう。
私は唯一連れてきた侍女兼護衛の手を借りて椅子から立ち上がり、占い師に料金を支払って店舗代わりの天幕から出た。
全身を覆うマントのフードを目深に被っているので、私が侯爵令嬢グリンダだとはだれも気付かないはずだ。
侍女に支えられながら、私は帰路に就いた。
──そして翌日、未来の記憶の通り、学園に入学して以来ずっと私が恐れていた通り、アンドレイ殿下から在学中はノイヴァ様と自由恋愛をさせてくれという申し出があった。
そう言う彼の膝の上には、猫のようにしなやかなノイヴァ様が座っている。彼女は役員でもないのに、生徒会室に入り浸りだ。
こんな状態で、殿下の心を取り戻せると思っていた私が莫迦だったのね。
「……わかりました」
昨日占いで自分の末路を見ていなければ、きっと未来の記憶と同じように泣き叫んで抵抗していただろう。
私は、アンドレイ殿下を好きだったから。
幼いころ、初めてお会いしたときからずっと彼を慕っていたから。
その気持ちが一方通行だということに気づいたのは、もう随分前のことだ。
美しく陽気で社交的な王太子殿下に、侯爵令嬢であることだけが取り柄の地味な娘は相応しくない。
これからも水晶玉で見た通りになるのかはわからないけれど、少なくともここで泣き叫んでもどうしようもないことはわかる。
軽く目を見開いて驚いた表情になるアンドレイ殿下に微笑んで、私は呼び出されていた学園の生徒会室から廊下に出た。
廊下の窓から見える空は青く澄み渡っている。
でも美しいとは思えなかった。
……ああ、空の青さを美しく感じることができたのはいつが最後だったのかしら。
これからも空が美しいとは思えないだろう。
空はいつもアンドレイ殿下の瞳と同じ色なのだから。
離宮で暮らす私の元へ宰相のミハイルがやって来たのは、夫である先代国王アンドレイ陛下の崩御から一年ほど経ったころだった。
もうすぐ喪も明ける。
葬儀で会ったきりだから確かに久しぶりだ。
「もう妃ではありませんわ」
私は王太后ですらない。
亡夫の跡は愛妾の産んだ王子が継いだ。
愛妾は、学園の卒業パーティで私との婚約を破棄してまで結ばれようとしていた男爵令嬢のノイヴァ様ではない。彼女は婚約破棄の直後に謎の病気で亡くなった。
亡夫はノイヴァ様の死を私の仕業だと思い込んでいた。
私が殺したのだと、公衆の面前で叫んだことさえある。そうでなくても婚約破棄のとき、ありもしない私の悪行をまくし立てていた。──自分の隣でほくそ笑むノイヴァ様を強く抱き締めて。
彼は政治的な圧力に負けて結婚した後も私の寝室には寄り付かなかった。
私は青い空を見上げた。
亡夫のためと思って厳しい王妃教育に励んでいたときも、入学するなりノイヴァ様との恋に落ちた彼に在学中は自由恋愛をさせてくれと頼まれたときも、毒虫を見るような目で睨みつけられながら婚礼を終えたときも、空はいつも青かった。
「今日は良い天気ですね」
宰相ミハイルの言葉に頷く。
整った美しい顔をしているのに、彼の表情には生気がない。そうなったのはノイヴァ様が亡くなったころからだ。
もしかしたら彼も彼女を愛していたのかもしれない。この年になっても、だれからも愛されるノイヴァ様への嫉妬の気持ちが胸に湧き出てしまう。
ミハイルの表情が暗く見えるのは、曇った空のように暗い灰色の瞳のせいもあるだろうか。
空ならば、曇って雨が降った後には虹がかかるのに、彼の笑顔は見た記憶がない。
幼いときに婚約した亡夫と同じで、ミハイルとも子どものころからの付き合いなのに。
亡夫の前の国王陛下には実子がいらっしゃらなかった。
大公子息だった亡夫と公爵子息だったミハイル、亡夫が跡取りに選ばれたのは社交的な性格を見込まれたからだったという。
「そうですね。きっと……明日も良いお天気でしょうねえ」
私はどこで間違えたのだろう。
正しい道を歩んでいれば、きっと青空が美しく見えるのだろうに。
頭では美しい青空なのだと理解していても、心が反応しない。胸の中には空虚な穴が広がるばかりだ。最後に空の美しさを感じたのはいつだったかしら。
たぶん、それは──
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「……ひっ」
私は水晶玉から体を離した。
自分の胸に手を当てて、息を整えながら確認する。
私はグリンダ。この国の侯爵家のひとり娘。王太子のアンドレイ殿下の婚約者で、実家は分家の従兄弟が継ぐことになっている。先日貴族の子女と裕福な平民が通う学園に入学したばかりで、今日は王都で噂の占い師のところへやって来た。
水晶玉で未来を見せるという占い師のところへ学園の友達を誘わずに来たのは、どんな未来を見たのか聞かれるのが怖かったからだ。
そう、こんな未来を見ることは予測していた。だって学園に入ってからのアンドレイ殿下は、ノイヴァ様とばかり過ごしているのだもの。
この未来が真実ならば、在学中は自由恋愛をさせてくれと言われるのもすぐだろう。
私は唯一連れてきた侍女兼護衛の手を借りて椅子から立ち上がり、占い師に料金を支払って店舗代わりの天幕から出た。
全身を覆うマントのフードを目深に被っているので、私が侯爵令嬢グリンダだとはだれも気付かないはずだ。
侍女に支えられながら、私は帰路に就いた。
──そして翌日、未来の記憶の通り、学園に入学して以来ずっと私が恐れていた通り、アンドレイ殿下から在学中はノイヴァ様と自由恋愛をさせてくれという申し出があった。
そう言う彼の膝の上には、猫のようにしなやかなノイヴァ様が座っている。彼女は役員でもないのに、生徒会室に入り浸りだ。
こんな状態で、殿下の心を取り戻せると思っていた私が莫迦だったのね。
「……わかりました」
昨日占いで自分の末路を見ていなければ、きっと未来の記憶と同じように泣き叫んで抵抗していただろう。
私は、アンドレイ殿下を好きだったから。
幼いころ、初めてお会いしたときからずっと彼を慕っていたから。
その気持ちが一方通行だということに気づいたのは、もう随分前のことだ。
美しく陽気で社交的な王太子殿下に、侯爵令嬢であることだけが取り柄の地味な娘は相応しくない。
これからも水晶玉で見た通りになるのかはわからないけれど、少なくともここで泣き叫んでもどうしようもないことはわかる。
軽く目を見開いて驚いた表情になるアンドレイ殿下に微笑んで、私は呼び出されていた学園の生徒会室から廊下に出た。
廊下の窓から見える空は青く澄み渡っている。
でも美しいとは思えなかった。
……ああ、空の青さを美しく感じることができたのはいつが最後だったのかしら。
これからも空が美しいとは思えないだろう。
空はいつもアンドレイ殿下の瞳と同じ色なのだから。
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