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第四話 侯爵家当主の言い分
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「謹んでお断りいたします」
王宮へ召喚されたフィヒター侯爵は大広間で、国王ベンヤミンを前にして言った。
彼は数ヶ月前のハイニヒェン辺境伯と同じように兜だけ外した全身鎧姿で、侯爵家の騎士達も武装を解いていない。フィヒター侯爵家は、ハイニヒェン辺境伯家と並ぶ辺境貴族の両雄だ。
予想していた答えとはいえ、溜息を漏らしたくなるのを堪えてベンヤミンは問う。
「なぜだ、フィヒター侯爵。三年前の大寒波で奥方を亡くしてから、そのほうはずっと独り身ではないか。わしの姪を後添いに迎えることのなにが不満だ」
「いくら私が老いているとはいえ、若い娘を与えられればすぐに飛びつくほど単純ではありません。ましてや尊き方のお気に入りなど恐れ多くて賜れません」
「……」
物事というのは始めるときはもちろん、終えるときにも金がかかる。
ベンヤミンは最初、王太子と辺境伯令嬢でおこなうはずだった結婚式を花嫁をすげ替えることで続行しようとした。しかし、新しい花嫁に名乗りを上げる者はいなかった。
辺境伯令嬢が婚約破棄の内情を言い触らしたわけではない。リューゲの腹が日に日に膨らんで、誤魔化しようがなくなって来たのだ。
王家に金がないことはだれもが知っている。
国母になるどころか、ほかの女が産んだ子どもを押し付けられかねない。
自分になんの利もない縁談を受ける家はなかった。聖王に圧力をかけてもらおうにも、彼はほかの大神官達に罷免を要求されている状況なので目立つことは出来ない。にもかかわらず、罷免要求への恐怖から酒に溺れているとも聞くが。
追い詰められたベンヤミンは自分がしなくてはいけないことに気づいた。
本当は最初からしなくてはいけないこと──王太子と姪を引き離し、姪をどこかへ嫁がせることだ。ふたりの想いを消させるのは難しいにしても、とりあえず直接会えなくしておけば少しはマシだろう。
新しい花嫁はそれから決めれば良い。結婚式を取り止めたことで、少なかった王家の財産はさらに減っていた。
リューゲの嫁ぎ先としてフィヒター侯爵家を選んだのは、ある意味意趣返し。
以前のハイニヒェン辺境伯家への慰謝料は、令嬢ヘレナと侯爵家長男テオの結婚の許可だけではなかった。辺境貴族同士での結婚の自由──辺境伯家分家令嬢モニカと侯爵家次男トビアス、そのほかの結婚をもベンヤミンは認めさせられていた。
ヘレナとモニカのどちらが侯爵家へ嫁ぐかは未定だが、口では老いているというものの男盛りのフィヒター侯爵が王太子の子どもを出産後のリューゲを身籠らせれば、多少は辺境貴族達の将来を引っ掻き回すことが出来るだろう。
リューゲはもう説得済みだ。
姪の実家を救えなかったことへの罪悪感や彼女への肉親としての愛情はあるけれど、自分の立場も考えずに政略的な婚約者のいる王太子と関係を持った行為を許すことは出来なかった。
怒り狂った王太子は自室に閉じ込めている。愛する息子を王にするにはリューゲを妻にさせるわけにはいかない。後ろ盾になる実家を持ち、神殿に祝福される正妻が必要なのだ。
とはいえ、ベンヤミンの悪だくみはあっさりと瓦解した。
「確かに我が妻レーアは、王家からのご支援にもかかわらず大寒波を乗り越えられなかったフィヒター侯爵家の不徳にて命を落としておりますが、レーアの息子は生きております。長男のテオと次男のトビアス、ふたりとも自慢の息子です。どちらが次代の当主となっても、フィヒター侯爵家をこれまで以上に発展させることでしょう」
「……」
フィヒター侯爵の持って回った嫌味に震えるベンヤミンに、彼は言葉を続ける。
「我が家の跡取りは十分です。この状態で尊い王家の血を引く女性を母に持つ子どもが加わったりした日には無駄なお家騒動が起こり、平和な王国に血の嵐が巻き起こることでしょう。王家に忠誠を誓うフィヒター侯爵家の当主として、そんな未来は看過出来ません」
「そうか……」
ベンヤミンは言葉を絞り出す。
「フィヒター侯爵の忠誠、嬉しく思うぞ。余計な世話を焼いてすまなかったな」
「いいえ、我が子を思う気持ちは陛下も我らも変わりなきものでございます」
「ああ、そうだな」
王国に血の嵐を巻き起こすのは正当な跡取りである長男次男を担ぐだれかなのか、リューゲが産むかも知れない子どもを担ぐだれかなのか──王太子のために問題のある女を押し付けようとした王家に怒りを覚えたフィヒター侯爵自身なのかはわからない。
だが、ここで引けないようでは国王としてやってはいけない。
王家の直臣である領地を持たない中央貴族は文官が主で、ここでフィヒター侯爵とその騎士達が暴れ出しても止められる者はいないことはわかっていた。近衛騎士だって、四季を問わず時間を問わず魔獣の森と対峙し、戦いに明け暮れている辺境貴族相手では赤子のようなものなのだ。
王宮へ召喚されたフィヒター侯爵は大広間で、国王ベンヤミンを前にして言った。
彼は数ヶ月前のハイニヒェン辺境伯と同じように兜だけ外した全身鎧姿で、侯爵家の騎士達も武装を解いていない。フィヒター侯爵家は、ハイニヒェン辺境伯家と並ぶ辺境貴族の両雄だ。
予想していた答えとはいえ、溜息を漏らしたくなるのを堪えてベンヤミンは問う。
「なぜだ、フィヒター侯爵。三年前の大寒波で奥方を亡くしてから、そのほうはずっと独り身ではないか。わしの姪を後添いに迎えることのなにが不満だ」
「いくら私が老いているとはいえ、若い娘を与えられればすぐに飛びつくほど単純ではありません。ましてや尊き方のお気に入りなど恐れ多くて賜れません」
「……」
物事というのは始めるときはもちろん、終えるときにも金がかかる。
ベンヤミンは最初、王太子と辺境伯令嬢でおこなうはずだった結婚式を花嫁をすげ替えることで続行しようとした。しかし、新しい花嫁に名乗りを上げる者はいなかった。
辺境伯令嬢が婚約破棄の内情を言い触らしたわけではない。リューゲの腹が日に日に膨らんで、誤魔化しようがなくなって来たのだ。
王家に金がないことはだれもが知っている。
国母になるどころか、ほかの女が産んだ子どもを押し付けられかねない。
自分になんの利もない縁談を受ける家はなかった。聖王に圧力をかけてもらおうにも、彼はほかの大神官達に罷免を要求されている状況なので目立つことは出来ない。にもかかわらず、罷免要求への恐怖から酒に溺れているとも聞くが。
追い詰められたベンヤミンは自分がしなくてはいけないことに気づいた。
本当は最初からしなくてはいけないこと──王太子と姪を引き離し、姪をどこかへ嫁がせることだ。ふたりの想いを消させるのは難しいにしても、とりあえず直接会えなくしておけば少しはマシだろう。
新しい花嫁はそれから決めれば良い。結婚式を取り止めたことで、少なかった王家の財産はさらに減っていた。
リューゲの嫁ぎ先としてフィヒター侯爵家を選んだのは、ある意味意趣返し。
以前のハイニヒェン辺境伯家への慰謝料は、令嬢ヘレナと侯爵家長男テオの結婚の許可だけではなかった。辺境貴族同士での結婚の自由──辺境伯家分家令嬢モニカと侯爵家次男トビアス、そのほかの結婚をもベンヤミンは認めさせられていた。
ヘレナとモニカのどちらが侯爵家へ嫁ぐかは未定だが、口では老いているというものの男盛りのフィヒター侯爵が王太子の子どもを出産後のリューゲを身籠らせれば、多少は辺境貴族達の将来を引っ掻き回すことが出来るだろう。
リューゲはもう説得済みだ。
姪の実家を救えなかったことへの罪悪感や彼女への肉親としての愛情はあるけれど、自分の立場も考えずに政略的な婚約者のいる王太子と関係を持った行為を許すことは出来なかった。
怒り狂った王太子は自室に閉じ込めている。愛する息子を王にするにはリューゲを妻にさせるわけにはいかない。後ろ盾になる実家を持ち、神殿に祝福される正妻が必要なのだ。
とはいえ、ベンヤミンの悪だくみはあっさりと瓦解した。
「確かに我が妻レーアは、王家からのご支援にもかかわらず大寒波を乗り越えられなかったフィヒター侯爵家の不徳にて命を落としておりますが、レーアの息子は生きております。長男のテオと次男のトビアス、ふたりとも自慢の息子です。どちらが次代の当主となっても、フィヒター侯爵家をこれまで以上に発展させることでしょう」
「……」
フィヒター侯爵の持って回った嫌味に震えるベンヤミンに、彼は言葉を続ける。
「我が家の跡取りは十分です。この状態で尊い王家の血を引く女性を母に持つ子どもが加わったりした日には無駄なお家騒動が起こり、平和な王国に血の嵐が巻き起こることでしょう。王家に忠誠を誓うフィヒター侯爵家の当主として、そんな未来は看過出来ません」
「そうか……」
ベンヤミンは言葉を絞り出す。
「フィヒター侯爵の忠誠、嬉しく思うぞ。余計な世話を焼いてすまなかったな」
「いいえ、我が子を思う気持ちは陛下も我らも変わりなきものでございます」
「ああ、そうだな」
王国に血の嵐を巻き起こすのは正当な跡取りである長男次男を担ぐだれかなのか、リューゲが産むかも知れない子どもを担ぐだれかなのか──王太子のために問題のある女を押し付けようとした王家に怒りを覚えたフィヒター侯爵自身なのかはわからない。
だが、ここで引けないようでは国王としてやってはいけない。
王家の直臣である領地を持たない中央貴族は文官が主で、ここでフィヒター侯爵とその騎士達が暴れ出しても止められる者はいないことはわかっていた。近衛騎士だって、四季を問わず時間を問わず魔獣の森と対峙し、戦いに明け暮れている辺境貴族相手では赤子のようなものなのだ。
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