もしも嫌いになれたなら

豆狸

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第一話 彼は助かった。

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 私、公爵令嬢シャルロットが十二歳の年、伯爵領で疫病が流行りました。
 いえ、今流行っています。
 領主の伯爵家を始めとする貴族の被害が多かったのは、庶民が口にするお腹を膨らませるためだけの苦い豆を食べていなかったからだとわかったのは、これから十年後のことです。

 私は二十二歳の愛されない王太子妃で、夫の最愛を害したとして処刑される直前でした。
 その後すぐに処刑されましたし、どちらにしろ疫病は収まった後だったので、この情報を活かすことは出来ませんでした。
 でも今は、今ならこの情報を活かすことが出来ます。

 十二歳の私は領地の公爵邸で、伯爵領から戻った父を待っていました。
 苦い豆が予防や治療に効果があるとしても、気を付けるに越したことはありません。
 父は服を替え、体を洗ってから私のところへ来てくれるのです。

「シャルロット!」

 二階にある自室の窓から、父が乗っていた馬が洗われているのを眺めていたら、父が飛び込んできました。勢いのまま私を抱き締めます。

「僕の宝物、守護女神様の愛し子! 君のおかげで多くの人間が救われたよ。重症だった伯爵家の人間にも死者は出なかった」
「ファビアン様もご無事ですか」
「ああ、伯爵子息は予防が間に合って罹患自体しなかった」
「良かった。ではファビアン様がやまいの後遺症に苦しまれることもありませんね」
「……」

 父は黙って、じっと私を見つめました。

「お父様?」
「シャルロット、もしかして君は伯爵子息のファビアン君が好きなのかい? 我が家とは領地は遠いし、身分が違うから子どもだけのお茶会で会うこともない。この王国の貴族子女が人脈作りのために通う学園に入学するのは、三年も先の話だ。一体どこで彼のことを知ったのかな?」

 私と同じ色の瞳に、私が映っています。
 本当のことを話しても父は力を貸してくれるでしょう。
 これまでの経験からわかっています。だけど、でも……

「……王宮で」
「王宮で? 王太子殿下の側近候補だったっけ」

 私は頷きました。
 それも嘘ではないのです。
 側近候補の書類の中には、確かに伯爵子息のファビアン様のものもありました。

「王妃様の派閥なので外されてしまいましたが、それでも優秀な方だとお見受けしました。今後のことを考えると、殿下のためにも派閥を越えて恩を売っておいたほうが良いと判断したのです」

 私の婚約者のジョゼ王太子殿下は第一王子ではあるものの、側妃様のお子様です。
 側妃様は身分の低い家の出だったので、殿下には大きな後ろ盾がありません。
 公爵令嬢の私との婚約は、側妃様を溺愛していた国王陛下が、ジョゼ殿下に確かな後ろ盾を与えたくて強行したものでした。

「今後のことか。僕の可愛いお姫様は、あまりにも大人で驚いてしまうね。王太子殿下の婚約者になったからって、そんなに急いで成長しなくても良いんだよ。父様はもっと甘えて欲しいんだけどな」
「甘えていますわ。派閥の違う貴族家に助けを送るなんて無茶、お父様にしかお願い出来ませんもの!」

 逞しい腕の中で、私も自分から父を抱き締め返しました。大きな手が、優しく私の髪を撫でてくれます。

「まあ疫病はなにがきっかけで広がるかわからない。侯爵領と離れているからって、楽観視して良いことではなかったからね」

 我が家は側妃様の派閥ということになっています。
 実際の立ち位置は中立派になると思います。
 父が遠縁の国王陛下に泣きつかれて、仕方なく側妃様の派閥に名を連ねていたのです。国内の貴族すべてが王妃様の派閥に入って国王陛下を追い落とすような真似をしていたら、国が乱れてしまいますものね。

 国王陛下に溺愛されて、第一王子のジョゼ殿下をお産みになった側妃様は、一年前にお亡くなりになりました。
 私と殿下の婚約が結ばれた直後でした。
 もとから側妃様にだけ愛を注いでいらした陛下は、殿下への関心を失ってしまわれたように見えます。側妃様の機嫌を取るために守護女神様の加護をジョゼ殿下に与えていただき、公爵令嬢の私を婚約者にして立太子したことを今では後悔しているかのようなのです。

 今さらです。

 隣国の王女である王妃様のお産みになられた第二王子殿下のほうが正当な血筋で、守護女神様の加護を受けなくても王太子として問題の無い立場でいらしたことなど、側妃様に夢中だった陛下以外のすべての人間が知っていました。
 それでもジョゼ殿下は王太子なのです。
 殿下が幸せになるためには王太子でなければならないのです。

「……シャルロット。実はね、父様は王国でもかなりの実力者なんだ。国王陛下が泣きついて来たのだって、僕の力を必要としたからなんだ。だからね、もし君がファビアン君を慕っているのなら、王太子殿下との婚約を白紙撤回して、彼との婚約を結び直すことも可能だよ?」
「ファビアン様には子爵令嬢のテナシテ様という婚約者がいらっしゃいますわ」
「そんなことまで知っていたのかい。僕のお姫様はどこまで頭が良いのだろうね。でもあれはテナシテ嬢が領境の森で迷って伯爵領へ入り込み、野犬に襲われていたのを守り切れずに傷つけてしまったからといって、ファビアン君の善意で結ばれた婚約なんだ」

 何度繰り返していても知らないことが出てきます。
 ファビアン様の婚約の顛末は、貴族の大人の間では常識だったのでしょう。
 だからこそ、わざわざ子どもに話すようなことではないと見做されていたのに違いありません。
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