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第一話 貴方はいつも彼女を見ている
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王太子ヨアニス殿下の瞳は、いつも彼女を映している。
燃え上がる炎のように赤い髪の私ではなく、淡雪のように儚げな白金の髪の彼女のことを。
私はスクリヴァ公爵令嬢リディア。ヨアニス殿下の婚約者だ。
「……殿下」
貴族子女の通う学園の昼休み、高位貴族にだけ許された屋外喫茶の一席で、私は彼を窘めた。胸に渦巻く嫉妬の炎は飲み込んで。
「また彼女のことをご覧になっています。人の口に戸は立てられません。面白おかしい醜聞を広められたとき、傷つくのはプセマ様ですわ」
蜂蜜色の金の髪を揺らして緑色の瞳がこちらへ向くけれど、私を映すことはない。彼が見つめるのは彼女だけ。
「わかっているよ。婚約者の君を裏切るようなことはしていない。……ただ心が……」
「殿下が心の中で想うことにまで注文をつける気はございません。ほかの方の目に入らぬようお控えくださいとお願いしているだけですわ」
本当は目の前に婚約者の私がいるのに、ほかの女性のことを想っているだけで裏切りだ。
私の後ろに立つ侍女からは怒りの空気が漂って来るし、殿下の後ろの近衛騎士も不機嫌そうな顔をしている。
いや、近衛騎士のアカマースはもとからこの顔だ。造作自体は悪くないのだが、仕事柄いつも周囲を威圧するかのように眉間に皺を寄せているので、どうしても厳つい仏頂面に見えてしまうのである。
「そうだね。……ごめん、リディア」
小さな声で謝って、悲し気に微笑んだ殿下は昼食の後のお茶を飲み始めた。
謝られても仕方がない。
私は知っているのだ。婚約者の私ではなく彼女、ハジダキス男爵令嬢プセマ様のほうが殿下の運命の相手なのだと。
海に面したこの国の王妃様は十三年前、三人目の王子殿下をお産みになった後、肥立ちが悪くてお亡くなりになった。跡取りは十分にいるとおっしゃって国王陛下は後添えを拒み、今もおひとりで公務に励まれている。
私と殿下の婚約が結ばれたのは、その翌年のことだ。
国王陛下が、母を亡くした第一王子ヨアニス殿下の支えとなる存在を欲したのである。もちろん政治的な理由も多分にあった。
亡くなられた王妃様と国王陛下も幼いころからの婚約者だった。
婚約者として引き合わされる前におふたりは偶然出会っていて、そのことを運命だとおっしゃっていた。政略結婚とは思えないほど仲睦まじくなさっていた。
まだ幼い第二王子や生まれたばかりの第三王子と違い、ある程度成長していた第一王子のヨアニス殿下は、生前の王妃様にその話を聞いていた。幼いながらも、いいえ、幼いからこそ、ご両親のような運命の出会いに憧れていた。
──その日、六歳だった私と同い年の殿下は、お忍びで王都の下町へ行くことになった。
第一王子殿下と公爵令嬢だ。
ふたりともお出かけ自体が初めてで浮かれていた。
海に面したこの国の都で潮風の香りに包まれて出会うことが出来たなら、きっとその出会いは運命の出会いになっただろう。
だけどその日、殿下が出会ったのは私ではなかった。
ハジダキス男爵の愛人だった母親が亡くなる前で、下町で暮らしていたころのプセマ様だったのだ。
私達の運命の出会いは、スクリヴァ公爵である父と国王陛下が計画したニセモノの運命だった。どうやら陛下と王妃様の出会いもそうだったらしい。
ニセモノの運命が本物に勝てるわけがない。
六歳のヨアニス殿下は同い年のプセマ様に恋をした。私が野良猫に引っ掻かれて、泣きながら王都にあるスクリヴァ公爵邸へ戻っていたころに。
父と陛下は慌てて予定を繰り上げて、私達を婚約者として顔合わせさせた。
蜂蜜色の金の髪に緑の瞳、美しくて優しい王子様に、私は一目で恋をした。
彼がすでに私以外の運命を見つけていたことになど気づきもせずに──
燃え上がる炎のように赤い髪の私ではなく、淡雪のように儚げな白金の髪の彼女のことを。
私はスクリヴァ公爵令嬢リディア。ヨアニス殿下の婚約者だ。
「……殿下」
貴族子女の通う学園の昼休み、高位貴族にだけ許された屋外喫茶の一席で、私は彼を窘めた。胸に渦巻く嫉妬の炎は飲み込んで。
「また彼女のことをご覧になっています。人の口に戸は立てられません。面白おかしい醜聞を広められたとき、傷つくのはプセマ様ですわ」
蜂蜜色の金の髪を揺らして緑色の瞳がこちらへ向くけれど、私を映すことはない。彼が見つめるのは彼女だけ。
「わかっているよ。婚約者の君を裏切るようなことはしていない。……ただ心が……」
「殿下が心の中で想うことにまで注文をつける気はございません。ほかの方の目に入らぬようお控えくださいとお願いしているだけですわ」
本当は目の前に婚約者の私がいるのに、ほかの女性のことを想っているだけで裏切りだ。
私の後ろに立つ侍女からは怒りの空気が漂って来るし、殿下の後ろの近衛騎士も不機嫌そうな顔をしている。
いや、近衛騎士のアカマースはもとからこの顔だ。造作自体は悪くないのだが、仕事柄いつも周囲を威圧するかのように眉間に皺を寄せているので、どうしても厳つい仏頂面に見えてしまうのである。
「そうだね。……ごめん、リディア」
小さな声で謝って、悲し気に微笑んだ殿下は昼食の後のお茶を飲み始めた。
謝られても仕方がない。
私は知っているのだ。婚約者の私ではなく彼女、ハジダキス男爵令嬢プセマ様のほうが殿下の運命の相手なのだと。
海に面したこの国の王妃様は十三年前、三人目の王子殿下をお産みになった後、肥立ちが悪くてお亡くなりになった。跡取りは十分にいるとおっしゃって国王陛下は後添えを拒み、今もおひとりで公務に励まれている。
私と殿下の婚約が結ばれたのは、その翌年のことだ。
国王陛下が、母を亡くした第一王子ヨアニス殿下の支えとなる存在を欲したのである。もちろん政治的な理由も多分にあった。
亡くなられた王妃様と国王陛下も幼いころからの婚約者だった。
婚約者として引き合わされる前におふたりは偶然出会っていて、そのことを運命だとおっしゃっていた。政略結婚とは思えないほど仲睦まじくなさっていた。
まだ幼い第二王子や生まれたばかりの第三王子と違い、ある程度成長していた第一王子のヨアニス殿下は、生前の王妃様にその話を聞いていた。幼いながらも、いいえ、幼いからこそ、ご両親のような運命の出会いに憧れていた。
──その日、六歳だった私と同い年の殿下は、お忍びで王都の下町へ行くことになった。
第一王子殿下と公爵令嬢だ。
ふたりともお出かけ自体が初めてで浮かれていた。
海に面したこの国の都で潮風の香りに包まれて出会うことが出来たなら、きっとその出会いは運命の出会いになっただろう。
だけどその日、殿下が出会ったのは私ではなかった。
ハジダキス男爵の愛人だった母親が亡くなる前で、下町で暮らしていたころのプセマ様だったのだ。
私達の運命の出会いは、スクリヴァ公爵である父と国王陛下が計画したニセモノの運命だった。どうやら陛下と王妃様の出会いもそうだったらしい。
ニセモノの運命が本物に勝てるわけがない。
六歳のヨアニス殿下は同い年のプセマ様に恋をした。私が野良猫に引っ掻かれて、泣きながら王都にあるスクリヴァ公爵邸へ戻っていたころに。
父と陛下は慌てて予定を繰り上げて、私達を婚約者として顔合わせさせた。
蜂蜜色の金の髪に緑の瞳、美しくて優しい王子様に、私は一目で恋をした。
彼がすでに私以外の運命を見つけていたことになど気づきもせずに──
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