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第一話 エベール
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貴族の子女が通う学園を卒業して、そろそろ一年が経つ。
エベールは王都のプロン伯爵邸にある自室で酒杯を傾けていた。
本来なら婚約者であるフェール子爵家のアメリとの結婚準備が進んでいるころだが、それはおこなわれていなかった。エベールにはほかに愛する女性がいるのだ。
「くそっ!」
彼女のことを思い出すと怒りが沸き上がり、エベールは酒杯を床に叩きつけた。
「アメリのせいだ。アメリがランキュヌを追い出したから!」
エベールの愛した女性は、彼が学園の最終学年だったときに家へ来た下働きの少女だった。
貧しい生まれで、すでに両親もいないのに、いつも明るく元気な少女だった。だれに対しても優しく思いやり深かったので、だれからも愛された。
裕福なフェール子爵家に生まれ、両親や兄に愛されながら、いつも目を吊り上げて文句ばかり言っていたアメリとはまるで違う彼女に、エベールは恋をした。
しかし、ランキュヌはもういない。
伯爵邸から追い出されてしまったのだ。
アメリのせいだ、とエベールは怒りを濃くする。アメリが婚約者面してエベールとランキュヌのことを伯爵夫妻に言いつけたせいである、と。
爵位こそ高いものの、プロン伯爵家は裕福なフェール子爵家に借金があった。
だから婚約を破棄出来なかったのだ。
今もエベールはプロン伯爵家に縛り付けられている。フェール子爵家からの援助が絞られたため、ランキュヌを探すための資金もなかった。
いつものように家で燻ぶるエベールのもとに、使用人が客の訪問を伝えに来た。
「エベール様、アルテュール様がお越しです」
「アルテュールが?」
アルテュールはエベールの幼馴染だ。
エタン子爵家の次男で本来なら継ぐ家はなかったが、学園在学時に武闘大会で活躍したのが認められて、近衛騎士の座を射止めた。一代限りの騎士爵位も与えられているはずだ。
王太子に気に入られて、今は王太子専属の近衛騎士として活躍していた。
会うのは久しぶりだ。
学園で婚約者のアメリに対する態度を窘められてから距離を置いていた。
今はもう、昔なにを話していたのかも思い出せない。
「会いたい気分じゃない」
「さようでございますか。……エベール様がそうおっしゃったなら、こう伝えるようにと言いつかっております」
「ん?」
「エベール様の探し物を見つけた、とのことです」
エベールは座っていた揺り椅子から立ち上がった。
自分の探し物はただひとつしかない。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
男ふたりで馬車に乗って、辿り着いたのは下町の神殿だった。
だれかの結婚式なのだろう。
多くの人が神殿の前に集まっている。しばらくすると神殿の扉が開いて、一組の男女が現れた。
「ランキュヌ……」
エベールの瞳に花嫁衣装を纏ったかつての恋人の姿が映る。
彼女の隣には、自分より年嵩で頭の回りそうな男が立っていた。
アルテュールが口を開く。
「フェール子爵家からの援助を失いたくない君の両親に手切れ金を渡されて追い出されてから、下町の神殿で手伝いをして暮らしていたらしい。あの女はだれからも愛される性格だから、すぐに男が出来てこうした運びとなったわけだ」
少し棘のある言い方だったが、エベールはそれを自分なりの解釈をして受け取った。
プロン伯爵邸を追い出されても世を恨むことなく神殿で人のために尽くし、新しく愛する人間を見つけた。ランキュヌは自分との愛を昇華して新しい人生を歩もうとしているのだ、と。
嫉妬はあったが、一年間の別離がそれを飲み込ませてくれた。
「彼女は新しい人生を見つけたんだな」
「そういうことだ」
「ありがとう、アルテュール」
エベールの中でランキュヌのことに対する区切りがついた。
彼女を取り戻すことは出来ない。彼女を愛すればこそ、取り戻してはいけないのだ。
それこそが真実の愛の証明なのだと、エベールは思った。
ランキュヌのことに区切りがつくと、アメリのことが思い出されてきた。
考えてみれば、アメリは最初から目を吊り上げて文句ばかり言う女性ではなかった。
婚約者のエベールがほかの女性を愛するようになったから、嫉妬に狂ってそんな風になってしまったのだ。
アメリとは幼馴染だった。
借金だらけのプロン伯爵家がフェール子爵家からの援助を受けていたこともあったけれど、エベールとアメリの仲が良かったから婚約が結ばれたのだ。楽しい思い出もたくさんある。
エベールの胸に、彼女への罪悪感が満ち溢れた。
ランキュヌを愛するようになってからは、アメリのすべてが嫌になった。
婚約の解消を決めるのはアメリではなく両家の当主なのに、すべてを彼女のせいにして自分を金で買う気なのだと罵った。それも学園で、人前でだ。
羞恥で顔が熱くなる。
アメリはどんなに辛い思いをしたことだろう。
爵位の割に裕福なフェール子爵家を妬むものは多かった。エベールの暴言に便乗して彼女を傷つけるものもいただろう。
そんな人間からフェール子爵家を守るのが援助を受けているプロン伯爵家の役目だったのに、婚約者である自分が守るどころか傷つけていたのではどうしようもない。
「アルテュール。すまないが帰りにフェール子爵邸に寄ってもらえないか? アメリに謝罪する。結婚準備も進めてくれるよう言うよ。これからはアメリを大切にして生きていこうと思う」
アルテュールは微笑んで言った。
「エベール。そんなことが許されるわけないだろう?」
エベールは王都のプロン伯爵邸にある自室で酒杯を傾けていた。
本来なら婚約者であるフェール子爵家のアメリとの結婚準備が進んでいるころだが、それはおこなわれていなかった。エベールにはほかに愛する女性がいるのだ。
「くそっ!」
彼女のことを思い出すと怒りが沸き上がり、エベールは酒杯を床に叩きつけた。
「アメリのせいだ。アメリがランキュヌを追い出したから!」
エベールの愛した女性は、彼が学園の最終学年だったときに家へ来た下働きの少女だった。
貧しい生まれで、すでに両親もいないのに、いつも明るく元気な少女だった。だれに対しても優しく思いやり深かったので、だれからも愛された。
裕福なフェール子爵家に生まれ、両親や兄に愛されながら、いつも目を吊り上げて文句ばかり言っていたアメリとはまるで違う彼女に、エベールは恋をした。
しかし、ランキュヌはもういない。
伯爵邸から追い出されてしまったのだ。
アメリのせいだ、とエベールは怒りを濃くする。アメリが婚約者面してエベールとランキュヌのことを伯爵夫妻に言いつけたせいである、と。
爵位こそ高いものの、プロン伯爵家は裕福なフェール子爵家に借金があった。
だから婚約を破棄出来なかったのだ。
今もエベールはプロン伯爵家に縛り付けられている。フェール子爵家からの援助が絞られたため、ランキュヌを探すための資金もなかった。
いつものように家で燻ぶるエベールのもとに、使用人が客の訪問を伝えに来た。
「エベール様、アルテュール様がお越しです」
「アルテュールが?」
アルテュールはエベールの幼馴染だ。
エタン子爵家の次男で本来なら継ぐ家はなかったが、学園在学時に武闘大会で活躍したのが認められて、近衛騎士の座を射止めた。一代限りの騎士爵位も与えられているはずだ。
王太子に気に入られて、今は王太子専属の近衛騎士として活躍していた。
会うのは久しぶりだ。
学園で婚約者のアメリに対する態度を窘められてから距離を置いていた。
今はもう、昔なにを話していたのかも思い出せない。
「会いたい気分じゃない」
「さようでございますか。……エベール様がそうおっしゃったなら、こう伝えるようにと言いつかっております」
「ん?」
「エベール様の探し物を見つけた、とのことです」
エベールは座っていた揺り椅子から立ち上がった。
自分の探し物はただひとつしかない。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
男ふたりで馬車に乗って、辿り着いたのは下町の神殿だった。
だれかの結婚式なのだろう。
多くの人が神殿の前に集まっている。しばらくすると神殿の扉が開いて、一組の男女が現れた。
「ランキュヌ……」
エベールの瞳に花嫁衣装を纏ったかつての恋人の姿が映る。
彼女の隣には、自分より年嵩で頭の回りそうな男が立っていた。
アルテュールが口を開く。
「フェール子爵家からの援助を失いたくない君の両親に手切れ金を渡されて追い出されてから、下町の神殿で手伝いをして暮らしていたらしい。あの女はだれからも愛される性格だから、すぐに男が出来てこうした運びとなったわけだ」
少し棘のある言い方だったが、エベールはそれを自分なりの解釈をして受け取った。
プロン伯爵邸を追い出されても世を恨むことなく神殿で人のために尽くし、新しく愛する人間を見つけた。ランキュヌは自分との愛を昇華して新しい人生を歩もうとしているのだ、と。
嫉妬はあったが、一年間の別離がそれを飲み込ませてくれた。
「彼女は新しい人生を見つけたんだな」
「そういうことだ」
「ありがとう、アルテュール」
エベールの中でランキュヌのことに対する区切りがついた。
彼女を取り戻すことは出来ない。彼女を愛すればこそ、取り戻してはいけないのだ。
それこそが真実の愛の証明なのだと、エベールは思った。
ランキュヌのことに区切りがつくと、アメリのことが思い出されてきた。
考えてみれば、アメリは最初から目を吊り上げて文句ばかり言う女性ではなかった。
婚約者のエベールがほかの女性を愛するようになったから、嫉妬に狂ってそんな風になってしまったのだ。
アメリとは幼馴染だった。
借金だらけのプロン伯爵家がフェール子爵家からの援助を受けていたこともあったけれど、エベールとアメリの仲が良かったから婚約が結ばれたのだ。楽しい思い出もたくさんある。
エベールの胸に、彼女への罪悪感が満ち溢れた。
ランキュヌを愛するようになってからは、アメリのすべてが嫌になった。
婚約の解消を決めるのはアメリではなく両家の当主なのに、すべてを彼女のせいにして自分を金で買う気なのだと罵った。それも学園で、人前でだ。
羞恥で顔が熱くなる。
アメリはどんなに辛い思いをしたことだろう。
爵位の割に裕福なフェール子爵家を妬むものは多かった。エベールの暴言に便乗して彼女を傷つけるものもいただろう。
そんな人間からフェール子爵家を守るのが援助を受けているプロン伯爵家の役目だったのに、婚約者である自分が守るどころか傷つけていたのではどうしようもない。
「アルテュール。すまないが帰りにフェール子爵邸に寄ってもらえないか? アメリに謝罪する。結婚準備も進めてくれるよう言うよ。これからはアメリを大切にして生きていこうと思う」
アルテュールは微笑んで言った。
「エベール。そんなことが許されるわけないだろう?」
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