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第四話 もう遅い
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「貴様の勘当を解く。ロバト侯爵家へ戻って当主を継げ」
「お断りいたしますわ、ロバト侯爵閣下」
私の返答に、侯爵は眉毛を吊り上げました。
「俺の命令が聞けぬと言うのか!」
「はい、聞けません。……まだタガレアラ達に対する怒りが冷めていないようですね。少し冷静になって考えてください。閣下は私がデスグラーサ王太子妃殿下とその母親を苛めていたと言って、私を勘当なさいました。殿下が私との婚約を破棄した理由のひとつにも、それがあったようです」
バスコ王太子殿下はロバト侯爵よりも理性的なので、さすがにそんな理由が通用するとは思っていませんでした。だから、あの場ではおっしゃらなかったのです。
自分の婚約者に擦り寄る庶子に過ぎない異母妹を苛めた罪で婚約を破棄するなどと言ったら笑いものです。
もちろん苛めは悪いことですが、その前に不貞の罪を指摘されていたことでしょう。だれにも揚げ足を取られないよう、殿下は勢いで簡潔に押し切るしかなかったのです。
「そちらの冤罪は叔父様が晴らしてくださいましたのに、私が閣下に勘当を撤回していただかなかったのはどうしてだと思います?」
ロバト侯爵家に未練はありませんが、この家の令嬢として育ってきたのです。
領地と領民のことはいつも案じています。
「閣下はあの場で、この国の貴族子女のみならず国外からの留学生、優秀な平民の特待生が通っていた学園の卒業パーティで、私を捨ててデスグラーサ王太子妃殿下を取るのだと宣言なさったのです。私が去ることで侯爵家が被る不利益よりも、一度捨てられた私が戻ることで王家を裏切ると見られる不利益のほうが大きいと思ったから、私は勘当を受け入れたのですよ」
「王家を裏切る……?」
「素性のはっきりしない人間を令嬢として王家に嫁がせたというだけで国家反逆罪と取られても仕方がないのですが、この際それは考えないことにいたしましょう。バスコ王太子殿下は妃殿下を愛していらっしゃいますし、本当にロバト侯爵閣下の娘である可能性もないわけではないのですから」
でも、と私はロバト侯爵を見据えました。
「閣下が私を捨ててまでデスグラーサ王太子妃殿下を選んだから、王家は妃殿下を迎え入れざる得なかったのですよ? ここで一度捨てた私を当主に据えたりしたら、私を王家に嫁がせたくないがための茶番だったと思われても仕方がありません。王家への裏切りと思われることでしょう」
「……だが、あの娘、デスグラーサの産んだ子に俺の侯爵家を譲りたくはない」
貴族家の当主には文官と武官、ふたつの顔が求められます。
文官としての役目は母に任せきり、武官としての役目も叔父様に任せきりならまだ良かったのに、親友顔した騎士団長に任せて台無しにしておいて、彼はこの侯爵家を自分のものだというのです。
「もう遅いのです、ロバト侯爵閣下。デスグラーサ王太子妃殿下は王家に嫁いだのです。貴方は生涯、墓の下までもタガレアラの真実を抱いて行かなくてはなりません」
私がロバト侯爵に会いに来たのは、これを告げるためです。
彼の感情に任せた迂闊な発言で妃殿下が疑われたりしたら、バスコ王太子殿下の笑顔が曇ってしまうのです。
それだけは防がなくてはなりません。
「だが、だが……そうだ! 貴様の産んだ子をデスグラーサの産む次代の当主に嫁がせろ。嫁でも婿でも良い! そうすれば俺の血を残すことが出来る」
「閣下、私は王太子殿下をお慕いしています。これまでもこれからもずっと……ですので、近日中に出国して他国の神殿に入り、純潔を誓った修行者として残りの人生を送ろうと思っています。結婚などする気はありません」
「それでは俺の血が絶えてしまう!」
新しい愛妾を迎えるという発想が出ないのは、そんなことをしても意味がないからです。
自分の剣を振るってタガレアラと騎士団長を処分した侯爵は、そのとき騎士団長の反撃で大切な男性機能を失ってしまったのです。
そうでなければ私を呼び戻したりはしなかったでしょう。実際の血のつながりはともかく、王太子妃殿下の父という立場を最大限に生かして愛妾を多数囲い、この世の春を満喫していたはずです。それならばタガレアラのことを口に出すはずもないので、私も彼の言動を案じたりはしませんでした。
「デスグラーサ王太子妃殿下がいらっしゃいますわ。……閣下のたったひとりの娘の」
今はもう、そうでなければいけないのです。
「その通りですよ、義兄上」
私の護衛として同行してくださって、これまでずっと黙って見守ってくださっていた叔父様がおっしゃいました。
ロバト侯爵も自分の身が可愛いでしょう。いいえ、自分だけが可愛いからこそ、これまで好きになさって来たのです。
彼はタガレアラの罪を口にして、デスグラーサ王妃殿下を貶めるようなことはしないでしょう。ずっと後悔し続けるだけです。どんなに後悔したとしても、もう遅いのですけれどね。
私はバスコ王太子殿下の笑顔さえ守れるのならかまいません。
デスグラーサ王太子妃殿下がだれの娘であろうとも、バスコ殿下が愛しているのは彼女なのですから。
ただひとつ不安なのは、彼女がタガレアラの娘だということです。これは疑いようのない真実です。ふたりはとてもよく似ています。外見だけでなく性格も──そのせいで、バスコ殿下の笑顔を曇るようなことがないと良いのですが。
「お断りいたしますわ、ロバト侯爵閣下」
私の返答に、侯爵は眉毛を吊り上げました。
「俺の命令が聞けぬと言うのか!」
「はい、聞けません。……まだタガレアラ達に対する怒りが冷めていないようですね。少し冷静になって考えてください。閣下は私がデスグラーサ王太子妃殿下とその母親を苛めていたと言って、私を勘当なさいました。殿下が私との婚約を破棄した理由のひとつにも、それがあったようです」
バスコ王太子殿下はロバト侯爵よりも理性的なので、さすがにそんな理由が通用するとは思っていませんでした。だから、あの場ではおっしゃらなかったのです。
自分の婚約者に擦り寄る庶子に過ぎない異母妹を苛めた罪で婚約を破棄するなどと言ったら笑いものです。
もちろん苛めは悪いことですが、その前に不貞の罪を指摘されていたことでしょう。だれにも揚げ足を取られないよう、殿下は勢いで簡潔に押し切るしかなかったのです。
「そちらの冤罪は叔父様が晴らしてくださいましたのに、私が閣下に勘当を撤回していただかなかったのはどうしてだと思います?」
ロバト侯爵家に未練はありませんが、この家の令嬢として育ってきたのです。
領地と領民のことはいつも案じています。
「閣下はあの場で、この国の貴族子女のみならず国外からの留学生、優秀な平民の特待生が通っていた学園の卒業パーティで、私を捨ててデスグラーサ王太子妃殿下を取るのだと宣言なさったのです。私が去ることで侯爵家が被る不利益よりも、一度捨てられた私が戻ることで王家を裏切ると見られる不利益のほうが大きいと思ったから、私は勘当を受け入れたのですよ」
「王家を裏切る……?」
「素性のはっきりしない人間を令嬢として王家に嫁がせたというだけで国家反逆罪と取られても仕方がないのですが、この際それは考えないことにいたしましょう。バスコ王太子殿下は妃殿下を愛していらっしゃいますし、本当にロバト侯爵閣下の娘である可能性もないわけではないのですから」
でも、と私はロバト侯爵を見据えました。
「閣下が私を捨ててまでデスグラーサ王太子妃殿下を選んだから、王家は妃殿下を迎え入れざる得なかったのですよ? ここで一度捨てた私を当主に据えたりしたら、私を王家に嫁がせたくないがための茶番だったと思われても仕方がありません。王家への裏切りと思われることでしょう」
「……だが、あの娘、デスグラーサの産んだ子に俺の侯爵家を譲りたくはない」
貴族家の当主には文官と武官、ふたつの顔が求められます。
文官としての役目は母に任せきり、武官としての役目も叔父様に任せきりならまだ良かったのに、親友顔した騎士団長に任せて台無しにしておいて、彼はこの侯爵家を自分のものだというのです。
「もう遅いのです、ロバト侯爵閣下。デスグラーサ王太子妃殿下は王家に嫁いだのです。貴方は生涯、墓の下までもタガレアラの真実を抱いて行かなくてはなりません」
私がロバト侯爵に会いに来たのは、これを告げるためです。
彼の感情に任せた迂闊な発言で妃殿下が疑われたりしたら、バスコ王太子殿下の笑顔が曇ってしまうのです。
それだけは防がなくてはなりません。
「だが、だが……そうだ! 貴様の産んだ子をデスグラーサの産む次代の当主に嫁がせろ。嫁でも婿でも良い! そうすれば俺の血を残すことが出来る」
「閣下、私は王太子殿下をお慕いしています。これまでもこれからもずっと……ですので、近日中に出国して他国の神殿に入り、純潔を誓った修行者として残りの人生を送ろうと思っています。結婚などする気はありません」
「それでは俺の血が絶えてしまう!」
新しい愛妾を迎えるという発想が出ないのは、そんなことをしても意味がないからです。
自分の剣を振るってタガレアラと騎士団長を処分した侯爵は、そのとき騎士団長の反撃で大切な男性機能を失ってしまったのです。
そうでなければ私を呼び戻したりはしなかったでしょう。実際の血のつながりはともかく、王太子妃殿下の父という立場を最大限に生かして愛妾を多数囲い、この世の春を満喫していたはずです。それならばタガレアラのことを口に出すはずもないので、私も彼の言動を案じたりはしませんでした。
「デスグラーサ王太子妃殿下がいらっしゃいますわ。……閣下のたったひとりの娘の」
今はもう、そうでなければいけないのです。
「その通りですよ、義兄上」
私の護衛として同行してくださって、これまでずっと黙って見守ってくださっていた叔父様がおっしゃいました。
ロバト侯爵も自分の身が可愛いでしょう。いいえ、自分だけが可愛いからこそ、これまで好きになさって来たのです。
彼はタガレアラの罪を口にして、デスグラーサ王妃殿下を貶めるようなことはしないでしょう。ずっと後悔し続けるだけです。どんなに後悔したとしても、もう遅いのですけれどね。
私はバスコ王太子殿下の笑顔さえ守れるのならかまいません。
デスグラーサ王太子妃殿下がだれの娘であろうとも、バスコ殿下が愛しているのは彼女なのですから。
ただひとつ不安なのは、彼女がタガレアラの娘だということです。これは疑いようのない真実です。ふたりはとてもよく似ています。外見だけでなく性格も──そのせいで、バスコ殿下の笑顔を曇るようなことがないと良いのですが。
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