帝に囲われていることなど知らない俺は今日も一人草を刈る。

志子

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そして今日も草を刈る。

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「ふー……」

 額の汗を拭って立ち上がり、背伸びをした。長時間ずっと丸まって作業をしていたから背中がバッキバキだ。

「うっし! ひと休憩すっか!」

 俺は足元にある山積みの雑草が入った籠を抱えて振り返り、そこで「あ」と声を漏らした。

「やぁ」

 平屋……じゃねぇ、宮のやたら広い軒下に置かれた長椅子に腰かけ、軽く片手を上げたイケメン……黎明に俺は慌てて頭を下げようとして……止められた。

「そのようなものは不要だと言ったはずだが?」

 にっこり笑う黎明。うわぉ。目が笑ってない美人の笑顔って怖いね。……っていうか礼儀は不要と言われても、それはどだい無理な話だ。

 俺はただの下っ端で、黎明はどう見ても身分が上の人間だ。シンプルだがいいもん着てるし、姿勢とか所作がいかにも良い所の出って感じだ。そのうえ高身長でシャンプーのCM負けのさらっさらの色素の薄い茶色の長髪に、中性的なイケメンだ。あれだ。女性向けゲーム?  乙女ゲーム? に出てきそうなイケメン。イケメン爆ぜろ。

「……どのようなご用件でしょうか?」

 黎明の用件なんて既に知っているが。

「ここには私とお前しかいない。もう少しくだけても構わないのに……」
「無礼なことは出来ません」

 俺の言葉に頬を膨らます黎明。上がいいからと言って、はい! わっかりました! なんて言えるかっ!

(上司が酒の宴で今日は無礼講だと言っても、最低限の礼儀は必要だ)

 ダチから飲み会で上司にタメ口使った同僚がいて、次の日から職場の雰囲気が悪くなって、居ずらくなった同僚はやめてしまったと聞いた。

(この世界では辞職だけではすまない。首が飛ぶ)

 物理的な意味で。

 低姿勢を崩さない俺に黎明はため息をついて立ち上がり、脇に置いてあった持ち手の長い籠を軽く持ち上げた。

「菓子を持ってきた」

 にっこり笑う黎明に今度は俺は盛大なため息をついた。もちろん心の中で。

 汚れた手を洗った後、台所の戸棚からお茶セットと茶葉、それからケトル……湯沸かし器と呼ぶらしいが面倒なのでケトルと呼ぶ……を取り出した。これら一式は黎明が持ち込んできたものだ。

「行こうか」

 黎明がお茶セットと茶葉を乗せたお盆を持ち、俺は水を入れたケトルを持って黎明の後を付いて行った。
 向かった先は雑草が生い茂る中に佇む立派な東屋。ミスマッチ過ぎる。

 黎明がケトルに設置している赤い石……霊石と呼ぶみたいだ……に触れると赤い霊石のとなりにある透明の霊石が黄色く光った。きちんと作動した証拠だ。

(何度見ても不思議な光景だなぁ……)

 ケトルには電源コードもなければ、電池もはいっていない。そもそも電気や石油というものが存在しない。多分。

 他の国は知らないが、この国には電気や石油の代わりに自然のエネルギーが結晶化した霊石が存在し、エネルギーの種類によって様々な用途に活用されている。

 例えばケルトには火の霊石が埋め込まれており、わざわざ薪を燃やして湯を沸かす必要がない。

 霊石は屑石から大ぶりのものまであり、大きければ大きいほど高価になる。まぁ屑石といってもそこそこいいお値段なので、まず平民が手にすることはない。

 ただこの霊石。組み合わせによっては爆発物にもなるらしい。なに? その、混ぜるな危険みたいな代物。怖いわっ!

 ちなみに霊石が埋め込まれた道具類には指紋認証機能や盗難防止のセキュリティ……じゃなくて術式ががっつりかかっている。過去に盗難の被害はあったのか、となんとなく黎明に聞いたらめっちゃ良い笑顔で、

「あったけど、盗難防止対策のお陰で無事だった」と返された。

 しかしだ。そんな貴重なものを俺が借りている宮の台所に置くのはどうかと思う。持ち帰れと言ったら「君は絶対そんなことしないから」と言われた。

 どっからくんの? その自信。え? てかその信頼が逆に怖いんですけど。

 しかも「君も使えるようにしたから自由に使って」と笑顔で言われた。……後が怖いのでケルトは戸棚に丁寧に仕舞って、竈で薪を燃やしています。なぜか黎明には納得いかない顔をされたが。なんでや。

(ほんとファンタジー世界だな)

 ………そう、ここはファンタジー世界。異世界なのだ。
 そして俺は異世界転生者。前世持ちのな。

(異世界転生なんて小説だけの話かと思っていたんだけどな……)

 まさか前世で読み漁っていた異世界転生小説の鉄板過ぎる冒頭部分「~~で俺は死んだ」展開を体験するとは誰が思うよ。

 ただ、小説のように神様からチートな能力を授かって無双したりとか、前世の知識を使ってバンバン改革を起こしたりとか、そんなご都合主義展開はなく小さな農村で畑を耕して暮らしていた。

 そして二年前、俺はこの国のトップである帝の後宮で下っ端として働き始めたのだが……。

「大分綺麗になったね?」
「……勿体ないお言葉ありがとうございます」

 前来たの三日前だよな? そんな変わってるか? と俺もちらりと庭を見た。東屋から見えるのは赤い塀に囲まれた学校の体育館ぐらいの広さの荒れ放題の庭。かつては美しい庭だったろうに、今やその面影は一切感じられない。

 その庭を俺が手入れしている。一人で。

 いや、一人って無理だろ! 草刈りだけで一日終わってんぞっ! そもそも俺は専門の人間じゃねぇから庭のことなんてさっぱりなんだよ! どう見ても人選ミスじゃね?!

「食べるといい」

 黎明が俺の前にお茶と饅頭……月餅というやらしい……を置いた。上の者にお茶くみさせるなって思うが、俺は茶の淹れ方を知らないし、黎明が嬉々としてやっているので黙っている。俺はお礼を言って饅頭を頬張った。あ、今日はナッツみたいなものがぎっしり入ってる。うまっ!

(前世では砂糖を使ったお菓子なんて当たり前のようにあったのに、こっちでは贅沢品だ……)

 この間なんて、黎明が大変珍しい異国の菓子だと持ってきたソレは前世で見慣れ過ぎた金平糖だった。

(あの時、滅茶苦茶反応に困ったな)

 黎明がすっごいキラッキラな目をしていたから余計居心地が悪かった。と思わず吐きそうになったため息を饅頭ごと飲み込み、茶を飲もうとしたところで黎明と目が合った。黎明は楽し気な様子で俺のことを見ていた。

(俺のどこが面白いのかさっぱりわからん)

 黎明とこうしてお茶をするようになったのはふたつき前。
 ふらりとここにやって来た黎明に「話し相手になってくれ」と言われた。もちろん俺に拒否権なんてない。以来、二、三日おきに黎明はやってきた。残念なことに俺は目上の人を楽しませる話なんて一切持ち合わせていないし、見た目だって美人とは程遠い。ちんちくりんだし、ここで働くようになってから一日二食の食事と、黎明が持ってくるお菓子で前よりは肉付き良くなったが、それでも貧相な身体だ。顔だって前世と同様にモブ顔で、さらに額の左側から眉間を通って右側の頬に向かって大きな傷跡がある。

 七年前。八歳の時に崖から落ちて付いた傷らしい。俺はその時のことはまったく覚えていない。はぁ、イケメンとか渋いおっちゃんだったら、この傷もいい味出していただろうに……。つーか崖から落ちてよう生きとったな俺と思ったわ。まぁ、それがきっかけで俺は前世を思い出したわけだが……。

(……まあ、そのうち飽きるだろ)

 菓子が食えなくなるのは残念だけど、と俺はお茶を啜った。

「そういえば、最近後宮入りした人間がいてね。男のほうの」

 おい! 人がお茶を飲んでいるときに爆弾発言はやめろっ!危うくお茶を噴くところだったぞっ!

「……そ、そうですか……」

 どういうわけか帝の花園には女性が住まう後宮と男性が住まう後宮が存在する。

 何代か前の帝が元々あった後宮を真っ二つにして、半分を女性の後宮、もう半分を男性の後宮としたらしい。村でその話を聞いた時、すっげぇひと悶着あっただろうな……と思わず遠い目をしてしまった。

 その帝には女性の皇后と男性の皇后がいたという。

 一時、男性の後宮が閉鎖されたこともあったようだけど、廃止されることもなく今日に至ってる。なんとなく政治的あれこれを感じなくもない。

(まぁ、下っ端の俺には関係のない話だ……)

 男の後宮があるというこの文化には慣れないが、飯にありつけるし金も貰える。金があればいい種やいい農具、ちょっとだけいい服が買える。
 俺が後宮で働くことになったのは、ここが深刻な人手不足だったからだ。
 女性の後宮が男子禁制なら男性の後宮は女人禁制だ。付き人はもちろん、身の回りの世話や掃除、水仕事なども全部男がやらなければならない。

(家事は女の仕事って言われてるからなぁ……)

 そのせいもあって人が集まりにくいようで僻地まで働き手の募集案内が届いた。まぁ、俺は前世で一人暮らしをした経験もあったし、こっちの世界でもガキの時から村の女性たちに交じって水仕事や裁縫をやっていた。覚えて損はないし、周りも止めなかった。第一、洗濯って結構力仕事なんだぞ? あかぎれになるし、冬になれば水が氷のように冷たくて指の感覚なくなるし。

 というわけで家事に抵抗のない俺は「後宮で稼いでくるー」と家族に言った。食い扶持が減ってしかもお金が手に入る。一石二鳥じゃん! ……と思ったらみんなが後宮はとても怖いところで、帝のお手付きになってしまったらと顔を真っ青にさせた。いやいやいや! お前ら俺のどこ見てそんなぶっ飛んだ発想になるんだよ! この星がひっくり返っても絶対ねぇからっ! 寧ろ帝に失礼だろっ!

(ホントみんなに一度見せてやりたいわ……)

 男性の後宮はびっくりするぐらい華やかな方々で溢れかえっていた。どの男性もすげぇ美人さんで、中には少女のような容姿の男児も居て思わず二度見してしまった。噂では男性らしくならないようにあそこを切り落とした人もいるとかいないとか……。ひぇ。

 男性の後宮に働きに来た俺は洗濯班に配属された。なんというかめちゃくちゃ人手が足りない。朝早くから夜遅くまで只管洗濯、洗濯、洗濯。重労働過ぎるっ! しかも扱ってるものが高級品なのでぞんざいに扱ったら首が飛ぶ。物理的に!

 まあ、あとは案の定というかなんというか「こんな女の仕事をやるために来たんじゃない!」と言って洗濯をほっぽり出す人が一人、二人と出た。そんな彼らがその後どうなったかは知らない。

 そんなこんなで下っ端として後宮に来て半年が過ぎたころ、上の命令により俺は洗濯係からここ……四方を塀に囲まれた宮の荒れた庭の掃除係となった。

 ここは決して公にすることが出来ない場所だと案内した官吏に言われた。実際ここに来るまでの間目隠しをされ官吏に手を引かれたのだ。

 え? そんな場所を下っ端の俺に任せていいのか? と思ったが寧ろ下っ端のほうが万が一問題が起きても簡単に処分できるもんなと思い至った。……処分されないよう気を付けよう。うん。

 ちなみに宮は整えてあるので好きに使っていいと言われたが、どう見ても下っ端が使っていい部屋じゃない。スイートルームやんけ! なんで庭は荒れ放題なのにここは埃一つないんだよっ! おかしいだろっ!思わず「無理ですっ!」 て叫んだわ。スルーされてしまったけど。

 それから食事もグレードアップした。どう見ても……以下略。案の定質素な食事で十五年近く生きてきた俺の胃は早々に悲鳴を上げた。食事を運んでくる官吏……ここに俺を案内した人。というかこの人しかこない……に土下座する勢いで「前の職場と同じ内容にしてほしい」と必死に頼み込んだ。俺の必死な願いが通じたのか見慣れている食事になったが具の数が多い。極たまには入ってた肉がいつも入っているという感じだ。しかも屑肉じゃなくてちゃんとした肉。この待遇の良さが逆に怖い。

「何か困り事とか、欲しいものはあるか?」
「あー……いえ、特に……」

 あともう一人ぐらい人手がほしいと官吏にそれとなく言ってみたけど速攻で却下されたしなぁ………あ。

「ん? なにかあるみたいだね?」
「いえ……その……」

 俺は視線を彷徨わせた。あるっちゃーあるけど……。

「君には負担を強いているんだ。私なら融通を利かせられるよ」

 にっこり笑う黎明。「さっさと言えよ」という圧を感じるのは気のせいだろうか?

「その……、一人でここをやるのは大変で……えっと、その、電……もっと簡単に草が刈れる道具なんかあれば……少しは助かるかなぁ……と思いまして。あははは」

 脳裏に浮かぶのは近所のおじさんが草刈り機で田んぼの草を刈っていた姿。アレに似た道具があるのであれば貸してほしい……。ここには便利な道具が沢山あるんだ。なんだかありそうな気がする。でも絶対霊石を使ってるだろうしなぁ……。でもこのやってもやっても終わらない草刈りから少しでも! 早く!  解放されたい! という切実な願いのほうが遥かにデカかった。

「そうか。後で書くものを持ってくるからどんなものか教えてくれるかい?」

 その言葉に俺はびしりと固まった。………つまり、その道具はない。ということですね?

「あの……やはり、今のは聞かなかったことに……」

 平民である俺の身勝手なわがままのせいで、余計な仕事を増やされた製作者や、試行錯誤でダメにするであろう高価な霊石のことを考えると冷や汗が止まらない。
 黎明はそんな俺の懇願をスルッと流しやがった。

 昼過ぎ。黎明が書き道具を持ってやってきて、「さあ、描け」と俺に筆を押し付けてきた。黎明の圧に押されて俺は泣く泣く草刈り機の絵を描いた。筆なんて小学生以来だし絵心もない。幼稚な絵を描く傍ら黎明から質問攻めにあった。

「なるほどね。君は相変わらず面白い発想をするね」
「へ?」
「さて、私は仕事があるのでここで失礼するよ」

 黎明はさっと書き道具を片付け、俺が止める間もなく凄い速さでここを出て行った。

 ひと月後。
 後光が差すレベルのいい笑顔で現れた黎明の手には見覚えのある形のそれが握られていた。完成したんですね。しちゃたんですね。さあ使え! と言わんばかりに黎明から渡された草刈り機を使ってみた。

 ……凄くいいです。軽くて切れ味抜群です。風の霊石を使って刃を回転させているとか。詳しく説明されたが専門用語が多すぎて分からんっ!

 人間、一度ラクを覚えると元に戻れないという生物でして……。

 はい。草刈り機が手放せなくなりました。 

「もし他に必要なものがあったら遠慮せず言うといい」
「アハハハ……」

 にこにこ笑う黎明に俺は乾いた笑いを浮かべた。あっても言わねぇ。


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