余命僅かな大富豪を看取って、円満に未亡人になるはずでした

ぜんだ 夕里

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「花嫁に看取られる権利を売ってカネにしようというわけだな」

 目の前で契約書にサインを終えたばかりの父の言葉に、私ーーフィリーは思わず眉をひそめた。
 まあ事実その通りなのだけれど、もう少し言い方というものがあるのではないだろうか。まるでこれから私にやらせようとしていることが悪魔に魂を売るような行為だと証明しているかのようだ。

 話の当事者はミリオ辺境伯。

 若くして財を成した大富豪として社交界でも有名人だった。貿易業で巨万の富を築き、その功績で爵位を得た傑物。きらびやかな噂には事欠かないけれど、彼にはたった一つ致命的な問題があった。

 原因不明の病に侵され、余命いくばくもないと宣告されてしまったのだ。

 あれほどの財産を築きながら、彼には身寄りが一人もいなかった。
 天涯孤独の身で広すぎる屋敷で一人静かに死んでいくのはあまりに寂しい。そう考えた彼は常識外れの募集をかけた。
『私の最期を穏やかに看取ってくれる妻を求む』と。
 もちろんただ働きではない。彼が亡くなった暁にはその莫大な遺産のほとんどが妻となった女性に相続されるという破格の条件付きで。

 まるで甘美な毒のような話だ。
 彼の財産を喉から手が出るほど欲しがっている貴族は多い。けれど、死にゆく男の遺産目当てで娘を嫁がせるなど貴族としての品位を疑われる行為。外聞が悪すぎる。
 そんなわけで多くの家が唾を飲み込みながらも静観を決め込む中ただ一軒、勢いよく手を挙げたお馬鹿な……もとい、勇気あるお家があった。

 そう、我が家である。

 私の実家は近年になってようやく貴族の仲間入りを果たしたばかりの新興貴族だ。商才が認められてのことだったけれど、好事魔多しとはよく言ったもの。新たに始めた事業がものの見事に傾き、今や家計は火の車。馬車どころか馬も売ってしまったので我が家の移動手段はもっぱら徒歩である。
 伝統も格式もない、失うものなど何もない我が家だからこそ、このあまりにも不謹慎な話に飛びつくことができたというわけだ。

 目の前のテーブルに置かれた契約書にはこう記されている。

『ミリオ辺境伯の最期を妻として穏やかに看取ること。その対価として、死後、辺境伯の遺産を相続する権利を有する』

 内容はひどく単純明快。
 けれど私の心は少しも晴れなかった。
 傾きかけた家を守れるという使命感と人の死を利用して富を得ようとしている罪悪感。二つの感情が胸の中で渦を巻いて、今にも吐き出してしまいそうだった。
 そんな私の葛藤など露知らず、父は私を値踏みするように見ながら言った。

「まぁ、お前も奇行にさえ走らなければ見た目だけは良いからすぐに返されることもないだろう」

 なんて失礼な言い草だろうか!

 まるで私が普段から奇行に走っているとでも言いたげなその口ぶり。心外だ。
 父は昔からそうだ。いつも私の完璧な論理に基づいた行動を、奇行だと言わんばかりに溜息混じりに見つめてくる。その評価には全く納得がいかない。私のこれまでの人生、いつだって目標に向かって最短距離を駆け抜けてきたつもりなのだ。
 例えば、そう。あれは私がまだ幼かった頃のこと。


 ◇


 なぜそうなったのか、子供らしい些細な理由だったはずだが、私はとあるパーティーで侯爵令息のスポールと取っ組み合いの喧嘩になったことがある。今思えば、我が家とは比べ物にならないほど格上のご長男によくもまあ喧嘩を売ったものだと自分でも感心する。
 結果は私の惨敗。地面に投げ飛ばされ、得意げな顔で私を見下ろす彼を、私は涙目で睨みつけた。あの屈辱は、私の人生の汚点の一つだ。
 悔し涙をこらえながら、私は敗因を分析した。

 体を掴まれたせいで、投げられて負けてしまったのだ。
 ならば、体を掴まれないほどに肌をつるつるのぬるぬるにすれば良いのだ!
 我ながら完璧な作戦だ。

 絶対そうしてやる、今決めた!

 屋敷に帰るや否や、私は侍女頭を捕まえて詰め寄った。

「どうすれば、体がすべすべになりますか!?」

 鬼気迫る私の様子に一瞬目を丸くした侍女頭だったが、すぐに何かを察したのか、微笑ましそうな、それでいて慈愛に満ちた目で私を見つめると、肌をとにかく滑らせるための秘訣をそれはもう丁寧に伝授してくれたのだった。

 私の突然の肌磨きへの熱意に、父は少しにやにやしながら尋ねてきた。

「なんだフィリー、スポール君が気になるのか。お年頃だなぁ、恋する乙女は綺麗になるというからな」

 恋する乙女がなぜ出てくるのかは分からなかったが、私は父の言葉に頷いた。

「はい、確かにやつを許しません!二度と負けないよう、研鑽を積んでいるのです!」
「……ん?負けない?」
「はい!肌を滑らせ、二度と投げられないようにするのです!」

 そういうと、父は一瞬きょとんとした後、不思議そうな顔をした。「え、投げられ……?肌?え?」と混乱していたが、その時の私に父の声は聞こえていなかった。

 それから数年後。私は再びスポールと顔を合わせる機会を得た。
 彼は私を見るなり驚いたような顔をし、見る見るうちに顔を赤くしてうつむいてしまった。
 隣に控えていた侍女頭が、私の耳元で「数年間の肌磨きの成果、抜群です、お嬢様!」と興奮気味に囁いた。
 ふふん、私の変わりように、今度は負けるかもしれないと恐れをなしたに違いない。

「前回の恨み、今こそ晴らさせてもらう!」

 私はそう叫ぶなり、彼に掴みかかった。彼はひどく困惑した様子だったが、勢いに押されるまま、はずみで私の腕を掴んだ。
 しかし、彼の手が私の腕に触れた瞬間、まるで雷に打たれたかのようにその動きを止めた。きっと、私の腕を掴んだ瞬間に、そのあまりのすべすべさにつるりと滑ってしまい、これでは投げられないと悟ったのだろう。彼はなすすべもなく立ち尽くし、私はその隙をついて彼を押し倒し、見事勝利を収めたのだった。

 物陰から、侍女頭の「きゃぁ!お嬢様、大胆です!」という興奮した声が聞こえる。
 その通りだ。私はいつだって大胆に勝利を収めるのだ。

 そして次の日から、なぜかスポールが何かと私の世話を焼いてくるようになった。
 夜会で飲み物を取ってきてくれたり、庭園で会えば「偶然ですね」と頬を赤らめながら話しかけてきたり。きっと、私に敗北して舎弟になりたがっているに違いない。
 私は「鍛え直してから出直してきなさい」と全力で見下し続けた。

 父にそのことを得意げに話すと、「政略的にも申し分なかったのだが……娘がこれではかえって失礼か……」と、残念そうな、いや、残念なものを見るような顔をされた。娘をこれ呼ばわりとは、失礼な父である。

 父のあの残念そうな顔には、どうにも納得がいかない。私の行動はいつだって論理的なはずなのに。

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