未来で愛人を迎える夫など、要りません!

文野多咲

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いざ、領地へ!2

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ダニエル・シルベスがバルベリ領を賜り侯爵となったのは二年前。

その前の侯爵が戦死した後、バルベリ領は王家直轄領となった。先代バルベリ侯爵の縁者で後継を主張する者がいなかったのは、先代バルベリ侯爵が国王からバルベリ領を賜って一年も経っていないからだ。

そして、当時、北方討伐軍の副将の位置におり、伯爵位を賜っていたダニエル・シルベスが、将軍となり新たにバルベリ侯爵に叙された。先代侯爵とは血縁にないにもかかわらず。

先々代のときにも似たような経緯で、代替わりが起きた。

そこまで説明を受けたのち、ジュリエッタはどういうことかを理解した。

バルベリ領は、先祖代々引き継いできた領地ではなく、国王から北方防衛の担い手に一時的に与えられる領地。

高位貴族の領地は国王から賜り、召し上げられるのも国王の命ずるまま、とはいえ、それは形式上のことで、多くの貴族らは、国王に脅かされないほどの領地の支配権を持っている。

しかし、バルベリ領は、その例外。

形ばかりの領主である侯爵が携わるのは軍事のみ。戦死するか、北方に脅かされそうになれば任を解かれ、新たな侯爵が派遣されるのだ。

よって、家令のヌワカロール伯爵こそがバルベリ領の実質的な支配者。

「なるほど、そういうことね。ヌワカロール伯爵は国王の臣下であって、侯爵さまの臣下ではないのね」

家令として、侯爵の名で、国王に税を納める。昔からたびたび起きる北方からの侵攻に侯爵が対峙している間、ヌワカロール家は代々それをやってきた。

ジュリエッタの言葉に、ヤンスは滅相もないと両手を振った。

「いいえ、とんでもない。確かに国王に伯爵を賜っておりますが、ヌワカロールは家令として侯爵閣下に忠誠を誓った侯爵の家臣です」

「でも、ヌワカロールがバルベリ領の全権を握っている、とあなたもおっしゃったじゃないの」

侯爵の側近にそれを言わしめるほどに、ヌワカロールの支配はバルベリに沁み込んでいるのだ。

「はあ、まあそうですが。でも……」

ヤンスは当惑している。

(なるほど、これは慣例的に形成された力関係なのね)

長年かけて形成された力関係は、明言されたものではないだけに、誰もそのいびつさに気づくこともない。

「ですが、当代のファビオ・ヌワカロールは閣下に忠実です」

(果たして本当にそうかしら……?)

ジュリエッタは懐疑的だった。

長らく権力を預かっているものはいつしかそれを自分のものだと思い込むもの。ヌワカロールがそう思い込んでいてもおかしくはない。

しかし、今回、ダニエル・シルベスは北方に勝利した。北方の侵攻は、これで完全に治まる。今後は、ダニエル・シルベスが領主として領地の支配力を固めることになる。

状況が変わったのだ。

慣習的にヌワカロールが支配していようと、侯爵の家令に過ぎないことに変わりはなく、侯爵が望めばいつでも解雇される。

それをヌワカロールはどうとらえているのか。

(ふふ、王都で好き勝手していた私のように、今頃、ヌワカロールも不安に怯えているかもしれないわね。私が侯爵さまから領地経営を任されたと知ったら、どう出るかしら)

「ところで」

ジュリエッタには先ほどから感じていたことがあった。ヤンスの物腰の良さに加えて、ヌワカロールを口にするたびに覚える違和感。

「あなたの下の名前は?」

「ヤンス・ヌワカロールです。ヌワカロール家の三男で、ファビオの弟です」

(なるほど、それで物腰も上品だったのね)

「ねえ、あなた、どうして侯爵軍ではなくて、王国軍に志願したの? 家令の息子なら侯爵軍の方が大切にしてもらえるのではないかしら」

ヤンスは王国軍で侯爵と出会ったといった。

「私はそういうのが嫌でして」

特別扱いが嫌だと言いたそうだ。ヤンスの言葉に嘘は無さそうだが、実質的にバルベリの頂点にあるヌワカロールの子弟が、侯爵軍に下りたくはなかったのかもしれなかった。それならばたまたま部下になったダニエル・シルベスが将軍まで上り詰めてバルベリ侯爵となり、ヤンスもまた侯爵軍に組み入れられることになったのは、皮肉なことではある。

「いつかあなたの侯爵さまへの忠誠を試されるときが来るかもしれないわね。侯爵さまへの忠誠とは、つまり夫人への忠誠も同じこと」

ジュリエッタはヤンスの目を見据えた。

「私の閣下、そして、夫人への忠誠は死んでも色あせません」

ヤンスはジュリエッタの眼差しに遠慮して目を伏せたが、はっきりと断言した。

***

ヤンスからあらかたの知識を得たのち、ジュリエッタはバルベリ騎士と一人ずつ面談することにした。

ジュリエッタは実家から連れてきたレオナルダ騎士について、顔も名前も一致しているし、王都邸での使用人についても、顔も名前も把握している。使用人にもちゃんと名前があること、彼らにも家族がいることを自覚しておくことが上に立つものの責任だと両親の背に学んだ。

顔と名前を知るため、それに、ヤンス以外からもバルベリ領について教わるためにも面談は必要だった。

一人ずつ、騎士を馬車に呼び入れる。

わかったことは騎士らは一様に侯爵を敬服しているということだった。

「閣下が戦場に現れたらそれだけで空気が変わるっす」

「閣下は兵士を使い捨てにするようなことは決してしません。俺らの命をとても大切にしてくれます」

「閣下は漢の中の漢っす。男も惚れる男っす」

(閣下閣下、って、崇拝しているみたいね)

騎士の中にはジュリエッタの実家の領地出身の者もいた。

「では、あなたは、レオナルダ出身なのね」

「へえ、そうっす。13のとき村を飛び出して、王都に出たでやんす。そこで、王国軍に志願しやした。今回は姫さまをお守りする栄誉を預かったんで、おいら、嬉しくて嬉しくて。おっかあが生きてりゃ、泣いて喜びまさあ。姫さまが閣下の嫁さんなんてもう、おいら、胸いっぱいでやんす」

ジュリエッタは久しぶりに、レオナルダの訛りを聞いて領地が懐かしくなった。

旅を終える直前まで面談をし、ようやく残り一人となった。

「ハンナ、最後の騎士に馬車に来るように伝えてちょうだい」

「今ので最後だそうですわ。今日で、やっと、むさくるしい騎士を姫さまの馬車に入れなくて済みますわね」

ジュリエッタはいぶかしんだ。バルベリ騎士は24名のはずだが、その顔と名前を頭に並べてみても、23名分しか浮かばない。ジュリエッタに急に胸騒ぎがしてきた。

「ハンナ、バルベリ騎士の数を確かめてきて」

ハンナに確かめさせれば、23名とのことだった。

(おかしいわ、確かに王都を出たときには24名いたわ)

面談では騎士らは誠実そうに見えた。誰もがジュリエッタを敬愛の目で見つめてきた。

しかし、レオナルダ騎士の倍もいるバルベリ騎士に裏切られれば、ジュリエッタになすすべはない。

(用心に越したことはないわね)

ジュリエッタは、バルベリ領に入ったところで、土地に詳しいという理由で、バルベリ騎士に前に行かせ、レオナルダ騎士で馬車の周囲を囲むことにした。そして、レオナルダ騎士には、バルベリ騎士の動きに警戒するよう注意を与える。

それでも不安は消えることがなかった。

***

「山を下りればお城が見えてくるそうですわ」

ようやく半月余りの馬車旅を終えようとしている。

「無事、着けばいいけど」

「姫さまは心配し過ぎです。むさくるしいけど、良い人たちじゃないですか」

「そうかしら。私の勘違いならいいけど」

「それより、バルベリには珍しいものはありますかね」

「城下は繁栄しているらしいわ。美味しいものもたくさんありそう」

「姫さまったら、騎士さまから、ちゃっかりお菓子の情報まで手に入れるんですもの」

「それも重要な情報だわ」

ジュリエッタはバルベリ騎士らに好物を尋ねていた。意外にも甘いものが好きな騎士も多く、いろいろな情報を手に入れていた。

「早く着かないかしら」

穏やかに過ぎる光景に、ジュリエッタが自分の心配を気のせいだと思い始めた。

不意に轟音が鳴ったのはそのときだった。窓の外は急に暗くなっていた。

窓の外で閃光が見えたと思えば、轟音が鳴る。

「きゃっ! 雷!」

ハンナが声を上げたが、その声も窓をたたきつける雨音に掻き消される。

雷は次第に近づいてきて、すぐそばに落ちた。地響きがする。

馬車は一瞬、動きが悪くなったかと思えば、次に狂ったように走り出した。ものすごい勢いで進んだまま曲道に入り、馬車は遠心力で振り回された。

「きゃああっ!」

さすがのジュリエッタも令嬢の仮面などどこかへいった。

「姫さまっ!」

ジュリエッタの視界が大きく揺れたかと思えば馬車が山道を脱輪した。

馬はいなないて、必死で踏ん張るも、じわじわと馬車は山道からずり落ちていく。

山道に片側の車輪で不安定に引っかかっている馬車は、馬との渡し棒が外れ、がくんと下がった。馬車は残り一本の渡し棒でかろうじて馬とつながっているだけとなった。

渡し棒が折れるか、馬が踏ん張るのをやめたら、真っ逆さまに落ちる。

山道は、その下の山道まで断崖となっており、落ちたらまず助からない。

「もう駄目! 誰か、助けて!」

「ひ、姫さま!」

「ハンナ!」

ジュリエッタとハンナは馬車の中で抱き合った。叩き付ける雨音に、メリメリと木がきしむ音がかすかに聞こえてくる。残った一本の渡し棒の折れる音だ。

折れるのも、時間の問題だ。

騎士たちの声が聞こえるも、間に合うかどうか。

「騎士さま、早く来て……!」

「姫さま、大丈夫ですわ」

不意にハンナがジュリエッタから体を外した。どこか覚悟のある声だった。ハンナはドアを開けるとジュリエッタに振り向いた。そして、笑いかけてきた。

「姫さま、どうぞ、ご無事で」

ハンナは優しい笑みを残して、ドアから飛び降りていった。崖下へと。

(え……?!)

ジュリエッタは呆然と開いたままのドアを見ていた。

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