未来で愛人を迎える夫など、要りません!

文野多咲

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領地巡りの旅2

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「もしかして、怖くなった?」

ジュリエッタの背後から声があった。いつの間にかジュリエッタは侯爵の腕にしがみついている。

「帰る?」

ジュリエッタは首を横に振る。そろそろと侯爵の腕から両手を外す。

怖いからとやめるわけにはいかない。

「あなたはこういう場所でも怖くないの? 方向がわかるの?」

「遠くの山の形で方向がわかる。あと四半刻も行けば泉が湧いている場所がある。そこで馬に水を飲ませる。俺たちも昼にしよう。そこからまた一刻ほど進めば村の入り口が見えてくる。大丈夫、草原はいつまでも続かない」

「うん、そうね、ありがとう」

お昼にマロンペーストを挟んだサンドイッチがあることを思い出せば、ジュリエッタに元気が出てきた。

「あなたはここをよく知ってるのね」

「うん、そりゃあ領地だし……」

少し歯切れの悪い物言いに、ジュリエッタは察する。

「もしかして、ここも戦場になった?」

「うん、まあ」

「詳しく聞かせて」

「広い場所は遊軍を作らない。ここなら兵舎も近くたくさんの軍勢を投入できる。ここには何度も敵を誘い込んで、多勢で囲い込んで……」

再び侯爵の歯切れが悪くなる。

「敵を殺した?」

「うんまあ……」

「何人くらいの敵を殺したの?」

「俺が直接手にかけたのは数百人だろうけど、でも全体では何万人も……」

侯爵の歯切れが悪くなったのは、ジュリエッタへの気遣いもあるだろうが、侯爵自身も苦しさを覚えているのではないか。ジュリエッタはそれ以上訊くのをやめた。

(侯爵にとって、殺した人数は自慢にならないんだわ。それどころか苦しみを感じてる。私が王都で贅沢をしてたときに、ずっと戦って……)

何も知らずに、いや、知ろうともせずに王都で好き勝手過ごしてきたことへの罪悪感を今更覚えてきて、ジュリエッタは気が落ち込んできた。

そんなジュリエッタに侯爵は「ほら、見てごらん」と草原を指さした。

ぴょんぴょん、と何か小さなものが草原を駆けている。ふわふわした小さなものに声がはしゃぐ。

「まあ! 子犬かしら!」

「うさぎだよ。うさぎはどんな所にもいるんだ」

「あの耳の大きなうさぎ?」

ジュリエッタも領地で飼っていたことがあった。腕の中で震える小さな命がたいそう愛しかった。

「捕まえようか?」

「うん、お願いするわ」

「では、たくさん、仕留めよう。うさぎの肉はうまいし、どこにでもいるから、本当にありがたい」

(や、やめてえ!)

ジュリエッタにとっては可愛い動物が、侯爵には食料に見えているらしい。

「こ、侯爵さま、私、急にお腹が減ってきたわ。今はウサギよりもサンドイッチが食べたいわ。早く泉のある場所に行きたいわ」

「そうか、じゃあ、急ごう」

泉の周辺には白い花の群生があった。侯爵はひょいとジュリエッタを馬から降ろした。

馬から降りるなり、ジュリエッタは花を摘み上げた。

「まあ、可愛い、これはシロツメクサね。王都の公園にもあるわ」

草原にカーペットを敷いてちょっとしたピクニック気分だ。

サンドイッチを食べ終えると、視界の端に弓を構えたヤンスが見えた。その前に飛び跳ねるうさぎがいる。

(ヤ、ヤンス?)

ヤンスは既に何匹も狩っていたらしく、騎士らの囲む焚火からは肉の焼ける匂いがする。

(いやああっ)

ジュリエッタは心の中で叫ぶ。騎士見習いの少年ジミーが、満面の笑みでジュリエッタに声をかけてきた。

「ジュリエッタさまー、ハンナさまー、うさぎ肉、おいしそうに焼けましたよー」

ジュリエッタは聞こえないふりでいたが、ジミーは親切にもジュリエッタのところまで届けにきた。

「まあ、おいしそう!」

ハンナは声を上げている。

「先に頂きますわね。まあ、ジューシー、姫さま、おいしゅうございますわ! ほれ、姫さまも、一口!」

ハンナに肉を突き出され、しぶしぶジュリエッタは口に入れた。

(まあ、おいしい……! さっぱりしているのに、コクがあるわ)

うさぎを美味しく頂けてしまうジュリエッタだった。

水辺で馬の世話をしていたはずの侯爵は、見れば、何人かで草原を駆けていた。これまでずっと並足で歩いてきたからか、侯爵も騎士らも、そして、馬も、自由に走ることができて嬉しそうだった。笑い声が上がっている。

(侯爵さまは、ずっと私に合わせてくれているのよね)

何だか申し訳ない気もする。

(でも、楽しそうだから、いっか)

侯爵らは生き生きと草原を走り回っている。

そんな侯爵らを見れば、自分はなんて弱い生き物だろうと思ってしまう。

侯爵らは、草原を怖がらず、馬を自由に操り、そして、戦場も生き抜いてきた。

ジュリエッタには疲労困憊の騎乗も、侯爵らには物足らないものでしかない。

これまでジュリエッタは自分が弱いということにさえ気づいていなかった。

***

村に着くころにはジュリエッタは馬上で疲れ果ててうとうとしていた。寝台のようなものに横たえられたのに気付いて目を開けると、侯爵がいた。

(侯爵さま。抱っこしてベッドまで運んでくれたのね、ありがとう)

「こうしゃくさま……、ありあとう……」

ジュリエッタは安心を覚えて、そのまま眠ってしまった。

目を覚ますと、辺りは真っ暗だった。月明かりに目が慣れてくると、隣のベッドにハンナが眠っているのに気付いた。

予定では、そこは村長の家のはずだった。農家にしては立派なものだ。侯爵が先触れを出して知らせてくれていたのか、シーツは洗い立ての快適な寝床だった。

外を見れば、野営が張ってあった。騎士らは草の上に寝転がっている。そのなかには侯爵もいた。

ジュリエッタはそっと寝台から起き出して、自分の荷物を探した。それは足元で見つかり、中から書類を出して、月明かりに眺めた。この村の農産物の出荷高を頭に入れる。

(頑張らなくちゃ。みんなに協力してもらっているんだもの。それにしてもお腹が空いたわ。早く朝ごはんにならないかしら)

***

いつのまにかジュリエッタはもう一度眠ってしまったらしく、けたたましい鳴き声で目が覚めた。そこかしこから、けたたましい鳴き声が聞こえてくる。

ぼんやりとした頭で、それが、鶏の鳴き声であることに気づいた。

「ハンナ、おはよう。ここでは鶏を飼っているのね。じゃあ、卵もあるかしら」

「おはようございます、姫さま。ええ、産みたてのがありますわ」

「産みたてじゃなくてもいいから、いっぱい食べたいわ。お腹空いた」

身支度を終えると、ジュリエッタは外に出た。騎士たちは、焚火を囲っている。

バサバサと羽音がし、そちらを見ると鶏が歩いていた。ジミーに村の子どもらが鶏と追いかけっこしている。

侯爵がジュリエッタに気づいて、手に何かを持って見せに来た。

「おはよう、ジュリエッタ」

「おはようございます、侯爵さま。その手の中に何を隠してらっしゃるの?」

侯爵が手を広げると黄色い小さなふわふわが出てきた。

「まあ! 小鳥だわ!」

「鶏の子ども、ひよこだよ」

「子どものときは黄色いのね! 触ってもいいかしら」

「もちろん」

ジュリエッタは侯爵の手の中のひよこを触ってみた。それは柔らかく、震えており、温かい。

侯爵はひよこをジュリエッタに手渡してきた。ジュリエッタの手の中で震えるひよこ。小さな命はたいそう愛おしい。

「ふふ、ねえ、あなた、元気な鶏に育ってね。そして、毎朝、元気良く鳴いて、みんなを起こすのよ? それがあなたのお仕事よ、ね、ひよこさん」

「それはメスだから鶏になれるだろうね」

(えっ? 鶏になれるのはメス限定ってこと? え?)

そこへ、ジミーの声が聞こえてきた。

「ジュリエッタさまー、ハンナさまー、焼けましたよー、ひよこ! うまいですよー!」

(いやあああっ)

ジュリエッタは卵を産まないオスのひよこは、ひよこの間に食べられてしまうということをそのとき知った。

「姫さま、ひよこ、おいしいですわ! ほれ、一口!」

ハンナがジュリエッタの口に押し込んでくる。

(うん、おいしいけれどもぉ……、おいしいけれどもぉ……)

ひよこを美味しく頂けてしまうジュリエッタだった。

ジュリエッタは噛みしめながら、やがて、悟りを得た。

(これが生きるということ、命を頂くということ)

そのあとは搾りたてのミルクに産みたての卵を頂き、朝食を終えた。

***

村長に昨年の村の出荷高を確かめてみるも、ファビオ・ヌワカロールの資料との齟齬はなかった。念のため、ジュリエッタは過去十年の出荷高を教えてもらい、それをメモしておいた。

(何かがおかしいと思うんだけど、何かわからないわ)

村に来てより大きな違和を覚えるも、それが何なのかがはっきりしなかった。
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