竜族への生贄かと思ったら、王子の愛妻になったのですが。

高城

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(9)王子の隣に立つ者たち

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 昼下がり、リアはどうにか任してもらった文献整理の手伝いを終えて、広間に続く通路を歩いていた。柱の間から差し込む光が床に長く伸び、空気の温度もどこか穏やかに感じられる。けれど、先に聞こえてきたのは、あまり穏やかとは言えない声だった。

「――だから、言ってんだろうが! 後から段取りズレ込ませるくらいなら、最初からこっちで統一しとけってだけの話だろ!」

 怒声が響く。リアは思わず足を止め、壁の陰からそっと様子を伺った。

 広間の一角、書類の山を前にしてギルフォードが立っていた。その鋭い眼光は書簡を手にしたまま、前にいる相手――どうやら里の使者らしい男たち――に真っ直ぐ向けられている。

「“そちらの判断で変更可能です”だと? それで後から責任はこちらにってか? 寝言は寝て言え、このバカが!」
「い、いや、その。我々としても……」
「だったら最初から報告上げろっつってんだろうが!! こうやってグズグズ後手に回すから、全体の調整が狂うんだよ!」

 机を叩く音が、広間に反響する。使者の男たちは恐縮しきりで、時折何か言おうとするものの、ギルフォードの言葉の勢いに押されて結局俯いたままだ。

「この期に及んで“問題ない範囲です”じゃねえんだよ。お前らのその“範囲”で、こっちは何度! 後始末してると思ってんだ!?」

 言葉は厳しく、語気も強い。だが、リアが驚いたのは――その内容。どれも理に適っていた。話の内容こそ分からなくとも、情報の伝達、優先順位の判断、統一ルールの整備……どれも長年組織に属している人間でなければ見えないような穴を、的確に突いていた。正しいことを、言っている。

 そう感じたのは、リアだけではなかったらしい。少し遅れてやってきたレオンハルトとエルマーが、広間の入り口に立つなり、どちらからともなくため息をついた。

「あいつ……またやってるな」
「午前中に一件火消ししたって言ってたのに、今度はこっちか……」

 エルマーは眉間を押さえ、レオンハルトは苦笑混じりに肩をすくめている。リアが小声で、エルマーに尋ねる。

「こういうの、よくあるの?」
「まあなあ。ギルにしてみりゃ、何もかもが段取り悪く見えるんだろうよ。実際、指摘の内容は正しいことばっかりだし」
「でも、あの言い方だと伝わっているのかどうか……」
「そこなんだよなぁ。丁寧に言えば三倍早く通るのによ、ギルは怒鳴った方が早えって思ってる節がある」

 エルマーは苦笑しながら肩を竦め、レオンハルトは「もう慣れたものだね」と言わんばかりにその場に足を運んでいき、エルマーも後に続く。リアも迷った末に、そっと後を追った。

 近づくと、ちょうどやり取りが一段落したところだったようで、使者たちは頭を下げて早々に引き上げていく。その背を見送りながら、ギルフォードは舌打ちをした。

「……ったく。ふざけやがって。毎回毎回、こっちが尻拭いすんのが前提になってんじゃねぇか」
「はいはい、お疲れさん。怒鳴りすぎて喉潰さないようにな?」

 エルマーが茶化すように声をかけると、ギルフォードは睨みつけるように振り返った。

「お前もあの書類、見ただろ。文句言わねぇ方が無責任だわ」
「分かってるって。でもな、ギル。言い方ひとつで提案にも通告にもなるんだ。お前のは“脅し”に近いからな!?」
「あいつら、あんくれぇ強く言わなきゃ分かんねぇだろ」

 吐き捨てるように言いながら、ギルフォードは腕を組んだ。エルマーが苦笑を交えて補足する。

「なぁに、これでもマシになったんだぜ? 前は、“こんな書類上げて来た奴は、翼詰めて出直してこい”とか言ってたんだから」
「誇張すんな」
「いや、本当。僕もその場にいた」
「てめぇら黙ってろ!」

 言い合う三人に、リアは何とも言えない気持ちで立ち尽くした。けれど、ギルフォードはそんな様子にも気づいていたようで、ちらとリアを一瞥する。

「なんだ。お前も俺が悪モンに見えたかよ」
「……いえ。言ってることは、分かりました。ギルフォード様が、ちゃんと全体を見てるってことも」

 そう応じると、ギルフォードの目元が一瞬だけ和らいだような気がした。けれど次の瞬間には、再び仏頂面に戻っている。

「だったら手前で理解して終わっとけ。余計なこと口出すんじゃねえぞ」
「おいおい、ギル。せめて“ありがとう”とか、“分かってくれてると助かる”とかねーのかよ」
「ねえわ」

 呆れるエルマーの言葉に、ギルフォードはそれ以降、無言のまま視線を外す。
 けれど、リアは思った。この人は、誰かに分かってもらうことに慣れていない。だから言葉よりも行動で語るし、余計な飾りはつけず、ただ必要なことだけを突きつける。

 それが、ギルフォードという人なのだと――欠片だけでも知った気がした。



 ギルフォードが広間を出ていったあと、場に残されたのは静かな空気だった。先ほどまでの怒声の余韻がまだ薄く残っていたが、誰もそれを口にせず、自然になんとなく腰を落ち着ける流れになった。

 リアは、そっと椅子に腰かけた。向かいの席にはエルマーとレオンハルトがいる。机の上にはさっきまで使っていた資料が積まれたままで、それを端に寄せながら、エルマーが軽く伸びをした。

「ふー、やれやれ。ま、今日も今日とてギルのこだわりが炸裂したわけだな」
「でも、言ってることは正しいんだよね?」

 リアがそう問うと、エルマーは指を軽く鳴らして笑った。

「そーなんだよな。口が悪すぎて相手が固まるだけで、中身は至極まとも。それどころか……あいつが口出さなかったら、三分の一はマジでグダってると思うぜ」
「僕たちが止めなかったら、四分の三くらいは怒鳴ってるとも思うけどね……」

 ぼんやりとした声音で言いながら、レオンハルトも隣で小さく息をついた。エルマーは「いや、それは言いすぎだろ」と笑いながらも、どこか呆れたような優しさを滲ませている。

「……二人は、ずっとギルフォード様のそばに?」

 何気なく、けれどずっと気になっていたことだった。
 リアの問いかけに、エルマーが少しだけ目を丸くして、それから「ああ」と頷く。隣のレオンハルトも、興味なさそうな顔を保ちながら、耳はきちんと傾けているようだった。

「ああ、俺はな。ガキの頃からずっとっつーか、気づいたときには、もうあいつに引っ張り回されてた感じ」

 エルマーは背もたれに体を預けながら、どこか懐かしそうな笑みを浮かべた。

「引っ張り回されてた?」

 リアが問い返すと、エルマーは鼻で笑うように息をついて、軽く指を折り始める。

「うん。他の奴じゃ怪我させそうだからって毎日組手に付き合わされたり、お前の足の速さで俺の隣を歩くなって怒られたり、休憩中に勝手に俺の飯食ってたり」
「ええ……!?」

 そのたびに驚いたり呆れたりした情景が目に浮かぶようで、リアは思わず小さく笑ってしまった。

「じゃあ、お友達ってことだよね?」

 素直な疑問に、エルマーは少しだけ口を閉ざした。
 そして、何かを噛みしめるように言葉を選んでから、口の端をゆるめた。

「うーん……友達っていうより、家族みたいなもんかな。あいつ、王子で次の長でさ。肩に背負ってるもんは俺らとは比べもんにならないけど、だからって置いてかれたことは一度もない。ギルは何でも“俺がやる”って言うけど、俺はそんなあいつを支えるって決めてんだ」

 その声には、熱さよりも穏やかで静かな芯のようなものがあった。リアは、言葉にできない気持ちが胸にじんわりと染み込んでくるのを感じた。

 その隣で、レオンハルトが僅かに視線を落とし、声を落として呟く。

「僕は……エルマーに引っ張られて、来ただけです」
「え?」

 思わず聞き返したリアに、レオンハルトは視線を手元に落としたまま、静かに言葉を続けた。

「どこに行っても居場所がなくて……ずっと浮いてた。訓練でも、何をやっても惜しいって言われて、誰にもちゃんと見られてなかった。けどエルマーが、“お前のこと、ギルのそばに置きたい”って言って、従者に推薦してくれた」

 エルマーは照れたように笑いながら、肩をすくめて言った。

「だってレオって、戦うときはギルの動きに一番よく合わせて動けんだよ! おまけに、たまに鋭いこと言うし。まあ、普段はちょっとボーッとしてるけどよ」

 その言葉に、レオンハルトが小さく息を吐く。それはため息ではなく、何かを軽く手放すような音だった。

「……僕は、言われた通りにしか動けないと思ってた。でも、ギルと一緒にいると少しだけ、自分で考えて動こうって思える。あの人は、僕にそういう場所をくれた人なんだ」

 言葉の重みに、リアは思わず背筋を伸ばす。
 誰かのために存在できること。その誰かが、自分を信じてくれているということ――それがどれほどの力になるのかを、彼らは当たり前のように知っているのだと思った。

 ギルフォードは我儘で、強くて、いつも前を見ていて、でもその背中には――ちゃんと、それを見守る人たちがいる。
 彼に仕えているというよりも、彼と一緒に立っている人たちだ。

「なんか、いいね」

 ぽつりと口をついた言葉に、エルマーが「おっ」と笑った。

「いいだろ? うちの王子様! ちょっとトゲトゲしてっけど、案外悪くないんだぜ」

 レオンハルトも、どこか照れくさそうに小さく笑う。ギルフォードのことというよりかは、三人の関係性のことを言ったつもりだったけれど――二人の笑顔に、リアもつられて、ふっと口元を緩めた。

「リア。僕にも、敬語じゃなくていいですよ」
「え? ふふ……じゃあ、遠慮なく。レオンハルトも、普通に話してね」
「分かった。呼び方も……レオでいい」
「うん、レオね」
「良いじゃん良いじゃん! あとはギルだけだな!」

 広間の片隅、書類の山の影で、三人の小さな雑談は静かに続いた。
 少しずつ、けれど確実に、リアの中でこの屋敷での日々が、柔らかく息づいていくような気がしていた。

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