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(23)眠れぬ夜は誰かのため
しおりを挟むキッチンの片隅に、二人分の笑い声がふんわりと浮かんでいた。
夜も更けて静まり返った屋敷の中、そこだけは灯りが灯り、ぬくもりに包まれている。包み紙にくるまれていく色とりどりのサンドイッチからは、ローストチキンの香ばしさと、マリネされた野菜のさっぱりとした香りが立ちのぼり、作業台の上には思わず目を見張るような量が並んでいた。
「作りすぎちゃったね」
リアが手を止めて、少しだけ申し訳なさそうに苦笑する。
けれどエルマーは腕を組みながら肩をすくめ、どこか楽しそうに口元を緩めた。
「だな。……まあ、明日の朝飯にすっか」
二人は視線を交わし、そのまま声もなく笑い合う。作業を終えたあとの達成感と、ギルフォードを思って手を動かした時間の心地よさが、室内に静かに漂っていた。
後片付けまで済ませたエルマーが、ふとリアの方に振り返る。
「なあ、ギルにメモ書いといてくれ。どれがどのサンドか分かんねぇかもだし」
気軽な声で頼んだはずが、リアはタオルで手を拭いながら首を傾げ、微笑を浮かべる。
「……エルが書いた方が、喜ばれるんじゃない?」
そう返された瞬間、エルマーの目が小さく丸くなる。言葉に詰まるように瞬きをして、それから軽く息を吐いた。多分、リアが書いたほうが喜ぶような気がするけれど、ここで言うのも野暮な気がした。
「……あー……おう、じゃあ書くわ」
しぶしぶ、と言いながらも筆を取る手はどこか丁寧で、文字には不器用な優しさが滲んでいた。
『ギルへ。リアと作ったから、もし起きたら食べてくれ! カツレツとチキンソテーのサンドイッチ。残るだろうから、そしたら朝飯にします』
書き終えたメモを軽く振り、包みのいちばん上にそっと貼りつける。
それを見てリアが笑い、エルマーも「よし」と頷いた。二人の目に、並んだサンドイッチはただの食事以上のものに映っていた。
リアは部屋に戻ってから、入浴を済ませた。濡れた髪をタオルで巻いたままソファに腰掛け、ゆっくりと息をつく。手にしていたのは、ギルフォードから借りていた本。ページの最後にたどり着いたばかりで、まだ物語の余韻が胸に残っている。
静かな夜。ふと顔を上げて、ぽつりと呟いた。
「どうしよう。他のも借りたいけど……今日は、いないよね……」
確か、出先から戻って来てからはぐっすり眠っているはずだ――そう思いながらも、以前ギルフォードに言われた「勝手に持ってけ」という言葉を思い出す。
迷いながらも、髪の毛を乾かし終わってから立ち上がり、部屋を出る。書斎の前まで来た時には、胸の鼓動がいつもより大きく鳴っていた。
けれど、ほんのりと漏れる灯りに気づいた瞬間、その胸の音がさらに高まる。
「……まさか」
そっとドアを開けると、目に飛び込んできたのは、机に向かって書類に目を通す、紛れもないギルフォードの姿だった。
「ギルフォード様……!?」
思わず声が上がる。驚きに満ちた声音に、ギルフォードは顔を上げ、ゆっくりと瞼を持ち上げた。
「なんだよ」
いつもと変わらない調子の返事に、リアは一瞬戸惑ったように瞬きを繰り返す。拍子抜けしたような、それでも少しだけほっとしたような表情が、静かに滲んだ。
「……いつ、起きられたんですか?」
「さっき」
ギルフォードの返答は短く、それだけで会話が途切れる。だがその背筋は少しだけ不自然に伸びていて、目線も何となくぎこちない。恐らく、つい先ほど――いや、もっと前から目を覚ましていたのだろうと、リアはなんとなく察した。それでも、そのことに触れるのはやめておいた。
ギルフォードはどこか落ち着かない様子で視線を逸らしながらも、手元に本を持ったリアが何をしに来たのかを察したようだった。
「また、好きなの持ってけ」
「あ、はい。ありがとうございます。……あの、キッチンって、行かれました?」
リアの問いかけに、ギルフォードの肩が僅かに反応する。けれど表情には出さずに、普段通りの声で平然と返した。
「いや、行ってねぇ。……なんで」
「ふふ。じゃあ、ちょうどよかったです」
リアは目を細めて微笑みながら、本を棚に戻し、静かに向き直る。そして、ほんの少しだけ躊躇いながらも、柔らかな声で言った。
「サンドイッチ、たくさん作ったんです。お茶を淹れるので、良かったらいかがですか?」
控えめだけれど真っ直ぐな誘いだった。
その一言に、ギルフォードは薄らと瞳を細めると、無言のまま席を立ち、リアのあとに続いた。
◇
キッチンの扉を開けた瞬間、二人の鼻先をバターの香りがくすぐった。温かく甘いパンの香りと、包まれたサンドイッチの整然とした並び。室内には、まだほんのりと熱が残っていた。
リアはすぐに手を動かし、お湯を沸かし始める。棚から茶葉を選び、カップを用意していく手元は穏やかで、気遣いに満ちていた。
ギルフォードは椅子に腰を下ろし、その様子を静かに見ていた。夜の静寂の中で響く湯の音と、ティーポットに注がれる水音が、どこか心地よかった。
「多すぎだろ」
やがて湯気の立つカップを手渡されながら、ギルフォードがぽつりと呟いた。サンドイッチの量を見れば、確かに笑ってしまうほどだった。
リアは肩をすくめ、くすりと微笑んで答える。
「残ったら、明日の朝にみんなでいただきます。なので、お好きな分だけ召し上がってくださいね」
その視線は、ふとギルフォードの顔を見上げるようにして向けられた。
表情は穏やかで、どこか安堵の気配を湛えている。無理に覗き込むような視線ではなく、ただ、ちゃんと顔を見てくれているというようなやわらかさだった。眼差しには労わりと、少しの甘やかなぬくもりが宿っていた。
「それにしても、つってんだよ」
ギルフォードの緩い声が、キッチンへと響く。
今、この夜が、誰かの優しさで満たされていることに――ギルフォードもまた、気づいていた。
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