竜族への生贄かと思ったら、王子の愛妻になったのですが。

高城

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(34)紡がれた糸

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「お前、無理してんじゃねぇだろうな?」

 下山道の入り口で、ギルフォードの低く落ち着いた声がリアの耳に届いた。やや睨むような視線がこちらを向いている。

「し、してません! 本当に元気で、有り余ってるくらいです!」

 リアは慌てて胸の前で手を振り、笑顔を作って応える。竜族の薬が効きすぎたのか、体のどこにも痛みはない。むしろ何か余分な重さが消えたように、妙に軽く感じられるほどだった。

「調子に乗ってぶり返すなよ」
「乗ってません……! こんなに迷惑かけた後に、そんなこと出来ないですよっ」
「ほぉ?」

 すぐに返したものの、その返事にギルフォードがじとりと目を細めたため、リアはバツが悪そうに目を逸らした。

 その様子を後ろから見ていたレオンハルトが、控えめに笑う。

「ギルの言う通り、慎重にね。でも元気そうで良かったよ」
「うん、ありがとう」
「リーゼは俺がおぶるわ。レオ、荷物頼む」
「了解。リーゼロッテ様、気をつけてくださいね」
「ええ……悪いわね、エル」

 まだ本調子ではないリーゼロッテは、エルマーの背におぶられながらゆっくりと下山の準備を整えていた。頬の赤みも戻っていたが、動くとやはり少し苦しそうに呼吸が浅くなる。

「重かったらごめんなさいね」
「全然、むしろ思ったより軽いくらいで拍子抜けだわ」
「もうちょっと気遣いのある言い方ができないの?」
「やっべ、今のはギルの真似で……あっ、冗談冗談! 本当に軽いって意味だけな?!」

 エルマーが必死に弁解しながら笑い、リーゼロッテはその背中で小さく吹き出した。下山の空気は、思いのほかやわらかく明るい。
 そうして、五人はゆるやかな山道を下り始めた。

 小一時間後、一行は町の診療所へとたどり着いた。
 診察室の中では、医者がリアの脈を取り、口内や目の様子を入念に調べていた。ギルフォードとレオンハルトが見守る中、医者は何度か「ふむ」と唸り、やがて笑いを浮かべながらカルテを閉じた。

「ふむ、異常なし。むしろ――」
「むしろ?」

 レオンハルトが身を乗り出す。

「むしろ、人間にしては超! 健康体ですな」
「……は?」
「どうやら竜族の薬が効きすぎたみたいで。今の状態なら、たぶん五時間くらい山を走っても大丈夫でしょう」

 医者の軽い口調に、リアは困惑しながらも苦笑し、ギルフォードは深いため息をついた。一方のレオンハルトは、ようやく心の重りが取れたかのように、静かに言葉を漏らす。

「良かった……」

 怪我の深さも竜の不思議も、全ては命が無事だったという結果の前では些細に思えた。

 とは言っても、長時間怪我をしたままで過ごしたのも事実だった。
 念のため半日は安静にという医者の指示もあり、リアとリーゼロッテは診療所の奥の静かな休憩室で休んでいた。カーテン越しの光が優しく差し込む部屋の中、二つのベッドが並べられ、それぞれが毛布に包まれている。

 リーゼロッテは、横顔をこちらに向けて眠っていた。起きている間はずっと謝ってばかりだった彼女だが、今はすっかり穏やかな寝顔を見せている。

「…………」

 リアは、その寝顔を見つめたまま、ふわりと瞼を閉じた。

 帰って来られて、良かった。
 誰も欠けることなく、またこうして笑い合える場所に戻ってこられただけで良かった。それにリーゼロッテとは、これから本当の意味で仲良くなれる気がする。

 あの翼の温もりを知って、お互いを心から案じて、言葉を交わせたのだから。
 静かな眠りが、再びリアを優しく包んでいった。



「ほら二人とも、お迎えが来ましたよ」

 聞き慣れた医者の柔らかい声に、リアは瞼をゆっくりと開けた。隣のベッドでは、リーゼロッテもほぼ同時に顔を上げている。

「んん、よく寝ましたね……」
「ええ。寝疲れしてるかも……」

 寝起きでまだぼんやりとした意識のまま、二人して毛布をめくり、ゆるゆると体を起こす。窓の外にはすっかり夕方の光が差し、町はしっとりとした明るさに包まれている。

 寝ぼけ眼で廊下へ出ると、そこには見慣れた顔が並んでいた。

「お、目ぇ覚めたか」

 エルマーが片手を上げてひょいと手を振る。隣では、レオンハルトがふわりと笑っていた。

「随分気持ちよさそうに寝てたね」
「う、うぅ……恥ずかしい……」

 リアは頬を押さえて俯き、リーゼロッテも目を細めながら、小さく「よだれとか垂らしてなかったかしら」と呟いた。

「二人ともしっかり垂らしてたぞ」
「えっ!?」
「冗談だって」

 いつも通りの軽口が、なんだか妙に懐かしい空気を連れてくる。少しだけ顔を見合わせたリアとリーゼロッテは、照れ笑いしながら小さく肩を揺らした。

 そうして四人で診療所の扉を開けると、涼しい風が頬を撫でた。日が傾き始めた町は落ち着いた雰囲気で、地面には夕陽の金色が柔らかく映っている。

 そして、その入り口の階段の下には――ギルフォードの姿があった。

「あ……」

 リアがその名を呟くより早く、エルマーが口を開いた。

「なぁ、顔怖ぇって」

 確かに、ギルフォードはいつもよりもさらに険しい表情をしていた。眉間にしわが寄っていて、しかも一言も発さず、じっとこちらを見ている。

「あ?」

 ギルフォードが少し目を細めると、エルマーはあっさり笑いながら肩をすくめた。

「いや、まぁ良いわ。睨むな睨むな。目から雷出てんぞ」
「出てねえ」

 鋭い返しに思わず吹き出したリアは、肩を震わせながら階段を下りた。

 すると今度は、レオンハルトがリアに向かって穏やかに微笑む。

「じゃあ、僕たちはリーゼロッテ様を送って、先に帰ってるね」
「……え? えっ……私は?」

 思わず首を傾げるリアだったが、その間にギルフォードがくるりと背を向ける。

「お前は帰る前に、俺と寄るとこがある」
「えっ、あっ……はいっ。分かりました」

 理由は分からないけれど、何となく断ったら後悔する気がして、リアは思わず頷いていた。そして、歩き出したその背を慌てて追いかける。
 手を引かれるわけでもなく、声を掛けられるわけでもないのに、何となく置いていかれたくないと感じて足が自然と動いていた。

 背後にいたエルマーはにやけ、レオンハルトはただ微笑んでいた。
 この後、ギルフォードがリアを連れてどこへ行くのか知っているエルマーは、彼の不器用さが面白くて笑っていたし、レオンハルトは――ただ、二人が並んで歩いていることが嬉しかった。

 そうして中央広場へと向かって歩いていく二人の背を、残された三人がしばらく見送っていた。
 夕暮れの中を並んで歩くリアとギルフォード。肩が触れそうで、触れない絶妙な距離感。けれど、ギルフォードの足取りが自然にリアのペースに合わせられていくのが、穏やかで不思議な光景だった。

 その背中を、リーゼロッテはじっと見つめていた。

「お前、大丈夫なのかよ」

  しばらくの沈黙の後――エルマーがぽつりと呟いた。何が、とは言わなかった。けれどリーゼロッテはすぐにその意味を汲み取って、小さく笑った。

「ええ。すぐには消えないかもしれないけれど……もう、いいの」

 その声音には、以前のような湿った感情がなかった。憧れでも嫉妬でもない。自分自身の中に積もっていた想いが、ゆっくりと降り積もり、やがて雪解けのように静かに溶けていくような――そんな淡さだけが残っていた。

「そうか」

 エルマーはそれ以上何も言わず、ただ薄く笑いながら一歩前に出て、彼女の隣に並んだ。

 そんな二人のやり取りを、いまいち理解していなかったのがレオンハルトだった。

「……えっ、何かあったんですか?」

 真面目な顔で尋ねてくる彼に、リーゼロッテは思わず吹き出し、くすくすと笑いながら首を横に振った。

「なんでもないわよ」
「そうですか……」
「っとに、レオはそういうところあるよなぁ」
「どういうところ……?」

 不思議そうに首を傾げるレオンハルトの横で、エルマーはそっとため息をついたが、その顔はどこか楽しげだった。

 リーゼロッテが小さく息をつき、エルマーはその肩を軽く肘でつつく。二人だけの小さな会話が、もう何かを越えたことを物語っていた。

 柔らかな風が三人の間を通り抜ける。
 見送った二人の姿は、もう夕暮れに紛れて遠く小さくなっていた。



 ギルフォードに連れられて歩くうちに、リアは少しずつ足を緩めていった。

 陽が傾く通りを抜けると、やがて里の中央広場に出る。そこからさらに少し奥へ――貴族たちがよく訪れ、洒落た高級店街が並ぶ区域だ。磨き上げられた石畳の上に、精緻な看板やガス灯が並び、通りに漂う香りまでどこか優雅に思えた。

「えっ……?」

 リアは思わず立ち止まる。一度は眺めたことがあるものの、自分の身には、あまりにも場違いに思える場所だった。

 だがギルフォードは、一切迷うことなくまっすぐに一つの店へと歩みを進める。そのショーウィンドウには美しいドレスやスカーフ、ショール、小物たちが所狭しと飾られていた。刺繍の糸が金や銀に輝き、まるで宝石のように見える。

「ここ、ですか……?」

 戸惑いながら尋ねるリアに、ギルフォードは短く頷いた。

「入るぞ」

 そう言って扉を押すと、優しく澄んだ鈴の音が響いた。
 店内に足を踏み入れた途端、リアは思わず息を呑んだ。

「わぁ……すごい……!」

 外観からは想像できなかった広々とした店内に、色とりどりの布が天井まで積まれている。絹、麻、ベルベット、レース――あらゆる素材が、美しい色彩とともに所狭しと並び、空気まで染め上げているようだった。

「好きなやつ、選べ」

 不意に降ってきた声に、リアは振り返った。ギルフォードがいつもの無表情のまま、じっとこちらを見下ろしている。

「えっと……?」

 リアが戸惑ったように問い返すと、ギルフォードは少しだけ目を伏せ、どこか言いづらそうに言葉を探すような間を取った。

「お前の赤い布、破れてダメになっちまったんだろ」

 その言葉に、リアは一瞬ぽかんとしてから、目を見開いた。

「えっ、もしかして……あれの代わりに新しいものを、買ってくださるんですか?」
「……それしかねーだろ」
「そんな、助けていただいただけで充分です!」
「当たり前のことには恩を感じんのかよ」
「当たり前じゃないですよ!?」
「チッ……いいから、さっさとしろ」

 少しだけ頬を掻くような仕草をして、ギルフォードは目を逸らした。

「値段は気にすんな。素材も色も、お前の好きに選べ」

 そう言って、店の中央に置かれていた深紅のベルベットの椅子にギルフォードはどかりと腰を下ろした。その背もたれには金糸の房飾りが垂れている。

 妙に似合っている姿を見て、思わずリアは吹き出しそうになった。
 普段は顰めっ面を浮かべている姿ばかりが思い浮かぶ彼が、こんな優美な空間で豪奢な椅子に座っている。そのギャップに、リアはくすりと笑ってしまった。

「えっと、どこから見ようかな」

 リアは気を取り直し、店内をそっと歩き始めた。棚の間を縫うように、一枚ずつ丁寧に布を手に取る。白や青、緑のレースもあったが、なぜか心惹かれるのは、やはり赤の棚だった。

「別に……もう、赤じゃなくても良いのに」

 そう小さく呟きつつも、指先は自然と一枚の布に触れていた。
 深みのある赤に、細やかな金糸の刺繍。光の角度でほのかに竜の鱗のような紋様が浮かぶ。触れた瞬間、ぴたりと肌になじんだ。視覚はもちろん、直感で好ましく思った。

 手に取って振り返ると、ギルフォードが少しだけ首を傾げてこちらを見ていた。

「ギルフォード様、これにします」
「また赤でいいのか?」
「はい。……前に、レオに言われて気付いたんですけど。私、赤が好きなので」

 その言葉を聞いたギルフォードは、一瞬だけ驚いたように眉を上げる。けれどすぐに、ふっと短く息を吐いて小さく笑った。

「そうかよ」

 それだけ呟いて立ち上がり、リアから布を受け取ると、店の奥に向かって歩き出した。その背中は、どこか照れているようで、けれど確かな優しさを湛えていた。

 リアはその後ろ姿を見つめながら、少し高鳴る胸を撫で下ろした。
 また一歩、ギルフォードとの距離が近づいたような気がした。

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