竜族への生贄かと思ったら、王子の愛妻になったのですが。

高城

文字の大きさ
42 / 47

(37)隔絶の地

しおりを挟む


 アルバンの涙がようやく落ち着いたのを見計らって、リアはそっと声をかけた。

「何か、温かいものでも淹れましょうか」
「本当? 紅茶がいい!」
「はい。そうしましょうか」

 涙の跡がまだ残る顔を上げて、アルバンは元気に頷く。リアは手を引きながら、二人で静かな廊下を歩き、キッチンへと向かった。
 夕食前のキッチンはすっかり片付けられていて、今はしんと静まり返っている。窓の外には夜の帳が降り始め、ほの暗い空に星の瞬きがひとつ、ふたつと灯っていた。

 リアは棚からティーポットとカップを取り出しながら、小さく問いかける。

「ミルクは入れますか?」
「うんっ。ジャムも入れたいな!」
「ふふ、いいですよ」

 いつもの調子が戻りつつあるアルバンの声に、リアも自然と微笑みがこぼれた。静かに湯を沸かし、紅茶の葉をポットに落とす。くるくると広がる香りに包まれながら、二人分のカップに濃い琥珀色の液体が注がれていく。

 ふわり、と甘く柔らかな匂いが立ち上ったそのとき――

「……僕も、もらっていい……?」

 どこか魂の抜けたような声とともに、レオンハルトがキッチンに現れた。目の下にはうっすらとクマができ、片手にはまだ未整理の資料を何枚も持っている。

「もちろん。すぐに用意するね」

 リアは慌ててもうひとつカップを用意しながら、レオンハルトの前にも紅茶を差し出した。

「お仕事、落ち着きそう?」
「……まだ三割……」

 うめくように答えて、カップに口をつけるレオンハルト。その疲労困憊ぶりに、アルバンも「レオだいじょうぶ……?」と小声で心配そうに覗き込んでいた。

「私に、何か手伝えることはあるかな?」

 そう申し出ると、レオンハルトはしばらく考える素振りを見せたが、やがて首を振って静かに笑った。

「ううん。……これで十分。ありがと……」

 湯気を立てる紅茶の香りに僅かに目を細めながら、レオンハルトはカップを持ち、ふらふらと片腕に資料を抱えて部屋を出て行った。少しだけ気力を取り戻したような背中を見送って、リアとアルバンは顔を見合わせて小さく笑う。

「多めに淹れててよかったですね」
「うん。リアの紅茶、あったかくておいしいもん!」

 ほっこりとした時間が流れる中、ふたりはゆっくりとカップを傾けた。

 紅茶を飲み終えると、アルバンは空になったカップを丁寧に置き、くるりと体を向けて「そろそろ帰るね」と微笑んだ。

「またね、リア」
「送って行かなくて大丈夫ですか?」

 そう問いかけると、アルバンは少しだけ胸を張って、しっかりとした声で答えた。

「うん! ちゃんと、一人で帰れるよ!」

 そう言って、リアにぎゅっと抱きついてくる。あたたかいその体を包むように、リアは優しく頭を撫でた。

「……あの、アルバン様。一つだけ、お聞きしてもいいですか?」
「いいよ。どうしたの?」

 少しだけ真剣な声音に、アルバンは小さく首を傾げた。リアは躊躇いがちに、けれどはっきりと尋ねる。

「さっきの方って……この辺りに住んでいらっしゃるのでしょうか?」

 問いかけたのは、また出会したらどうしようという恐怖からではなかった。ただ、あの老人は、今まで出会った誰とも違う風貌をしていて――それが単純に気になったのだ。

 アルバンはリアの腕の中からそっと身を離すと、少し考えるように視線を泳がせた。

「たぶん、前の里に住んでる人だとおもう……」
「前の、里……?」

 リアが首を傾げると、アルバンはコクリと頷いた。

「うん。たまにね、おばあちゃんが様子を見に行ってるんだよ。今はみんなこの里にいるけど、王宮の奥の方に“前の竜の里”があるの」

 その言葉に、リアは思わず目を見開いた。そんな場所が存在することなど、今まで一度も聞いたことがなかった。
 けれど、アルバンの様子は嘘をついているようには見えなかった。彼は言葉を続ける。

「そこに残ってる人たちはね、こっちには来たくないんだって。たまにおばあちゃんとか王様が説得しに行くけど、みんな昔の暮らしのままがいいって」
「……そう、だったんですね」

 リアはそっと頷きながら、その言葉の一つひとつを心の中に丁寧に落としていく。

「アルバン様は、物知りですね」

 感心したように微笑むと、アルバンはちょっと得意げに鼻を鳴らした。

「えへへ。だって、おばあちゃんにいっぱい聞いてるからね!」

 その笑顔を見た瞬間、リアの中にずっと重く残っていた何かが、やわらかくほぐれていくような気がした。ようやく、あの子らしい笑顔が戻ってきた。その事実が何より嬉しかった。

「また来るねっ!」
「はい。気を付けて帰ってくださいね」

 大きく手を振りながら、アルバンは門へと駆け出していく。

 リアはその後ろ姿を、しばらくのあいだ見つめていた。彼の銀色の髪が、夜の光の中できらきらと揺れていた。



 アルバンを見送ったあと、リアはゆっくりと屋敷の奥へと歩を進めた。まだ夕食までには少し時間がある。身体も心も落ち着いてきた今、少し自分の中の疑問に向き合いたいと思った。

 向かったのは、あの重厚な扉のある書斎だった。ギルフォードの私室のような扱いでもあり、共用の資料部屋でもあるそこには、びっしりと本が収められている。

 ノックをして、返事を待つ。
 けれど、扉の向こうからは何の気配も感じられなかった。

「失礼します……」

 そっと扉を開けると、中は静まり返っていて――珍しく、ギルフォードの姿がなかった。どこかに出ているのか、それとも他の場所にいるのか。緊張の糸がふっと緩んで、リアは小さく息を吐いた。

 棚に並ぶ本の背表紙の文字は、来たばかりの頃よりもだいぶ読めるようになっていた。ひとつ、またひとつと指でなぞりながら、目を細めて眺めていく。

「……あった。歴史の本……」

 タイトルに『竜族史略』と刻まれた、その本は比較的新しい装丁だった。内容も比較的現代寄りのものだろうとあたりをつけて、丁寧に抜き出す。
 その隣にあった『地勢と系譜』『王権の記録』といったタイトルの本も合わせて数冊、腕に抱える。

 少し重たいそれらを持って、リアはそのまま自室へと戻った。



 カーテンを半分だけ開けて、自然光が差す机の上に本を並べると、リアは椅子に腰を下ろし、ひとつずつページを繰り始めた。

 最初は分かる単語を拾うようにゆっくりと。けれど読み進めるうちに、古い言葉や竜語の注釈にも少しずつ慣れ、想像よりもずっと多くのことが読み取れるようになっていた。

 そして、ようやく一冊の中盤――リアは思わず手を止めた。
 そこには、はっきりとこう記されていた。

 “王宮の裏手、さらに奥深い山岳地帯に存在する旧竜族の集落。岩肌を削って作られた洞窟や、苔むした石造りの家屋が点在する。”

 リアは息を呑んだ。

 “その地には、人間の言葉を話すことが困難な、生粋の竜族の長老たちが多く住まう。現在の里から移住せず、古い慣習と因縁を守り続ける彼らは、王宮からも一定の距離を取っている。”

 アルバンが言っていた通り、ルナルディが年に数度その集落を訪れ、口伝される歴史や出来事を記録しているともあった。

 “庭には原種のフルーツや薬草が自然に自生しており、交易に頼らぬ生活が今なお保たれている。商業の要素はなく、言葉も風習も、古のままに――”

 淡々とした記述の奥に、どこか神秘と隔絶の匂いがあった。

 リアはしばらく黙ってページを見つめたまま、指先でそこに描かれていた石造りの家屋のスケッチをなぞった。湿った土の匂い、翳る木々、低く流れる霧のような空気。書かれていないそれらの感覚が、言葉の隙間からじわじわと滲んできた。

「……王宮の、裏……?」

 ぽつりと声に出して、リアはそのまま机に突っ伏すように両肘をついた。

「っていうか、そもそも王宮って……どこ?」

 この地に来て以来、そういえばリアは“王宮”と呼ばれる場所を一度も見ていなかった。エルマーたちが時折口にするものの、明確な場所としては聞かされていなかった気がする。

 ぎゅっと頭を押さえながら、リアはひとりで唸る。

 そのときだった。

 コンコン――

 短く、軽いノックの音がして、続いて青年の声が響いた。

「リア、メシ出来てんぞ?」

 エルマーだった。

「あっ……ごめんっ、今行く!」
「おう。今日はレオの焼きすぎたステーキだぜ」
「ギルフォード様が怒りそうだね……?」
「それなぁ」

 慌てて立ち上がり、読みかけの本を丁寧に閉じて重ねる。椅子を戻しながら、もう一度だけ机の上を見て、思わず呟いた。

「……夢の話じゃ、ないんだよね」

 小さくそう確認して、リアは食堂へと足を向けた。

しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

魔法師団長の家政婦辞めたら溺愛されました

iru
恋愛
小説家になろうですでに完結済みの作品です。よければお気に入りブックマークなどお願いします。 両親と旅をしている途中、魔物に襲われているところを、魔法師団に助けられたティナ。 両親は亡くなってしまったが、両親が命をかけて守ってくれた自分の命を無駄にせず強く生きていこうと決めた。 しかし、肉親も家もないティナが途方に暮れていると、魔物から助けてくれ、怪我の入院まで面倒を見てくれた魔法師団の団長レオニスから彼の家政婦として住み込みで働かないと誘われた。 魔物から助けられた時から、ひどく憧れていたレオニスの誘いを、ティナはありがたく受ける事にした。 自分はただの家政婦だと強く言い聞かせて、日に日に膨らむ恋心を抑え込むティナだった。 一方、レオニスもティナにどんどん惹かれていっていた。 初めはなくなった妹のようで放っては置けないと家政婦として雇ったが、その健気な様子に強く惹かれていった。 恋人になりたいが、年上で雇い主。 もしティナも同じ気持ちでないなら仕事まで奪ってしまうのではないか。 そんな思いで一歩踏み出せないレオニスだった。 そんな中ある噂から、ティナはレオニスの家政婦を辞めて家を出る決意をする。 レオニスは思いを伝えてティナを引き止めることができるのか? 両片思いのすれ違いのお話です。

身代わりで呪いの公爵に嫁ぎましたが、聖女の力で浄化したら離縁どころか国一番の溺愛妻になりました〜実家が泣きついてももう遅い〜

しょくぱん
恋愛
「お前のような無能は、死神の生贄にでもなっていろ」 魔力なしの無能と蔑まれ、家族に虐げられてきた伯爵令嬢レティシア。 彼女に命じられたのは、近づく者すべてを病ませるという『呪いの公爵』アレクシスへの身代わり結婚だった。 鉄格子の馬車で運ばれ、たどり着いたのは瘴気に満ちた死の城。 恐ろしい怪物のような男に殺される――。 そう覚悟していたレティシアだったが、目の前の光景に絶望よりも先に別の感情が湧き上がる。 (な、何これ……汚すぎるわ! 雑巾とブラシはどこ!?) 実は、彼女が「無能」と言われていたのは、その力が『洗浄』と『浄化』に特化した特殊な聖女の魔力だったから。 レティシアが掃除をすれば、呪いの瘴気は消え去り、枯れた大地には花が咲き、不気味だった公爵城はまたたく間にピカピカの聖域に塗り替えられていく。 さらには、呪いで苦しんでいたアレクシスの素顔は、見惚れるほどの美青年で――。 「レティシア、君は一体何者なんだ……? 体が、こんなに軽いのは初めてだ」 冷酷だったはずの公爵様から、まさかの執着と溺愛。 さらには、呪いが解けたことで領地は国一番の豊かさを取り戻していく。 一方で、レティシアを捨てた実家は、彼女の『浄化』を失ったことで災厄に見舞われ、今さら「戻ってきてくれ」と泣きついてくるが……。 「私は今、お城の掃除と旦那様のお世話で忙しいんです。お引き取りくださいませ」 これは、掃除を愛する薄幸令嬢が、その愛と魔力で死神公爵を救い、最高に幸せな居場所を手に入れるまでのお話。

【完結】島流しされた役立たず王女ですがサバイバルしている間に最強皇帝に溺愛されてました!

●やきいもほくほく●
恋愛
──目が覚めると海の上だった!? 「メイジー・ド・シールカイズ、あなたを国外に追放するわ!」 長年、虐げられてきた『役立たず王女』メイジーは異母姉妹であるジャシンスに嵌められて島流しにされている最中に前世の記憶を取り戻す。 前世でも家族に裏切られて死んだメイジーは諦めて死のうとするものの、最後まで足掻こうと決意する。 奮起したメイジーはなりふり構わず生き残るために行動をする。 そして……メイジーが辿り着いた島にいたのは島民に神様と祀られるガブリエーレだった。 この出会いがメイジーの運命を大きく変える!? 言葉が通じないため食われそうになり、生け贄にされそうになり、海に流されそうになり、死にかけながらもサバイバル生活を開始する。 ガブリエーレの世話をしつつ、メイジーは〝あるもの〟を見つけて成り上がりを決意。 ガブリエーレに振り回されつつ、彼の〝本来の姿〟を知ったメイジーは──。 これは気弱で争いに負けた王女が逞しく島で生き抜き、神様と運を味方につけて無双する爽快ストーリー!

敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています

藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。 結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。 聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。 侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。 ※全11話 2万字程度の話です。

美男美女の同僚のおまけとして異世界召喚された私、ゴミ無能扱いされ王城から叩き出されるも、才能を見出してくれた隣国の王子様とスローライフ 

さら
恋愛
 会社では地味で目立たない、ただの事務員だった私。  ある日突然、美男美女の同僚二人のおまけとして、異世界に召喚されてしまった。  けれど、測定された“能力値”は最低。  「無能」「お荷物」「役立たず」と王たちに笑われ、王城を追い出されて――私は一人、行くあてもなく途方に暮れていた。  そんな私を拾ってくれたのは、隣国の第二王子・レオン。  優しく、誠実で、誰よりも人の心を見てくれる人だった。  彼に導かれ、私は“癒しの力”を持つことを知る。  人の心を穏やかにし、傷を癒す――それは“無能”と呼ばれた私だけが持っていた奇跡だった。  やがて、王子と共に過ごす穏やかな日々の中で芽生える、恋の予感。  不器用だけど優しい彼の言葉に、心が少しずつ満たされていく。

捨てられ侯爵令嬢ですが、逃亡先で息子と幸せに過ごしていますので、邪魔しないでください。

蒼月柚希
恋愛
公爵様の呪いは解かれました。 これで、貴方も私も自由です。 ……だから、もういいですよね? 私も、自由にして……。 5年後。 私は、ある事情から生まれ育った祖国を離れ、 親切な冒険者パーティーと、その地を治める辺境伯様のご家族に守られながら、 今日も幸せに子育てをしています。 だから貴方も勝手に、お幸せになってくださいね。 私のことは忘れて……。 これは、お互いの思いがこじれ、離れ離れになってしまった一組の夫婦の物語。 はたして、夫婦は無事に、離婚を回避することができるのか?

一級魔法使いになれなかったので特級厨師になりました

しおしお
恋愛
魔法学院次席卒業のシャーリー・ドットは、 「一級魔法使いになれなかった」という理由だけで婚約破棄された。 ――だが本当の理由は、ただの“うっかり”。 試験会場を間違え、隣の建物で行われていた 特級厨師試験に合格してしまったのだ。 気づけばシャーリーは、王宮からスカウトされるほどの “超一流料理人”となり、国王の胃袋をがっちり掴む存在に。 一方、学院首席で一級魔法使いとなった ナターシャ・キンスキーは、大活躍しているはずなのに―― 「なんで料理で一番になってるのよ!?  あの女、魔法より料理の方が強くない!?」 すれ違い、逃げ回り、勘違いし続けるナターシャと、 天然すぎて誤解が絶えないシャーリー。 そんな二人が、魔王軍の襲撃、国家危機、王宮騒動を通じて、 少しずつ距離を縮めていく。 魔法で国を守る最強魔術師。 料理で国を救う特級厨師。 ――これは、“敵でもライバルでもない二人”が、 ようやく互いを認め、本当の友情を築いていく物語。 すれ違いコメディ×料理魔法×ダブルヒロイン友情譚! 笑って、癒されて、最後は心が温かくなる王宮ラノベ、開幕です。

転移先で日本語を読めるというだけで最強の男に囚われました

桜あずみ
恋愛
異世界に転移して2年。 言葉も話せなかったこの国で、必死に努力して、やっとこの世界に馴染んできた。 しかし、ただ一つ、抜けなかった癖がある。 ──ふとした瞬間に、日本語でメモを取ってしまうこと。 その一行が、彼の目に留まった。 「この文字を書いたのは、あなたですか?」 美しく、完璧で、どこか現実離れした男。 日本語という未知の文字に強い関心を示した彼は、やがて、少しずつ距離を詰めてくる。 最初はただの好奇心だと思っていた。 けれど、気づけば私は彼の手の中にいた。 彼の正体も、本当の目的も知らないまま。すべてを知ったときには、もう逃げられなかった。 毎日19時に更新予定です。

処理中です...