竜族への生贄かと思ったら、王子の愛妻になったのですが。

高城

文字の大きさ
45 / 47

(40)説き明かす

しおりを挟む


 窓辺の光が、揺れるティーカップの縁に淡く反射していた。
 さざ波のような穏やかな空気が漂う中で、ふと、一陣の風が通り抜けるように雰囲気が変わった。

「……なあ、アルフレッド様」
「なんだい?」

 エルマーの声が、静かに場を引き締めた。

「その……規約のこと、どう思ってるんですか?」

 差し込む光の中で、アルフレッドが一つゆっくりと頷く。
 椅子の背に身を預け、その声音には年輪を感じさせる重みが滲んでいた。

「“もしも同じ年月に子が生まれたなら、その子を竜族に差し出す”……だったな」
「はい。この里で、規約のことを知らない奴はいないっすよね」

 カミラが静かに席を外し、棚に向かって茶器を整えはじめる。
 まるで彼女自身が、長い年月を知る証人であるかのように、静かな動きと表情には厳かな思いが宿っていた。

 アルフレッドの言葉に、リアは自然とギルフォードを見た。
 彼もまた、同じように彼女を見返していた。
 まるで二人が――古の誓いの答えであるかのように、世界が静かに重なっていた。

「それから、何百年も“同じ年月”に子が生まれることはなかった。人々は誓いを忘れ、伝説はただの昔話となった……だが」
「……まさか、本当にそんな“運の悪い子供”が生まれるとはな」

 ギルフォードの言葉は、静かで低い。だが、そこには皮肉と疲弊が入り混じっていた。

「こっちは振り回されて、散々だ」

 その言葉に、リアは一瞬だけ目を伏せた。
 けれど、次に顔を上げたときには、確かな意志が宿っていた。

「……私は、“差し出された”なんて思っていません」

 その声は、まっすぐで揺るぎなかった。

「あの時も、自分の意思でここに来ました」

 ふっと場が静まり返る。
 リアの言葉が、午後の光に溶け込むように空気を染める。

「ほう……」

 アルフレッドが目を細め、小さく笑みを浮かべる。
 そして、誰よりも――ギルフォードがその言葉を、しっかりと受け止めていた。
 わずかに揺れる瞳の奥に、何かが音を立てて緩む気配があった。

 アルフレッドは、二人の様子を眺めながら目を細めた。

「……思えば、この誓いがあったからこそ、今の出会いがあるのかもしれないな。ギルフォードの母に出会ったのも――人間の世界に興味を持ち、何度か足を運ぶようになってからだった」

 その言葉に、リアは自然と身を乗り出した。

「ギルフォード様のお母様って……人間の方だったんですか?」
「ああ。ある街で出会った。……あんなに美しい人を見たのは、生まれて初めてだった。一目惚れしたよ」

 アルフレッドの瞳に、柔らかな追憶の色が浮かぶ。
 その眼差しを見れば、かつてどれほど深く心を奪われたのかが伝わってくる。

「なんだか……素敵なお話ですね」
「はは。しつこいくらい口説いて、ようやく結婚してもらえたよ」
「今日は……お母様はいらっしゃらないんですか?」

 リアの問いに、アルフレッドの視線がふと遠くを見つめるように揺れた。
 そして、言葉を選ぶように、ゆっくりと口を開いた。

「今は、というか……もうずっと前から、この里にはいない」
「え……?」
「産後、少しずつ心を病んでいった。弱った人間の身体に、この里の空気は合わなかったようだ。でも私が――それに気づくのが遅すぎた」
「……今は、どちらに?」
「森にいる。静かで安全な場所に、そっと……暮らしてもらっているよ」

 リアはギルフォードに視線を移す。
 けれど、彼はそれを受け止めようとはしなかった。口を閉ざしたまま、その奥底には言葉にならない想いが渦巻いている。

「あれで守ったつもりかよ」

 ギルフォードの声が落ちた瞬間、部屋の温度が変わる。
 静かな怒りと、それ以上に、癒えない痛みがにじみ出ていた。

「幼いお前には、寂しい思いをさせたと思っている」
「……母親の顔も知らねぇどころか、教育係に育てられたんだ。お前に、俺が何をどう思ってたかなんて分かるはずねぇだろ」

 その一言は、痛みを知る者にしか持たない重さがあった。
 アルフレッドは返す言葉を持たず、ただ深く息を吐いた。ギルフォードから言われずとも、間違えた教育だったとは自覚している。だからこそ、本人から言われると心臓の柔いところを突いてくるようだった。

 リアは、そっとティーカップを置いた。
 胸に手を当てて、震える声で、それでも真っすぐに言葉を届ける。

「……でも、ギルフォード様は、それでも……真っ直ぐに育たれました」

 その声が、痛みを包む。

「誰よりも真面目で、責任感が強くて。優しくて、努力家で……。私は、そんなギルフォード様を……心から尊敬しています」

 沈黙が満ちる。
 ギルフォードの肩が僅かに動き、彼の目がゆっくりとリアへ向けられる。

 その視線は、もう怒りだけではなかった。今までの時間がほんの少し報われたような気がして、でも素直に受け取ることも出来なくて、ギルフォードはきゅっと唇を結ぶ。

「……意味分かんねぇし、バカじゃねーの」
「ふふ。よく言われます」
「だろうな」

 そう言いながらも、ギルフォードはどこか照れくさそうに目を逸らした。
 カミラが、ちょうどそのタイミングを見計らったように、湯気の立つポットをそっと置く。

「皆様、お茶のおかわりをどうぞ」

 アルフレッドが肩を竦め、茶器に手を伸ばす。

「……ああ。これだから、人の親というのは難しい」

 その言葉に、ギルフォードもようやくティーカップを手に取り、黙って一口、口をつけた。

 かつて冷え切っていた王宮の一室に、今、確かに温かな何かが灯っていた。



 静まり返っていた室内に、軽やかに水を打つような声が響いた。

「そういえば――本当は何のために、王宮に来たんだい?」

 ヴィルヘルムだった。微笑を浮かべながら、あえて何気ない口調で尋ねる。
 だが、その質問が“ギルフォードが父に会いに来たわけではない”ことを、誰もが分かっていて投げかけた言葉だということも、場にいた全員が察していた。

「…………」

 予想通り、ギルフォードは返事をせず、代わりにアルフレッドの方から返ってきたのは――

「……そんな、みんな酷いじゃないか……」

 わざとらしく肩を落としながら、しかしどこか本気でしょんぼりしたように、ティーカップの縁を見つめていた。

「落ち込むなよ、王様……」

 エルマーが困ったように笑う横で、ギルフォードはやれやれとため息を吐いた。

「こいつが王宮と旧里を見てみてぇっつったから、寄っただけだわ」

 そっけなくそう言いながらも、視線の端でリアを見やる。横目にちらりと短く。
 リアは、少しだけ驚いたように見上げ――それから微笑んだ。

「はい、ありがとうございます。ギルフォード様は、お優しいですもんね」
「優しくねぇわ」

 ギルフォードは即座に否定したが、耳元がほんのり赤くなっていた。

 その様子を見ていたアルフレッドが、ぽん、と手を打つようにして顔を上げる。

「よし! それならば、私が案内役を務めよう」
「来んな」

 即答だった。
 だが、アルフレッドはまるで聞いていないかのように肩を竦めて、穏やかに言った。

「そもそも今日の私の公務は、旧里に向かって長老たちを説得する予定だったのだよ。つまり、どのみち向かうことになっていた」
「……は?」

 ギルフォードが眉をしかめたが、アルフレッドは構わず続けた。

「リア。この王宮はね、旧里と現里のちょうど境目に建っているんだ」

 穏やかに説明しながら、アルフレッドの瞳にはかつての記憶の光が宿る。

「昔は、今よりも北側にある“旧里”が竜族の主要な生活圏だった。だが、人間との戦が終わったあと、交易や若者の活動拠点が徐々に南側に移っていってね。やがて裏門だった地が、人間との交流の入口になった。そして、今の正門に昇格したというわけだ」
「じゃあ、昔は……王宮の裏側が、表だったってことなんですね」
「その通り。ギルフォードの屋敷が現在の正門のすぐ近くにあるのも、そのためだ。かつての王族の住まいは、旧正門の内側に設けられることが通例だったからね」
「面倒臭えな」

 ギルフォードがぼそりと呟いたが、リアはどこか感慨深そうに、王宮の柱や壁を見回していた。

「でも……だからこそ、ここには色んな時代の気配が残ってるんですね」
「ああ。竜族の誇りも、過去の傷も、すべてがこの場所に刻まれている。君がこの場所に立つ意味も、きっとそこにある」

 アルフレッドの言葉に、リアの胸の奥に、ふわりと温かいものが灯る。
 ギルフォードは何も言わなかったが、彼の横顔は先ほどよりも固くはなかった。

 こうして、過去と現在が交錯する“旧き道”へと、王宮をあとにする準備が、静かに始まろうとしていた。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

魔法師団長の家政婦辞めたら溺愛されました

iru
恋愛
小説家になろうですでに完結済みの作品です。よければお気に入りブックマークなどお願いします。 両親と旅をしている途中、魔物に襲われているところを、魔法師団に助けられたティナ。 両親は亡くなってしまったが、両親が命をかけて守ってくれた自分の命を無駄にせず強く生きていこうと決めた。 しかし、肉親も家もないティナが途方に暮れていると、魔物から助けてくれ、怪我の入院まで面倒を見てくれた魔法師団の団長レオニスから彼の家政婦として住み込みで働かないと誘われた。 魔物から助けられた時から、ひどく憧れていたレオニスの誘いを、ティナはありがたく受ける事にした。 自分はただの家政婦だと強く言い聞かせて、日に日に膨らむ恋心を抑え込むティナだった。 一方、レオニスもティナにどんどん惹かれていっていた。 初めはなくなった妹のようで放っては置けないと家政婦として雇ったが、その健気な様子に強く惹かれていった。 恋人になりたいが、年上で雇い主。 もしティナも同じ気持ちでないなら仕事まで奪ってしまうのではないか。 そんな思いで一歩踏み出せないレオニスだった。 そんな中ある噂から、ティナはレオニスの家政婦を辞めて家を出る決意をする。 レオニスは思いを伝えてティナを引き止めることができるのか? 両片思いのすれ違いのお話です。

身代わりで呪いの公爵に嫁ぎましたが、聖女の力で浄化したら離縁どころか国一番の溺愛妻になりました〜実家が泣きついてももう遅い〜

しょくぱん
恋愛
「お前のような無能は、死神の生贄にでもなっていろ」 魔力なしの無能と蔑まれ、家族に虐げられてきた伯爵令嬢レティシア。 彼女に命じられたのは、近づく者すべてを病ませるという『呪いの公爵』アレクシスへの身代わり結婚だった。 鉄格子の馬車で運ばれ、たどり着いたのは瘴気に満ちた死の城。 恐ろしい怪物のような男に殺される――。 そう覚悟していたレティシアだったが、目の前の光景に絶望よりも先に別の感情が湧き上がる。 (な、何これ……汚すぎるわ! 雑巾とブラシはどこ!?) 実は、彼女が「無能」と言われていたのは、その力が『洗浄』と『浄化』に特化した特殊な聖女の魔力だったから。 レティシアが掃除をすれば、呪いの瘴気は消え去り、枯れた大地には花が咲き、不気味だった公爵城はまたたく間にピカピカの聖域に塗り替えられていく。 さらには、呪いで苦しんでいたアレクシスの素顔は、見惚れるほどの美青年で――。 「レティシア、君は一体何者なんだ……? 体が、こんなに軽いのは初めてだ」 冷酷だったはずの公爵様から、まさかの執着と溺愛。 さらには、呪いが解けたことで領地は国一番の豊かさを取り戻していく。 一方で、レティシアを捨てた実家は、彼女の『浄化』を失ったことで災厄に見舞われ、今さら「戻ってきてくれ」と泣きついてくるが……。 「私は今、お城の掃除と旦那様のお世話で忙しいんです。お引き取りくださいませ」 これは、掃除を愛する薄幸令嬢が、その愛と魔力で死神公爵を救い、最高に幸せな居場所を手に入れるまでのお話。

敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています

藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。 結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。 聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。 侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。 ※全11話 2万字程度の話です。

美男美女の同僚のおまけとして異世界召喚された私、ゴミ無能扱いされ王城から叩き出されるも、才能を見出してくれた隣国の王子様とスローライフ 

さら
恋愛
 会社では地味で目立たない、ただの事務員だった私。  ある日突然、美男美女の同僚二人のおまけとして、異世界に召喚されてしまった。  けれど、測定された“能力値”は最低。  「無能」「お荷物」「役立たず」と王たちに笑われ、王城を追い出されて――私は一人、行くあてもなく途方に暮れていた。  そんな私を拾ってくれたのは、隣国の第二王子・レオン。  優しく、誠実で、誰よりも人の心を見てくれる人だった。  彼に導かれ、私は“癒しの力”を持つことを知る。  人の心を穏やかにし、傷を癒す――それは“無能”と呼ばれた私だけが持っていた奇跡だった。  やがて、王子と共に過ごす穏やかな日々の中で芽生える、恋の予感。  不器用だけど優しい彼の言葉に、心が少しずつ満たされていく。

捨てられ侯爵令嬢ですが、逃亡先で息子と幸せに過ごしていますので、邪魔しないでください。

蒼月柚希
恋愛
公爵様の呪いは解かれました。 これで、貴方も私も自由です。 ……だから、もういいですよね? 私も、自由にして……。 5年後。 私は、ある事情から生まれ育った祖国を離れ、 親切な冒険者パーティーと、その地を治める辺境伯様のご家族に守られながら、 今日も幸せに子育てをしています。 だから貴方も勝手に、お幸せになってくださいね。 私のことは忘れて……。 これは、お互いの思いがこじれ、離れ離れになってしまった一組の夫婦の物語。 はたして、夫婦は無事に、離婚を回避することができるのか?

一級魔法使いになれなかったので特級厨師になりました

しおしお
恋愛
魔法学院次席卒業のシャーリー・ドットは、 「一級魔法使いになれなかった」という理由だけで婚約破棄された。 ――だが本当の理由は、ただの“うっかり”。 試験会場を間違え、隣の建物で行われていた 特級厨師試験に合格してしまったのだ。 気づけばシャーリーは、王宮からスカウトされるほどの “超一流料理人”となり、国王の胃袋をがっちり掴む存在に。 一方、学院首席で一級魔法使いとなった ナターシャ・キンスキーは、大活躍しているはずなのに―― 「なんで料理で一番になってるのよ!?  あの女、魔法より料理の方が強くない!?」 すれ違い、逃げ回り、勘違いし続けるナターシャと、 天然すぎて誤解が絶えないシャーリー。 そんな二人が、魔王軍の襲撃、国家危機、王宮騒動を通じて、 少しずつ距離を縮めていく。 魔法で国を守る最強魔術師。 料理で国を救う特級厨師。 ――これは、“敵でもライバルでもない二人”が、 ようやく互いを認め、本当の友情を築いていく物語。 すれ違いコメディ×料理魔法×ダブルヒロイン友情譚! 笑って、癒されて、最後は心が温かくなる王宮ラノベ、開幕です。

転移先で日本語を読めるというだけで最強の男に囚われました

桜あずみ
恋愛
異世界に転移して2年。 言葉も話せなかったこの国で、必死に努力して、やっとこの世界に馴染んできた。 しかし、ただ一つ、抜けなかった癖がある。 ──ふとした瞬間に、日本語でメモを取ってしまうこと。 その一行が、彼の目に留まった。 「この文字を書いたのは、あなたですか?」 美しく、完璧で、どこか現実離れした男。 日本語という未知の文字に強い関心を示した彼は、やがて、少しずつ距離を詰めてくる。 最初はただの好奇心だと思っていた。 けれど、気づけば私は彼の手の中にいた。 彼の正体も、本当の目的も知らないまま。すべてを知ったときには、もう逃げられなかった。 毎日19時に更新予定です。

傾国の魔女が死んだら、なぜか可愛いお姫様に転生していた。

夜のトラフグ
恋愛
 ーー帝国の人々を五百年間、震え上がらさせた魔女が討たれた。その吉報が国中に届いたとき、時を同じくして、城にそれは可愛いお姫様が生まれていた。  誰も知らない。そのお姫様が、討たれた魔女の生まれ変わりであることを。  魔女の生まれ変わりと周囲の心温まる交流物語。を目指します。

処理中です...