無口なきみの声を聞かせて ~地味で冴えない転校生の正体が大人気メンズアイドルであることを俺だけが知っている~

槿 資紀

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第十話

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 せっかく祖父に買ってもらった花火だったが、夜から雨が降り始め、今日のところは一旦見合わせようということになった。昼食に負けず劣らず、たらふく夕飯を味わって入浴を済ませた俺と久瀬は、いつも泊めてもらっている部屋の小さなテレビで、畳に寝転がりながらゲームをした。

 まずはゲームの面白さを気軽に楽しんでもらおうと思い、マリカーを選択。久瀬は終始コントローラーの操作とキャラの動きを結び付けられず苦戦していたが、床でもんどりうちながらずっと笑い転げていた。

 笑いつかれて冷静になれば、すかさずスマホを操作し、どこか誇らしげにスイッチとマリカーのソフトの購入履歴を見せてきたので、どうやら頗る気に入ってくれたらしかった。

 ゲームに飽きたあとも、何だかんだ話が尽きず、布団を敷いて寝る態勢に入ったのが日付の変わる直前。俺は別の部屋に行こうか、と提案したが、寝落ちするまで喋っていたいから、という理由で引き留められ、結局布団を並べて寝ることにした。

「そう言えば、じいちゃん、明日の作業は朝にやるって言ってたし……自転車で行ける距離にさ、海水浴場あるんだよ。お盆だからもしかしたらクラゲいるかもだけど、浅瀬で足つけるだけでもさ、午後から、どう?」

「おお、いいね。行こう行こう」

「もし余力あったら温泉入ろうぜ、浜辺のすぐそばにあんの」

「温泉……⁉ 贅沢~!」

「いや、それがね。田舎における温泉って銭湯と同義だから。入浴料三百円。値上げしてるかもだけど」

「そうなの? 最高だね……」

 俺にとって海水浴は温泉とセットだ。昔から、祖父母宅に帰省した時は、家族で海水浴に行って、真っ黒に日焼けするまで遊んで、温泉で疲れを癒すというのがお決まりだった。

 日焼けのおかげで温泉につかると皮膚がヒリヒリするのだが、日焼けによるダメージも温泉の効能で和らぐので、なかなか理にかなっているのである。

 去年の帰省の時には、妹が一丁前に日焼けを嫌がって、張り合いがないので俺も行かなかった。夜に温泉だけは行ったが、海水浴の後に温泉に入るからこその気持ちよさもあるのだと分かり、やや消化不良感が否めなかったのだ。

「明日もいっぱい遊ぼうな。たまには課題後回しにしてもいいでしょ。俺ら普段頑張ってるし、なっ」

「うわ、課題あったね……実質夏休み期間二週間しかないのに、結構出るんだって思ったよ」

「マジそれ。他の教科でも課題出るって分かってない教科担多すぎ。特にあの斎藤とかいう横柄メガネな」

「あはは、んふ……カイリくんも先生の愚痴とか言うんだね。斎藤先生、カイリくんのこと気に入ってそうなのに」

「やー、逆よ逆。絶対いけ好かない奴って思われてる。積極的に質問しに行ったりしないし、特待生のくせにバイトやってるし。俺なりに必死にやってるつもりではあるんだけど、勉強に全力投球しないのはいただけないって、ちょくちょくお小言もらってるよ」

「それは……えぇ、ほんとに? そんなこと言うの? なんか……やだな、それ」

「いやまあ、そんなもんだよ。まあ、別に、認められるために努力してるわけじゃないし。斎Tからどう思われようと、それは斎Tの勝手だしな」

 ゆっくりと、大きく息を吸う、久瀬の息遣いが、微睡みのとろける静かな部屋ではよく聞こえた。俺は無性に体が火照るのを感じ、つとめて静かにブランケットをよけた。

「じゃあ、じゃあさ……カイリくんは、なんのために努力をするの? どうしてそんなに、一生懸命、勉強とか、頑張れるの?」

 久瀬は、落ち着き払った、静謐な声で、そう言った。どこか作為的だと思った。きっと、久瀬は、この言葉の裏、心の底に、何かを隠していると悟った。久瀬は素直だが、隠すのは人一倍上手い。知っても知っても、ミステリアスという印象が抜けないのは、この態度のおかげなのだろうと思う。

「なんのため、か……勉強を頑張ろうっていうモチベは、とりあえず明確だよ。法曹になりたい。中学生の時から、今までずっと、目指してることだね」

「ほうそう……えと、その、アナウンサー、とか? テレビ局ってこと?」

「あ、いやっ、ごめん、カッコつけた言い方しちゃって……ほら、弁護士とか、検察とか、裁判官とか……法律を扱う仕事を、法曹っていう呼び方することもあるんだ」

「あ……ドラマとかで、よく見る……確かに、頭よさそう」

「な、頭よさそうで、かっこいい。んで、事実、めっちゃ勉強しないとなれないんだって。司法試験に合格しないといけないんだけど、これがマジで難しいらしくて。だから、今からできるだけ頑張っておこうって思ってる。それが、とりあえず勉強頑張る理由かな」

 そうなんだ……と、吐息混じりの声で呟く久瀬。やっぱりどこか憂いがちというか。あまり、ポジティブな感情が籠っているとは思えない空気をひしひしと感じる。心配、なのだろうか。否、それはしっくりこない。どちらかと言えば、不安、だろうか。

「カイリくんくらい、頭良くても、難しいなんて……これじゃ、僕は、よっぽど、何になれるかわからないや」

「えぇ……? そんな思う? 大丈夫だよ、今のうちはさ、何になれるかじゃなくて、何になりたいか、何をしたいかを考えるだけで、十分だと思うよ。何になれるか分からないのは俺も久瀬も一緒じゃん?」

「……分からないんだ、それが。考えることができない。想像、できない……」

 初めて、久瀬の声から、冷静のつくろいがほどける気配がした。つくろいの向こうから覗いたのは、凍てつくように途方もない、心細さだった。

「どうなりたいって、考えたことなかったんだよ。ずっと流されてた。流されるまま、身を任せて、言われた通りにしてるだけだった。僕が自分で考えて何かやるよりも、周りの人が考えて指示してもらって、その通りにやる方が、早いし、だいたい上手くいった。楽だった。だから、上手くいくなら、そっちの方がいいなって……楽なほうに、やっぱり流れるでしかなかった。言われた通りにやる、僕は、それだけだった」

「それは……でも、物事がうまくいったのは、久瀬が頑張った結果でもあるんじゃ」

「頑張った、のかな。それすら分からない。多分、頑張ったのも、そうしろって言われたから。それでね……ここまで来て、はじめて、嫌だって、このままじゃ駄目だって思うことがあって、はじめて、自分で考えたようにやってみた。何も、上手くいかなかった。それまで、たくさんの人が関わって、築き上げてきたものを、僕が全部壊したんだ。壊す覚悟も、またやり直すことも考えてなかった。だから、逃げ出した。全部壊して、投げ出したんだ……」

 久瀬の、寝返りを打つ衣擦れの音が聞こえた。それが、どうにも、久瀬の心が遠ざかる音のように思えて、たまらず怖くなった。せっかく、俺に、打ち明けてくれたのに。久瀬と俺がこれっきりになるのは、これからの俺にかかっていると、差し迫るものを感じた。

「久瀬は……戻りたい? その、上手くいってたころ、に」

「……分からない。それすら、考えるのが怖い。やっぱり、どうしたいか、よりも、僕には何が出来て、どうすべきかを考えるべきなんだと思うんだけど……それも、嫌なんだ、多分。きっと、僕が考えたらろくなことにならないから。少なくとも、今の状況で、元に戻るべきじゃないし、戻りたくないとも、思う」

 激流のせき止めが決壊するみたいに、久瀬の言葉が溢れて、とめどなく流れ込んでくる。こんな苦しみをずっと抱えて、ひとりで頼りのないところへやってきたのかと思うと、あまりに切なかった。自分に何が出来るだろうと考えたが、途方もないことのように思えて、つい、全身が強張った。

「やりたくないことがあるなら、きっと、もうしばらく、何もかも忘れたつもりになって、やり過ごしていれば、やりたいことも見えてくる、かもよ。まあ、なんなら、見えてこなくたっていい。少なくとも、どうしてもやりたかったこと、変えたいと思ったことを、否定しなくてもいいと思う。それは、久瀬の心だから。大事にしてほしい」

「心を、大事に……」

「うん……あ、じゃあさ、明日、俺と海行きたい?」

「それは、もちろん」

「花火もしたい?」

「うん……」

「美味しいものがあったら?」

「食べたい」

「うん、ほら、やりたいこと、いっぱいある。今はさ、目の前にある、たくさんのやりたいことに夢中でいればいいじゃん。高校生の夏って、もうあと一回しかないし。よかったら、そう言う楽しいこと一杯するために、俺のこと使ってよ」

「使うって……カイリくんはモノじゃないよ」

 また、衣擦れの音がした。俺は反射的に、そちらの方を見た。

 すると、久瀬がこちらに体を向けて、俺の方をジッと見ていた。重力に従ってはらりと落ちた前髪の隙間から、久瀬の目が、月の光を反射して、きらきらと俺だけを目掛けて降り注いだ。きゅう、と胸が甘く締め付けられ、俺は息を飲んだ。

「でも、ありがとう。カイリくんと一緒なら、僕も、やりたいこと沢山見えてくる」

 うっとりとした微笑み。あんまりに綺麗で、もしか、全てが俺の夢なのではないかと思い、ブランケットの中で手の甲を抓り、ため息をついた。

 俺は、呆然と頷くことしか出来なかった。俺の中の久瀬への感情が、確かに、熱を帯びて変質するのがわかった。きっと、この夜を一生忘れられないと、そう確信したのだった。
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