異世界に転移したら運命の人の膝の上でした!

鳴海

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 宣言通り、ハインツは天音のその後の生活に必要なものをすべて整えてくれた。

 ここ最近の天音の日課は、この世界で生きていくために必要な知識教育を受けながら、与えられた離宮でのんびりゆったり過ごすことだ。

 食事は驚くほど豪華で美味しいし、天蓋付きの広いベッドはフカフカで寝心地は最高。着る服はいつもシワひとつなく真新しくて、掃除洗濯などの家事や身の回りのことは使用人がすべてやってくれる。

 まさに至れり尽くせり。

 間違いなく、元の世界にいた頃より天音はいい暮らしをさせてもらっていた。

 暇になれば離宮の広い敷地内を散歩する。表庭を見て回るだけで日が暮れそうなくらい、離宮の敷地面積はものすごく広い。
 幾人もの庭師により完璧に整えられているそこは、季節ごとの美しい花々が常に咲き誇っている。地球で見た花と同じものは一つとしてなさそうだ。

 見るものすべてが天音にとって新鮮で、楽しいものばかりだった。

 見て楽しいのは植物だけではない。人間こそが最も興味深いものとして天音の目に映った。聞いていた通り、この世界には様々な色を持つ人間がいたからだ。
 そのほとんどが地球ではあり得ない色合いをしていて、見ていて飽きるということがない。

 それだけ聞くと、天音が楽しいばかりの恵まれた生活を送っているように思えるが、実はそうでもない。それなりに問題も抱えていた。

 身近なことでまず問題なのは、離宮で働く使用人の年齢層が高めであること。
 最も若い侍女でも三十代前半くらい。コミュ力の低い天音が気軽に声をかけるには、ちょっとばかりハードルが高すぎる。

 そもそも使用人たちは、天音を主とする態度を決して崩そうとしない。天音の傍では絶対に無駄口を叩かないし、近くにいても用事が済めばすぐに離れていってしまう。

 異世界に落ちてきて、親しい人が誰もいない場所で独りぼっち。
 ただでさえ寂しくてたまらないのに、いつまで経っても使用人たちは打ち解けてくれようとしない。
 もしかして、自分は嫌われているのだろうかと、そう悩んだことも少なくない。

「まあでも俺、この世界ではとんでもなく不細工らしいし、嫌われても仕方がないのかもな。俺になんて近付くだけでも嫌なのかもしれない」

 この世界には存在しない黒髪黒目。背は小さくて痩せっぽち。元の世界でもこの世界でも、天音の見た目はとにかく地味で貧祖だ。
 対してこの世界の人々は使用人といえども美男美女ばかりである。煌びやかで色鮮やかで、目を瞠るほど美しい。

 これでは使用人たちが天音を嫌うのも、無理からぬ話である。

 それに最近になって、天音には気付いたことがあった。

 もしかして界渡り人とは、この世界の人々にとって忌諱すべき者として認識されているのではないだろうか。なぜなら国の命運をその手に握る特別な存在だからだ。

 ハインツがつけてくれた教師のおかげで、天音の異世界知識はかなり増えている。それで知ることができたのだが、落ちた国で界渡り人が幸せになれば国が繁栄する、というのは本当のことらしい。
 逆に界渡り人が不幸になれば、国が数多の災害に見舞われるというのも事実らしく、過去にはそれが理由で滅亡した国もあるというのだから驚きである。

 初めて界渡り人の話を聞いた時、天音はそれを単なる伝承やおとぎ話の類のものであり、信憑性は皆無だと思っていた。
 けれど、もしすべてが事実であるならば、この世界の人々はこう考える筈だ。

『界渡り人には絶対に幸せになってもらわなければならない』

 不幸になれば国が衰退し、悪くすれば滅亡の危機ともなり得るのだから当然である。

 そして、もしも「界渡り人の不幸」の範疇に「界渡り人の機嫌を損ねる」が含まれるならば……。

 使用人たちが天音と最低限の接触しか図ろうとしないのは当前のことだ。怖くて近寄りたくないと思うに決まっている。
 自分がなにかしでかして天音の機嫌を損ねてしまい、それで国が滅んでは大変だからだ。

 そのことに気付いてから、天音は使用人たちと親しくなりたいという気持ちを捨てることにした。
 それまでは、毎日顔を合わせる彼らと仲良くなりたいと思っていた。世間話をしたり、ちょっとした雑談で笑い合える仲になりたいと、本気で思っていた。

 けれど、それは使用人たちに大変な苦労や我慢を強いることになると知った。
 だったら寂しくても我慢する方がマシだった。

 元いた世界でも天音には友達がほとんどいなかった。
 だから寂しいのには慣れている。

(大丈夫、俺は大丈夫だ……身の回りの世話はしっかりやってくれるし、美味しいご飯も作ってくれる。なにか意地悪をされるわけでもない。だったらもうそれだけで十分じゃないか)

 そう自分に言い聞かせて、天音は可能な限り一人で行動するよう心がけた。なるべく使用人に話しかけず、手を煩わすことのないよう気を付けるようになった。

 けれど。

 本当は。

 言いようもない孤独を感じていた。

 離宮内にはたくさんの人が働いている筈なのに、皆が天音を避けるせいで、周囲には誰もいないことがほとんどだ。

 豪華で美味い食事やスイーツ。
 フカフカで寝心地の良いベッドに布団。
 好きなだけ没頭できる読書タイム。

 自分には贅沢すぎるほどの暮らしをさせてもらえていることを、天音は心からありがたいと思っている。けれど、どれほど贅を尽くした生活をしようとも、それが天音の孤独や寂しさを消してくれることはない。

 そんな侘しさの募る日々の中で、天音には心の支えと思える人物が一人だけいた。

 ハインツである。

 初めて会ったその日からハインツは天音に優しかった。頼れる人のいないこの異世界で、なに不自由ない生活を天音が送れるのは、すべてハインツのおかげだ。

「さあ、今日からここがアマネの住む離宮だ。おまえのことはわたしがすべて面倒をみる。なに一つとして不自由をさせるつもりはない。だから、そう不安そうな顔をするな、安心してわたしに任せればいい」
「ご、ご迷惑をおかけしてすみません。助かります」

 これ以上できないくらい天音が深く頭を下げると、ハインツが不満そうに口をへの字に曲げた。

「謝るな。おまえは悪いことなど何一つしていないのだから。それに敬語も禁止だ。アマネはわたしの臣下ではない。むしろ神からの大切な預かり子であるおまえは、わたしよりも立場が上だと言っても過言ではないのだからな」

 そう言って頭をぽんぽんと叩いてくれたハインツの目はとても優しく、おかげで不安ばかりだった天音の心の中に安心感が広がっていった。

「ハインツ様……いや、陛下? と、とにかく、本当にありがとうございます。心から感謝します。ただ敬語なしは絶対に無理です!」
「なぜだ。さっきも言ったがアマネはわたしの臣下ではない。対等な関係なのだぞ?」
「いやだって、皇帝と俺が対等だなんてあり得ないし、それになんだか恐れ多いし……」
「恐れ多い……ということは、なるほど、アマネはわたしが恐いというわけか。恐くて堪らないから親しくなるなど絶対に御免だと……」
「ちがっ、違います、そういうことではなくてっ」

 慌てて天音が否定するが、ハインツは取り合ってくれない。

「そうか、恐いのか。本当は二度と顔も見たくないくらいわたしを嫌っているわけか。それは悪いことをしたな。申し訳なかった」
「違いますっ、違いますって、謝らないで下さい! そういう意味じゃなかったんですっ」
「はあ、ショックだな……」
「本当に違いますから! 陛下は恐くなんてないし、むしろとても親切で優しい人だと思ってます!!」

 ハインツがにやりと笑った。

「だったら大丈夫だな。ほら、わたしの名を呼び捨ててみろ」
「ええええ?!」
「ほら早く! 言わないなら、やはりおまえはわたしを嫌っていると、そう判断するぞ」

 追い詰められた天音は頭の中が「あわわわわ」とテンパってしまう。

 年上の、しかも皇帝とかいう偉い人の名前を呼び捨てにするなんて、そんな失礼なことができる筈がない。
 しかし、どうやっても諦めてくれそうにないハインツに、天音は「ああ、もうっ」っと腹を括くることにした。
 ぎゅっと拳を握りしめながら、半ばやけっぱちで名を叫ぶ。

「ハ、ハ、ハイ、ハインツ!」

 少し噛んでしまったものの、なんとか言えたとホッとする天音を見て、ハインツは口元をほころばせた。

「よく言えたな、いい子だ」
「いい子って、また子供扱いして……」
「この調子で敬語もやめるように。この宮の使用人に対してもだ。いいな、分かったか?」

 笑顔なのに、決して逆らってはいけない迫力を持つハインツに、天音は反論できずに頷くことしかできなかった。

「は、はい、善処しま――」
「うん?」
「――じゃなくて、善処する、よ」

 こんな会話を交わした後、やっと二人は離宮の中に足を踏み入れたのである。

 天音の異世界での生活は、こうして始まったのだった。





「困ったことがあれば、なんでも遠慮なくわたしに言うといい。時間を作ってなるべくこの離宮に顔を出すことにするから」

 最初にそう約束してくれた言葉通り、ハインツはほぼ毎日のように離宮に来るようになった。
 とはいえ、皇帝である彼はかなり仕事が忙しいのだろう、毎夜かなり遅い時間になってからしか現れない。

 先に食事を済ませるように言われていたが、天音はハインツが来るのを待って一緒に食事をすると決めていた。

「腹が減るだろう? 待っていなくていいんだぞ?」
「でも一人で食べてもつまらないし、ハインツと一緒に食べた方が美味しいから」

 困り顔をするハインツの表情の奥に嬉しさが垣間見えて、迷惑ではないらしいと天音もホッと安堵する。

 実際、二人で食べる夕食は、朝や昼に一人で食べる食事と比べて何倍も美味しかった。なにより、ハインツとの会話が天音には楽しくて堪らなかったのである。

 この世界の人に忌諱される界渡り人であり、自分の容姿を不細工でみすぼらしいと思っている天音は、日中はいつも一人で過ごしていて、誰かと話しをするということがほとんどない。

 楽しみと言えば離宮中を散歩することと、図書館にある本を読むことくらい。
 けれど、それ以上に天音が楽しみにしているのが、ハインツと過ごす時間だった。

 離宮に住み始めた当初、天音はハインツに会うたびに気まずい思いをしていた。
 なにせ相手は見たこともないほどのイケメンで、しかもこの国の皇帝なのだ。そんな偉い人に気を使わせることを申し訳なく思ったし、王者の貫禄あるハインツの傍にいると、否応なしに緊張して気疲れしてしまう。

 遠回しに自分の気持ちを伝えてみたこともある。

「あの、来てくれるのはありがたいですけど、でも、お仕事忙しそうですし……疲れますよね? 毎日来てくれなくても俺は大丈夫ですから」
「敬語を使っている。やり直し」
「うっ……来てくれるのはありがたいけど、仕事忙しいみたいだし、毎日来てくれなくても俺は大丈夫だよ」

 ハインツは楽し気にこう言った。

「気にすることはない。わたしがアマネに会いたくて来ているのだから。それに、おまえが幸せでいるかどうか、嫌な思いをしていないかどうかを確認する義務がわたしにはあるからな」

 視察で遠方に出かけた時や、慶事で他国を訪れる時などを除いて、ハインツは毎日必ず離宮にやってくる。
 その度に玄関ホールで出迎える天音を、ハインツは必ず抱きしめた。更には額や頬、頭のてっぺんに口付けてくる。

 初めて抱きしめられた時、天音は驚いてハインツの腕の中から逃れようともがいた。しかし、押しても引いてもハインツの逞しい腕はぴくりとも動かない。

 他人から抱きしめらる恥ずかしさや照れで天音が真っ赤になっていると、それに気付いたハインツが不思議そうに言った。

「親愛の意味を込めて抱きしめたりキスしたりするのは、この世界では普通のことだぞ? アマネのいた世界では違ったのか?」
「あー……そう言えば、そういう国も確かにありま……あったかな。俺の国は違ったけど」
「我が国ではやるのが普通だ。だからアマネも慣れろ」

 日本には”郷に入れば郷に従え”という 故事成語がある。その言葉が浸透しているせいか、日本には他国文化の尊重を当然とする風潮があり、天音もそれを正しいと思って生きてきた内の一人である。
 
 文化の否定は最大級の失礼にあたる。

 だから天音は照れくさかったり恥ずかしいと思いながらも、ハインツからの過度なスキンシップを受け入れよう、受け入れるべき、受け入れなければならぬ、と心に決めたのだった。

「が、がんばって早く慣れようと思いま……思うよ」
「いい心がけだ」

 それ以降、ハインツは遠慮なく天音にスキンシップを図るようになった。
 所かまわず抱きしめてくるし、頭部や手へのキスも頻繁だ。

 され始めたばかりの頃は狼狽えていた天音も、ハインツとの触れ合いがあまりにも日常的に行われるせいで、いつの間にか気にならなくなってきた。

 そして、慣れとは実に恐ろしいもので……。

 この世界にきて三ヵ月が過ぎる頃には、ハインツを呼び捨てにすることもタメ語で会話することも、天音にとってごく普通の当たり前のことになっていたのだった。

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