異世界に転移したら運命の人の膝の上でした!

鳴海

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 天音は日を追うごとにハインツに懐いていった。

 ここ最近の天音は、仕事を終えたハインツが離宮に来てくれのが、もう待ち遠しくて待ち遠しくて仕方がない。
 日が暮れる時間になると、まだ来ないのか、もうすぐ来てくれるだろうか、それとも今日は仕事が忙しくてもっと遅いだろうかと、そわそわしてしまう。

 いっそのこと玄関ホールでずっとハインツを待っていようかと思ってしまうくらい、天音はハインツと過ごす時間を楽しみするようになっていた。

 異世界に落ちてきてハインツの庇護を受けるようになって以来、日中の天音は広い離宮の中で一人きりでいることが多い。

 確かに人付き合いが苦手で、友達もほとんどいなかった。けれど天音には家族がいた。ありのままの天音を受け入れてくれる親や兄弟がいてくれた。

 大学に行けば、そこは同世代の若者たちで溢れていた。
 電車には定員オーバーだと思えるくらい多くの人が乗っていたし、ぶつからずに歩くのが困難なくらい街は人でごった返していた。

 天音の周囲には必ずたくさんの人がいた。それこそ、一人になるにはトイレに入るか、あるいは家に帰って自室に閉じこもるしかないくらいに。

 でも今の天音は、ほとんどの時間を一人で過ごしている。周りには誰もいない。だからどうしても寂しくて、人恋しくなってしまう。

 その寂しさや人恋しさを埋めてくれたのがハインツだった。
 優しくて、いつも気を使ってくれるハインツと一緒にいると、陽の光に包まれているような、そんな温かい気持ちに天音はなれた。

 離宮に来たハインツは、まるでそれがルーティンであるかのように毎回同じことをする。
 まずは天音を見てとても嬉しそうに微笑む。その笑顔のまま天音を抱きしめると、髪に何度もキスをしながら言うのだ。

「アマネ、とても会いたかった」
「おかえりなさい、お仕事お疲れ様」

 そう言って顔を上げた天音の額に、まるで壊れやすい宝物に触れるかのような優しいキスが落ちる。照れて赤面する天音を満足そうに見つめながら、ハインツは天音の体を軽々と腕に抱き上げる。そして自分の首にしがみ付く天音の頬にまた一つキスをすると、そのまま天音の私室へと移動するのだ。

 部屋に着いた二人は、食事をしながら今日一日の出来事を伝え合う。
 天音は読んだ本のことや庭で見た植物のこと、今日の授業で習ったこの世界のことや、疑問に思ったことなどを、身振り手振りを交えながらハインツに話す。
 ハインツはいつだって天音の話を楽しそうに聞いてくれる。そして、面倒臭がることなく天音の疑問に丁寧に答えてくれた。

 食事の後はソファでお茶を飲みながら、今度はハインツが今日どんな執務をしたかなどを話してくれる。国内で今どんな問題が起きているか、それをどう解決しようと思っているか。
 クセのある性格をした側近の話や、彼らの失敗談などを面白おかしく話してくれることもある。話上手なハインツのおかげで、天音はまるで側近たちを昔からよく知る友人に自分がなったような、そんな気持ちになれるのだった。

 話をする以外では、二人でこの世界のボードゲームで遊んだり、他国の使者が持ってきた珍しい土産品を見て楽しんだりすることもあった。

 たまにハインツに時間が取れた時など、二人でお忍びで帝都の町中を散策することもある。
 初めて市井に降りた時、天音は驚きと感動で瞳を輝かせた。

 ハインツの治めるカイネルシア帝国はとても栄えているらしく、町は活気に溢れている。
 通りを歩く人々のカラフルな髪を見るだけで、天音は子供のようにはしゃいだ。店に陳列されている商品のほとんどは、異世界から来た天音に馴染みのない物ばかりで、見るもの聞くことのすべてが物珍しくて胸が弾む。

 天音の黒髪黒目はこの世界では唯一のものであり、見られてしまえば一目で界渡り人だとバレてしまう。騒ぎになるのを防ぐためにフードを深く被っているのだが、そのせいで天音の視界は非常に狭い。人や物とぶつからないように歩くのも一苦労だ。
 けれど、ハインツがずっと手を引いてくれるおかげで、天音は安心して雑踏の中を歩くことができるのだった。

 とはいえ、楽しいばかりの市井の散策に一つだけ困ったことある。
 天音が少しでも興味を持って商品を見ていると、ハインツはその商品を店ごと買おうとしてしまうのだ。

「お、お店ごとなんていらないよ、一つ買ってもらえるだけでいいんだから!」

 本気で天音が断っても、ハインツはにこにこを笑うばかりである。

「なんだ、遠慮しているのか? アマネは本当に慎ましいな。しかし、我慢などする必要はないんだぞ。おまえが欲しがる物なら、わたしはなんだって買ってやりたいのだから」
「それはありがたいけど、でも、本当に一つで十分だから」
「そうか? だったら店を買うのはやめよう。ただし、欲しいものがあれば、すぐにわたしに言うのだぞ? いいな?」
「分かったよ。欲しいものが見つかったら、ちゃんとハインツにお願いする」

 少しでも遠慮する素振りを天音が見せようものなら、ハインツはすぐに店ごと購入しようとする。だから天音は逆に、興味のある商品を見つけても素知らぬ顔をして通り過ぎようとするのだが、なぜかハインツにはすぐにバレてしまう。

「どうしてハインツには俺が欲しいと思うものが分かるの? もしかして、魔法かなにか使ってる?」

 驚き顔でそんなことを言う天音を見て、ハインツは吹き出した。
 確かにこの世界には魔法がある。しかし、天音の考えを読むのに魔法は必要ない。素直な天音は考えが全部顔に出てしまう。それだけのことだ。

 けれど天音本人はそのことに気付いていない。だから心の中をハインツに読まれるたびに、ビックリ仰天してしまうのだ。

 ハインツには、そんな天音がかわいくて仕方がない。

 かわいい子にはなんだってしてやりたいものだ。だからハインツは天音のために大量の買い物をしようとする。
 けれど、そんなハインツの気持ちを知らない天音は、自分のために湯水のように金を使おうとするハインツに、本気で困ってしまうのだった。

 二人で帝都の町中を歩いた翌日。
 ハインツに買ってもらった山のような買い物を前に、天音はトマスに話しかけた。

 トマスというのは、離宮の使用人たちを総統括する役目を持つ執事長である。
 年齢は四十代後半くらいで紫の瞳と髪をした彼は、ハインツ不在時の離宮において、天音が唯一頼りにできる人だった。
 話しかければ多少の会話をしてくれる、貴重な相手でもある。

「ねえ、トマス。ハインツってさ、ものすごーく良い人だよね」
「ごふっ」

 生真面目なトマスが突然むせたが、天音は気付かずに話し続ける。

「優しいし親切だし面倒見はいいし。この国の人たちは幸せだね、あんなに素晴らしい人が皇帝でさ」
「ぐほっ、げほっ」
「俺、落ちたのがこの国で、本当に運が良かったなぁ」

 しみじみとそう語る天音を前に、トマスがなにか言いたげな顔をする。
 しかし、それも一瞬のこと。
 コホンと咳払いを一つすると、トマスはすぐに表情を取り繕って元のポーカーフェイスに戻った。そして天音に言う。

「確かに陛下は素晴らしい方です。前皇帝である父君が早世した後、お若くして皇帝の地位について以来、この国を日々発展させていらっしゃいます。領土もかなり増えました。陛下の手腕により、我がカイネルシア帝国はこの大陸に存在する列強国の中で、最も国力の高い国として認識されるようになりました」
「そうなんだ。やっぱり凄いんだなぁ、ハインツは」
「しかし、だからと言って優しくて良い人かと問われると……」

 言葉を濁して黙り込んだトマスに、天音はキョトンとする。

「え、なに? 俺、なにか間違った?」
「ええっと、まあその、国を背負う立場の方には冷酷な判断を求められることも多々あります。なので、優しいばかりではいられないと申しますか……単純に良い人と言い切れない部分があると申しますか……」

 歯切れの悪い物言いをするトマスを気に止めることなく、天音はただただ驚いていた。

 どうやらハインツには、自分に見せるものとは別の為政者としての顔があるらしい。しかもそれは冷酷だったりするらしく……。

 天音はハインツの優しいところしか知らない。だからこそ、思いもよらないことを聞かされて驚いてしまったのだ。

「へぇ、冷酷なところもあるなんて意外だなぁ。俺といる時はあんなに優しくて思いやりに溢れた人なのに。そりゃあ時々は意地悪っぽいことも言ったりするけど、それはあくまで冗談だし。でも、そうか……国のトップともなると、やっぱり大変なんだね」

 ハインツの日頃の苦労を想像しながら、やっぱり偉い人は大変なんだなと天音は思う。

 そして、そんなことを考えている純粋な天音を前に、トマスはこんなことを思っていた。

(アマネ様ときたら、すっかり陛下に騙されて……。あのお方が優しいのはアマネ様に対してだけで、普段は冷酷で無慈悲で残虐なばかりの恐ろしい統治者なのに)

 もちろん敏腕執事のトマスは、そんな心中をお首にも出さず、執事としての取り澄ました顔を崩すことなくひょうひょうと話す。

「陛下はもちろん素晴らしい方ではありますが、誰にでもお優しいわけではございません。おそらく陛下にとってアマネ様は特別な存在のでしょう」
「特別かぁ。それは嬉しいけど、でも本当は優しい人なのに仕事のために冷酷な命令を出さなきゃならないなんて、きっと精神的にキツいだろうな。ハインツ、かわいそうだね」

 しんみりと天音が言う。
 トマスは心の中で即座に反論した。

 いや、冷酷な方が陛下の素ですから。
 本当の陛下はものすごく横暴で自分勝手で我儘なばかりの人ですから。
 かわいそうなのは陛下にこき使われている側近の方々ですから。

 しかし、決して口には出さない。天音に余計なことを言えばハインツの機嫌を損ねるとと分かっているからだ。
 だからトマスは「そうかもしれませんね」とだけ天音に相槌を打つと、その後はもうこの話題に触れないようにした。

 ふとトマスは、ハインツが初めて離宮に天音を連れて来た時のことを思い出した。

 あの時、天音と一緒にいる時のハインツの態度を目の当たりにしたトマスは、目玉が飛び出るほど驚いた。
 トマスだけではない。離宮で働く使用人たち全員が驚いたのである。

(へ、陛下が笑っていらっしゃる!)
(しかも邪悪な感じではなく、とても優し気に!)
(あんな陛下、これまで見たことない!!)
(陛下、人を気遣うことができたんだな)
(うわっ、笑顔で界渡り人様を抱きしめてる)
(それだけじゃないよ、キスまでしてるからっ)
(ウチの国って、あんなにスキンシップ激しくしないよな)
(恋人とか婚約者にするスキンシップだよね、あれ)
(あれ本当に陛下なの?! 別人じゃない?!)

 あの時、使用人たちを驚愕させた天音に対するハインツの甘い態度は、今も変わらず続いている。

 天音が界渡り人であり、国の行く末のために大切にすべき存在だとトマスにも分かっている。けれど、それだけでは説明できない優しさや情愛を、ハインツが天音に持っているように思えてならない。

 その容姿の美しさと優秀さ、この国のトップという絶対的な地位により、ハインツはこれまで大いにモテてきたし、それに見合う数多くの浮名を流してきている。
 しかし、そのどれもが本気の付き合いではなく、単に肉欲の解消のためのものでしかないことを、ハインツの周囲にいる者なら誰もが知っていることだ。
 今は亡き前皇后に長らく仕え、ハインツが赤子の頃からその成長を見守ってきたトマスも、それをよく知る一人である。

 しかし、ハインツの天音に対する態度は、これまでの刹那的な恋人たちに見せてきたものとは明らかに異なっているようにトマスの目には映っていた。

 離宮の中で天音にどういう態度で接するか、ハインツから命じられた内容からもそれがうかがえる。

「アマネには必要以上に使用人を近寄らせるな。仲を深めることは許さん。アマネとの会話が許されるのは、トマス、おまえだけだ。身の回りの世話もすべておまえがやれ。分かったな」

 なぜそんな命令が出されたのか、最初は意味が分からなかったトマスである。

 界渡り人を不幸にする要因を少しでも減らすためだろうか。
 しかしそれならば、使用人全員で媚びを売るかのごとくに大切に優しく接した方がいいのではないだろうか。

 当時は色々考えて首を捻ったものだが、今なら分かる。

 あの命令は牽制のためのものだ。
 天音の意識が他者へ向かず、ハインツにだけ向かうようにするための策略だ。

 確かに天音は類を見ないほど美しい容貌をしている。
 この世界では見ることのない黒髪は目を瞠るほど美しいし、日頃は長い前髪の奥に隠されている漆黒の瞳は、見ただけで魂が震えてしまいそうなほど神秘的で神々しい。顔立ちそのものも愛らしく、とんでもなくかわいらしい。

 更に言うなら、天音はその性格が善だ。
 素直で心根が優しい上にとても穏やかな気質をしていて、慎ましく健気でもある。

 ハインツがひとかたならぬ執着を見せるのも、納得できる相手だった。

 ふむ、とトマスは顎を擦る。

「アマネ様に対する陛下の想いは、間違いなく恋だろうな。しかも初恋だ。さて、いかにして手に入れるおつもりなのか、お手並み拝見とするか」

 人知れず呟きながら、トマスは楽し気な笑みを浮かべたのだった。

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