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第22話
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マリアが旅立った後も、ヒューゴの日々は変わらなかった。
日中は外交官としての職務をこなし、夜は子供たちと食卓を囲む。そして、子供たちが寝静まった後、彼は一つの盆を手に、離れの塔へと向かうのだ。
ヒューゴはカミーユを許したものの、カミーユの中にある罪の意識は簡単に消えなかった。ストレス障害によって悪夢を見たり、突然強い不安に襲われたりと、日常生活に影を落としていた彼女を、ヒューゴは変わらず支え続けていた。
最初の夜、ヒューゴが扉を開けた時、カミーユは部屋の隅で、まるで怯えた小動物のように体を固くしていた。
「……食事だ。食え」
ヒューゴは盆をテーブルに置くだけで、それ以上何も言わなかった。
翌日、盆は手付かずのままだった。
次の夜も、ヒューゴは来た。
「来ないで……!」
カミーユが、初めてか細い声で抵抗した。
「……死なれては、寝覚めが悪い」
ヒューゴはただそれだけを言い、やはり盆を置いて去っていった。
そんな奇妙な訪問が、毎日続いた。
ヒューゴは、無理に話しかけはしなかった。ただ、盆を置き、部屋の隅の椅子に腰掛けて、一時間ほど黙って本を読む。そして、帰っていく。
カミーユは、最初は背を向けていた。しかし、ある時から、彼がぽつりぽつりと語る言葉に、耳を傾けるようになった。
「……レオンが、乗馬の練習で落馬した。大したことはない。少しすりむいただけだ」
「……セリアが、君の描いた庭の絵を見ていたぞ。『お母様は、お花が好きなの?』と聞かれた」
子供たちの話。
その言葉が、固く閉ざされたカミーユの心の扉を、ほんの少しだけ、こじ開けた。
ある寒い夜だった。ヒューゴは食事の盆と一緒に、分厚い毛布を持ってきた。
「……風邪でも引いたら、面倒だ」
乱暴な口調で、ベッドの上にぽいと投げる。だが、その横顔には、隠しようのない心配の色が滲んでいた。
カミーユは、その毛布をただ見つめていた。
またある日、何日も食事が手付かずなのを見たヒューゴは、深いため息をついた。そして、おもむろに盆の上のスープ皿とスプーンを手に取った。
「……口を開けろ」
「えっ……」
「メイドと同じ仕事を、俺にまでさせる気か」
有無を言わせぬ口調。カミーユが驚いて後ずさるのを無視して、ヒューゴはスプーンにすくったスープを、彼女の口元へと運んだ。そのあまりに不器用な優しさに、カミーユの瞳から、ぽろりと涙がこぼれ落ちた。その日、彼女は久しぶりに、食事を口にした。
「……なぜ……?」
ある夜、カミーユが、ようやく言葉を発した。
「なぜ、こんなことを……してくださるの……? 私は、あなたを裏切ったのに……」
ヒューゴは、読んでいた本から顔を上げずにつぶやいた。
「言ったはずだ。君もまた、あいつの被害者だったと……それだけだ」
彼は本を閉じ、カミーユをまっすぐに見た。
「勘違いするな。俺自身の……けじめのようなものだ」
その言葉は、カミーユの胸に深い痛みを残した。
彼の優しさは、彼女が決して許されてはならないという事実を、より一層際立たせる。自分は、この優しさを受ける資格などないのだと。
それでも、毎日欠かさず会いに来てくれる彼の存在が、彼女が正気を保つための、唯一の光になっていることも、また事実だった。
ヒューゴ自身も、心の中で揺れていた。
これは自分への罰なのか。それとも、かつての愛が今も消えずに残っているということなのか。
答えは出ない。それでも、夜になると、彼の足は自然と離れの塔へと向かってしまうのだった。
日中は外交官としての職務をこなし、夜は子供たちと食卓を囲む。そして、子供たちが寝静まった後、彼は一つの盆を手に、離れの塔へと向かうのだ。
ヒューゴはカミーユを許したものの、カミーユの中にある罪の意識は簡単に消えなかった。ストレス障害によって悪夢を見たり、突然強い不安に襲われたりと、日常生活に影を落としていた彼女を、ヒューゴは変わらず支え続けていた。
最初の夜、ヒューゴが扉を開けた時、カミーユは部屋の隅で、まるで怯えた小動物のように体を固くしていた。
「……食事だ。食え」
ヒューゴは盆をテーブルに置くだけで、それ以上何も言わなかった。
翌日、盆は手付かずのままだった。
次の夜も、ヒューゴは来た。
「来ないで……!」
カミーユが、初めてか細い声で抵抗した。
「……死なれては、寝覚めが悪い」
ヒューゴはただそれだけを言い、やはり盆を置いて去っていった。
そんな奇妙な訪問が、毎日続いた。
ヒューゴは、無理に話しかけはしなかった。ただ、盆を置き、部屋の隅の椅子に腰掛けて、一時間ほど黙って本を読む。そして、帰っていく。
カミーユは、最初は背を向けていた。しかし、ある時から、彼がぽつりぽつりと語る言葉に、耳を傾けるようになった。
「……レオンが、乗馬の練習で落馬した。大したことはない。少しすりむいただけだ」
「……セリアが、君の描いた庭の絵を見ていたぞ。『お母様は、お花が好きなの?』と聞かれた」
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その言葉が、固く閉ざされたカミーユの心の扉を、ほんの少しだけ、こじ開けた。
ある寒い夜だった。ヒューゴは食事の盆と一緒に、分厚い毛布を持ってきた。
「……風邪でも引いたら、面倒だ」
乱暴な口調で、ベッドの上にぽいと投げる。だが、その横顔には、隠しようのない心配の色が滲んでいた。
カミーユは、その毛布をただ見つめていた。
またある日、何日も食事が手付かずなのを見たヒューゴは、深いため息をついた。そして、おもむろに盆の上のスープ皿とスプーンを手に取った。
「……口を開けろ」
「えっ……」
「メイドと同じ仕事を、俺にまでさせる気か」
有無を言わせぬ口調。カミーユが驚いて後ずさるのを無視して、ヒューゴはスプーンにすくったスープを、彼女の口元へと運んだ。そのあまりに不器用な優しさに、カミーユの瞳から、ぽろりと涙がこぼれ落ちた。その日、彼女は久しぶりに、食事を口にした。
「……なぜ……?」
ある夜、カミーユが、ようやく言葉を発した。
「なぜ、こんなことを……してくださるの……? 私は、あなたを裏切ったのに……」
ヒューゴは、読んでいた本から顔を上げずにつぶやいた。
「言ったはずだ。君もまた、あいつの被害者だったと……それだけだ」
彼は本を閉じ、カミーユをまっすぐに見た。
「勘違いするな。俺自身の……けじめのようなものだ」
その言葉は、カミーユの胸に深い痛みを残した。
彼の優しさは、彼女が決して許されてはならないという事実を、より一層際立たせる。自分は、この優しさを受ける資格などないのだと。
それでも、毎日欠かさず会いに来てくれる彼の存在が、彼女が正気を保つための、唯一の光になっていることも、また事実だった。
ヒューゴ自身も、心の中で揺れていた。
これは自分への罰なのか。それとも、かつての愛が今も消えずに残っているということなのか。
答えは出ない。それでも、夜になると、彼の足は自然と離れの塔へと向かってしまうのだった。
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