相性最高な最悪の男 ~ラブホで会った大嫌いな同僚に執着されて逃げられない~

柊 千鶴

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37 自覚症状

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 入社して三年目に入る頃には、篠崎は人脈作りをやめて再び人との距離を置いていた。
 同時に私が彼の邪魔をする理由も無くなり、ぶつかり合う機会もめっきりと減ることになる。

 しかし、彼への執着は収まるどころか一層強いものになっていた。
 彼の傷付いた表情を見てしまったあの日から、私の中で何かが変わり始めたのだ。
 あんな表情はもう二度と見たくない。理由は分からないが、そう強く感じ、彼に対して庇護欲に似た感情を抱いていた。

 もちろん彼が強い人間であることは理解している。だからこそ、一瞬見せた綻びが気になって仕方なかった。
 たった一言で揺れた理由が、知りたくて知りたくて堪らない。
 気付けば私は、常に彼を目で追うようになっていた。

(どうすれば、彼の本当の姿を知ることが出来るのだろうか?)

 人の噂から篠崎の情報を収集しようとも試みたが、社内で集められる話はたかが知れていた。
 彼は同期にも同僚にも、あまり自分のことを語ろうとはしなかった為である。
 じりじりと燃えるようなもどかしさに胸を焼かれる日々を過ごし、指を噛んで衝動を堪え……そして、ついに私は堪え切れなくなり、カズへと声をかけた。

「すまない。折り入って頼みがあるのだが……」
「なんだ? お前がそんなことを言い出すなんて珍しいな」
「うむ。頼み、というのは正しくないな……『依頼』をしたい」
「……!」

 依頼という単語を持ち出した瞬間にカズは目の色を変え、瞬きする間に探偵の顔つきへと変わる。
 社内では秘密にしている話だが、カズは数年前まで探偵業を営んでいた。
 時には危険を伴う仕事なので、結婚して家庭を持つと同時に転身を決意し、現在の会社へ入社したと聞いている。
 そんな彼に再び依頼を持ち込むのは気が引けたが、他に頼れそうな信頼のおける人物も思い当らない。

「話を聞いて、依頼を受けてくれそうな別の人間を紹介してくれるだけでもいい。頼めないか?」
「いいぞ。他ならぬお前の頼みだ、遠慮なく話してみろ」
 いくらか眼光を鋭くしたカズへ、私は依頼の内容を打ち明ける。
「篠崎聡の身辺調査をして欲しい」

 カズは驚いた表情を浮かべたが、ひとまずは何も言わずに話を聞いてくれた。

「彼の過去から現在までの経歴を知りたい。特に家族関係を重点的に調べてはくれないか」
「いいだろう。その依頼、俺が直接引き受けてやる」
「……!」

 一も二もなく快諾されて驚く。
 自分から言い出したことだが、さぞ引き止められるだろうと覚悟していた。

「せっかく引き受けてもらって何だが、本当にいいのか?」
「ああ、可愛い弟分の依頼だしな。ただなぁ亮介……」

 カズは言い淀んで困ったように頭を掻くと、探偵から幼馴染の顔へ戻って言った。

「探偵として、依頼人の事情を詮索したりはしないが……幼馴染の立場から言わせてもらえれば、そういうことは直接本人の口から聞かないと、いつか後悔するぞ」
「……分かっている。それでも」
「そうだな、お前のことだから、充分考えた後なんだろうな」

 同僚のプライベートを探偵を使って暴こうなんて、どう考えてもおかしいと重々理解している。
 それでも、膨れ上がった欲望は理性を侵食し始めていた。

「今月末までには報告するよ」
「……感謝する」

 果たして、二週間後にカズが持ってきた報告書は、私を驚かせて余りある内容だった。


「彼は、一体どれほど……私は、なんて言葉を吐いたんだ」

 受け取った報告書を捲る度、指先に力が篭っていく。
 紙面に綴られた篠崎聡の半生は、冷たい孤独とひたむきな努力の積み重ねであった。

「篠崎……」

 彼は、高校一年生の終わりに両親を亡くしていた。当時十六歳の彼は、その後転校し、生まれ育った家も引き払ってどこかへと消えたという。
 驚くべきは、その後に親戚の養子に入ることも無く、未成年後見人を付けて生きてきたということである。

 しかし、転校先ではなかなか上手くいっていなかったらしい。校内では、傷だらけになっている彼の姿が度々見かけられていた。
 彼らしいと思うのは、ちょっかいをかけてきた相手をそれ以上に傷だらけにしてやっていたという点だ。
 そして、高校卒業後に国立大学へ進学した彼は、大学の寮で一人暮らしを始める。

 当時の彼と偶然再会を果たした、中学校時代の同級生の話も報告書にはまとめられていた。その者は彼を見て「一瞬別人かと思うほど変わっていた」と話していたという。
 昔の彼は大人しく、繊細で、気弱な性格だったというのだから、その感想にも納得だ。
 それほど変わらざるを得なかった彼の苦労は、察するに余りあるものがある。
 大学に入った彼は、既に現在のような性格になっていたが、同じゼミの人間とはそれなりに懇意にしていたらしい。
 特待生に選ばれるほど優秀だった彼は、更に大学を早期卒業してこの会社へと就職し、現在に至る。
 これで一歳年下だった理由が分かった。けれども、もうそれどころではなかった。

 あの日、彼が傷付いた表情を浮かべた理由。それは、親のことが原因だったのか。
 じくじくと胸が痛み、後悔が沸き上がる。
 知らなかったとはいえ、一番触れられたくないところを土足で踏み荒らしてしまった。
 たった一言触れただけであれほど痛みに歪む傷は、一体どれだけ深いのか。私には想像も出来なかった。

「カズ……感謝する。おかげで、知るべきことが知れた」
「何があったか知らないが……もうこれっきりにしておけよ」
「……」

 カズの忠告に、私は素直に頷くことが出来なかった。
 依然、彼を知りたいという思いは衰えることがなく、勢いを増すばかりであったから。

 ◆

 篠崎の半生を知ってからというものの、私の頭の中は彼で占められていた。
 勝手な想像を膨らませ、彼が抱えてきた孤独を思っては、傲慢な庇護欲を増大させていた。
 苦難に負けず、独りで歩み続けてきた彼の強さへ憧れを抱き、一方的に惹かれていった。
 自分でも、それが独善的な行為であると理解していたが、どうしても止められない。
 やがて、そんな身勝手な空想は、有り得ない悪夢となって醜い本性を晒すことになる。


「月島」


 何もない空間に、私と篠崎だけが佇んでいた。
 彼が薄く口を開き、弱々しく縋るような声で私の名前を呼ぶ。

 意志の強い瞳は愁いを湛えて揺らぎ、いつもは硬く引き締められている唇も、今は頼りなさげに震えていた。
 いつもと違う彼の様子を呆然と眺めていたところ、軽い衝撃が私を揺らす。
 彼が、私の胸に飛び込んできたのだ。

 小さく震えるその身体を、反射的に抱き締める。
 腕の中に収めた彼の体温は私よりも低く、か細く消えそうになる熱を逃がさないように包み込んだ。
 彼の腕もまた、躊躇いを滲ませながらも私の背中へと伸ばされる。震える指先で遠慮がちにシャツを握り締められた瞬間、ぞくりと身体の芯が熱を持つ。

 満たされた心地がしていた。

 彼に頼られている。彼に求められている。彼に必要とされている。
 そのことが、私の空っぽの胸を温かく満たしていった。
 腕の中にある薄い背中をなぞり、柔らかい髪を撫で、首筋に顔を埋めて、日を知らぬ肌に赤い跡を残す。
 真っ白な雪原を踏み荒らしたような罪悪感と、誰の物にもならない男を掌中に堕とした快感で心が震える。

 気が付けば、互いに一糸纏わぬ姿となっており、シーツの海で彼が溺れていた。
 助けを求めるように伸ばされた手を絡めとり、悲鳴を上げた口に食らいつく。
 彼の全てを無理矢理暴き立て、柔らかいその内側を我が物顔で蹂躙していく。
 そのまま、彼に自分の醜い欲望をぶちまけ――


 抑えきれない吐き気で目が覚めた。


「――ッ!」

 込み上げてくる嫌悪感に我慢できず、ごみ箱を抱えてうずくまる。
 何だ、今の夢は。

「ぐ……うぁ……!」

 吐いても吐いても気持ち悪い。
 出来ることなら内臓を引きずり出し、自分の中身を全てひっくり返してしまいたかった。
 私の中には、これほどまでにおぞましい欲望が詰まっていたのか。

 気持ち悪い。
 ただただ気持ち悪かった。

 彼に頼られ、求められ、必要とされ、あまつさえ縋られたいなど。彼を侮辱するにも程がある。
 部屋に充満していく吐瀉物の臭いよりも、腐りきった自分の内側に吐き気を覚えて嘔吐する。
 服の中に手を突っ込んで血が滲むほど胸を掻き毟り、生理的な涙を零しながら何度も喉の奥に指を捻じ込んだ。

「……」

 自分の汚さは嫌というほど思い知っていたつもりだった。
 けれども、私の醜さは私の想像を超えていた。

「ぅ、うっ」

 ……気持ちが、悪い。

 もはや胃液しか出なくなっても尚、ごみ箱に突っ伏したまま呆けていた。
 何故だか酷くぼうっとする。思考に霞がかかっているような気がした。
 それだけではない、全身は軋むように痛く、じっとりと汗が滲み、どこもかしこも熱い。

 今、自分が正常でないことは何となく分かっていた。
 それを理由にして、己の下肢へと手を伸ばす。
 言い逃れの出来ない劣情を示している、その場所へ。

「……は、」

 乾いた笑いが口から零れた。
 嫌悪感に苛まれながらも、夢の中の彼に確かな興奮を抱いている自分が滑稽で笑うしかなかった。

 目を瞑れば、先ほどまでの幸せな地獄が鮮やかに蘇る。
 しなやかな身体も、蕩けた瞳も、柔らかな内側の感触も。
 縋るように私の名を呼ぶ、声も。
 全部全部妄想だとしても、確かに私は満たされたのだ。
 どぷり、と欲望が溢れる。

「…………篠崎、君」

 ひび割れた声で、届かない彼の名を呼ぶ。
 この胸に重く積み重なった想いは、恋心と呼ぶにはあまりにも後ろ暗い。


 彼への、執着心。
 それを自覚した瞬間、私は――死にたくなった。


 ◆

「よう亮介、見舞いに来たぞ。……酷い顔だな」
「……ああ、すまない」

 その日会社を休んだ私は、病院にかかった後に丸一日中寝込んでいた。
 インフルエンザ、だという。
 同じフロアで流行っているという話は聞いていた。きっちりと予防をしていたハズなのに、まさか自分が罹患するとは思いもしなかった。

「お前が病気になるなんて、何時以来だろうな?」
「さあ……私も覚えていないよ」
「大分参ってる様子だな。お前はベッドに戻っておけよ、適当にキッチン借りるぞ」
「助かる……」

 久方ぶりに病魔に侵された身体は鉛の様に重たく、立っていることすら辛かった。
 カズに渡されたスポーツドリンクを胸に抱えて、ぐらぐらと揺れる頭を押さえながら自室へと戻っていく。
 ベッドに倒れ込んで再び泥のように眠り、目覚めた時には辺りは真っ暗になっていた。

 暗い天井を見上げながら自問自答する。
 篠崎君への気持ちについて。そして、自分自身について。

 私は同性愛者だったのだろうか?
 ――違う、男に欲情したことはない。

 今まで誰も好きにならなかったから気づかなかったのではないか?
 ――違う、女性を抱くことは出来た。

 ではなぜ、彼に劣情を覚えているのか?
 ――分からない。ただ、彼が自分にとって特別な存在になっていることは確かだった。

 この気持ちは、どうすればいい?

「……決まっている、だろう」

 殺すのだ。
 こんな間違った想いを彼に悟られる訳にはいかない。
 今まで通り、押し殺して、冷静で理性的な『月島亮介』の仮面を被って過ごすべきなのだ。

 そんなことが出来るのか?
 ――自信が、無かった。

 現にこの三年間は、欲と感情に振り回される日々を送っていた。
 それでもやるしかない。他にどうすることも出来ないのだから。
 今後はなるべく彼には近寄らないようにして、自制を覚えていくことにしよう。

 そう、心に決めた半年後だ。
 篠崎君が、同じ課に配属されることが決まったのは。

「人材育成担当から異動となりました、篠崎聡です。今日からよろしくお願いします」

 相変わらず不愛想な声で彼がそう言うのを、私は絶望的な心境で聞いていた。
 数カ月ぶりにその姿を見て確信する。未だこの胸に燻る想いは衰えていないと。
 瞼を閉じ、感情を殺す。
 そうして、いつもの薄ら笑いを顔に張り付けて、嫌味っぽく彼に手を差し出した。

「まさか君と机を並べる羽目になるとは思わなかったが、これも何かの縁だ。よろしく頼むよ、篠崎君」
「ああ、よろしくな」

 わざとらしいまでに好意的な声を作ってそう言った彼は、差し出した私の手を勢いよくはたいた。
 そして周囲に緊張が走る中、平然と言ってのける。

「ハイタッチのつもりじゃなかったのか? そりゃすまなかった」
「………」

 いきなりご挨拶なことだ。
 いくら篠崎君が相手とはいえ、流石に頬が引き攣るのを感じる。

 『天敵』
 静まり返った課内で、最近ではすっかり定着してしまったその呼び名を誰かが呟く声が聞こえた。
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