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22 これからの住処
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翌日。
コラユータ領から、アンネッタのいる教会へと戻ってきたルクレツィアとエルヴェツィオ。もちろん、ロミーナとアデルモも少し下がって後ろにいる。
そしてルクレツィアはアンネッタの姿を見つけるとすぐに声を掛けられた。
「ルクレツィア、いらっしゃい。」
「えっと…ただいま、アンネッタ。」
ルクレツィアは、アンネッタからそう言われて戸惑いながら帰ってきた事を告げる。昨日は、あのまま和やかな雰囲気でコラユータ領に泊まってきたのだ。
「お帰り、と言いたいがもうルクレツィアの居場所はここじゃないよ。
だからいらっしゃい、でちょうどいいのさ。」
「アンネッタ…」
分かってはいたがそのように距離を置かれたように感じたルクレツィアは、淋しそうに眉を下げる。
「こう言っているけど、アンネッタは実はとても寂しがり屋なんだよ。」
「ふん、エルヴェツィオは何を言うんだい?
寂しがり屋だったら一人でここで住んではいないだろうに。」
「だって理由があるからじゃないか。
まぁでもアンネッタがここにいるおかげで、俺やルクレツィアみたいに救われた人もいるんだからさ。ここに居てくれてありがとう、アンネッタ!」
「理由?」
エルヴェツィオのその言葉に、ルクレツィアは前々から気になっていたと顔を上げて、首を傾げそう告げる。
「…なんだい、お礼を言うなんて珍しいねぇ!
ルクレツィア、あまり深い事は気にしないでちょうだい。
それより今日はどうしたのさ?あぁ、荷物を取りに来たのか。昨日は持って行かなかったもんねぇ。」
「そうそう、荷物は王宮に行くついでに持って行くからさ。」
「まあ!ずいぶんと早いもんだねぇ、ルクレツィアは両親と暮らせないのかい?」
「いや、まぁそうなんだけどさ…。」
「王宮には挨拶に行くのですって。」
「だからついでに持って行くって?まぁ好きにしな。」
ルクレツィアは、エルヴェツィオと婚約者となり一年後、結婚する予定になった。
その間、ルクレツィアはコラユータ領と王宮を行き来するのだが、エルヴェツィオがまずは王宮に行って居住区域の案内とルクレツィアの部屋を見て欲しいと言ったのだ。そしてついでに両親、つまり国王と王妃に会う予定となっている。
「ふぅん。ま、人生一度きりだからね、何事も前向きに捉えて楽しんじゃいな!
ほら、さっさと行きな!私は忙しいんだからね。」
アンネッタは手の甲を外側に向けて揺らし、さっさと行きなさいと促す。
「アンネッタ…お世話になりました!
とっても楽しく過ごす事が出来て、淋しく思う事も少なかったの。本当にありがとう。」
「はいはい。いいよ、そんな礼なんて。
…また、サフランのお茶を届けに来てくれたらそれでいいからね!」
そう言うと、アンネッタは背中を向けさっさと洗濯をしに川へと向かって歩き出してしまう。
「アンネッタ、私からもお世話になりました。ありがとうございました。」
「アンネッタ、ありがとうございました。」
合わせて、ロミーナとアデルモも言葉を繋ぐ。
それに応えるように、後ろを向いたままヒラヒラと手を振るアンネッタに、ルクレツィアは声を掛ける。
「うん、また来るわー!」
「行こうか。」
エルヴェツィオはそう言って、ルクレツィアの手を取り優しく繋ぐと、荷物を取りに教会の奥へとルクレツィアと共に向かった。
☆★
「はぁ…緊張するわ。」
「それ、何度目?大丈夫だから。ただ、俺の両親に会うだけだから!
それより部屋を気に入ってくれるかの方が心配だよ。」
王宮へと向かう馬車の中で先ほどから同じような会話を繰り返すルクレツィアとエルヴェツィオ。
初めこそ、教会から続く秘密の地下通路で向かいたいと言ったルクレツィアだったが、一応は次期王太子妃の王宮訪問であるからそれはまたの機会にという事となった。いつも通うエルヴェツィオの手段はどういうものかと不思議だったルクレツィアは、『じゃあいつか一緒に使わせてね!』と気安い話をしていた。
しかし、王都の中心街を通って行く内、ルクレツィアは今まで感じた事のない活気に溢れる声や馬車の行き交う音に、だんだん自分の置かれている状況を実感しだしたのだ。
エルヴェツィオも、両親にはすでにルクレツィアの事は伝えてあり、結婚の許可も実は随分前に得ている。
だが、ルクレツィアはエルヴェツィオの両親ではあるが国王陛下と王妃殿下に会うという事で緊張しているのだ。
ただでさえ、ルクレツィアは七歳以降は教会で育ち外の世界をほとんど知らない。そのため、初めて会う社交が、国で一番偉い人だという事に今更ながら震えるほど恐ろしくなったのだ。
この国の貴族子息子女の社交、つまり他の貴族同士の交流は、昔は早い内から積極的に行われていた。
けれども最近は遅い傾向にあり、ルクレツィアのように成人する時初めて交流の機会を得る事は珍しい事ではない。それでもルクレツィアは失敗したりしないかと不安であった。
それが分かるエルヴェツィオだからこそ、王宮訪問はルクレツィアが過ごす部屋を見るためであり、両親との顔合わせはついでという名目にしたのだった。
「ルクレツィアは王宮は初めてだったよね?」
「うん…。」
俯きがちになり、膝の上で両手を握ってそわそわとするルクレツィアに、エルヴェツィオはそれすら可愛いと思いながら話し掛ける。
「ちゃんと呼吸してる?俺がいるから、ね?
ほら、窓の外を見て。想像してた通り?それとも想像とは違う?」
ルクレツィアの気を逸らそうと、窓の外を見るように促すエルヴェツィオ。
そろそろ王宮の正門へと入る頃合いだ。
「えっと、想像って…わぁ、凄い!素敵ね!!光ってる…それにとても大きいわ!」
ルクレツィアも、促されるがまま窓の外を見ると、全貌は分からないが太陽に照らされてまるで金色に輝く、端は見えないが左右に広がる城壁が見えた。馬車の通る車道は広く取られているから、横に付けられた窓からでも近づいて見れば、向かっている正面の開かれた正門から、全貌は窺えないがキラキラと輝く建物や庭園だろう噴水のようなものも見える。
それを見る事でルクレツィアの意識が別に向いたのはいいけれど、迫力があり、自分は今からこの中へ向かうのかとまるで物語の書かれた絵本を読んでいるようだと別の意味で興奮しだした。
「そうだね、国の政をする区域や、他国の方々をもてなす区域もあるんだ。だから無駄に広く、見栄えも恐ろしくいいと思う。
でも、俺らが住む区画はここからは見えないもっと奥にあるよ。それを見て、ルクレツィアが幻滅しないといいんだけどね。」
「幻滅…?」
それを聞き、ルクレツィアはエルヴェツィオの方へと振り返る。どういう意味で言ったのか、想像もつかないからだ。
「まぁ、見れば分かるよ。」
そう言ったエルヴェツィオは肩を竦めると、ルクレツィアの手を取ってギュッと握り告げる。
「ルクレツィア。そろそろ一度降りるよ。歩けるかな?
荷物は置いておけばいいよ。」
☆★
馬車停めから、辺りに広がる庭園を少し説明を交えながら進み、建物へと入る。
そこは天井がかなり高く取られており、広さもかなりある。どうやらそこが玄関ホールのような場所で、壁沿いに幾つもカウンターが並んでおり、受け付けのようになっていた。
「ここは訪れた人の仕分け、じゃないけど受け付けだよ。
一般庶民が来る場合もあるし、貴族やその代理が来る場合もある。他国からも来る場合もあるからね。だからいつもここは混雑してる。」
「…凄い人ね。」
ルクレツィアは圧倒されていた。初めてこんなに大勢の人を見た、と早くも人酔いしそうなほどだ。
「壁沿いにあるカウンターで係員に聞けば、自分の行くべき先を教えてもらえる。その為に皆並んでいるんだ。
だから中央を歩けば、そんなに人とはぶつからないよ。」
そう言って、エルヴェツィオは未だ繋がれたままの手をゆっくり引っ張り、ルクレツィアを促す。
「この上の階は、政関係だよ。
今日は俺たちここは関係ないからね、行こう。」
そしてその建物を出るとまた、庭園が続いている。先ほど通ってきた庭園とは少し趣の違う、落ち着いた雰囲気であった。
「さっきの庭園も綺麗だったけど、こっちの庭園も綺麗ね。」
「本当?ありがとう。庭師が聞いたら喜ぶと思うよ。
あっちは名付けるなら魅せる庭園、こっちは癒す庭園、かな?王宮で働く者達の宿舎があっちにあってね。あ、でもここはあまり来ないで欲しいな。職員達がよく密会してるらしいよ。」
「まぁ!」
確かにこちらは見える範囲には小さな可愛らしい花が多く咲いており、奥には胸までの高さほどの生け垣も多く存在している。
ベンチが至る所にあり、ここから見える所には座っている人は居ないが、生け垣の向こう側で話し声が聞こえたり、人の気配もした。
「あと少しだよ。
今日はルクレツィアにいろいろ見せたくて正門から来たからたくさん歩かせてごめんね。
他に西門や東門もあるから、本来ならそっちから出入りする事が多いからね。」
「そうなのね。でも見られて良かったわ!」
そう話している内に、落ち着いた薄い白色の建物が目に映った。
「ここが、居住区だよ。」
扉は開いているが、その前に二人、体つきの大きな人がいて、エルヴェツィオを見るや姿勢を正し頭を下げた。
「「お帰りなさいませ。」」
「ただいま。…と、俺の愛しい人、ルクレツィアね。宜しく。」
「ルクレツィア=コラユータと申します。」
「「宜しくお願いします!!」」
「彼らは、近衛騎士。毎日同じ奴らじゃないけど、何かあったら言えばいいから。」
挨拶を軽くして、先へ進むエルヴェツィオはそう言って、更に進もうとする。
しかしルクレツィアは、この建物に入ってすぐ、足を止めて驚嘆の笑みを浮かべた。
「うん。
わぁ…ここも素敵ね!」
「…本当?」
エルヴェツィオはその声に思わず立ち止まる。
「ええ!さっきの政をされる建物も素晴らしかったけれど、こちらの建物はなんだか落ち着く感じね。
ここの玄関ホールも、なんだかコラユータの屋敷に帰ったみたい!…おこがましいかしら?」
「いや…嬉しい。」
エルヴェツィオは、そんなルクレツィアの声が素直に嬉しかった。居住区は、王族の疲れを癒す場所だ。だから政を行う煌びやかな王宮とは違い、落ち着いた雰囲気になっている。ともすれば、質素とも見えなくもないその建物は幻滅されるのではないかと危惧した。
ルクレツィアは町外れの廃れた教会で暮らしていたし、数年一緒に過ごした中で、ルクレツィアは清らかだと思っている。
だからこそエルヴェツィオはそんなルクレツィアを愛しく思っている。だが、これから住処となる場所は今までとは違って豪華にしたいと言われたら…その時は部屋の中の壁紙や調度品をごっそり変えようと考えていた。
その玄関ホールは、ピアノが置かれていたし壁には幾つも風景画が掛けられていた。奥の簡単な机には、チェスも置かれていてさながら応接室のようだ。
暖炉もありそこのマントルピースの上にはどこか見覚えのあるものが置かれていた。それに目が惹かれて近くまで行くルクレツィア。
「え、これ…」
「あぁ、それね。いろいろあって、そこにいるよ。ルクレツィアが気に入るかは分からないけれどね。」
それは、魚を口に加えている木彫りの熊だった。
幼い頃、同じものを父が買って来てコラユータの屋敷で見せられた事があったが、それを怖いと思ったものだった。でも、今見てみるとどこか穏やかにも見える熊の表情は、今朝別れた父を思い起こさせた。
「俺も視察に行く事もある。もちろんルクレツィアと一緒の時もあるよ。
その時に、そいつの仲間が増えたらそこに並べようか。」
「…うん。」
ルクレツィアは、エルヴェツィオが過去の自分の数少ない家族との思い出を知っていて言っているのか、分からなかった。
木彫りの鳥も栗鼠も、教会では自分に宛がわれた部屋のベッドに置いておりエルヴェツィオに見せた事もなかったから。
けれども、家族との思い出であった木彫りの動物を、今度はエルヴェツィオと増やせる事にルクレツィアは胸が熱くなった。
「さて!
ルクレツィアの部屋だけど、今は婚約者だから客間なんだ、ごめんね。
リッカルダからいろいろ教わったと聞いているけど、王太子妃として本格的に学んで欲しい事もあるからさ、ここで復習がてら学んで、遅くなったら寝泊まりも出来るからね。」
そう言って、エルヴェツィオはルクレツィアを促した。
コラユータ領から、アンネッタのいる教会へと戻ってきたルクレツィアとエルヴェツィオ。もちろん、ロミーナとアデルモも少し下がって後ろにいる。
そしてルクレツィアはアンネッタの姿を見つけるとすぐに声を掛けられた。
「ルクレツィア、いらっしゃい。」
「えっと…ただいま、アンネッタ。」
ルクレツィアは、アンネッタからそう言われて戸惑いながら帰ってきた事を告げる。昨日は、あのまま和やかな雰囲気でコラユータ領に泊まってきたのだ。
「お帰り、と言いたいがもうルクレツィアの居場所はここじゃないよ。
だからいらっしゃい、でちょうどいいのさ。」
「アンネッタ…」
分かってはいたがそのように距離を置かれたように感じたルクレツィアは、淋しそうに眉を下げる。
「こう言っているけど、アンネッタは実はとても寂しがり屋なんだよ。」
「ふん、エルヴェツィオは何を言うんだい?
寂しがり屋だったら一人でここで住んではいないだろうに。」
「だって理由があるからじゃないか。
まぁでもアンネッタがここにいるおかげで、俺やルクレツィアみたいに救われた人もいるんだからさ。ここに居てくれてありがとう、アンネッタ!」
「理由?」
エルヴェツィオのその言葉に、ルクレツィアは前々から気になっていたと顔を上げて、首を傾げそう告げる。
「…なんだい、お礼を言うなんて珍しいねぇ!
ルクレツィア、あまり深い事は気にしないでちょうだい。
それより今日はどうしたのさ?あぁ、荷物を取りに来たのか。昨日は持って行かなかったもんねぇ。」
「そうそう、荷物は王宮に行くついでに持って行くからさ。」
「まあ!ずいぶんと早いもんだねぇ、ルクレツィアは両親と暮らせないのかい?」
「いや、まぁそうなんだけどさ…。」
「王宮には挨拶に行くのですって。」
「だからついでに持って行くって?まぁ好きにしな。」
ルクレツィアは、エルヴェツィオと婚約者となり一年後、結婚する予定になった。
その間、ルクレツィアはコラユータ領と王宮を行き来するのだが、エルヴェツィオがまずは王宮に行って居住区域の案内とルクレツィアの部屋を見て欲しいと言ったのだ。そしてついでに両親、つまり国王と王妃に会う予定となっている。
「ふぅん。ま、人生一度きりだからね、何事も前向きに捉えて楽しんじゃいな!
ほら、さっさと行きな!私は忙しいんだからね。」
アンネッタは手の甲を外側に向けて揺らし、さっさと行きなさいと促す。
「アンネッタ…お世話になりました!
とっても楽しく過ごす事が出来て、淋しく思う事も少なかったの。本当にありがとう。」
「はいはい。いいよ、そんな礼なんて。
…また、サフランのお茶を届けに来てくれたらそれでいいからね!」
そう言うと、アンネッタは背中を向けさっさと洗濯をしに川へと向かって歩き出してしまう。
「アンネッタ、私からもお世話になりました。ありがとうございました。」
「アンネッタ、ありがとうございました。」
合わせて、ロミーナとアデルモも言葉を繋ぐ。
それに応えるように、後ろを向いたままヒラヒラと手を振るアンネッタに、ルクレツィアは声を掛ける。
「うん、また来るわー!」
「行こうか。」
エルヴェツィオはそう言って、ルクレツィアの手を取り優しく繋ぐと、荷物を取りに教会の奥へとルクレツィアと共に向かった。
☆★
「はぁ…緊張するわ。」
「それ、何度目?大丈夫だから。ただ、俺の両親に会うだけだから!
それより部屋を気に入ってくれるかの方が心配だよ。」
王宮へと向かう馬車の中で先ほどから同じような会話を繰り返すルクレツィアとエルヴェツィオ。
初めこそ、教会から続く秘密の地下通路で向かいたいと言ったルクレツィアだったが、一応は次期王太子妃の王宮訪問であるからそれはまたの機会にという事となった。いつも通うエルヴェツィオの手段はどういうものかと不思議だったルクレツィアは、『じゃあいつか一緒に使わせてね!』と気安い話をしていた。
しかし、王都の中心街を通って行く内、ルクレツィアは今まで感じた事のない活気に溢れる声や馬車の行き交う音に、だんだん自分の置かれている状況を実感しだしたのだ。
エルヴェツィオも、両親にはすでにルクレツィアの事は伝えてあり、結婚の許可も実は随分前に得ている。
だが、ルクレツィアはエルヴェツィオの両親ではあるが国王陛下と王妃殿下に会うという事で緊張しているのだ。
ただでさえ、ルクレツィアは七歳以降は教会で育ち外の世界をほとんど知らない。そのため、初めて会う社交が、国で一番偉い人だという事に今更ながら震えるほど恐ろしくなったのだ。
この国の貴族子息子女の社交、つまり他の貴族同士の交流は、昔は早い内から積極的に行われていた。
けれども最近は遅い傾向にあり、ルクレツィアのように成人する時初めて交流の機会を得る事は珍しい事ではない。それでもルクレツィアは失敗したりしないかと不安であった。
それが分かるエルヴェツィオだからこそ、王宮訪問はルクレツィアが過ごす部屋を見るためであり、両親との顔合わせはついでという名目にしたのだった。
「ルクレツィアは王宮は初めてだったよね?」
「うん…。」
俯きがちになり、膝の上で両手を握ってそわそわとするルクレツィアに、エルヴェツィオはそれすら可愛いと思いながら話し掛ける。
「ちゃんと呼吸してる?俺がいるから、ね?
ほら、窓の外を見て。想像してた通り?それとも想像とは違う?」
ルクレツィアの気を逸らそうと、窓の外を見るように促すエルヴェツィオ。
そろそろ王宮の正門へと入る頃合いだ。
「えっと、想像って…わぁ、凄い!素敵ね!!光ってる…それにとても大きいわ!」
ルクレツィアも、促されるがまま窓の外を見ると、全貌は分からないが太陽に照らされてまるで金色に輝く、端は見えないが左右に広がる城壁が見えた。馬車の通る車道は広く取られているから、横に付けられた窓からでも近づいて見れば、向かっている正面の開かれた正門から、全貌は窺えないがキラキラと輝く建物や庭園だろう噴水のようなものも見える。
それを見る事でルクレツィアの意識が別に向いたのはいいけれど、迫力があり、自分は今からこの中へ向かうのかとまるで物語の書かれた絵本を読んでいるようだと別の意味で興奮しだした。
「そうだね、国の政をする区域や、他国の方々をもてなす区域もあるんだ。だから無駄に広く、見栄えも恐ろしくいいと思う。
でも、俺らが住む区画はここからは見えないもっと奥にあるよ。それを見て、ルクレツィアが幻滅しないといいんだけどね。」
「幻滅…?」
それを聞き、ルクレツィアはエルヴェツィオの方へと振り返る。どういう意味で言ったのか、想像もつかないからだ。
「まぁ、見れば分かるよ。」
そう言ったエルヴェツィオは肩を竦めると、ルクレツィアの手を取ってギュッと握り告げる。
「ルクレツィア。そろそろ一度降りるよ。歩けるかな?
荷物は置いておけばいいよ。」
☆★
馬車停めから、辺りに広がる庭園を少し説明を交えながら進み、建物へと入る。
そこは天井がかなり高く取られており、広さもかなりある。どうやらそこが玄関ホールのような場所で、壁沿いに幾つもカウンターが並んでおり、受け付けのようになっていた。
「ここは訪れた人の仕分け、じゃないけど受け付けだよ。
一般庶民が来る場合もあるし、貴族やその代理が来る場合もある。他国からも来る場合もあるからね。だからいつもここは混雑してる。」
「…凄い人ね。」
ルクレツィアは圧倒されていた。初めてこんなに大勢の人を見た、と早くも人酔いしそうなほどだ。
「壁沿いにあるカウンターで係員に聞けば、自分の行くべき先を教えてもらえる。その為に皆並んでいるんだ。
だから中央を歩けば、そんなに人とはぶつからないよ。」
そう言って、エルヴェツィオは未だ繋がれたままの手をゆっくり引っ張り、ルクレツィアを促す。
「この上の階は、政関係だよ。
今日は俺たちここは関係ないからね、行こう。」
そしてその建物を出るとまた、庭園が続いている。先ほど通ってきた庭園とは少し趣の違う、落ち着いた雰囲気であった。
「さっきの庭園も綺麗だったけど、こっちの庭園も綺麗ね。」
「本当?ありがとう。庭師が聞いたら喜ぶと思うよ。
あっちは名付けるなら魅せる庭園、こっちは癒す庭園、かな?王宮で働く者達の宿舎があっちにあってね。あ、でもここはあまり来ないで欲しいな。職員達がよく密会してるらしいよ。」
「まぁ!」
確かにこちらは見える範囲には小さな可愛らしい花が多く咲いており、奥には胸までの高さほどの生け垣も多く存在している。
ベンチが至る所にあり、ここから見える所には座っている人は居ないが、生け垣の向こう側で話し声が聞こえたり、人の気配もした。
「あと少しだよ。
今日はルクレツィアにいろいろ見せたくて正門から来たからたくさん歩かせてごめんね。
他に西門や東門もあるから、本来ならそっちから出入りする事が多いからね。」
「そうなのね。でも見られて良かったわ!」
そう話している内に、落ち着いた薄い白色の建物が目に映った。
「ここが、居住区だよ。」
扉は開いているが、その前に二人、体つきの大きな人がいて、エルヴェツィオを見るや姿勢を正し頭を下げた。
「「お帰りなさいませ。」」
「ただいま。…と、俺の愛しい人、ルクレツィアね。宜しく。」
「ルクレツィア=コラユータと申します。」
「「宜しくお願いします!!」」
「彼らは、近衛騎士。毎日同じ奴らじゃないけど、何かあったら言えばいいから。」
挨拶を軽くして、先へ進むエルヴェツィオはそう言って、更に進もうとする。
しかしルクレツィアは、この建物に入ってすぐ、足を止めて驚嘆の笑みを浮かべた。
「うん。
わぁ…ここも素敵ね!」
「…本当?」
エルヴェツィオはその声に思わず立ち止まる。
「ええ!さっきの政をされる建物も素晴らしかったけれど、こちらの建物はなんだか落ち着く感じね。
ここの玄関ホールも、なんだかコラユータの屋敷に帰ったみたい!…おこがましいかしら?」
「いや…嬉しい。」
エルヴェツィオは、そんなルクレツィアの声が素直に嬉しかった。居住区は、王族の疲れを癒す場所だ。だから政を行う煌びやかな王宮とは違い、落ち着いた雰囲気になっている。ともすれば、質素とも見えなくもないその建物は幻滅されるのではないかと危惧した。
ルクレツィアは町外れの廃れた教会で暮らしていたし、数年一緒に過ごした中で、ルクレツィアは清らかだと思っている。
だからこそエルヴェツィオはそんなルクレツィアを愛しく思っている。だが、これから住処となる場所は今までとは違って豪華にしたいと言われたら…その時は部屋の中の壁紙や調度品をごっそり変えようと考えていた。
その玄関ホールは、ピアノが置かれていたし壁には幾つも風景画が掛けられていた。奥の簡単な机には、チェスも置かれていてさながら応接室のようだ。
暖炉もありそこのマントルピースの上にはどこか見覚えのあるものが置かれていた。それに目が惹かれて近くまで行くルクレツィア。
「え、これ…」
「あぁ、それね。いろいろあって、そこにいるよ。ルクレツィアが気に入るかは分からないけれどね。」
それは、魚を口に加えている木彫りの熊だった。
幼い頃、同じものを父が買って来てコラユータの屋敷で見せられた事があったが、それを怖いと思ったものだった。でも、今見てみるとどこか穏やかにも見える熊の表情は、今朝別れた父を思い起こさせた。
「俺も視察に行く事もある。もちろんルクレツィアと一緒の時もあるよ。
その時に、そいつの仲間が増えたらそこに並べようか。」
「…うん。」
ルクレツィアは、エルヴェツィオが過去の自分の数少ない家族との思い出を知っていて言っているのか、分からなかった。
木彫りの鳥も栗鼠も、教会では自分に宛がわれた部屋のベッドに置いておりエルヴェツィオに見せた事もなかったから。
けれども、家族との思い出であった木彫りの動物を、今度はエルヴェツィオと増やせる事にルクレツィアは胸が熱くなった。
「さて!
ルクレツィアの部屋だけど、今は婚約者だから客間なんだ、ごめんね。
リッカルダからいろいろ教わったと聞いているけど、王太子妃として本格的に学んで欲しい事もあるからさ、ここで復習がてら学んで、遅くなったら寝泊まりも出来るからね。」
そう言って、エルヴェツィオはルクレツィアを促した。
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ファリとして新しい生活の基盤を整えた頃、元家族はファリミナがいたことにより、自分たちの生活が楽だったことを知る。そして、メイフは自分が馬鹿だったと後悔し始め、自分を愛しているはずのファリミナに会いに行くのだが――。
幸せじゃないのは聖女が祈りを怠けたせい? でしたら、本当に怠けてみますね
柚木ゆず
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