ワケあって、お見合い相手のイケメン社長と山で一夜を過ごすことになりました。

紫月あみり

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十一

初出勤

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 ひつじ雲が空に一面に浮かぶ、月曜日の朝だった。
 母が作った朝ごはんを食べると、私はシャツを丁寧にアイロンした。
 今日が初出勤日だ。

 オフィスでのビジネスカジュアルと聞いている。
 白シャツとベージュのフレアスカートにシワやヨレがないことを確認すると、紺のジャケットを羽織った。

「おはようございます。本日より入社致しました、七瀬充希です。以前は不動産会社に勤めて1ました。趣味はテニスとヨガです。一日でも早くこちらの仕事に慣れて、皆様のお役に立てるように頑張りますので、ご指導のほどよろしくお願いいたします」

 好印象を持たれるような挨拶ができるように、バスルームの鏡に向かって練習する。
 肺炎に掛かったため、本当は一週間前の月曜日が初日だったのに、遅れてしまった。
 すでにネガティブな印象を与えていることだろう。今日で挽回しないと。

「職場の方に和菓子を買っておいたから、持って行きなさい」

 出かけ際、母が和菓子が入った袋を渡す。

「さすが気が利く。ありがと」と感謝して玄関を出た。

 どんな不運が起こっても遅刻しないように、と早く出勤したせいで、始業時間の一時間前に会社に着いた。
 当然開いていないので、近くのカフェで時間を潰し、入社する。
 まず、待合室に通され、必要書類をテーブルの上に出して、待っていると、若い女性がドアを開けて入ってきた。

「おはようございます。本日より入社致しました、七瀬充希――」

「私はデスクまで案内するように言われているだけだから」

 立ち上がって挨拶をする私を、その女性が制する。
 あとで思えば、これが最初の不審なサインだった。
 案内するだけだと言っても、自己紹介くらいしても……

「付いてきてください」

 急ぐように言うと、その女性は早足で歩いていく。
 私をオフィスに通すと、「ここがあなたのデスクよ」と言い残し、去って行った。

 デスクはパソコンも何もなかった。
 両脇を散らかったデスクに挟まれているだけに、余計綺麗サッパリと何もなさが目立つ。
 これが第二の不審なサインだった。
 おずおずと椅子に座った私は、辺りを見渡した。

 両隣のデスクには、まだ誰も座っていない。オフィスには対向式に6つずつ並べられたデスクが、三列ある。その半数のデスクに人が座っている中で、皆私と目を合わさないように、顔を背けているように見えた。
 とりあえず、鞄をデスクの下に置き、筆記用具とメモ帳をデスクの上に出す。
 初日だから、皆の前で挨拶するものと思っていたのだけど?
 整然としたオフィスで、私だけが削ぐわない空気をヒシヒシと感じる。
 既に失敗したような感じだ。
 転職した初日だから、大した仕事ができるとは思っていなかったけど……

 メールでやり取りしたことがある、部長らしき人物はどこにも見当たらなかった。
 とにかく、挨拶回りだ。でも一人で勝手に? 

 しょうがない。こんな時は――デスクに両手をつくと、思いっきり立ち上がった。
 向かいに座っている女性がビクッと驚き、一瞬目を合わせたものの、そそくさと俯く。
 オフィス全体を見渡した。
 女性の下着専門の会社だけあって、ほぼ全員女性社員だ。
 チラチラと私に目をやりながら、皆私と視線を合わせないように俯いていく。
 その中で、会社に一人はいるといわれる人物を探す。

 職場に長く勤め、仕事の知識が深く、仕切りたがりの女性……
 斯くして、その女性はいた。
 一人だけ私から視線を逸らさない女性――

 対抗するように私を睨むその女性は、目と眉尻がやや釣り上った、見るからに自己主張が強そうなショートヘアの少し年上の女性だった。
 私は意を決すると、和菓子が入った持って、その女性のデスクに向かった。

「お忙しいところ、すみません」

 あからさまに嫌そうな顔をするその女性に、低姿勢で話しかける。

「本日より入社致しました、七瀬充希です。先週、入社するはずだったのですが、肺炎を拗らせて、入社が遅れました。和菓子をお持ちしましたので、よかったら食べてください」

 和菓子を一つ差し出す。
 痛いほど皆の視線を感じながら。

「……三田です」

 受け取ってもらえないのではと危惧するほど長い間の後、三田さんが私から和菓子を受け取る。

「初日から一週間休むなんて。病気だったのは仕方ないにしても、困るのよね。部長は今出張中だし、予定が狂うったら――」

 小言を言い始めた。
 文句を言われているのに、無視されなかったことに安堵を覚える。
 対応が悪いのは、やっぱり初日から一週間休んでしまったせい?

「ご迷惑をお掛けして、本当に申し訳ありません。その、お忙しいところ恐縮なんですが……」

「何よ?」と言わんばかりに三田さんがさらに眉を吊り上げる。

「周りの人の名前を早く覚えたいので、教えてもらえませんか?」

 怖気付きながも、私はお願いした。

「えー? 私が? この忙しい時に……」

 三田さんが周りを見渡す。

「杉本さん?」と向かいに座っている女性を呼ぶと、

「こちらは今日から入社した七瀬さん。七瀬さんを皆に紹介してあげてちょうだい」

 と私を押し付けた。
 三田さんとは対照的な八の字眉の杉本さんが、「はい。では、こちらから」と私を三田さんの隣のデスクから紹介していく。
 それなりに愛想がいい人はいたけど、あからさまに冷たい態度を取る人が多い。
 一週間休んだことが、これだけ悪い印象を与えるなんて……
 笑顔も作れなくなるくらい凹んだ。
 人の良さそうな杉本さんが時折、同情の目を向ける。

「何か手伝える仕事はありませんか」

 挨拶回りが終わると、杉本さんに聞いてみた。

「いえ、私も入社したばかりなので……力になれなくてごめんなさい」

 眉をさらに八の字に下げ、杉本さんが心底申し訳なさそうに謝る。
 周りの目を気にしながら、杉本さんが自分の席に戻って行った。
 不審なサインが増えていく。

 これは一種のいじめ? 
 いやいやと私は首を振った。
 出勤した初日からいじめに遭うなんて……
 タイミング悪く、皆忙しい時に出勤してしまって、迷惑だと思われているだけだろう。

 その後、何もないデスクで何もすることがないという、辛い数時間を過ごすと、正午になる。
 次々とお昼ご飯に人が席を立つ中、誰も私を誘う人はいなかった。
 イジメではないにしても、既に皆から嫌われていることは明らかだ。
 もう息をするのもしんどい。

 重い気分を引きずりながら、どこにあるのかも分からない食堂に向かった。
 行き当たりばったり、廊下で会った人に道を聞き、ようやく食堂に辿り着く。
 自然光が差し込む、二百人は収容できそうな食堂は、活気に満ちていた。
 いきワイワイと楽しそうな人の群れに、疎外感を感じながら、人混みに紛れ列に並ぶ。

「体調はもう大丈夫なのか?」

 突如、聞きなれた声がした。
 顔を上げると、昼食を済ませた巧が、空の容器を乗せたトレイを手に立っていた。

「たく……」

 重たい曇り空に晴れ間を広げてくれる救世主の出現に、いつもの呼び名で話しかけそうになった寸前で、止める。¥
「佐倉課長、お陰様ですっかり。先日はご迷惑をお掛けしました」 

 丁寧語で巧に頭を下げると、ふと周りがいくらか静かになったことに気づいた。
 その場の皆が、私と巧に注目している。
 巧も皆の視線に気づき、咳をわざとらしくした。

「それは良かった」と言い残して、去っていく。
「A定食がお勧めだ」とすれ違い側に囁いて。

 この会社の人間が、未来の社長である巧の言動に注目するのも無理はない。
 普段忘れがちだけど、巧はこの会社の後継者なのだと、今更ながら実感する。
 今後会社で巧と会った時は、話さないようにしよう。

 そう頭にメモを取ると、窓際に面した席に一人で座り、とろろご飯と豚肉の生姜焼き、ナスとネギの酢の物、というヘルシーなA定食を食べ始めた。
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