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二章 潜入
十二.お志津の覚悟
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本所郊外の林の中に、ひっそりと建つ小屋がある。
御庭番を務める甲賀衆が、密かに使う忍び小屋だ。
総二郎は、そこでお志津の治療をしていた。
ここに来るまでに、応急処置として、お志津の傷口を切り開き、毒は吸い出している。
それでも、一度広まった毒を抜くには、安静にして休ませる必要があった。
幸い、毒には甲賀の秘伝薬が効いた。
お志津は、意識混濁したまま、体の震えが収まらない。
傷口に膏薬を塗り、解毒薬を口移しで飲ませる。
「はぁっ……はぁっ……うぁぁ……」
「お志津……お志津!」
総二郎は一睡もせず、お志津の傍に付きっきりであった。
定期的に解毒薬、そして大量の水を口移しで飲ませる。
体内の毒の吸収を遅らせ、毒の排出を促すのだ。
容態が安定したのは、三日後の晩である。
汗に濡れた襦袢を脱がせ、体を拭いてやっていると、うっすらとお志津が目を開いた。
「あっ……旦那……?」
「お志津、気がついたか。もう大丈夫だ」
「あっしは、いったい……」
慌てて体を起こそうとしたお志津を、総二郎は制止する。
「まだ回復しておらん。そのまま寝ているのだ。今、汗を拭いてやるからな」
「旦那……申し訳ありません……」
「俺のほうこそ、申し訳ないことをした」
お志津の体の隅々まで、丁寧に清めてから、新しい襦袢を着せてやる。
「薬だ、飲めるか?」
差し出された湯呑を、お志津は受け取ろうとするが、手が震えて上手くいかない。
お志津の背中を支え、総二郎はそっと口移しで飲ませてやる。
「んっ……!? だ、旦那ぁ……まさか、ずっとこうして……?」
「うむ、そうする他無かったからな。さ、無理をせず、横になりなさい」
頬を赤らめるお志津の頭を、総二郎は優しく撫でてやる。
「旦那……あの娘たちはどうなったんで?」
「全員救い出し、家に帰すことができた」
「そうですか、良かった……。悪党どもは……」
「主だった者は捕えるか斬り捨てるかした。あの浪人には逃げられてしまったがな」
すると、お志津は悔しそうに唇を噛みしめる。
「旦那、あっしがドジ踏んだばっかりに……」
「何を言う。あの娘たちを救えたのは、お前がいてくれたからこそなのだぞ」
「いえ……。あっしはまだ、覚悟が足りなかった……。旦那の元で少しばかりの仕事をして天狗になってたんです」
「自分を責めずとも良い。お前はよくやってくれた。しっかり療養して、また働いてもらわねばならんぞ」
「はい……。あっ、お香にはこのことを……?」
総二郎は穏やかに頷く。
「たいそう心配しておるようだ。今は長屋でお鈴がついておる。回復したという知らせもすぐに出そう」
「そうですか、お鈴ちゃんが……」
お志津は安心したように、そっと目を閉じる。
二日後には、お志津の体力はだいぶ回復してきた。
「お志津、風呂を沸かしてきたぞ」
総二郎の言葉に、お志津は目を輝かせた。
一日たりとて風呂を欠かさない江戸っ子だ。
密かに気にしていたのであろう。
「ありがてぇ。風呂があるんですね」
「ああ、小さいがな。さ、立てるか」
総二郎の手を借りて立ち上がったが、足に上手く力が入らず、お志津はよろけてしまう。
「すっかり足腰が弱っちまって……」
「ならば、俺が入れてやろう」
「えっ、で、でも、旦那……」
慌てふためくお志津を横抱きにし、総二郎は風呂場へと向かう。
「旦那、自分でやりますから……」
「その体では、まだ無理であろう」
「うぅ……分かりやした……。申し訳ありません、旦那……」
お志津の襦袢を脱がせ、総二郎は下帯一枚になる。
熱い湯をかけてやり、拳ほどの小袋を湯に浸して揉み込む。
すると、真っ白い泡がもこもこと膨らんだ。
「旦那、これは……?」
「ムクロジの実だ。そうとう汗をかいておったからな。これで洗えばさっぱりするぞ」
「いい匂いですね。気持ちが良いです……」
お志津は総二郎に身を任せ、うっとりと目を閉じた。
髷も解いて髪も洗ってやると、お志津の顔が目に見えて活き活きし始めた。
「ほら、湯に浸かり、疲れを癒やすのだ」
「はい、旦那。何から何まで、ありがとうございます」
湯は半分ほどに減っていたが、総二郎がお志津を抱えるようにして浸かると、ちょうどいい深さになる。
洗い髪もそのままに、お志津は静かに目を閉じて、総二郎の胸に頭を寄せた。
「旦那……。あっし、覚悟ってのが分かってませんでした。ただひたすら、旦那についていくだけで、本当の修羅場を見てなかったんです」
総二郎はお志津の髪を撫でながら、じっと聞いている。
「あの市でも、旦那に守られてばかりで、大した動きもできませんでした。初めて……命のやり取りをして……怖くなっちまいました……」
「無理をさせてすまなかったな。そういうことならば、岡っ引を続けるのも……」
「いえ! あっしは、ずっと旦那についていきてえんです!」
正面から総二郎にしがみつき、お志津は目を潤ませた。
「旦那と一緒に、ずっと働きてえんです」
「だが、お前は女だ。これからも恐ろしい目に遭うかもしれんぞ」
「へい、その覚悟ってのを、ようやく決められたんです」
お志津の真剣な眼差しに、総二郎は深く頷いた。
「その気持ち、嬉しく思うぞ。お前の亡き父も、そのように真っ直ぐな目をした、素晴らしい男であった」
「ありがとうございます……」
総二郎は、お志津の二の腕に触れる。
そこには、毒を吸い出すためにつけた十字の傷が残っていた。
「痕を残してしまった……。手荒い療治であったからな」
「構いません。旦那と一緒に戦えた証ですから」
お志津は、少し俯いた後、潤んだ目で総二郎を見つめた。
「あっしにもう一つ……傷をつけてもらいてえんです」
「お志津……」
「旦那の手で、あっしを女にしてくだせえ……。勇気をもらいてえんです……旦那……」
「分かった。もう何も言うな……」
涙を流しながら懇願するお志津を、総二郎はきつく抱き締めてやるのだった。
御庭番を務める甲賀衆が、密かに使う忍び小屋だ。
総二郎は、そこでお志津の治療をしていた。
ここに来るまでに、応急処置として、お志津の傷口を切り開き、毒は吸い出している。
それでも、一度広まった毒を抜くには、安静にして休ませる必要があった。
幸い、毒には甲賀の秘伝薬が効いた。
お志津は、意識混濁したまま、体の震えが収まらない。
傷口に膏薬を塗り、解毒薬を口移しで飲ませる。
「はぁっ……はぁっ……うぁぁ……」
「お志津……お志津!」
総二郎は一睡もせず、お志津の傍に付きっきりであった。
定期的に解毒薬、そして大量の水を口移しで飲ませる。
体内の毒の吸収を遅らせ、毒の排出を促すのだ。
容態が安定したのは、三日後の晩である。
汗に濡れた襦袢を脱がせ、体を拭いてやっていると、うっすらとお志津が目を開いた。
「あっ……旦那……?」
「お志津、気がついたか。もう大丈夫だ」
「あっしは、いったい……」
慌てて体を起こそうとしたお志津を、総二郎は制止する。
「まだ回復しておらん。そのまま寝ているのだ。今、汗を拭いてやるからな」
「旦那……申し訳ありません……」
「俺のほうこそ、申し訳ないことをした」
お志津の体の隅々まで、丁寧に清めてから、新しい襦袢を着せてやる。
「薬だ、飲めるか?」
差し出された湯呑を、お志津は受け取ろうとするが、手が震えて上手くいかない。
お志津の背中を支え、総二郎はそっと口移しで飲ませてやる。
「んっ……!? だ、旦那ぁ……まさか、ずっとこうして……?」
「うむ、そうする他無かったからな。さ、無理をせず、横になりなさい」
頬を赤らめるお志津の頭を、総二郎は優しく撫でてやる。
「旦那……あの娘たちはどうなったんで?」
「全員救い出し、家に帰すことができた」
「そうですか、良かった……。悪党どもは……」
「主だった者は捕えるか斬り捨てるかした。あの浪人には逃げられてしまったがな」
すると、お志津は悔しそうに唇を噛みしめる。
「旦那、あっしがドジ踏んだばっかりに……」
「何を言う。あの娘たちを救えたのは、お前がいてくれたからこそなのだぞ」
「いえ……。あっしはまだ、覚悟が足りなかった……。旦那の元で少しばかりの仕事をして天狗になってたんです」
「自分を責めずとも良い。お前はよくやってくれた。しっかり療養して、また働いてもらわねばならんぞ」
「はい……。あっ、お香にはこのことを……?」
総二郎は穏やかに頷く。
「たいそう心配しておるようだ。今は長屋でお鈴がついておる。回復したという知らせもすぐに出そう」
「そうですか、お鈴ちゃんが……」
お志津は安心したように、そっと目を閉じる。
二日後には、お志津の体力はだいぶ回復してきた。
「お志津、風呂を沸かしてきたぞ」
総二郎の言葉に、お志津は目を輝かせた。
一日たりとて風呂を欠かさない江戸っ子だ。
密かに気にしていたのであろう。
「ありがてぇ。風呂があるんですね」
「ああ、小さいがな。さ、立てるか」
総二郎の手を借りて立ち上がったが、足に上手く力が入らず、お志津はよろけてしまう。
「すっかり足腰が弱っちまって……」
「ならば、俺が入れてやろう」
「えっ、で、でも、旦那……」
慌てふためくお志津を横抱きにし、総二郎は風呂場へと向かう。
「旦那、自分でやりますから……」
「その体では、まだ無理であろう」
「うぅ……分かりやした……。申し訳ありません、旦那……」
お志津の襦袢を脱がせ、総二郎は下帯一枚になる。
熱い湯をかけてやり、拳ほどの小袋を湯に浸して揉み込む。
すると、真っ白い泡がもこもこと膨らんだ。
「旦那、これは……?」
「ムクロジの実だ。そうとう汗をかいておったからな。これで洗えばさっぱりするぞ」
「いい匂いですね。気持ちが良いです……」
お志津は総二郎に身を任せ、うっとりと目を閉じた。
髷も解いて髪も洗ってやると、お志津の顔が目に見えて活き活きし始めた。
「ほら、湯に浸かり、疲れを癒やすのだ」
「はい、旦那。何から何まで、ありがとうございます」
湯は半分ほどに減っていたが、総二郎がお志津を抱えるようにして浸かると、ちょうどいい深さになる。
洗い髪もそのままに、お志津は静かに目を閉じて、総二郎の胸に頭を寄せた。
「旦那……。あっし、覚悟ってのが分かってませんでした。ただひたすら、旦那についていくだけで、本当の修羅場を見てなかったんです」
総二郎はお志津の髪を撫でながら、じっと聞いている。
「あの市でも、旦那に守られてばかりで、大した動きもできませんでした。初めて……命のやり取りをして……怖くなっちまいました……」
「無理をさせてすまなかったな。そういうことならば、岡っ引を続けるのも……」
「いえ! あっしは、ずっと旦那についていきてえんです!」
正面から総二郎にしがみつき、お志津は目を潤ませた。
「旦那と一緒に、ずっと働きてえんです」
「だが、お前は女だ。これからも恐ろしい目に遭うかもしれんぞ」
「へい、その覚悟ってのを、ようやく決められたんです」
お志津の真剣な眼差しに、総二郎は深く頷いた。
「その気持ち、嬉しく思うぞ。お前の亡き父も、そのように真っ直ぐな目をした、素晴らしい男であった」
「ありがとうございます……」
総二郎は、お志津の二の腕に触れる。
そこには、毒を吸い出すためにつけた十字の傷が残っていた。
「痕を残してしまった……。手荒い療治であったからな」
「構いません。旦那と一緒に戦えた証ですから」
お志津は、少し俯いた後、潤んだ目で総二郎を見つめた。
「あっしにもう一つ……傷をつけてもらいてえんです」
「お志津……」
「旦那の手で、あっしを女にしてくだせえ……。勇気をもらいてえんです……旦那……」
「分かった。もう何も言うな……」
涙を流しながら懇願するお志津を、総二郎はきつく抱き締めてやるのだった。
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