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第1章 偽りの騎士
第7話 騎士という者 1
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逃げろ、逃げろ、逃げろ。振り返らずに前だけを見て、一歩でも遠くへ逃げろ。ありったけの魔法をかけて速度強化して走り続けて、もう限界と、ようやく彼女は足を止める。
肩で息をしながら辺りを見渡せば、当たり前だが誰もいない。気の知れた仲間、厳しいけど信頼できる上司、そして、彼ら全てをまとめ上げる自慢の父親ロア。たくさんいた。いたはずだったのに気が付けば独り。皆を置き去りにして逃げ出してしまった。それだけではなく、世界の命運を左右する任務を放棄してしまった。色々な後悔の念が今になって強くなり、力なく岩影に座り込む。
「私は……何しているんだろ」
無理を言って部隊に入れて貰って、一生懸命に努力して、ようやく得た初任務だったのに。絶対に成功させて、もう無理なんてしなくていいよって、そう言いたかったのに。それなのに。もう会うことすら叶わないだろう。彼女はこの上ない絶望を感じていた。
どれくらいそうしていたのだろう。辺りは冷え込み、日はすっかり落ちてしまう。それでもまだ動く気になれなかったらしく、しばらくそうしていたのだが、空腹の音が鳴ってポツリと、
「……お腹、空いたなぁ」
そんなことを口にした。体は正直なものだ。どれだけショックを受けていても、深夜にもなると誰だってこうなるだろう。少なくとも彼女はそうだった。
彼女が腰ポケットをまさぐると、飴玉がひとつ出て来た。これはただの駄菓子ではない。出発前に小さな女の子に応援されて、選別として受け取った物だ。食べる訳にはいかない。
「他に食べる物は……何も無い、か」
後はティッシュとハンカチ、それに猫の絵が描かれたお気に入りの絆創膏だけだ。仕方ない。逃げるので必死で、荷物に手をかける余裕なんて無かった。それでもこの飴玉があるのは、お守りにと任務中ずっとポケットに入れていたからだった。
さて、無いとわかれば余計に腹は空くもので、空腹が強まれば強まる程にネガティブな感情が強まっていっていた。部隊は自分以外全滅。親孝行もできなくなって、女の子に合わせる顔も無い。まさに絶望的な状況。余りにも凄惨過ぎて悲しいという感情すら薄れてしまったのか、呆然と、何もない地面をじっと見つめていた。
「新入り、よろしく頼むな!」
「正直に言うと戦場に出て欲しくはないが、私の娘だ。言っても聞かんだろうな」
「お姉ちゃん、がんばってね!」
黙っているとこれまた悪い方へ、悪い方へと考えがいってしまうらしい。まったく関連性のない場面ではあるものの、仲間たち、ロア、あの女の子の言葉が脳内でリピートされ始める始末だった。しかも無限とも言ってもいいくらいに力の源になっていただけに、その反動は大きく、別のことを考えて気を紛らわすということもできない。負のスパイラルに陥っていた。
「……ん?」
どこからともなく、焼き魚の匂いが漂ってくるのに彼女は気が付く。見上げると、もくもくと焚き火か何かの煙が立ち上っていた。こんな夜更けに一体誰が。野盗が稚拙な罠でも張っているのだろうか。そんな風に考えながらも、全く警戒心は湧いてこなくて、彼女はふらふらとそっちへ歩き出す。それから間もなく、メラメラと燃えている焚火を発見する。
「……旅人、かな」
周囲に人影は無い。野盗ならギラギラとした殺意が滲み出るものだろうが、今は人気すら感じられない。しかしこの焚火は明かに真新しく、火が点いてからせいぜい1時間しか経っていないだろう。だから絶対にいるはずなのだ。これを用意した何者かは確実に。
「まぁ、いいか」
一応の警戒はした彼女だったが、この焚火の主が仮に死神や悪魔だったとしても関係ない。これからどうしようかと考えてみれば、戻るか、逃げ帰るかの二つに一つ。戻るのはない。皆溶け出したんだ。悲惨な状態を見に行くだけになる。では逃げ帰るしかないのだろうが、惨め過ぎて到底できるはずがない。だから結論は、このまま果ててしまいたい。しかもそれっぽい正当な理由が無くてはならない。ならばこれは神の思し召しなのかもしれない。焼かれている魚に毒でも塗ってあれば万々歳だし、食べている後ろから襲われたらそれでもいい。いい。いい、はずがない。
「……良くないよ」
死を想像した時、彼女は両手で自分を抱き締めるようにして身を固くする。恐いのだ。騎士なのに、ロアも他の皆も死んでしまっているのに、自分だけが生き残っている卑怯な状況なのに、恐いのだ。死にたくないのだ。まだやりたいことがたくさんある。学びたい知識、鍛えたい技は勿論、行ってみたいところ、見てみたいもの、食べてみたい物、触ってみたい物、嗅いでみたい物。そういう魅力的な物がたくさんある。ならばなおのこと死ぬ訳にはいかず、彼女はギュッと両腕に力を込めながら一歩後ずさった。
その時だった。ガサリと葉が揺れる音がするや否や、スッと何かが隣に下り立つ。余りにも咄嗟のことで彼女は全く反応すらできないまま、耳元で囁かれる。
「生きたいんだね?」
ギクリとして彼女はようやく飛び退いた。そして自身の軽率過ぎた行動を恥じる。生きたいと思ったのならさっさとこの場を離れるべきだったじゃないか。それなのに一歩後ずさっただけだなんて、どうぞ殺してくださいとアピールしているようなもの。
肩で息をしながら辺りを見渡せば、当たり前だが誰もいない。気の知れた仲間、厳しいけど信頼できる上司、そして、彼ら全てをまとめ上げる自慢の父親ロア。たくさんいた。いたはずだったのに気が付けば独り。皆を置き去りにして逃げ出してしまった。それだけではなく、世界の命運を左右する任務を放棄してしまった。色々な後悔の念が今になって強くなり、力なく岩影に座り込む。
「私は……何しているんだろ」
無理を言って部隊に入れて貰って、一生懸命に努力して、ようやく得た初任務だったのに。絶対に成功させて、もう無理なんてしなくていいよって、そう言いたかったのに。それなのに。もう会うことすら叶わないだろう。彼女はこの上ない絶望を感じていた。
どれくらいそうしていたのだろう。辺りは冷え込み、日はすっかり落ちてしまう。それでもまだ動く気になれなかったらしく、しばらくそうしていたのだが、空腹の音が鳴ってポツリと、
「……お腹、空いたなぁ」
そんなことを口にした。体は正直なものだ。どれだけショックを受けていても、深夜にもなると誰だってこうなるだろう。少なくとも彼女はそうだった。
彼女が腰ポケットをまさぐると、飴玉がひとつ出て来た。これはただの駄菓子ではない。出発前に小さな女の子に応援されて、選別として受け取った物だ。食べる訳にはいかない。
「他に食べる物は……何も無い、か」
後はティッシュとハンカチ、それに猫の絵が描かれたお気に入りの絆創膏だけだ。仕方ない。逃げるので必死で、荷物に手をかける余裕なんて無かった。それでもこの飴玉があるのは、お守りにと任務中ずっとポケットに入れていたからだった。
さて、無いとわかれば余計に腹は空くもので、空腹が強まれば強まる程にネガティブな感情が強まっていっていた。部隊は自分以外全滅。親孝行もできなくなって、女の子に合わせる顔も無い。まさに絶望的な状況。余りにも凄惨過ぎて悲しいという感情すら薄れてしまったのか、呆然と、何もない地面をじっと見つめていた。
「新入り、よろしく頼むな!」
「正直に言うと戦場に出て欲しくはないが、私の娘だ。言っても聞かんだろうな」
「お姉ちゃん、がんばってね!」
黙っているとこれまた悪い方へ、悪い方へと考えがいってしまうらしい。まったく関連性のない場面ではあるものの、仲間たち、ロア、あの女の子の言葉が脳内でリピートされ始める始末だった。しかも無限とも言ってもいいくらいに力の源になっていただけに、その反動は大きく、別のことを考えて気を紛らわすということもできない。負のスパイラルに陥っていた。
「……ん?」
どこからともなく、焼き魚の匂いが漂ってくるのに彼女は気が付く。見上げると、もくもくと焚き火か何かの煙が立ち上っていた。こんな夜更けに一体誰が。野盗が稚拙な罠でも張っているのだろうか。そんな風に考えながらも、全く警戒心は湧いてこなくて、彼女はふらふらとそっちへ歩き出す。それから間もなく、メラメラと燃えている焚火を発見する。
「……旅人、かな」
周囲に人影は無い。野盗ならギラギラとした殺意が滲み出るものだろうが、今は人気すら感じられない。しかしこの焚火は明かに真新しく、火が点いてからせいぜい1時間しか経っていないだろう。だから絶対にいるはずなのだ。これを用意した何者かは確実に。
「まぁ、いいか」
一応の警戒はした彼女だったが、この焚火の主が仮に死神や悪魔だったとしても関係ない。これからどうしようかと考えてみれば、戻るか、逃げ帰るかの二つに一つ。戻るのはない。皆溶け出したんだ。悲惨な状態を見に行くだけになる。では逃げ帰るしかないのだろうが、惨め過ぎて到底できるはずがない。だから結論は、このまま果ててしまいたい。しかもそれっぽい正当な理由が無くてはならない。ならばこれは神の思し召しなのかもしれない。焼かれている魚に毒でも塗ってあれば万々歳だし、食べている後ろから襲われたらそれでもいい。いい。いい、はずがない。
「……良くないよ」
死を想像した時、彼女は両手で自分を抱き締めるようにして身を固くする。恐いのだ。騎士なのに、ロアも他の皆も死んでしまっているのに、自分だけが生き残っている卑怯な状況なのに、恐いのだ。死にたくないのだ。まだやりたいことがたくさんある。学びたい知識、鍛えたい技は勿論、行ってみたいところ、見てみたいもの、食べてみたい物、触ってみたい物、嗅いでみたい物。そういう魅力的な物がたくさんある。ならばなおのこと死ぬ訳にはいかず、彼女はギュッと両腕に力を込めながら一歩後ずさった。
その時だった。ガサリと葉が揺れる音がするや否や、スッと何かが隣に下り立つ。余りにも咄嗟のことで彼女は全く反応すらできないまま、耳元で囁かれる。
「生きたいんだね?」
ギクリとして彼女はようやく飛び退いた。そして自身の軽率過ぎた行動を恥じる。生きたいと思ったのならさっさとこの場を離れるべきだったじゃないか。それなのに一歩後ずさっただけだなんて、どうぞ殺してくださいとアピールしているようなもの。
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