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第4話 そのクッキー、また食べたい
しおりを挟むログイン直後、足元にころんと転がる白ともふ――シエルが、「ぷすぅ」と寝息を立てていた。
僕はしゃがんで、そのふわふわな体をそっと撫でる。柔らかくて、あたたかくて、まるで毛布に触れているみたいだ。
「おはよう、シエル」
「きゅう?」
もぞもぞと目を開けて、甘えるように僕の腕にくるりと巻きついてくる。その後ろから、のそのそと近づいてくるキャラメル色のもふもふ――モカも、低い鼻声を鳴らしてよじ登ってきた。
「うわ、重っ……。2匹抱えての朝は、ちょっと大変だな……」
けど、不思議と嫌じゃない。
ここで暮らし始めて数日。最初はただの遊びとしてログインしていたはずなのに、いつの間にかこの世界が“心地いい”と感じるようになっていた。
炊事場に向かう途中、すれ違う村人NPCたちが声をかけてくる。
「おはよう、坊や。今日もいい匂い、期待してるよ」
「昨日のクッキー、子どもが大喜びだったよ。ありがとうね」
「いえ、あれは、試しに置いてみただけなので……」
「いやいや、それでも立派なもんだ。味も良かったし、ああいうのがあると、みんな嬉しいんだよ」
そう言われると、ちょっと照れる。
でも、“嬉しい”と言ってもらえるのはやっぱり嬉しい。
昨日の無人お裾分けクッキー。
あの木皿の隣に置かれていた小瓶と、つたない文字のメモ――
あれが、僕の中でなにかを変えた。
“また、たべたいです”
その一言が、どれだけ心に響いたか。
「じゃあ、今日はもう少し多めに作ってみようかな……」
そう思って、炊事場のかまどに薪をくべて火を入れた。
昨日と同じレシピに、ほんの少しだけアレンジを加える。木の実の種類を変えて、クッキーの中央に甘味草の蜜をぽたぽたと垂らす。焼き加減も、表面はさくさく、中はほんのりしっとりに。
焼き上がったクッキーを皿に盛ると、シエルとモカが両側からじっと見つめてきた。
「君たちは……もう知ってるもんね、この味」
2匹に小さく割ったクッキーを差し出すと、すぐにぺろりと平らげて、しっぽをふりふり。
「きゅう~」「ふがふがっ」
うっとりした表情を浮かべながら、2匹は僕の膝の上でくるりと丸くなった。
ごはんを食べた後の満足感。人ももふもふも、同じなんだなと実感する。
ふと、昨日の“お裾分けコーナー”を見てみると、誰かが使ったらしく、木皿が洗って戻されていた。しかも――その横に、小さな布袋が置かれていた。
「……これは……」
開けてみると、中には銅貨が5枚。
「えっ、えっ……?」
ちょっと戸惑った。
僕、まだ“売る”って決めてない。お店を出してるわけじゃない。
ただ、食べてもらいたくて置いただけなのに――。
「……これ、どうしたらいいんだろう……」
その時、炊事場の隅で何かを運んでいたNPCの老婆が声をかけてきた。
「ああ、それね。昨日の子だよ。お代を払いたいって、わざわざ戻ってきたんだってさ」
「え……でも、僕はまだ“販売”とかしてないんですけど……」
「構わんさ。あれは“ありがとうの気持ち”だよ。坊やの作るお菓子が嬉しかったから、何か渡したくなったんだろうねえ」
その言葉に、胸がきゅっとした。
ありがとう。
“ありがとう”って、こうやって、形になることもあるんだ。
「……受け取っても、いいんですか?」
「受け取ってあげな。あんたの料理は、それだけの価値があるんだよ」
老婆はにっこり笑って、重い荷物をひょいと肩に担いで去っていった。
炊事場に残された僕は、しばらくその場に立ち尽くしていた。
料理を作るのが好きだ。
食べた人が笑ってくれると嬉しい。
でも“売る”って、どこか別の世界の話だと思っていた。
僕は戦闘職でもないし、有名プレイヤーでもない。ただのマイペースな初心者で、ちっちゃい見た目の料理人。
でも――
「……考えても、いいのかもしれないな」
売ること。
それはきっと、“無理に商売する”ってことじゃない。
喜んでもらう手段の一つ。ありがとうを受け取る手段の一つ。
「でも、まだ、もうちょっとだけ……考えよう」
そうつぶやいて、今日のクッキーも「無人お裾分け」にそっと置いた。
その日、僕がログアウトする直前。
炊事場にひとりの見知らぬ少女が訪れた。
深緑のローブをまとい、目を伏せたまま、お裾分け皿の前に立つ。
「……今日も、あった」
彼女はクッキーを一枚、手に取ってそっと口元に運ぶ。
「……ほんとうに、優しい味……」
少女の背中から、ふわふわの尻尾がぴょこんと覗いた。
人間ではない――獣人族だ。
「このお菓子を作っているのは……どんな人なんだろう……」
その呟きは、風にさらわれていった。
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