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第5話 もしかして、あいつ――
しおりを挟む朝。ログイン直後、僕の目の前にはすでに“定位置”があった。
右腕に白もふシエル。左足にキャラメルもふモカ。
僕の体に乗ったり巻きついたりしながら、まったりと眠る2匹に囲まれたログインは、もはや日課となっていた。
「おはよう。……重いけど、癒されるなあ」
村の朝は静かだった。鳥のさえずりと、かまどの薪が爆ぜる音。それと、炊事場の裏でおしゃべりする老婆たちの声。
「今日はクッキーじゃなくて、パンでも焼こうかな」
そう思い立って市場に出かけると、またも数人のNPCに声をかけられた。
「おはよう、坊や。昨日のクッキー、大評判だったよ」
「お礼を言わせておくれな。あの子、笑ってごはん食べたの、久しぶりだったからねえ」
「今度、うちの畑で採れたてのバター草、持っていきなさい」
なんだか最近、やたらと物をもらうようになった。
お礼として布袋に入った野菜や、甘味草、さらには貴重な“卵”まで。最初は戸惑ったけれど、いまでは「ありがたく使わせてもらいます」と素直に受け取るようにしている。
お金は受け取っていないけれど、“ありがとうの交換”が、自然と形になりつつあるのがわかった。
その日、僕は甘味草と香草を練り込んだ小さなパンを数種類作った。焼き立ては外がパリッと香ばしく、中はふんわり甘い。試食したシエルとモカのリアクションは、それぞれぺろぺろ→くるりん寝落ちと、ふがふが→満足ゴロゴロで、大成功。
そして昼過ぎ。
炊事場にひとりの老人が訪れた。背筋のしゃんと伸びた、白髪の長老NPC。
「あんたが“もふもふの料理人”か」
「え、あ……はい。あの、なんでしょうか……?」
周囲のNPCたちが、なぜか小声で「長老さまだ」「この炊事場に……?」とざわめいている。
長老はゆっくり近づいてくると、僕が焼いていたパンのひとつを指差した。
「それ、ひとつ分けてくれるか」
「え、あ、もちろんです!」
急いで木皿に乗せて差し出すと、長老は小さく頷いてからゆっくり口に運んだ。
もぐもぐ。くちゃくちゃ。……ごくん。
「……なるほど。評判に違わぬ味だな。これは、村の“名物”になる」
「……え?」
長老はまっすぐ僕を見た。年齢を感じさせない、鋭い視線。
「坊や。おぬし、この村で正式に“屋台”を出してみんか?」
「――えっ!?」
声が裏返る。周囲のNPCたちも一斉にこちらを見る。
「もちろん、報酬を受け取ることも認めよう。おぬしの料理は、それに値する」
脳内でぐるぐると情報が回る。
正式な屋台。
“販売”としての活動が許可される。つまり、いままでのお裾分けとは段違い。
お金をもらっていい。評判も広がる。責任も生まれる。
戸惑いの中、長老は言葉を重ねた。
「決めるのはおぬし自身だ。強制はせん。だが……」
そのまなざしは、どこか試すようだった。
「この村は、あんたの料理を必要としている。そして、それが“誰かの心を救っている”ということも、忘れずに考えてみてくれ」
そう言い残して、長老は背を向けて去っていった。
僕はその場にしばらく立ち尽くしたまま、パンの焼ける香りをぼんやりと感じていた。
その日、ログアウト前。
いつもの場所にクッキーとパンをそっと並べておいた。お裾分けの気持ちは、まだ消えていない。でも、心の奥に芽生えたもう一つの思いが、僕の中でじわりと広がっていた。
料理で笑ってくれる人がいる。
それだけで、嬉しいと思える自分がいる。
――僕の料理が、どこまで届くんだろう。
そんな風に、初めて“夢”のようなものを考えた瞬間だった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
一方その頃、ある場所。
村からは遠く離れた、大都市《カンブリア》の中心にある大規模ギルドの食堂。
そこでは、今日も大勢のプレイヤーたちが椅子に腰かけ、ログイン後の腹ごしらえをしていた。
食堂の片隅。ひとり、端末をいじっていた青年が、ふと手を止める。
「……もふもふ……料理……?」
ぼそりと呟いた声には、かすかな驚きが混じっていた。
見た目はスマートな長身プレイヤー。銀髪に黒の軽装備。どこか影を落としたような鋭い瞳をしているが、彼を知る者なら誰でも知っていた。
この男は《雷閃のゼクト》――
プレイヤーランキングでも常に上位に名を連ねる、知る人ぞ知る強者。
そして、かつて一緒にゲームを始めるはずだった“友人”がいたことも。
「もふもふに囲まれた、童顔のちびっこ料理人……」
読み上げた噂の投稿には、半信半疑のトーン。
けれど、その一文が引っかかった。
「……もしかして……」
彼は端末の画面を閉じ、ゆっくりと立ち上がった。
「……あいつ、まさか――」
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