【改稿版】光を忘れたあなたに、永遠の後悔を

桜野なつみ

文字の大きさ
4 / 26

第4話 光も届かぬところで

しおりを挟む
フィアナはもう、双子に触れることすら叶わなくなっていた。
日に日に「聖女エルノア」の名が王宮の中に響きわたり、誰もが彼女を称えるようになっていった。

ある日、王宮の書庫へ向かっていたフィアナの耳に、双子の笑い声が届いた。
せめて元気な姿だけでもと見渡すと、すぐそばの王族専用の庭──だが、外からは見えぬ構造の中に、彼らの姿はあった。

そして、彼らの前の椅子にゆったりと座り、ぬいぐるみを動かして見せていたのは――聖女エルノアだった。

「ほら、ほら、うさちゃん♪」

「わあ、ほんとに動いてるみたい!」

「すごいすごい!」

笑い声。はしゃぐ姿。

その、動かしているぬいぐるみは、かつてフィアナが縫い上げた、双子への贈り物であった。
緑の精霊――ウサギに似た聖獣を模したそれを、双子のために色違いを一つずつ夜なべして作ったものだった。
あまりに気に入り放さないから、もう一つ作らなくてはと忙しい間をぬって作っていたほどのもの。

それを手に持ちながら、双子の言葉はすでにフィアナの心から離れたものになっていた。

フィアナの心が、音もなく沈んでいく。
そのとき、双子の一人が無邪気にこう言った。

「ねえ、エルノアさまが母上だったらよかったのに!」

「うん、優しいし、かわいいし、父上も、エルノアさまのほうが“輝いてる”って言ってたよ!」

もう一人も無邪気にうなずく。
そして、ふたりの目はまっすぐに、ぬいぐるみを操るエルノアを見つめていた。
そこに、かつて「母上」と呼ばれた人物へのまなざしは、ひとひらも存在しなかった。

聖女エルノアは、フィアナの視線に気づいていた。
気づいて――あえて、母の慈愛に満ちたように見える微笑みを、双子に向けた。

「あら、あなたたちは私の子供だったかしら? うふふ……でもいいのよ。愛しい子たち」

その瞬間、フィアナの視界が滲んだ。
立っていられず、膝が崩れる。
息を吸うだけで、胸が軋む。
――なぜ、こんなにも痛いのだろう。

けれど、確かに胸の奥で“何かが壊れる音”がした。
静かに、けれど決定的に。
それは、かつて彼女が“王妃”と呼ばれていた場所の崩落だった。



「フィアナ様!」

駆け寄ってきたのはエマだった。
背後では、リゼが怒りを噛み殺すように拳を握りしめている。

「あの女……わざとです。フィアナ様が見ているのを知っていて!」

「わかっています。でも……今は」

震える声で言うフィアナ。
胸元の翡翠が、弱々しく光った。

「まだ……私は……」

そう呟く彼女の声は、かすかでも確かな意志を宿していた。
けれど、光の届く場所は、日に日に減っていった。



離宮に戻ってから、日々は静かに削られていった。
食事は一皿、また一皿と減り、
井戸の水はいつしか濁り、油膜を帯び始める。
本宮から持ち出した書物や衣、宝飾は「王家の管理品」として回収された。
残されたのは、祈りと記録のためのわずかな紙束だけ。

エマとリゼは、限られた範囲で物資を調達しようと奔走した。
しかしその努力も、すぐに見張りに奪われていく。
まるでこの離宮そのものが、静かに“閉じていく”ようだった。

「フィアナ様、どうかセラフィムに知らせましょう」
リゼの声は、抑えた怒りに震えていた。
「このままでは……」

「……ありがとう。でも、それはまだ。」

フィアナは首を振る。
――そのささやきが、誰かの耳に届いたのは、ほんの数日後のことだった。



「帰国命令、ですって……?」

エマの手から書状が滑り落ちる。
その一文は、あまりにも冷たく、そして決定的だった。

『王妃付き侍女 二名、帰国の途に就け。王命。』

「神託によれば、聖女エルノアは異なる魔力に晒されると力が鈍るそうだ」
――それが理由だった。

名ばかりの温情。実質の追放。
そして、途中で“消される”予定の命令。

フィアナは、深く息を吐き、二人の手を握った。

「……ごめんなさい。こんなことにしてしまって。」

「謝らないでください!」
エマが涙を拭い、翡翠のペンダントを見つめる。

「これは……?」

フィアナは静かに頷いた。

「セラフィム王家の印章が刻まれています。これを持っていきなさい。
国境ではこれが通行の証になるはず。」

「フィアナ様……」

「大丈夫。私はここに残る。あなたたちは、どうか生きて。
いつかきっと、この国の“光”が戻る日が来るから。」

二人の侍女は深く頭を下げた。
涙を堪えながら、主の手を握りしめる。

「必ず。命に代えても。」

その夜、離宮を包む風はどこか冷たく、
明け方には、見送りの言葉も許されぬまま――
二人を乗せた馬車が、王都の外へと消えていった。



城を出て数日、王都を離れた街道で、黒い靄が道を塞いだ。

「……やっぱり来たわね。フィアナ様の言っていた“闇”」

リゼが一歩前に出て、エマを背に庇う。

「……闇は、光の匂いを追う…。強い光を放てば、すぐに見つかる。
だから――打ち合わせ通りよ。エマ、あなたの光を少しだけ貸して。
二人分の光を重ねて、一度に放つの。
光が同時に途切れれば、きっと“私たちが消えた”と誤魔化せる。
その隙に……走って。国境まで。」


「だめよ、リゼ! 二人で一緒に――」

「誰かが知らせなきゃ、意味がない。お願い、これは、あなたにしかできないの」

それが最後の言葉だった。

リゼの光が、二人分の魔力を一気に放つ。爆ぜるような光の波に、追手の姿がかき消えた。
フィアナのため、そして妹のように思うエマのためにその命を、捧げた。



エマは、血の味を感じながら草原を走った。
何度も倒れ、叫びたくなる痛みに耐え、それでも――

ようやく国境へ辿り着いたその夜。

「おい、そこの女! ここはセラフィムの――……!」

剣を構えた男が目を見開いた。

エマが傷だらけの手に持ち掲げたのは、ペンダント。
翡翠の石に、王家の紋章。

「まさか……!」

「その声…ルーク……なの……?」

「何?……エマ!?」

再会は一瞬だった。ルークは国境警備に就いていた。エマの幼なじみ。そして、リゼの兄。

「お前、どうして?フィアナ様のお側にいるはずだろう?それにその姿、いや、先に医師に…おい、どうした!?」

満身創痍なその姿では出ないであろうほどの力で、エマがルークの腕をぎちりと掴む。
ボロボロ涙を溢しているその瞳は、切迫していて。

「私のことはいいの……話を聞いて。お願い、フィアナ様が、危ないの」

エマから漂うただ事のなさに、ルークはすぐに「セラフィム国の兵士」としての顔を取り戻す。

「緊急性を理解した。ここで話した事はすぐに王都へと伝令を飛ばす。必要な事は今、全て話せ。」

エマはうなずき、震える声で語り出した。今、起こっていることの全てを…。
しおりを挟む
感想 15

あなたにおすすめの小説

あなたが捨てた花冠と后の愛

小鳥遊 れいら
恋愛
幼き頃から皇后になるために育てられた公爵令嬢のリリィは婚約者であるレオナルド皇太子と相思相愛であった。 順調に愛を育み合った2人は結婚したが、なかなか子宝に恵まれなかった。。。 そんなある日、隣国から王女であるルチア様が側妃として嫁いでくることを相談なしに伝えられる。 リリィは強引に話をしてくるレオナルドに嫌悪感を抱くようになる。追い打ちをかけるような出来事が起き、愛ではなく未来の皇后として国を守っていくことに自分の人生をかけることをしていく。 そのためにリリィが取った行動とは何なのか。 リリィの心が離れてしまったレオナルドはどうしていくのか。 2人の未来はいかに···

ご安心を、2度とその手を求める事はありません

ポチ
恋愛
大好きな婚約者様。 ‘’愛してる‘’ その言葉私の宝物だった。例え貴方の気持ちが私から離れたとしても。お飾りの妻になるかもしれないとしても・・・ それでも、私は貴方を想っていたい。 独り過ごす刻もそれだけで幸せを感じられた。たった一つの希望

冤罪で退学になったけど、そっちの方が幸せだった

シリアス
恋愛
冤罪で退学になったけど、そっちの方が幸せだった

初恋の人を思い出して辛いから、俺の前で声を出すなと言われました

柚木ゆず
恋愛
「俺の前で声を出すな!!」  マトート子爵令嬢シャルリーの婚約者であるレロッズ伯爵令息エタンには、隣国に嫁いでしまった初恋の人がいました。  シャルリーの声はその女性とそっくりで、聞いていると恋人になれなかったその人のことを思い出してしまう――。そんな理由でエタンは立場を利用してマトート家に圧力をかけ、自分の前はもちろんのこと不自然にならないよう人前で声を出すことさえも禁じてしまったのです。  自分の都合で好き放題するエタン、そんな彼はまだ知りません。  その傍若無人な振る舞いと自己中心的な性格が、あまりにも大きな災難をもたらしてしまうことを。  ※11月18日、本編完結。時期は未定ではありますが、シャルリーのその後などの番外編の投稿を予定しております。  ※体調の影響により一時的に、最新作以外の感想欄を閉じさせていただいております。

【完結】その約束は果たされる事はなく

かずきりり
恋愛
貴方を愛していました。 森の中で倒れていた青年を献身的に看病をした。 私は貴方を愛してしまいました。 貴方は迎えに来ると言っていたのに…叶わないだろうと思いながらも期待してしまって… 貴方を諦めることは出来そうもありません。 …さようなら… ------- ※ハッピーエンドではありません ※3話完結となります ※こちらの作品はカクヨムにも掲載しています

最愛の人に裏切られ死んだ私ですが、人生をやり直します〜今度は【真実の愛】を探し、元婚約者の後悔を笑って見届ける〜

腐ったバナナ
恋愛
愛する婚約者アラン王子に裏切られ、非業の死を遂げた公爵令嬢エステル。 「二度と誰も愛さない」と誓った瞬間、【死に戻り】を果たし、愛の感情を失った冷徹な復讐者として覚醒する。 エステルの標的は、自分を裏切った元婚約者と仲間たち。彼女は未来の知識を武器に、王国の影の支配者ノア宰相と接触。「私の知性を利用し、絶対的な庇護を」と、大胆な契約結婚を持ちかける。

ワガママを繰り返してきた次女は

柚木ゆず
恋愛
 姉のヌイグルミの方が可愛いから欲しい、姉の誕生日プレゼントの方がいいから交換して、姉の婚約者を好きになったから代わりに婚約させて欲しい。ロートスアール子爵家の次女アネッサは、幼い頃からワガママを口にしてきました。  そんなアネッサを両親は毎回注意してきましたが聞く耳を持つことはなく、ついにアネッサは自分勝手に我慢の限界を迎えてしまいます。 『わたくしは酷く傷つきました! しばらく何もしたくないから療養をさせてもらいますわ! 認められないならこのお屋敷を出ていきますわよ!!』  その結果そんなことを言い出してしまい、この発言によってアネッサの日常は大きく変化してゆくこととなるのでした。 ※現在体調不良による影響で(すべてにしっかりとお返事をさせていただく余裕がないため)、最新のお話以外の感想欄を閉じさせていただいております。 ※11月23日、本編完結。後日、本編では描き切れなかったエピソードを番外編として投稿させていただく予定でございます。

【完結】婚約破棄され毒杯処分された悪役令嬢は影から王子の愛と後悔を見届ける

堀 和三盆
恋愛
「クアリフィカ・アートルム公爵令嬢! 貴様との婚約は破棄する」  王太子との結婚を半年後に控え、卒業パーティーで婚約を破棄されてしまったクアリフィカ。目の前でクアリフィカの婚約者に寄り添い、歪んだ嗤いを浮かべているのは異母妹のルシクラージュだ。  クアリフィカは既に王妃教育を終えているため、このタイミングでの婚約破棄は未来を奪われるも同然。こうなるとクアリフィカにとれる選択肢は多くない。  せめてこれまで努力してきた王妃教育の成果を見てもらいたくて。  キレイな姿を婚約者の記憶にとどめてほしくて。  クアリフィカは荒れ狂う感情をしっかりと覆い隠し、この場で最後の公務に臨む。  卒業パーティー会場に響き渡る悲鳴。  目にした惨状にバタバタと倒れるパーティー参加者達。  淑女の鑑とまで言われたクアリフィカの最期の姿は、良くも悪くも多くの者の記憶に刻まれることになる。  そうして――王太子とルシクラージュの、後悔と懺悔の日々が始まった。

処理中です...