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第18話 君のもとへ(後編)
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旅が、始まった。
リュシアンはただの旅人として、ルシエルの隅々を歩いた。
水晶に浮かぶ人々の顔を見つめ、見覚えのある人物に出会えば、胸の中で静かに祈った。
──「どうか、あなたの罪の一部を、私に分けてください」
その足元には、誰にも気づかれないような、小さな光草を、ひとつずつ植えていく。
それは誰にも気づかれぬ祈りのしるし。
贖罪ではなく、記憶として。
人々が抱える痛みを少しずつ背負いながら、彼は静かに歩みを重ねた。
やがて旧ルシエルを歩き終えると、彼はセラフィム国へと入った。
一歩一歩に、贖罪と感謝の想いを込めて進む。
水晶の中に知った顔を見つけるたび、また祈る。
──「あなたたちの家族が奪われた苦しみの一部を、私に分けてください」
そうしてまた、小さな光草を植えてゆく。
ある村の子どもが、その草に気づいてつぶやいた。
「お母さん、これ、きれいだね」
その母は、名も知らぬ草にそっと手を合わせた。
──それが誰の手によって植えられたのかを知らなくても。
その淡い光は、たしかに希望として根づいていた。
いつしかその草は、村から村へと静かに広がり、
リュシアンが歩いたあとには、どこにも似たような光がそっと咲いていた。
誰もが名を知らず、気づかぬうちに心を癒されていたその草は──
やがてルシエルとセラフィムの国土すべてを、
そっと、静かに包み込むようになっていた。
*
七年が過ぎた。
リュシアンは、老いていた。
まだ三十八歳──だが、背は丸まり、歩幅は小さく、髪には白が混じる。
彼の老いは年齢によるものではなかった。
それは、旅の中で出会った人々の痛みを、ひとつひとつ、背負ってきた証だった。
赦しを乞うのではなく、共に生きた証をその身に刻みながら、彼は歩いた。
誰に気づかれることもなく、ただ黙々と、祈りを足元に植え続けながら。
そして、旅の終わり。
彼の足は、あの湖へとたどり着く。
かつて、フィアナと何度も語り合った場所。
子どものころから、何度も、何度も訪れた、約束の湖。
そのほとりの小さな丘に、変わらぬ墓があった。
リュシアンは、震える手で胸元からロケットペンダントを取り出し、そっと外した。
それは、かつて自分がフィアナに揃いで贈った、ロケットのうちの片方。
彼女が最期まで大切に身につけてくれていた、かけがえのない形見だった。
もう片方のロケットは、旅立ちの前にカリスへと託してある──
必ず戻るという、約束の証として。
墓標にロケットをかける。
「ようやく……帰ってこられたよ、フィアナ」
「君も一緒に行きたいと思って、連れて行ってしまっていたんだ。……ごめんね」
そう言って微笑み、墓に手を合わせる。
そして、彼はその傍らに座り込み、手で土を掘る。
最後の光草の種を、そっとそこへ埋めた。
──その瞬間だった。
光が、ふわりと湧き上がった。
光草の種を植えたその場所を中心に、柔らかな光が差し込み、小さな芽が顔を出す。
芽からあふれるように放たれたあたたかな輝きが、そっとリュシアンを包みこんでいく。
光に包まれたその途端――
歩むたびに軋んでいた足の痛みが、すっと消えた。
光草を植えるたびに傷めていた指や掌の痛みもやわらぎ、
重くこわばっていた背や肩は、不思議なほど軽くなる。
普通の呼吸すら苦しかった胸の奥も、するすると詰まりがほどけるように、楽に息ができるようになっていった。
そして気がつけば──
彼の身体は、かつての若き日のままに戻っていた。
「……リュシアン」
その声は、春の陽だまりのように、優しく降ってきた。
彼がゆっくりと振り返ると、そこに──
フィアナがいた。
淡い光に包まれた彼女は、昔と変わらぬ微笑みをたたえながら、ただ、そこに立っていた。
「フィアナ……」
言葉にならない声が、喉から零れる。
「……会いたかった。……ごめん、ごめんよ……ずっと、謝りたかった……」
震える声でそう言って、彼は彼女を抱きしめた。
フィアナは、何も言わなかった。
ただ、彼の背をそっと撫で、ゆっくりとその手を取る。
そして、ふたりは歩き出す。
光草の淡い光が広がる中──その先にある、赦しの門へと。
リュシアンが、かつてすべての人に誓った、「また会おう」と願った、その場所へ。
*
朝日が、湖畔のほとりを照らし出す。
淡い光の中、フィアナの墓のそばにひとりの男が、まるで愛しい人と添い寝をするかのように、静かに眠っていた。
それは、かつて王と呼ばれた男、リュシアン。
その顔には、ただ穏やかな微笑みが浮かんでいた。
胸元の袋からのぞく水晶が、朝の光を受けて淡く輝く。
そこには、旅立ちのときにあった曇りや濁りなど、ひとかけらも残されていなかった。
ただ、澄みきった光だけが静かに宿っていた。
その輝きには、もう痛みも、嘆きもなかった。
ただ祈りと赦し、そして深い愛の気配だけが、息づいていた。
リュシアンはただの旅人として、ルシエルの隅々を歩いた。
水晶に浮かぶ人々の顔を見つめ、見覚えのある人物に出会えば、胸の中で静かに祈った。
──「どうか、あなたの罪の一部を、私に分けてください」
その足元には、誰にも気づかれないような、小さな光草を、ひとつずつ植えていく。
それは誰にも気づかれぬ祈りのしるし。
贖罪ではなく、記憶として。
人々が抱える痛みを少しずつ背負いながら、彼は静かに歩みを重ねた。
やがて旧ルシエルを歩き終えると、彼はセラフィム国へと入った。
一歩一歩に、贖罪と感謝の想いを込めて進む。
水晶の中に知った顔を見つけるたび、また祈る。
──「あなたたちの家族が奪われた苦しみの一部を、私に分けてください」
そうしてまた、小さな光草を植えてゆく。
ある村の子どもが、その草に気づいてつぶやいた。
「お母さん、これ、きれいだね」
その母は、名も知らぬ草にそっと手を合わせた。
──それが誰の手によって植えられたのかを知らなくても。
その淡い光は、たしかに希望として根づいていた。
いつしかその草は、村から村へと静かに広がり、
リュシアンが歩いたあとには、どこにも似たような光がそっと咲いていた。
誰もが名を知らず、気づかぬうちに心を癒されていたその草は──
やがてルシエルとセラフィムの国土すべてを、
そっと、静かに包み込むようになっていた。
*
七年が過ぎた。
リュシアンは、老いていた。
まだ三十八歳──だが、背は丸まり、歩幅は小さく、髪には白が混じる。
彼の老いは年齢によるものではなかった。
それは、旅の中で出会った人々の痛みを、ひとつひとつ、背負ってきた証だった。
赦しを乞うのではなく、共に生きた証をその身に刻みながら、彼は歩いた。
誰に気づかれることもなく、ただ黙々と、祈りを足元に植え続けながら。
そして、旅の終わり。
彼の足は、あの湖へとたどり着く。
かつて、フィアナと何度も語り合った場所。
子どものころから、何度も、何度も訪れた、約束の湖。
そのほとりの小さな丘に、変わらぬ墓があった。
リュシアンは、震える手で胸元からロケットペンダントを取り出し、そっと外した。
それは、かつて自分がフィアナに揃いで贈った、ロケットのうちの片方。
彼女が最期まで大切に身につけてくれていた、かけがえのない形見だった。
もう片方のロケットは、旅立ちの前にカリスへと託してある──
必ず戻るという、約束の証として。
墓標にロケットをかける。
「ようやく……帰ってこられたよ、フィアナ」
「君も一緒に行きたいと思って、連れて行ってしまっていたんだ。……ごめんね」
そう言って微笑み、墓に手を合わせる。
そして、彼はその傍らに座り込み、手で土を掘る。
最後の光草の種を、そっとそこへ埋めた。
──その瞬間だった。
光が、ふわりと湧き上がった。
光草の種を植えたその場所を中心に、柔らかな光が差し込み、小さな芽が顔を出す。
芽からあふれるように放たれたあたたかな輝きが、そっとリュシアンを包みこんでいく。
光に包まれたその途端――
歩むたびに軋んでいた足の痛みが、すっと消えた。
光草を植えるたびに傷めていた指や掌の痛みもやわらぎ、
重くこわばっていた背や肩は、不思議なほど軽くなる。
普通の呼吸すら苦しかった胸の奥も、するすると詰まりがほどけるように、楽に息ができるようになっていった。
そして気がつけば──
彼の身体は、かつての若き日のままに戻っていた。
「……リュシアン」
その声は、春の陽だまりのように、優しく降ってきた。
彼がゆっくりと振り返ると、そこに──
フィアナがいた。
淡い光に包まれた彼女は、昔と変わらぬ微笑みをたたえながら、ただ、そこに立っていた。
「フィアナ……」
言葉にならない声が、喉から零れる。
「……会いたかった。……ごめん、ごめんよ……ずっと、謝りたかった……」
震える声でそう言って、彼は彼女を抱きしめた。
フィアナは、何も言わなかった。
ただ、彼の背をそっと撫で、ゆっくりとその手を取る。
そして、ふたりは歩き出す。
光草の淡い光が広がる中──その先にある、赦しの門へと。
リュシアンが、かつてすべての人に誓った、「また会おう」と願った、その場所へ。
*
朝日が、湖畔のほとりを照らし出す。
淡い光の中、フィアナの墓のそばにひとりの男が、まるで愛しい人と添い寝をするかのように、静かに眠っていた。
それは、かつて王と呼ばれた男、リュシアン。
その顔には、ただ穏やかな微笑みが浮かんでいた。
胸元の袋からのぞく水晶が、朝の光を受けて淡く輝く。
そこには、旅立ちのときにあった曇りや濁りなど、ひとかけらも残されていなかった。
ただ、澄みきった光だけが静かに宿っていた。
その輝きには、もう痛みも、嘆きもなかった。
ただ祈りと赦し、そして深い愛の気配だけが、息づいていた。
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