古書館に眠る手記

猫戸針子

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第2話 殺戮天使

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《エルミア王国》


「ルディカ王女殿下、王位継承権拝受の慶賀に際し、ヴァルン王国より白金杯一対、メロヴィア王より彫刻硝子食器一式…記録フレート・ヴィーザー、と」

エルミア初の女性王位継承者の出現は、国内だけでなく国外でも注目を集めていた。私は贈呈品の山を眺めながらややウンザリする。記録が追い付かないほど次から次へと送られてくるのだ。

この頃の私はルディカ様からあまりに遠い存在だった。
まだ王宮入りされたばかりのルディカ様と私に接点があるはずもなく、そもそも住んでいる宮殿も違い、催しごとでもなければ姿を見る機会もない。

「舞踏会のメヌエット、美しかったなぁ」

つい口に出してしまい、周囲を見渡す。幸いなことに誰も聞いておらずほっと息を吐くが、うら若く素敵なお方だ。当然、女性のいない職場では話題に登り、私でなくとも独り言を呟く者は多数いるだろう。

「これらの贈呈品をあの方はお使いになるのだろうか」
「ほとんど宝物庫送りだよ」
「わ!ティルさん、驚かさないで下さい」
「ごめんごめん、君って話しかけやすいから、ついね」

仕事が出来ると大変だね、と言われ誇らしくも気恥しいが、秘書官のティル・フォン・グラーツは未来の宰相と謳われる優秀な人だ。私のような下っ端官僚とは全く違う存在の彼に、認めてもらえるのは素直に嬉しい。
移動しながら浮き足立っていると、彼は妙な話を持ち出してきた。

殺戮天使さつりくてんしって知っているかい?」
「なんでしょう?凄まじい名前ですね」
「南部を騒がせていた暗殺者だよ。ルディカ王女がお住いだったタルンシュタット地方の。知らないのかい?」
「そういう話には疎くて…」
「出世したいなら世事に通じておくべきだね」

まだ第2秘書官になったばかりの私は、多岐に渡る仕事で手一杯で、新聞すら目を通さない日々が増えていた。

「その物騒な暗殺者がどうかしたんですか?」

尋ねると、秘書官は化け物でも見たような大袈裟な仕草で両腕をさすった。

「王都にも出たらしい。夜は気を付けた方がいい」

なんでも後暗い噂の多かった商人の館ひとつ全員殺し、その後花火を上げた、とか。
噂に尾ひれが付いたとしか思えない話だ。事実なら、その犯人はなぜわざわざ目立つことをするのか理解に苦しむ。
血なまぐさい話題があまり得意でない私は、何となく別な話に切り替えた。

その日は仕事が遅くまでかかってしまい、門まで閉じられていた。

「お疲れさん、いつも遅いね」
「あっという間に時間が経ってしまっていて。お手間を取らせてすみません」
「しっかり休みな」

今日の門番は顔見知りですぐに通してもらえた。遅くなり過ぎてもうどこの店も閉まっている。食事は家にあるもので済ますしかない。
橋を通ると花売りを紳士が口説いている。誰もいないと声を掛けられてしまうので、助かったと思いながら渡り切り、裏通りへ続く暗がりを曲がった。ここは宮廷の明かりが届かず、街灯の火もまばらだった。
瞬間、視界の中に小さな光が灯って消えた。不意に目で追いながら歩いていると、足が水溜まりにはまった。

「う…やってしまっ………」

ランタンを向けた先に人が倒れていた。私が踏んだ水溜まりは…靴先には粘りを感じ、鉄が錆びたような臭いが鼻腔にまとわりつく。

「あーあ、見られちまったか。金になんねぇけど、しかたねぇ」
「あ……あ…」

逃げようとしたが、足がもつれその場に腰を落とした。ランタンが地面に転がる。消えなかった蝋燭の灯は残忍な男の顔を照らしていた。
体が動かず声も出ない。もうダメだと思ったその時。

「何やってんの?ここ、僕の縄張りになったんだけど」

カラン。ランタンを蹴られ灯りが消される。女の声が頭上から聞こえた。

「あ?何言って…縄張りって、おめぇ…まさか」
「うん、縄張り。そこに転がってるゴミが何か説明してもらおうか。あと、カタギに手ぇ出すようなゲスは今後ここで仕事すんな」
「ざっけんな!殺戮天使だかなんだかしんねーが、新参者はすっこんでろ!……ぎゃぁ!」
「うるさい。要求は言った。次はない」

暗闇に慣れてきた目に月明かりが彼らを照らす。男が左手を抑えて悲鳴を上げた。
女はいつの間にか私の斜め前に立って濡れた短剣を握っていた。

「ちくしょう!」

男が体ごとナイフで女に襲いかかる。そこで私は女の動きに見覚えがあると感じた。

── エルミア王国式剣術のステップによって…

(そんな…でも、似ている)

あっという間に短剣で脇を深く貫かれた男は、崩れ落ち口をパクパクとさせ動かなくなった。

「ここにいたら捕まるよ。立てる?」
「あ、足が…」
「あらら、怪我したの?」
「そうじゃなく…」

優しい声だった。口調は全く違うが聞き覚えのある。嘘であって欲しい。
だが、動かねばこの方まで。

「良かった。肩貸すから急いで安全な場所に…って信用ないと思うけど」
「いいえ、お願いします」

知らなければならない。なぜこのお方がここにいてこのようなことをしているのか。幸いにも私に気付いておらず、小柄な体で精一杯支えて逃がそうとしてくれている。
殺されるとは思わなかった。男は恐ろしかったが、この方が動いた時、それが殺生であるのに美しく見えたのだ。流れるような舞うような動きだった。

「ルディカ王女」

思い切って声をかけてみた。王女は口元を隠している。見えている部分は目だけ。その目を少し私に向け、答えずに私を離す。

「だれ?」

聞かれた時には喉元に刃を突き付けられていた。静かに前触れもなく。

「王宮文書局所属、第2秘書官の…フレート・ヴィーザーです」
「……だってよ」

名乗ると王女は私ではない誰かに声を掛けた。
すると暗闇から若干場違いな軽い調子で男が返事をする。

「へー、良い勘してる坊やだな。おまえ、どこで気付いた?」

私に尋ねた男が現れると同時に、音もなく数人の男達に囲まれていた。王女の仲間なのだろうか。
いや、そんなことではない。私はどうしても知りたかった。

「王国式剣術……と思われる足の運びと突き、そして声です。私は、一度聞いた声は忘れません。あの…教えて下さいルディカ様。あなたは殺戮天使なのですか?」
「ふーん、凄いね。目も耳も。でも答える必要はない」

短剣が喉元から移動し、私の胸に飾られた徽章きしょうをコツンと切っ先で触れる。

「じゃあね」
「待ってください!誰にも言うつもりはありません!ただ…あんなにも気高いあなたがなぜ!」

立ち去ろうとした王女は、はぁー、と大きな溜息を吐くと口元の覆いを外した。美しい面差しが月明かりに白く浮かぶ。

「知っておくといい。この世界は優しくない。綺麗なだけじゃ…死ぬ。だけど、君みたいな人はきっと綺麗なままでも生きていけるんだろうね」

風が吹き抜ける。覆いを取った王女の漆黒の髪が私の前で絹糸のように艶やかに凪ぎ揺れる。声はほんの僅かな羨望に近い何かを含んでいた。

「珍しい、逃がすのか?」
「なーんか気が変わった。宰相には事情話せば上手くやるでしょ。フレートさんだっけ?忠告しておいてあげる」

何と返答して良いか分からなくなっていた私に、既に短剣を鞘に納めた王女は、冷えた口調で淡々と語り始めた。

「誰にも言わないって言ってくれるのはありがたいけど、信じない。だから今日のこと、漏らしても良いよ。王女が市井で殺しなんて、どうせ誰も信じないから。でもね、真偽ってどうでもいいんだよ。問題は、宰相派の君がルディカ王女を貶める噂を流した。と言う一点だけ。これに食いつくのは僕の政敵。喋った君は良いように使われるだろうね。もちろん僕は窮地に立つ。そして、宰相は君と僕のどちらを選ぶか。分かりきってるよね。君はたぶん生かされるけど、宮廷人として死ぬ」

冷ややかで侮蔑の混じった乾いた声。これは私に向けられているものではない、そんな気がした。と、同時に日頃切磋琢磨し勤めている壮麗な王宮が魔窟のような恐ろしい場所に感じられた。

「君が見た事はそういうこと。詮索はするな。生半可な気持ちで足を突っ込むな。一生どっかの田舎で細々と生きたいなら、喋っても良いよ」

この方はそんな孤独な場所であんなにも毅然とし、皆が焦がれる笑顔を浮かべているのか。

「どちらなのですか?」

不敬にも尋ねてしまった。

「あなた様は…今と王宮と、どちらが本当のルディカ様なのですか?」

王宮にいたらこんなことは絶対に聞かない。が、今は話してくれる気がした。しばらくの沈黙の後、王女は短く答えた。

「全部」

そう答えた王女は、どこか誇らしげな様子だった。そして、闇に消えた。

「災難だったな。家まで帰れるか?」

軽い調子で私に声を掛けてきたのは王女がやり取りをしていた男だ。囲んでいた者たちは、もういない。

「ルディカ様はどこに…」
「さてね。送るよ」
「私は…帰っても良いのですか?」

殺されかけ、王女に助けられ、脅され…この時の私は感覚が鈍っていたのかもしれない。男は吹き出した。

「何がおかしいんです?」
「いや、へたり混んでた時とはだいぶ違うな、って。姫さんが逃がすって言ったんなら帰すしかないだろ」
「……1人で帰れます」
「そうかい」

短い返事の後、明かりを灯したランタンを渡してきた男は、静かに暗がりに消えた。

遠くで角笛の音が聞こえる。急に恐ろしさが込み上げてきた私は、急ぎ走り下宿先へと帰った。
部屋に入ると全身がガタガタと震え、わけの分からぬまま嗚咽し吐いた。血の着いた服を引きちぎるように脱ぎ捨てる。
胸苦しく気が狂いそうな中で、王女が去り際に見せた優しい笑顔が蘇った。返り血を浴びた凄惨な姿であるのに、生きる躍動感と向けられた慈愛。

『全部』

あの清々しいまでの明快な応え。吐き気の治まった私はふらつきながら日誌を開きペンを取った。

「……やめよう」

私は王宮を知らなすぎた。王族が何なのか、王女が帰還した意味も。知らない私が何を綴ると言うのか。一介の文官にできるのは、口を閉ざすことだけだ。
それでも、それこそがルディカ様のお役に立つならば。私を支え歩いてくれたあの華奢な人が、毅然と立つ王宮と言う名の魔窟。そこで必死に咲く花ならば……私は守りたい。

それから全く眠れぬ夜を過ごし、朝になるとカフェに出掛けた。

「殺戮天使、また出たらしい」
「橋向こうのS邸から花火が見えたって噂だ」

カプツィーナを飲み出仕のために気分を整えていた私の耳に噂話が飛び交う。殺戮天使、という言葉にどうしても反応してしまう。

テーブルにコインを置き立ち上がり、カフェから出て石畳の道をゆったりとあるいていると、街角にひっそりと人相書きが貼られていた。

『殺戮天使の正体を見た!』

「全然似てないな…ははっ」

そこに描かれているのは、大男のように厳つい凶暴そうな女だった。

(本物は比べ物にならない女神で…必死に生きてらっしゃる方だよ)

私はその人相書きを剥がし、ざらりとした感触のそれを懐に押し込み王宮へ向かった。

誇らしげに通っていた王宮は、足を踏み入れた途端に、荘厳な大精霊の加護を描いた天井画が覆いかぶさって来るかのような圧迫感を覚えた。畏怖は恐怖に近い感覚に変わる。

それでも仕事が始まってしまえば頭は切り替わるもので、あちこちと文書を運び、夕刻には儀礼局でやっとひと心地着いた。
そんな私に宰相閣下からのお呼びがかかった。昨夜のことを考えると王女と閣下は確実に繋がっている。では、私は何らかの処分を受けるのだろうか。しかし、王女に助けてもらわねば…あそこで命を落としていた。迷いながら私は宰相執務室へ入室すると、閣下ひとりきりだった。

「ウィーザー、昨日提出してもらった目録だが、こちらで若干の訂正があった。目を通しておいてくれ」
「承知致しました」

それだけか、とホッとしながら手渡された目録に目を通す。王都商家よりのルディカ王女祝賀贈呈品に関する物だった。

「……っ!」

S家の部分が真っ黒に塗り潰されている。

『橋の向こうのS邸から花火が』

鼓動が耳と眼球に響く。閣下が立ち上がる椅子のギィと言う音が大きく聞こえる。

「官僚は目と耳と口を塞いで生きろ」

労うように肩を叩かれ、声を低め囁かれる。
それは束の間だったが、非常にゆっくりと長く感じた。

「私は…これからもここにいて良いですか?」

閣下は手を後ろに組み、天を見上げる。

「そなたはあらゆる意味で有能だ。これからもそうであって欲しいと願う」

決定的なことは何も口にされなかったが、言わんとしていることがわかった。

「職務に励みます」
「その返事は、よろしい」

閣下は表情を緩ませると、何事もなかったかのように机に向かった。
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