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第十七話 噂が形を持ち始める
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第十七話 噂が形を持ち始める
王宮に戻った使者の報告は、想像以上の速度で広がった。
「……断られたそうです」
誰が最初に口にしたのかは分からない。
だが、その一言は、王宮という閉じた空間に、ひび割れのように走った。
「ヴァイセル公爵令嬢が?」
「ええ。
殿下のご要請を、はっきりと」
その事実は、ただの出来事では終わらなかった。
“相談を断られた”という一点が、
人々の想像力を、必要以上に刺激したのだ。
「……つまり、完全に手を引いたということ?」
「それとも、王宮に愛想を尽かしたのでは?」
「怒っている……というより、
もう関わる気がない、という印象ですわね」
噂は、形を変えながら増殖していく。
怒り。
復讐。
冷酷。
だが、どれも的を射ていなかった。
――彼女は、何もしていない。
ただ、断っただけだ。
それだけの事実が、
王宮の人間関係に、思いのほか大きな影を落としていた。
王太子ユリウスは、その噂の中心にいながら、
誰よりも沈黙していた。
側近が、恐る恐る声をかける。
「……殿下。
このままでは、“公爵令嬢に見放された”という印象が……」
「分かっている」
短く答えるが、打ち消す言葉は続かない。
なぜなら――
否定できない部分があるからだ。
(……見放された、のではない)
胸の内で、そう思う。
(自分たちが、
頼ることしかしてこなかっただけだ)
だが、その理解は、
周囲の評価を変えるものではない。
王宮という場所では、
“印象”が“現実”を作る。
そして今、
その印象は、確実に傾き始めていた。
一方、新しい婚約者の耳にも、
その噂は届いていた。
「……公爵令嬢が、戻るのを拒んだ?」
侍女からの報告に、
彼女は、思わず言葉を失う。
(……やっぱり)
胸の奥で、何かが沈む。
王宮が混乱している理由。
自分が“何か足りない”と感じ続けている理由。
それらが、一つの形を取り始めていた。
(……皆、
あの人を、必要としていた)
そして同時に、
彼女自身が、
“代わりになれていない”という事実も。
だが――
それを口に出すことはできない。
認めた瞬間、
自分の立場が、
根こそぎ揺らいでしまうからだ。
夜。
王宮の一角で、小規模な集まりが開かれていた。
形式ばらない会話の中で、
ある貴族が、ぽつりと口にする。
「……彼女は、賢明だと思うよ」
「誰が?」
「ヴァイセル公爵令嬢だ」
場が、一瞬静まる。
「引き留められても戻らない。
それは、
もう“利用されない”と決めたということだろう?」
誰も、否定しなかった。
むしろ、
心のどこかで、
その選択を“正しい”と感じてしまっている。
それが、さらに状況を悪化させる。
王太子の評価が下がるのではない。
“彼女を失った王宮”の評価が、
じわじわと下がっていく。
一方、ヴァイセル公爵家。
「……噂が、膨らんでいますわね」
侍女の報告に、
リュシエンヌは、小さく息を吐いた。
「そうでしょうね」
予想していたことだ。
「断れば、
勝手に理由を作られます」
だが、肩をすくめるだけ。
「わたくしは、
説明するつもりはありません」
誤解を解くために動けば、
再び“関わる理由”を与えてしまう。
それは、避けたい。
「……怖くはありませんか?」
侍女の問いは、
純粋な心配だった。
王宮を敵に回す。
そう見られても、おかしくない。
リュシエンヌは、少し考えてから答える。
「怖くない、と言えば嘘ですわ」
正直な言葉。
「でも……」
視線を窓の外へ向ける。
「王宮に戻るほうが、
もっと怖い」
それは、過去に縛られる恐怖。
自分の時間を、
再び奪われる恐怖。
それに比べれば、
噂など、取るに足らない。
王宮ではこの日、
ある言葉が、
半ば冗談、半ば本気で囁かれ始めた。
「……もしかして、
ヴァイセル公爵令嬢は、
王宮を“見限った”のでは?」
その噂は、
誰かが否定する前に、
静かに根を張り始める。
形を持ち始めた噂は、
やがて、“評価”へと変わる。
そしてその評価は、
王宮という場所の価値そのものを、
問い直すことになる。
リュシエンヌ・フォン・ヴァイセルは、
今日もまた、
何もしていない。
だが――
彼女が動かないことで生まれた“空白”は、
噂という形を取り、
確実に、王宮を追い詰め始めていた。
王宮に戻った使者の報告は、想像以上の速度で広がった。
「……断られたそうです」
誰が最初に口にしたのかは分からない。
だが、その一言は、王宮という閉じた空間に、ひび割れのように走った。
「ヴァイセル公爵令嬢が?」
「ええ。
殿下のご要請を、はっきりと」
その事実は、ただの出来事では終わらなかった。
“相談を断られた”という一点が、
人々の想像力を、必要以上に刺激したのだ。
「……つまり、完全に手を引いたということ?」
「それとも、王宮に愛想を尽かしたのでは?」
「怒っている……というより、
もう関わる気がない、という印象ですわね」
噂は、形を変えながら増殖していく。
怒り。
復讐。
冷酷。
だが、どれも的を射ていなかった。
――彼女は、何もしていない。
ただ、断っただけだ。
それだけの事実が、
王宮の人間関係に、思いのほか大きな影を落としていた。
王太子ユリウスは、その噂の中心にいながら、
誰よりも沈黙していた。
側近が、恐る恐る声をかける。
「……殿下。
このままでは、“公爵令嬢に見放された”という印象が……」
「分かっている」
短く答えるが、打ち消す言葉は続かない。
なぜなら――
否定できない部分があるからだ。
(……見放された、のではない)
胸の内で、そう思う。
(自分たちが、
頼ることしかしてこなかっただけだ)
だが、その理解は、
周囲の評価を変えるものではない。
王宮という場所では、
“印象”が“現実”を作る。
そして今、
その印象は、確実に傾き始めていた。
一方、新しい婚約者の耳にも、
その噂は届いていた。
「……公爵令嬢が、戻るのを拒んだ?」
侍女からの報告に、
彼女は、思わず言葉を失う。
(……やっぱり)
胸の奥で、何かが沈む。
王宮が混乱している理由。
自分が“何か足りない”と感じ続けている理由。
それらが、一つの形を取り始めていた。
(……皆、
あの人を、必要としていた)
そして同時に、
彼女自身が、
“代わりになれていない”という事実も。
だが――
それを口に出すことはできない。
認めた瞬間、
自分の立場が、
根こそぎ揺らいでしまうからだ。
夜。
王宮の一角で、小規模な集まりが開かれていた。
形式ばらない会話の中で、
ある貴族が、ぽつりと口にする。
「……彼女は、賢明だと思うよ」
「誰が?」
「ヴァイセル公爵令嬢だ」
場が、一瞬静まる。
「引き留められても戻らない。
それは、
もう“利用されない”と決めたということだろう?」
誰も、否定しなかった。
むしろ、
心のどこかで、
その選択を“正しい”と感じてしまっている。
それが、さらに状況を悪化させる。
王太子の評価が下がるのではない。
“彼女を失った王宮”の評価が、
じわじわと下がっていく。
一方、ヴァイセル公爵家。
「……噂が、膨らんでいますわね」
侍女の報告に、
リュシエンヌは、小さく息を吐いた。
「そうでしょうね」
予想していたことだ。
「断れば、
勝手に理由を作られます」
だが、肩をすくめるだけ。
「わたくしは、
説明するつもりはありません」
誤解を解くために動けば、
再び“関わる理由”を与えてしまう。
それは、避けたい。
「……怖くはありませんか?」
侍女の問いは、
純粋な心配だった。
王宮を敵に回す。
そう見られても、おかしくない。
リュシエンヌは、少し考えてから答える。
「怖くない、と言えば嘘ですわ」
正直な言葉。
「でも……」
視線を窓の外へ向ける。
「王宮に戻るほうが、
もっと怖い」
それは、過去に縛られる恐怖。
自分の時間を、
再び奪われる恐怖。
それに比べれば、
噂など、取るに足らない。
王宮ではこの日、
ある言葉が、
半ば冗談、半ば本気で囁かれ始めた。
「……もしかして、
ヴァイセル公爵令嬢は、
王宮を“見限った”のでは?」
その噂は、
誰かが否定する前に、
静かに根を張り始める。
形を持ち始めた噂は、
やがて、“評価”へと変わる。
そしてその評価は、
王宮という場所の価値そのものを、
問い直すことになる。
リュシエンヌ・フォン・ヴァイセルは、
今日もまた、
何もしていない。
だが――
彼女が動かないことで生まれた“空白”は、
噂という形を取り、
確実に、王宮を追い詰め始めていた。
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