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第二十九話 距離がつくる余白
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第二十九話 距離がつくる余白
王宮の一日は、相変わらず慌ただしかった。書類は減らず、人の往来も途切れない。ただ、その中心にあったはずの「当然」は、少し前から姿を消している。
ユリウスは執務机に向かいながら、ふと気づいた。判断に迷う瞬間は減っていない。だが、迷った末に誰かの顔を思い浮かべることがなくなった。以前は、最終的な形を整えてくれる存在が、頭のどこかにいた。今はない。
だからこそ、決める理由を言葉にする癖がついた。
「今回は、この条件を優先する」
自分の声でそう告げるたびに、覚悟が現実になる。周囲も、それを受け止める準備を始めていた。完璧ではないが、議論は前に進む。誰かの沈黙に寄りかかることが、なくなったからだ。
一方、王宮の外では、新しい婚約者がいつもの訪問を終え、孤児院の門を静かに閉じていた。今日は特別な出来事はない。子どもたちはいつも通りで、報告書に書くほどの変化もない。
それでも彼女は、足取りを軽く感じていた。
支援は続いている。だが、彼女がいなくても回る仕組みができつつある。その事実は、寂しさではなく安堵をもたらした。自分が要らなくなることを恐れなくていい場所。それが、彼女の居場所になっていた。
ヴァイセル公爵家では、午後の光が書斎に差し込んでいた。リュシエンヌは机に向かい、何通かの書簡に目を通している。内容はさまざまだ。助言を求めるもの、状況報告、単なる近況の挨拶。
彼女はすべてに返事をしない。
必要なものだけに、必要な分だけ応える。その線引きが、以前よりはっきりしていた。全てに手を伸ばさなくても、関係は壊れない。むしろ、距離があるからこそ、相手は自分で考え始める。
侍女が紅茶を置きながら、控えめに尋ねる。
「お嬢様、最近は……お忙しくないのですね」
リュシエンヌは少し考え、微笑んだ。
「忙しくならないように、していますの」
仕事を減らしたわけではない。役割を選び直しただけだ。自分がやらなくてもいいことを、ようやく手放せるようになった。
夕方、王宮から小さな知らせが届いた。決裁が一つ滞ったが、内部で修正案が出され、再提出されたという。以前なら、彼女のもとに回ってきた案件だ。
リュシエンヌは、その報告を読み、何も言わずに紙を畳んだ。
胸に浮かんだのは、誇らしさでも寂しさでもない。ただの確認だった。ああ、もう大丈夫なのだと。
夜、窓辺に立ち、外を眺める。街の灯りは穏やかで、遠くの喧騒はここまで届かない。世界は動いている。だが、自分のすぐそばまで来る必要はない。
距離があるから、見えるものがある。
近すぎれば、抱え込みすぎる。離れすぎれば、無関心になる。その間にある余白こそが、今の彼女を守っていた。
王宮でも、それぞれが似た感覚を抱き始めていた。ユリウスは、自分の決断に対する反応を受け止めながら、誰かの不在を理由にしなくなった。新しい婚約者は、評価を求めず、続くことの価値を信じて動いている。
誰もが、少しずつ距離を学んでいる。
支えすぎない距離。踏み込みすぎない距離。期待しすぎない距離。
リュシエンヌは、椅子に腰を下ろし、本を開いた。ページをめくる音が、静かな部屋に落ちる。遠くで何かが揺れている気配はある。だが、ここまでは届かない。
それでいい。
距離がつくる余白の中で、彼女は今日も穏やかに息をしていた。
王宮の一日は、相変わらず慌ただしかった。書類は減らず、人の往来も途切れない。ただ、その中心にあったはずの「当然」は、少し前から姿を消している。
ユリウスは執務机に向かいながら、ふと気づいた。判断に迷う瞬間は減っていない。だが、迷った末に誰かの顔を思い浮かべることがなくなった。以前は、最終的な形を整えてくれる存在が、頭のどこかにいた。今はない。
だからこそ、決める理由を言葉にする癖がついた。
「今回は、この条件を優先する」
自分の声でそう告げるたびに、覚悟が現実になる。周囲も、それを受け止める準備を始めていた。完璧ではないが、議論は前に進む。誰かの沈黙に寄りかかることが、なくなったからだ。
一方、王宮の外では、新しい婚約者がいつもの訪問を終え、孤児院の門を静かに閉じていた。今日は特別な出来事はない。子どもたちはいつも通りで、報告書に書くほどの変化もない。
それでも彼女は、足取りを軽く感じていた。
支援は続いている。だが、彼女がいなくても回る仕組みができつつある。その事実は、寂しさではなく安堵をもたらした。自分が要らなくなることを恐れなくていい場所。それが、彼女の居場所になっていた。
ヴァイセル公爵家では、午後の光が書斎に差し込んでいた。リュシエンヌは机に向かい、何通かの書簡に目を通している。内容はさまざまだ。助言を求めるもの、状況報告、単なる近況の挨拶。
彼女はすべてに返事をしない。
必要なものだけに、必要な分だけ応える。その線引きが、以前よりはっきりしていた。全てに手を伸ばさなくても、関係は壊れない。むしろ、距離があるからこそ、相手は自分で考え始める。
侍女が紅茶を置きながら、控えめに尋ねる。
「お嬢様、最近は……お忙しくないのですね」
リュシエンヌは少し考え、微笑んだ。
「忙しくならないように、していますの」
仕事を減らしたわけではない。役割を選び直しただけだ。自分がやらなくてもいいことを、ようやく手放せるようになった。
夕方、王宮から小さな知らせが届いた。決裁が一つ滞ったが、内部で修正案が出され、再提出されたという。以前なら、彼女のもとに回ってきた案件だ。
リュシエンヌは、その報告を読み、何も言わずに紙を畳んだ。
胸に浮かんだのは、誇らしさでも寂しさでもない。ただの確認だった。ああ、もう大丈夫なのだと。
夜、窓辺に立ち、外を眺める。街の灯りは穏やかで、遠くの喧騒はここまで届かない。世界は動いている。だが、自分のすぐそばまで来る必要はない。
距離があるから、見えるものがある。
近すぎれば、抱え込みすぎる。離れすぎれば、無関心になる。その間にある余白こそが、今の彼女を守っていた。
王宮でも、それぞれが似た感覚を抱き始めていた。ユリウスは、自分の決断に対する反応を受け止めながら、誰かの不在を理由にしなくなった。新しい婚約者は、評価を求めず、続くことの価値を信じて動いている。
誰もが、少しずつ距離を学んでいる。
支えすぎない距離。踏み込みすぎない距離。期待しすぎない距離。
リュシエンヌは、椅子に腰を下ろし、本を開いた。ページをめくる音が、静かな部屋に落ちる。遠くで何かが揺れている気配はある。だが、ここまでは届かない。
それでいい。
距離がつくる余白の中で、彼女は今日も穏やかに息をしていた。
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