婚約破棄されるはずでしたが、王太子の目の前で皇帝に攫われました』

鷹 綾

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第19話 初仕事は、静かな戦場

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第19話 初仕事は、静かな戦場

 任命から三日後。

 私は、重臣の一人――財務府次官ヴァルデンの執務室を訪れていた。
 帝国の内政を預かる男で、
 冷静沈着、だが「数字以外を信用しない」ことで有名だ。

(……初仕事にしては、骨がある)

 だが、皇帝が私をここへ向かわせた理由は明白だった。

「本日は、
 北方鉱山領の税制再編について
 意見を伺いたいとのことでしたが」

 ヴァルデンは、椅子に深く腰掛けたまま言った。

「ええ。
 もっとも――」

 視線が、私に向く。

「若い令嬢の意見が、
 どこまで実務に耐えうるのか、
 正直なところ興味がありましてね」

(……来た)

 これは、
 試しではない。

 値踏みだ。

 私は、慌てずに資料を机に置いた。

「結論から申し上げます」

 前置きは、不要。

「現行の税制は、
 短期的な徴収効率は高いですが、
 五年後に破綻します」

 ヴァルデンの眉が、わずかに動く。

「……理由は?」

「人が、いなくなるからです」

 即答だった。

「北方鉱山領では、
 採掘技師と監督官の流出が始まっています」

 資料を一枚、示す。

「徴税率は、
 “逃げられない労働者”を前提に設計されています」

「ですが、
 今は違う」

 ヴァルデンが、腕を組む。

「帝国にとって、
 鉱山は重要だ。
 税を下げる余裕はない」

「下げる必要はありません」

 私は、静かに首を振った。

「組み替えるだけです」

 次の資料を開く。

「採掘量に連動する税率から、
 精錬工程に比重を移す」

「原石ではなく、
 加工後に税をかける」

 沈黙。

「そうすれば、
 技師と設備が“領内に残る”理由が生まれます」

 ヴァルデンの視線が、鋭くなる。

「……初期投資が重い」

「はい」

 私は、認めた。

「ですが、
 帝国が主導権を握れます」

 ここが、肝だ。

「今までは、
 “取れるところから取る”仕組みでした」

「これからは、
 “帝国で価値を完成させる”仕組みに変える」

 ヴァルデンは、しばらく黙り込んだ。

(……効いてる)

 数字の人間には、
 流れを見せるのが一番だ。

「……これは、
 誰の発想だ」

 問いが飛ぶ。

「私のです」

 正確には、
 皇帝の示唆と、
 私の視点の組み合わせ。

 だが、ここでは一人で立つ。

 ヴァルデンは、ゆっくりと息を吐いた。

「大胆だな」

「必要な大胆さです」

 私は、視線を逸らさない。

「このままでは、
 鉱山領は“数字の上で健全な死地”になります」

「それは、
 帝国にとって損失です」

 再び、沈黙。

 やがて、ヴァルデンが立ち上がった。

「……分かった」

 机に手をつく。

「試算を、
 もう一段深く出せ」

「皇帝に、
 “数字で殴れる”資料を持っていく」

 それは、
 認めたということだ。

「承知しました」

 私は、深く一礼した。

 執務室を出た瞬間、
 張り詰めていた緊張が、少しだけ解ける。

(……初仕事、クリア)

 だが、終わりではない。

 次は、
 貴族側の反応だ。

 数日後。

 案の定、反発が出た。

「若い女の思いつきだ!」
「前例がない!」
「鉱山領を実験場にする気か!」

 評議の場で、
 声が荒れる。

 私は、黙って聞いていた。

 そして、発言を求められた瞬間、
 一歩前に出る。

「前例がないのは、
 失敗した例がないからです」

 ざわり。

「そして、
 実験ではありません」

 視線を巡らせる。

「帝国の主導権を、
 取り戻す計画です」

 一人の伯爵が、鼻で笑った。

「理想論だ」

「では、質問です」

 私は、即座に返す。

「現在、
 鉱山領の若手技師が、
 何人残っていますか」

 伯爵が、言葉に詰まる。

「……数字を、
 ご存じですか?」

 沈黙。

 ヴァルデンが、低く言った。

「彼女は、
 正確な数字を持っている」

 空気が、変わった。

(……援護、来た)

 私は、続ける。

「理想論では、
 人は動きません」

「ですが、
 逃げ場のない現実を示せば、
 動かざるを得ない」

 評議の場が、静まり返る。

 やがて。

「……検討の価値は、ある」

 誰かが、そう言った。

 それで十分だった。

 夜。

 皇帝から、短い言葉が届く。

『初仕事としては、上出来だ』

 私は、思わず微笑んだ。

(……やっと、立った)

 皇帝の隣ではない。
 誰かの影でもない。

 自分の判断で、
 場を動かした。

 それが、何よりの証明だった。

 特別顧問補佐の仕事は、
 派手ではない。

 だが、
 帝国の歯車を、確実に回す。

 私は、資料をまとめながら思った。

(……これが、私の戦場)

 剣も血もない。
 だが、
 一つの判断が、
 多くの未来を変える。

 それなら――
 やりがいは、十分すぎる。


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