世界の現実は、理不尽で残酷だ――平等など存在しない

鷹 綾

文字の大きさ
27 / 42

第二十六話 選ばれなかった未来

しおりを挟む
第二十六話 選ばれなかった未来

春は、確かに王国全土へと行き渡り始めていた。
街路樹の芽は膨らみ、人々の装いも少しずつ軽くなる。だが、その穏やかな変化を、心から歓迎できる者はもはや多くなかった。

王都では、新たな人事が静かに進められている。
正確に言えば、「進められていない」ことが、意図された選択だった。

王太子という席は、いまだ空白のままだ。
誰も次を決めようとしない。決められないのではない。決めないのだ。

それが、この国なりの反省だった。

貴族院では、明文化されない合意が共有されていた。
――急げば、また同じ過ちを繰り返す。

王位継承とは血筋の問題ではない。
信頼の問題だ。

そして、その信頼が一度壊れた以上、時間をかけずに取り戻すことはできない。誰もが、それを身をもって理解していた。

地方では、王家への忠誠を声高に語る貴族が減っていた。
反旗を翻す者はいない。だが同時に、無条件で従う者もいない。

それは反逆ではなく、静かな警戒だった。

「次に、王家はどんな判断をするのか」

その視線は、すべて王に向けられている。

新王フィリップは、その視線の意味を正しく理解していた。
だからこそ、彼は何も決めない。

拙速な決断が、どれほど高くつくかを、この国はすでに思い知っている。王位とは、動くことで示すものではない。耐えることでしか守れない局面があることを、彼は理解していた。

一方、修道騎士団領。

ルイスは剣の稽古を終え、井戸水で汗を流していた。
荒い息を整えながら、水を顔にかける。

かつての彼であれば、この生活を屈辱と呼んだだろう。
だが今は、そうではない。

「……選ばれなかったのは、王位だけじゃない」

独り言のように、彼は呟いた。

信頼。
未来。
選択肢。

それらすべてが、自分の手から零れ落ちていった。

理由は、ひとつしかない。
理解しなかったからだ。

婚約が何を意味するのか。
王太子の言葉が、どれほど重いのか。
そして、自分がどれほど多くの人間の上に立っていたのか。

理解しないまま、正義を語った。
その代償が、今の立場だった。

一方、ブリテン王国。

アリエノールは王城の書庫で、古い条約文書に目を通していた。
婚約者であるアンジュー伯ヘンリーは、それを咎めない。むしろ、満足そうにその姿を眺めている。

「君は、王妃になる前から戦争を避ける準備をしている」

「ええ」

即答だった。

「勝つ準備ではありませんわ。負けない準備です」

彼女は、誰かに選ばれたのではない。
自分で選んだ。

だから、後悔しない。

この先、王国がどうなろうと、彼女は振り返らない。振り返る理由がない場所へ、すでに足を踏み入れている。

修道院の地下。

マリアは、一本の蝋燭を見つめていた。
炎は揺れている。消えそうで、まだ消えない。

「……もし、何も言わなければ」

「もし、分からないと認めていれば」

問いは尽きない。
だが、答えは出ない。

選ばれなかった未来は、もう存在しないからだ。

世界は、やり直しを用意しない。
あるのは、選んだ後の現実だけ。

王国も、王太子も、聖女も。
皆、同じ場所に立っている。

戻れない場所の、こちら側で。

そして次に選ばれるのは――
より慎重で、より冷酷な未来。

それだけが、確実だった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

『婚約破棄ありがとうございます。自由を求めて隣国へ行ったら、有能すぎて溺愛されました』

鷹 綾
恋愛
内容紹介 王太子に「可愛げがない」という理不尽な理由で婚約破棄された公爵令嬢エヴァントラ。 涙を流して見せた彼女だったが── 内心では「これで自由よ!」と小さくガッツポーズ。 実は王国の政務の大半を支えていたのは彼女だった。 エヴァントラが去った途端、王宮は大混乱に陥り、元婚約者とその恋人は国中から総スカンに。 そんな彼女を拾ったのは、隣国の宰相補佐アイオン。 彼はエヴァントラの安全と立場を守るため、 **「恋愛感情を持たない白い結婚」**を提案する。 「干渉しない? 恋愛不要? 最高ですわ」 利害一致の契約婚が始まった……はずが、 有能すぎるエヴァントラは隣国で一気に評価され、 気づけば彼女を庇い、支え、惹かれていく男がひとり。 ――白い結婚、どこへ? 「君が笑ってくれるなら、それでいい」 不器用な宰相補佐の溺愛が、静かに始まっていた。 一方、王国では元婚約者が転落し、真実が暴かれていく――。 婚約破棄ざまぁから始まる、 天才令嬢の自由と恋と大逆転のラブストーリー! ---

『選ばれなかった孤児は、同じ時間を生きることを選んだ』

鷹 綾
恋愛
孤児院で育ったウェイフは、いじめられながらも山で芋を掘り、川で魚を捕り、自分の力で生き延びてきた少女。 前世の記憶を取り戻したことで、ただ耐えるだけの孤児ではなくなった彼女は、孤児院の中で静かに居場所を築いていく。 そんなある日、孤児院に寄付をしている男爵家から「養女として引き取る」という話が舞い込む。 だがそれは、三百年以上生きる“化け物公爵”の婚約者として差し出すための、身代わりだった。 厳しい令嬢教育、冷遇される日々、嘲笑する男爵の娘。 それでもウェイフは、逃げずに学び続ける。 やがて公爵邸で出会ったのは、噂とは違う、静かで誠実な青年――そして、年を取らない呪いを背負った公爵本人だった。 孤児であること。 魔法を使えること。 呪いを解く力を持ちながら、あえて使わない選択。 「選ばれる側」だった少女は、自分の人生を自分で選ぶようになる。 これは、派手な復讐ではなく、 声高な正義でもなく、 静かに“立場が逆転していく”ざまぁと、対等な愛を描いた物語。 選ばれなかった孤児が、 同じ時間を生きることを選ぶまでの、 静かで強い恋愛ファンタジー。

『婚約破棄?結構ですわ。わたくしは何もしないで生きていきます』

鷹 綾
恋愛
内容紹介 王太子ユリウスの婚約者だった伯爵令嬢リュシエンヌは、公衆の面前で一方的に婚約を破棄される。 だが彼女は泣かず、怒らず、復讐も選ばなかった。 「働かないと、決めましたの」 婚約者として担ってきた政務補佐、調整、裏方の仕事をすべて手放し、彼女は“何もしない”生活を始める。 すると王宮は静かに軋み、これまで彼女が支えていた日常だけが浮き彫りになっていく。 新たな婚約者を得た王太子。 外から王宮を支える女性。 そして、何もせず距離を保つ元婚約者。 誰も声高に責めず、誰も派手なざまぁをしない。 それでも、関係は変わり、立場は入れ替わり、真実だけが残っていく。 これは、頑張らないことで人生を取り戻した令嬢の物語。 婚約破棄のその先で、“何もしない”という最強の選択をした女性が、静かに自由を手に入れるまでの40話。

満場一致で削除されましたが、世界は問題なく回っております』

鷹 綾
恋愛
王太子アルベルトは、ある日、貴族全会の満場一致によって廃嫡された。 断罪もなければ、処刑もない。 血も流れず、罪状も曖昧。 ただ「順序を飛ばした」という一点だけで、彼は王位継承の座から静かに削除される。 婚約者だった公爵令嬢エリシアは、婚約破棄の時点で王都の構造から距離を取り、隣国との長期協定を進めていく。 彼女の世界は合理で動き、感情に振り回されることはない。 一方、王太子が選んだ“新たな聖女”は、どこまでも従順で、どこまでも寄り添う存在だった。 「殿下に従わない者は、私が処理しておきます」 その甘い囁きの裏で、王都では“偶然”が重なり始める。 だが真実は語られない。 急病も、辞任も、転任も、すべては記録上の出来事。 証拠はない。 ただ王太子だけが、血に濡れた笑顔の悪夢を見る。 そして気づく。 自分のざまあは、罰ではない。 「中心ではなくなること」だと。 王都は安定し、新王は即位し、歴史は何事もなかったかのように進む。 旧王太子の名は、ただ一行の記録として残るのみ。 婚約破棄のその後に始まる、静かな因果応報。 激情ではなく“構造”が裁く、最強レベルの心理ざまあ。 これは―― 満場一致で削除された男と、最初から無関係な位置に立っていた令嬢の物語。

婚約辞退いたします。だってこの国、沈みますもの

鍛高譚
恋愛
「婚約はお断りいたします――この国は近い将来、崩壊しますので」 そう言い放ったのは、社交界でも目立たない子爵令嬢、マリン・アクアリウム。 ある日、とある舞踏会に突如現れた王太子ガイア殿下。 誰もが驚く中、なんと彼はマリンに婚約を申し出る。 周囲は騒然。「子爵令嬢が王太子妃!?」「断る理由などないはず!」 ――だが、彼女は断った。「この国は、もうすぐ滅びます」――と。 そんな不吉な言葉を口にしたことで、彼女は“狂言癖のある嘘つき令嬢”と噂され、 家族にさえ見放され、ついには国外追放の身に。 だが、彼女の予言は本物だった―― 数年後、王国に未曾有の大災厄が迫る。 国土が崩れ、海に沈む都市。人々が絶望する中、思い出されるのは、 あの舞踏会でただひとり“滅び”を告げた少女の名。 「彼女なら、この国を救えるかもしれない……」 皮肉にも“追放令嬢”マリンは、再び王都に呼び戻され、 滅びゆく国で最後の希望として担ぎ上げられる。 信じてもらえなかった過去。 それでも人々の命を守ろうと奔走するマリン。 そして、王子ガイアが差し伸べた、あの日と変わらぬ手。 ――たとえ国が滅んでも、あなたとともに歩んでいきたい。

引きこもり聖女は祈らない

鷹 綾
恋愛
内容紹介 聖女ポーラ・スターは、引きこもっていた。 人と話すことができず、部屋から出ることもできず、 彼女の意思表示は、扉に貼られる小さなメモだけだった。 「西の街道でがけ崩れが起きます」 「今日は、クラムチャウダーが食べたいです」 祈らず、姿も見せず、奇跡を誇示することもない聖女。 その存在は次第に「役立たず」と見なされ、 王太子リチャードから一方的に婚約を破棄され、聖女の地位も解かれる。 ──だが、その日を境に、王国は壊れ始めた。 天候不順、嵐、洪水、冷害。 新たに任命された聖女は奇跡を演じるが、世界は救われない。 誰もが気づかぬまま、 「何もしない聖女」が、実はすべてを支えていた事実だけが残されていた。 扉の向こうで静かに生きる少女と、 毎日声をかけ続ける精神科医フォージャー。 失われていく王国と、取り戻されていく一人の人生。 これは、 祈らない聖女が選んだ、 誰にも支配されない静かな結末の物語。 『引きこもり聖女は祈らない』 ざまぁは声高でなく、 救いは奇跡ではなく、 その扉の向こうに、確かにあった。

ラノベでリアルに婚約破棄を描いてみたら、王家が傾いた

鷹 綾
恋愛
王太子から一方的に告げられた、婚約破棄。 理由は――「真実の愛を見つけたから」。 相手は、清楚で心優しいと評判の男爵令嬢。 誰もが、ありがちな恋愛沙汰だと思った。 だがその婚約は、恋ではなかった。 王家と公爵家、そして教会が関与する国家条約だったのだ。 公爵令嬢イザベル・ド・エノーは、泣き叫ぶことも、復讐を誓うこともしない。 ただ静かに問い返す。 ――その婚約破棄が、何を意味するのか理解しているのですか? 一方的な破棄は、名誉の侵害であり、契約違反であり、 時に戦争すら正当化する行為となる。 王太子の愚かな選択は、王家、公爵家、教会を巻き込み、国を内戦寸前へと追い込んでいく。 裁かれるのは、恋に溺れた王太子か。 それとも、彼を誤導した「善良な令嬢」か。 そして、責任を負うべきは誰なのか。 これは、 「ざまぁ」のための物語ではない。 中世ヨーロッパをモデルに、婚約破棄を“現実の政治”として描いた物語である。 恋は自由だ。 だが、契約を壊す覚悟のない者が、国家の前でそれを口にしていいはずがない。 ――ラノベで、リアルな婚約破棄を描いてみた結果。

聖女の妹、『灰色女』の私

ルーシャオ
恋愛
オールヴァン公爵家令嬢かつ聖女アリシアを妹に持つ『私』は、魔力を持たない『灰色女(グレイッシュ)』として蔑まれていた。醜聞を避けるため仕方なく出席した妹の就任式から早々に帰宅しようとしたところ、道に座り込む老婆を見つける。その老婆は同じ『灰色女』であり、『私』の運命を変える呪文をつぶやいた。 『私』は次第にマナの流れが見えるようになり、知らなかったことをどんどんと知っていく。そして、聖女へ、オールヴァン公爵家へ、この国へ、差別する人々へ——復讐を決意した。 一方で、なぜか縁談の来なかった『私』と結婚したいという王城騎士団副団長アイメルが現れる。拒否できない結婚だと思っていたが、妙にアイメルは親身になってくれる。一体なぜ?

処理中です...