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第二十六話 選ばれなかった未来
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第二十六話 選ばれなかった未来
春は、確かに王国全土へと行き渡り始めていた。
街路樹の芽は膨らみ、人々の装いも少しずつ軽くなる。だが、その穏やかな変化を、心から歓迎できる者はもはや多くなかった。
王都では、新たな人事が静かに進められている。
正確に言えば、「進められていない」ことが、意図された選択だった。
王太子という席は、いまだ空白のままだ。
誰も次を決めようとしない。決められないのではない。決めないのだ。
それが、この国なりの反省だった。
貴族院では、明文化されない合意が共有されていた。
――急げば、また同じ過ちを繰り返す。
王位継承とは血筋の問題ではない。
信頼の問題だ。
そして、その信頼が一度壊れた以上、時間をかけずに取り戻すことはできない。誰もが、それを身をもって理解していた。
地方では、王家への忠誠を声高に語る貴族が減っていた。
反旗を翻す者はいない。だが同時に、無条件で従う者もいない。
それは反逆ではなく、静かな警戒だった。
「次に、王家はどんな判断をするのか」
その視線は、すべて王に向けられている。
新王フィリップは、その視線の意味を正しく理解していた。
だからこそ、彼は何も決めない。
拙速な決断が、どれほど高くつくかを、この国はすでに思い知っている。王位とは、動くことで示すものではない。耐えることでしか守れない局面があることを、彼は理解していた。
一方、修道騎士団領。
ルイスは剣の稽古を終え、井戸水で汗を流していた。
荒い息を整えながら、水を顔にかける。
かつての彼であれば、この生活を屈辱と呼んだだろう。
だが今は、そうではない。
「……選ばれなかったのは、王位だけじゃない」
独り言のように、彼は呟いた。
信頼。
未来。
選択肢。
それらすべてが、自分の手から零れ落ちていった。
理由は、ひとつしかない。
理解しなかったからだ。
婚約が何を意味するのか。
王太子の言葉が、どれほど重いのか。
そして、自分がどれほど多くの人間の上に立っていたのか。
理解しないまま、正義を語った。
その代償が、今の立場だった。
一方、ブリテン王国。
アリエノールは王城の書庫で、古い条約文書に目を通していた。
婚約者であるアンジュー伯ヘンリーは、それを咎めない。むしろ、満足そうにその姿を眺めている。
「君は、王妃になる前から戦争を避ける準備をしている」
「ええ」
即答だった。
「勝つ準備ではありませんわ。負けない準備です」
彼女は、誰かに選ばれたのではない。
自分で選んだ。
だから、後悔しない。
この先、王国がどうなろうと、彼女は振り返らない。振り返る理由がない場所へ、すでに足を踏み入れている。
修道院の地下。
マリアは、一本の蝋燭を見つめていた。
炎は揺れている。消えそうで、まだ消えない。
「……もし、何も言わなければ」
「もし、分からないと認めていれば」
問いは尽きない。
だが、答えは出ない。
選ばれなかった未来は、もう存在しないからだ。
世界は、やり直しを用意しない。
あるのは、選んだ後の現実だけ。
王国も、王太子も、聖女も。
皆、同じ場所に立っている。
戻れない場所の、こちら側で。
そして次に選ばれるのは――
より慎重で、より冷酷な未来。
それだけが、確実だった。
春は、確かに王国全土へと行き渡り始めていた。
街路樹の芽は膨らみ、人々の装いも少しずつ軽くなる。だが、その穏やかな変化を、心から歓迎できる者はもはや多くなかった。
王都では、新たな人事が静かに進められている。
正確に言えば、「進められていない」ことが、意図された選択だった。
王太子という席は、いまだ空白のままだ。
誰も次を決めようとしない。決められないのではない。決めないのだ。
それが、この国なりの反省だった。
貴族院では、明文化されない合意が共有されていた。
――急げば、また同じ過ちを繰り返す。
王位継承とは血筋の問題ではない。
信頼の問題だ。
そして、その信頼が一度壊れた以上、時間をかけずに取り戻すことはできない。誰もが、それを身をもって理解していた。
地方では、王家への忠誠を声高に語る貴族が減っていた。
反旗を翻す者はいない。だが同時に、無条件で従う者もいない。
それは反逆ではなく、静かな警戒だった。
「次に、王家はどんな判断をするのか」
その視線は、すべて王に向けられている。
新王フィリップは、その視線の意味を正しく理解していた。
だからこそ、彼は何も決めない。
拙速な決断が、どれほど高くつくかを、この国はすでに思い知っている。王位とは、動くことで示すものではない。耐えることでしか守れない局面があることを、彼は理解していた。
一方、修道騎士団領。
ルイスは剣の稽古を終え、井戸水で汗を流していた。
荒い息を整えながら、水を顔にかける。
かつての彼であれば、この生活を屈辱と呼んだだろう。
だが今は、そうではない。
「……選ばれなかったのは、王位だけじゃない」
独り言のように、彼は呟いた。
信頼。
未来。
選択肢。
それらすべてが、自分の手から零れ落ちていった。
理由は、ひとつしかない。
理解しなかったからだ。
婚約が何を意味するのか。
王太子の言葉が、どれほど重いのか。
そして、自分がどれほど多くの人間の上に立っていたのか。
理解しないまま、正義を語った。
その代償が、今の立場だった。
一方、ブリテン王国。
アリエノールは王城の書庫で、古い条約文書に目を通していた。
婚約者であるアンジュー伯ヘンリーは、それを咎めない。むしろ、満足そうにその姿を眺めている。
「君は、王妃になる前から戦争を避ける準備をしている」
「ええ」
即答だった。
「勝つ準備ではありませんわ。負けない準備です」
彼女は、誰かに選ばれたのではない。
自分で選んだ。
だから、後悔しない。
この先、王国がどうなろうと、彼女は振り返らない。振り返る理由がない場所へ、すでに足を踏み入れている。
修道院の地下。
マリアは、一本の蝋燭を見つめていた。
炎は揺れている。消えそうで、まだ消えない。
「……もし、何も言わなければ」
「もし、分からないと認めていれば」
問いは尽きない。
だが、答えは出ない。
選ばれなかった未来は、もう存在しないからだ。
世界は、やり直しを用意しない。
あるのは、選んだ後の現実だけ。
王国も、王太子も、聖女も。
皆、同じ場所に立っている。
戻れない場所の、こちら側で。
そして次に選ばれるのは――
より慎重で、より冷酷な未来。
それだけが、確実だった。
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