世界の現実は、理不尽で残酷だ――平等など存在しない

鷹 綾

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第二十七話 取り返しのつかない線

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第二十七話 取り返しのつかない線

王城の会議室には、重たい沈黙が落ちていた。
誰も声を荒げていない。それでも、この場に集められた者たちは、すでに理解していた。――事態は、もはや「不祥事」ではない。

「いじめは、存在しなかった」

調査結果を読み上げる官吏の声は淡々としていた。証言、記録、複数の教師の一致した見解。どこにも、アリエノール・ダキテーヌ公爵令嬢がマリアを害した証拠はない。

残ったのは、王太子ルイスが公の場で放った、あの断罪の言葉だけだった。

「……確認は以上です」

官吏が一礼して下がると、会議室の空気がわずかに揺れた。怒りでも混乱でもない。もっと冷たいもの――計算だ。

国王は、ゆっくりと目を閉じる。

「王太子は、何を根拠に断罪を行った?」

問いは静かだったが、逃げ道はなかった。側近の一人が言葉を選びながら答える。

「聖女マリア本人の訴えと……殿下ご自身のご判断かと」

その瞬間、誰もが悟った。
――判断した時点で、もう線を越えている。

貴族社会において、身分秩序を理解しない訴えを、そのまま正義として扱うことが、どれほど危険か。まして相手は、公爵家の正統な令嬢だ。私的な叱責ですら問題になる相手を、公衆の場で断罪した。その意味を、ルイスは理解していなかった。

「これは、誤解では済まぬ」

国王の言葉に、誰も反論しなかった。

仮にいじめが事実であったとしても、それが婚約破棄の正当理由になるかは別の問題だ。そして、それが濡れ衣であった以上、事態は一段階、いや二段階上の次元へと跳ね上がる。

「公爵家は?」

「すでに、正式な抗議文が届いております。内容は……非常に抑制されていますが」

抑制されている、という点こそが問題だった。感情を爆発させていないということは、冷静に、そして本気で動いている証拠だ。

「時間稼ぎはできん」

国王は理解している。王家が即座に責任の所在を明確にしなければ、次に動くのは公爵家だ。その時点で、主導権は完全に失われる。

会議室の外、王城の廊下では、すでに噂が走り始めていた。
「濡れ衣だったらしい」
「王太子が暴走した」
「公爵家は黙っていないだろう」

貴族たちは感情で動かない。だが、損得には敏感だ。王太子が将来の国王として危うい存在だと判断されれば、支持は一気に離れる。

同じ頃、学院ではマリアが自室で震えていた。
自分は正しいことを言ったはずだ。身分など関係なく、皆が平等であるべきだと。そう信じて疑わなかった。

だが、周囲の視線が変わり始めていることに、彼女は気づいていた。

「……どうして?」

問いに答える者はいない。
世界が自分を否定したのではない。最初から、世界を理解していなかっただけだという事実が、彼女を追い詰めていく。

その頃、アリエノールはすでに王都を離れていた。
実家に戻る準備も、抗議の言葉も、すべて代理人に任せている。感情を表に出す段階は、とうに過ぎていた。

「王太子殿下が、婚約破棄を口にした時点で、もう止められませんわ」

彼女は静かに言った。

「世界は、残酷で、不平等ですの。それを理解せずに正義を振りかざせば、必ず誰かが壊れます」

壊れたのは、王太子の未来か、王家そのものか。
それを決める時間は、もう残されていなかった。

この日、誰の耳にも届かない場所で、一本の線が引かれた。
それは、決して取り消せない線だった。
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