28 / 42
第二十七話 取り返しのつかない線
しおりを挟む
第二十七話 取り返しのつかない線
王城の会議室には、重たい沈黙が落ちていた。
誰も声を荒げていない。それでも、この場に集められた者たちは、すでに理解していた。――事態は、もはや「不祥事」ではない。
「いじめは、存在しなかった」
調査結果を読み上げる官吏の声は淡々としていた。証言、記録、複数の教師の一致した見解。どこにも、アリエノール・ダキテーヌ公爵令嬢がマリアを害した証拠はない。
残ったのは、王太子ルイスが公の場で放った、あの断罪の言葉だけだった。
「……確認は以上です」
官吏が一礼して下がると、会議室の空気がわずかに揺れた。怒りでも混乱でもない。もっと冷たいもの――計算だ。
国王は、ゆっくりと目を閉じる。
「王太子は、何を根拠に断罪を行った?」
問いは静かだったが、逃げ道はなかった。側近の一人が言葉を選びながら答える。
「聖女マリア本人の訴えと……殿下ご自身のご判断かと」
その瞬間、誰もが悟った。
――判断した時点で、もう線を越えている。
貴族社会において、身分秩序を理解しない訴えを、そのまま正義として扱うことが、どれほど危険か。まして相手は、公爵家の正統な令嬢だ。私的な叱責ですら問題になる相手を、公衆の場で断罪した。その意味を、ルイスは理解していなかった。
「これは、誤解では済まぬ」
国王の言葉に、誰も反論しなかった。
仮にいじめが事実であったとしても、それが婚約破棄の正当理由になるかは別の問題だ。そして、それが濡れ衣であった以上、事態は一段階、いや二段階上の次元へと跳ね上がる。
「公爵家は?」
「すでに、正式な抗議文が届いております。内容は……非常に抑制されていますが」
抑制されている、という点こそが問題だった。感情を爆発させていないということは、冷静に、そして本気で動いている証拠だ。
「時間稼ぎはできん」
国王は理解している。王家が即座に責任の所在を明確にしなければ、次に動くのは公爵家だ。その時点で、主導権は完全に失われる。
会議室の外、王城の廊下では、すでに噂が走り始めていた。
「濡れ衣だったらしい」
「王太子が暴走した」
「公爵家は黙っていないだろう」
貴族たちは感情で動かない。だが、損得には敏感だ。王太子が将来の国王として危うい存在だと判断されれば、支持は一気に離れる。
同じ頃、学院ではマリアが自室で震えていた。
自分は正しいことを言ったはずだ。身分など関係なく、皆が平等であるべきだと。そう信じて疑わなかった。
だが、周囲の視線が変わり始めていることに、彼女は気づいていた。
「……どうして?」
問いに答える者はいない。
世界が自分を否定したのではない。最初から、世界を理解していなかっただけだという事実が、彼女を追い詰めていく。
その頃、アリエノールはすでに王都を離れていた。
実家に戻る準備も、抗議の言葉も、すべて代理人に任せている。感情を表に出す段階は、とうに過ぎていた。
「王太子殿下が、婚約破棄を口にした時点で、もう止められませんわ」
彼女は静かに言った。
「世界は、残酷で、不平等ですの。それを理解せずに正義を振りかざせば、必ず誰かが壊れます」
壊れたのは、王太子の未来か、王家そのものか。
それを決める時間は、もう残されていなかった。
この日、誰の耳にも届かない場所で、一本の線が引かれた。
それは、決して取り消せない線だった。
王城の会議室には、重たい沈黙が落ちていた。
誰も声を荒げていない。それでも、この場に集められた者たちは、すでに理解していた。――事態は、もはや「不祥事」ではない。
「いじめは、存在しなかった」
調査結果を読み上げる官吏の声は淡々としていた。証言、記録、複数の教師の一致した見解。どこにも、アリエノール・ダキテーヌ公爵令嬢がマリアを害した証拠はない。
残ったのは、王太子ルイスが公の場で放った、あの断罪の言葉だけだった。
「……確認は以上です」
官吏が一礼して下がると、会議室の空気がわずかに揺れた。怒りでも混乱でもない。もっと冷たいもの――計算だ。
国王は、ゆっくりと目を閉じる。
「王太子は、何を根拠に断罪を行った?」
問いは静かだったが、逃げ道はなかった。側近の一人が言葉を選びながら答える。
「聖女マリア本人の訴えと……殿下ご自身のご判断かと」
その瞬間、誰もが悟った。
――判断した時点で、もう線を越えている。
貴族社会において、身分秩序を理解しない訴えを、そのまま正義として扱うことが、どれほど危険か。まして相手は、公爵家の正統な令嬢だ。私的な叱責ですら問題になる相手を、公衆の場で断罪した。その意味を、ルイスは理解していなかった。
「これは、誤解では済まぬ」
国王の言葉に、誰も反論しなかった。
仮にいじめが事実であったとしても、それが婚約破棄の正当理由になるかは別の問題だ。そして、それが濡れ衣であった以上、事態は一段階、いや二段階上の次元へと跳ね上がる。
「公爵家は?」
「すでに、正式な抗議文が届いております。内容は……非常に抑制されていますが」
抑制されている、という点こそが問題だった。感情を爆発させていないということは、冷静に、そして本気で動いている証拠だ。
「時間稼ぎはできん」
国王は理解している。王家が即座に責任の所在を明確にしなければ、次に動くのは公爵家だ。その時点で、主導権は完全に失われる。
会議室の外、王城の廊下では、すでに噂が走り始めていた。
「濡れ衣だったらしい」
「王太子が暴走した」
「公爵家は黙っていないだろう」
貴族たちは感情で動かない。だが、損得には敏感だ。王太子が将来の国王として危うい存在だと判断されれば、支持は一気に離れる。
同じ頃、学院ではマリアが自室で震えていた。
自分は正しいことを言ったはずだ。身分など関係なく、皆が平等であるべきだと。そう信じて疑わなかった。
だが、周囲の視線が変わり始めていることに、彼女は気づいていた。
「……どうして?」
問いに答える者はいない。
世界が自分を否定したのではない。最初から、世界を理解していなかっただけだという事実が、彼女を追い詰めていく。
その頃、アリエノールはすでに王都を離れていた。
実家に戻る準備も、抗議の言葉も、すべて代理人に任せている。感情を表に出す段階は、とうに過ぎていた。
「王太子殿下が、婚約破棄を口にした時点で、もう止められませんわ」
彼女は静かに言った。
「世界は、残酷で、不平等ですの。それを理解せずに正義を振りかざせば、必ず誰かが壊れます」
壊れたのは、王太子の未来か、王家そのものか。
それを決める時間は、もう残されていなかった。
この日、誰の耳にも届かない場所で、一本の線が引かれた。
それは、決して取り消せない線だった。
29
あなたにおすすめの小説
満場一致で削除されましたが、世界は問題なく回っております』
鷹 綾
恋愛
王太子アルベルトは、ある日、貴族全会の満場一致によって廃嫡された。
断罪もなければ、処刑もない。
血も流れず、罪状も曖昧。
ただ「順序を飛ばした」という一点だけで、彼は王位継承の座から静かに削除される。
婚約者だった公爵令嬢エリシアは、婚約破棄の時点で王都の構造から距離を取り、隣国との長期協定を進めていく。
彼女の世界は合理で動き、感情に振り回されることはない。
一方、王太子が選んだ“新たな聖女”は、どこまでも従順で、どこまでも寄り添う存在だった。
「殿下に従わない者は、私が処理しておきます」
その甘い囁きの裏で、王都では“偶然”が重なり始める。
だが真実は語られない。
急病も、辞任も、転任も、すべては記録上の出来事。
証拠はない。
ただ王太子だけが、血に濡れた笑顔の悪夢を見る。
そして気づく。
自分のざまあは、罰ではない。
「中心ではなくなること」だと。
王都は安定し、新王は即位し、歴史は何事もなかったかのように進む。
旧王太子の名は、ただ一行の記録として残るのみ。
婚約破棄のその後に始まる、静かな因果応報。
激情ではなく“構造”が裁く、最強レベルの心理ざまあ。
これは――
満場一致で削除された男と、最初から無関係な位置に立っていた令嬢の物語。
存在感のない聖女が姿を消した後 [完]
風龍佳乃
恋愛
聖女であるディアターナは
永く仕えた国を捨てた。
何故って?
それは新たに現れた聖女が
ヒロインだったから。
ディアターナは
いつの日からか新聖女と比べられ
人々の心が離れていった事を悟った。
もう私の役目は終わったわ…
神託を受けたディアターナは
手紙を残して消えた。
残された国は天災に見舞われ
てしまった。
しかし聖女は戻る事はなかった。
ディアターナは西帝国にて
初代聖女のコリーアンナに出会い
運命を切り開いて
自分自身の幸せをみつけるのだった。
『選ばれなかった孤児は、同じ時間を生きることを選んだ』
鷹 綾
恋愛
孤児院で育ったウェイフは、いじめられながらも山で芋を掘り、川で魚を捕り、自分の力で生き延びてきた少女。
前世の記憶を取り戻したことで、ただ耐えるだけの孤児ではなくなった彼女は、孤児院の中で静かに居場所を築いていく。
そんなある日、孤児院に寄付をしている男爵家から「養女として引き取る」という話が舞い込む。
だがそれは、三百年以上生きる“化け物公爵”の婚約者として差し出すための、身代わりだった。
厳しい令嬢教育、冷遇される日々、嘲笑する男爵の娘。
それでもウェイフは、逃げずに学び続ける。
やがて公爵邸で出会ったのは、噂とは違う、静かで誠実な青年――そして、年を取らない呪いを背負った公爵本人だった。
孤児であること。
魔法を使えること。
呪いを解く力を持ちながら、あえて使わない選択。
「選ばれる側」だった少女は、自分の人生を自分で選ぶようになる。
これは、派手な復讐ではなく、
声高な正義でもなく、
静かに“立場が逆転していく”ざまぁと、対等な愛を描いた物語。
選ばれなかった孤児が、
同じ時間を生きることを選ぶまでの、
静かで強い恋愛ファンタジー。
『婚約破棄?結構ですわ。わたくしは何もしないで生きていきます』
鷹 綾
恋愛
内容紹介
王太子ユリウスの婚約者だった伯爵令嬢リュシエンヌは、公衆の面前で一方的に婚約を破棄される。
だが彼女は泣かず、怒らず、復讐も選ばなかった。
「働かないと、決めましたの」
婚約者として担ってきた政務補佐、調整、裏方の仕事をすべて手放し、彼女は“何もしない”生活を始める。
すると王宮は静かに軋み、これまで彼女が支えていた日常だけが浮き彫りになっていく。
新たな婚約者を得た王太子。
外から王宮を支える女性。
そして、何もせず距離を保つ元婚約者。
誰も声高に責めず、誰も派手なざまぁをしない。
それでも、関係は変わり、立場は入れ替わり、真実だけが残っていく。
これは、頑張らないことで人生を取り戻した令嬢の物語。
婚約破棄のその先で、“何もしない”という最強の選択をした女性が、静かに自由を手に入れるまでの40話。
働きませんわ。それでも王妃になります
鷹 綾
恋愛
「私は働きませんわ」
そう宣言して、王太子から婚約破棄された公爵令嬢エルフィーナ。
社交もしない。慈善もしない。政務にも口を出さない。
“怠け者令嬢”と陰で囁かれる彼女を、王太子アレクシスは「王妃に相応しくない」と切り捨てた。
――だが彼は知らなかった。
彼女が動かないからこそ、王家は自力で立つことを覚えたのだということを。
エルフィーナは何もしない。
ただ保証を更新せず、支援を継続せず、静かに席を外すだけ。
その結果――
王家は自らの足で立つことを強いられ、王太子は“誰の力にも頼らない王”へと変わっていく。
やがて外圧が王国を揺らしたとき、彼は気づく。
支配でも依存でもなく、並んで立てる存在が誰だったのかを。
「君と並びたい」
差し出されたのは、甘い救済ではない。
対等という選択。
それでも彼女の答えは変わらない。
「私は働きませんわ」
働かない。
支配しない。
けれど、逃げもしない。
これは――
働かないまま王妃になる、公爵令嬢の静かなざまあ恋愛譚。
優雅で、合理的で、そしてどこまでも強い。
“何もしない”という最強の選択が、王国を変えていく。
婚約辞退いたします。だってこの国、沈みますもの
鍛高譚
恋愛
「婚約はお断りいたします――この国は近い将来、崩壊しますので」
そう言い放ったのは、社交界でも目立たない子爵令嬢、マリン・アクアリウム。
ある日、とある舞踏会に突如現れた王太子ガイア殿下。
誰もが驚く中、なんと彼はマリンに婚約を申し出る。
周囲は騒然。「子爵令嬢が王太子妃!?」「断る理由などないはず!」
――だが、彼女は断った。「この国は、もうすぐ滅びます」――と。
そんな不吉な言葉を口にしたことで、彼女は“狂言癖のある嘘つき令嬢”と噂され、
家族にさえ見放され、ついには国外追放の身に。
だが、彼女の予言は本物だった――
数年後、王国に未曾有の大災厄が迫る。
国土が崩れ、海に沈む都市。人々が絶望する中、思い出されるのは、
あの舞踏会でただひとり“滅び”を告げた少女の名。
「彼女なら、この国を救えるかもしれない……」
皮肉にも“追放令嬢”マリンは、再び王都に呼び戻され、
滅びゆく国で最後の希望として担ぎ上げられる。
信じてもらえなかった過去。
それでも人々の命を守ろうと奔走するマリン。
そして、王子ガイアが差し伸べた、あの日と変わらぬ手。
――たとえ国が滅んでも、あなたとともに歩んでいきたい。
引きこもり聖女は祈らない
鷹 綾
恋愛
内容紹介
聖女ポーラ・スターは、引きこもっていた。
人と話すことができず、部屋から出ることもできず、
彼女の意思表示は、扉に貼られる小さなメモだけだった。
「西の街道でがけ崩れが起きます」
「今日は、クラムチャウダーが食べたいです」
祈らず、姿も見せず、奇跡を誇示することもない聖女。
その存在は次第に「役立たず」と見なされ、
王太子リチャードから一方的に婚約を破棄され、聖女の地位も解かれる。
──だが、その日を境に、王国は壊れ始めた。
天候不順、嵐、洪水、冷害。
新たに任命された聖女は奇跡を演じるが、世界は救われない。
誰もが気づかぬまま、
「何もしない聖女」が、実はすべてを支えていた事実だけが残されていた。
扉の向こうで静かに生きる少女と、
毎日声をかけ続ける精神科医フォージャー。
失われていく王国と、取り戻されていく一人の人生。
これは、
祈らない聖女が選んだ、
誰にも支配されない静かな結末の物語。
『引きこもり聖女は祈らない』
ざまぁは声高でなく、
救いは奇跡ではなく、
その扉の向こうに、確かにあった。
ラノベでリアルに婚約破棄を描いてみたら、王家が傾いた
鷹 綾
恋愛
王太子から一方的に告げられた、婚約破棄。
理由は――「真実の愛を見つけたから」。
相手は、清楚で心優しいと評判の男爵令嬢。
誰もが、ありがちな恋愛沙汰だと思った。
だがその婚約は、恋ではなかった。
王家と公爵家、そして教会が関与する国家条約だったのだ。
公爵令嬢イザベル・ド・エノーは、泣き叫ぶことも、復讐を誓うこともしない。
ただ静かに問い返す。
――その婚約破棄が、何を意味するのか理解しているのですか?
一方的な破棄は、名誉の侵害であり、契約違反であり、
時に戦争すら正当化する行為となる。
王太子の愚かな選択は、王家、公爵家、教会を巻き込み、国を内戦寸前へと追い込んでいく。
裁かれるのは、恋に溺れた王太子か。
それとも、彼を誤導した「善良な令嬢」か。
そして、責任を負うべきは誰なのか。
これは、
「ざまぁ」のための物語ではない。
中世ヨーロッパをモデルに、婚約破棄を“現実の政治”として描いた物語である。
恋は自由だ。
だが、契約を壊す覚悟のない者が、国家の前でそれを口にしていいはずがない。
――ラノベで、リアルな婚約破棄を描いてみた結果。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる